楽観主義辞典に断頭台の文字はない


 女はぶらぶらと街を歩いていた。昨晩の飲食店での一件は、既に彼女の勤め先の鋭い耳の鼓膜を叩き、彼女の上司は相当におかんむりである。

 しかしこの女。朝10時に呼び出されたこの女。既に14時をまわり、髪はボサボサ足はサンダル。なのに舐めてるとしか思えない8bitサングラスはしっかり装備。


「さすがに怒られっかな~」などと呟くその口は、昨日の喧嘩で中が切れている。鉄っぽい味が彼女の舌を染みわたった。


 やがて彼女は目的地に到着。そこは灰色と言うよりは白が汚れた感じの雑居ビルで、一旦捨ててから拾ってきたようなヨボヨボ具合。1階テナントには学習塾が入り、平日昼間だからか子供の姿は無く電気だけが付いている。


 彼女の職場は3階。もし2階だったなら彼女の悪パルスに当てられて、1階で勉強する子供たちに混乱の動悸を与えただろう。


「だぁるいなぁ」


 ボサボサの髪をかきボサボサボサくらいにした女は、既にこと切れた電灯が門番をする階段に足を踏み入れた。



 3階に着き、そこにそびえるは事務所のドア。いくら神経図太しの彼女とは言え、流石に少々気が重くなってきた。『帰ろっかな』の甘い選択肢にぶんぶんミツバチしそうになったところで、残念ながらドアの方から開いてくれた。


「!」


 立っていたのは前髪重ためで目まで隠れた女の子。内気な性格か骨格形成が先かは知らないが、足に腕、あらゆる部位が内側に向いている。しかし服は陽気なアロハシャツを着ている。


「おう、シオン」


 女は気さくに挨拶をした。というのも今しがたドアから出てきた女の子は『シオン』と言い、女の同僚である。ちなみに初めて会った時からアロハシャツを着ている。


「お、は、ようございまス…」


 シオンは後ろに行くにつれ消えゆく声で挨拶した。モジモジして、こちらの出方を伺うように指をこねている。女はその指がこね上がってベーカリーができる前に、シオンに近づいて耳打ちをした。


「ボス、いる?」


 シオンは指を止め「いまス」と呟いて、細かくコクコク頷いた。


「怒ってる?」


 シオンは…黙って細かくコクコク頷いた。


「…よし、帰ろう、ハロワに寄って。そうしよう」


 女が踵を返すこともせず、まるでクマと対峙した時のように事務所ドアに対して後ろ歩きで階段を下り始めたその時…『ギュイィィ』 にぶい音を立てて手すりが曲がり、後ろ歩き用に手すりを掴んでいた女の手首を捕まえた。


「やッ…」

「『べぇ』とでも、言うのか?確かにお前はヤベェが」


 事務所から漏れる光を逆光に、影絵の閻魔が姿を現す。シオンの半分ほどの背丈、ギリ小学生レベルの幼女がタバコを咥えて、紫煙を地獄の瘴気代わりに立っていた。

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