第4話 看護部長に予防接種をして失敗しちゃった話(+1)

 どこの病院にも常備されている、コンドームの様な紛らわしい包装のアルコール綿は一切なく、いつの時代もアルコール綿を浅漬けの漬物のようにハンドメイドしていた野戦病院まがいの病院にいた時の話である。

 道路が凍り始める冬の入り口シーズン、看護師同士で二人一組となり、◾️◼️のワクチンを打ちあう事となった。

 これは勤務時間中に病棟内で看護師同士で行うのだが、問診票の記入が終わり、医師からワクチンを打っていいとサインを貰ったその瞬間から、高度な心理戦が始まる。否、僕が知らないだけでもっと早期の時点で戦いは始まっているのだ。

 一体なんの?と、ピンと来ていない方もいらっしゃるだろう。「病棟の看護師同士」これがネックなのだ。いくら免許を持っていたって、所詮看護師国家試験は受験者の9割は合格する試験、実習さえ人間の尊厳をかなぐり捨てて頭を地面に擦り付けるように下げ続けてスタンプラリーをコンプリートさえしてしまえば9割の人間には取れてしまう。ぼくの同期の学生には、病院奨学生と言う奴隷の身分にも関わらず、実習を単位取得可能最低数しか出撃しないで出席最低回数で突破し、国家試験当日は十数問鉛筆を転がして4択を解き、そして突破して看護師免許を勝ち取った人生をフルで賭したワークライフバランス重視なギリギリでいつも生きていたい特攻博打野郎看護学生もいた程だ。

 そんなわけで。とびっきりのクズ野郎でも度胸さえあれば試験は突破できまして。現場には「よくそんなんで実習突破できたね。」な全自動式インシデント・アクシデント製造メーカーや、「よくそんなんで国家試験突破できたね。」な文章読めない⭐︎読まないブレーキの壊れた猪突猛進他責型ポジティブヒューマンもかなりいる。まぁ、要はプロの選ぶ仕事のできない看護師4選くらいは必ず病棟にいる。当然人体実験されたくないのでそんなのとは誰ともペアになりたくないわけでして、ペア探しは肝心なのだ。

 で、話は冒頭に戻る。この日、職員同士でワクチンを打ち合う事となった。一刻も早くまともな看護師とペアにならないといけない。売れ残ってしまえば腕の神経の危機だ。

「お絹さん、一緒に打ーとーう。」

 真っ先に一番安全そうな病棟の看護師『お絹』さんを誘う。

「やだ。」

 拒否。

「枝さん、一緒に打ーとーう。」

 断られちゃったので、僕の兄の様な仲の良い男の看護師を誘う。

「嫌やな。」

 拒否。

 あれ、なんか僕、みんなに拒否されてない?

 もうっ、なんて失礼な。

「なにさ‼︎みんなして‼︎いいもん‼︎ヨネ(看護部長兼師長)のトコ行ってくるからっ‼︎」

 イジメにあい、いじけた僕は問診票を手に看護部長室に駆け込む。

「シチョウー‼︎打ちましょう‼︎」

「いいよ。持ってきなっ。」

 二つ返事で返事をくれた、時代錯誤なワンピースタイプの白衣にすね毛の生えた御御足を組んだ、女の中の男の様なとても男らしいが多分女性の70代看護部長兼師長とペアになる。

 一旦問診票を置いて詰所に戻り、流石に練習なしで生まれて初めて予防接種をするのも心配なので(師長との本番で失敗したらぶっ殺されかねない)、詰所にいた物凄く使えない癖に態度がデカくて卑怯なことばかりする看護助手で一度練習し(『え?可出さんが打つんですか(怯)?』『はい(威圧)。』と、言った微笑ましいやり取りがあった)、ワクチン片手に再度看護部長室へ。

 まずは僕にスムーズに打ち込まれる◾️◾️ワクチン。さすが看護師免許片手に半世紀暴言を吐きながら看護師をしてきただけの事はある。その手順に淀みがない。

 さぁ、今度は僕の番だ。針が刺される予定の腕から目を背け、

「打ちなっ‼︎」

 と言う看護部長兼師長のヨネ。何を隠そう彼女は『注射されるのが痛いからヤダ』そんな理由で70数年の長く世に憚った人生の中で一度たりとも◾️◾️予防接種を受けた事がない事を誇りにしていたのだ。そんな捻くれ者の聞かん坊が今年生まれて初めてその身に針を刺されることを受け入れた理由は、巷で話題の謎の流行病と同時に◾️◾️に感染しては命に関わるから、とマスコミに煽られ、踊らされたためだ。

 普段は「アタシはいつ死んだっていいんだよっ‼︎」とか言ってる割に、可愛い一面もあるもんである。

 さ、キャップを外し、その老いた弾力のない肌に注射針を差し込む。

 瞬間。座ったまま飛び上がるヨネ。小児の泣き喚く子供よりも激しい体動が注射器を襲う。

 ハズレれる注射器本体と、先端の針の接続部。

 どう考えても何もかも想定外の事態に一瞬白くなる僕の目。内心パニックだが、ヨネの方は明後日の方向を向いて固く目を閉じている為、自身の腕に青針だけがブッ刺さっている、なかなかに衝撃的な光景に気づいていない。

 ならば、まだだっ。

 冷静に、冷静に、僕は再び針と注射器本体をドッキングさせ、2つの関係を元鞘に戻そうとする。

 ビクンっ♡

 ビクンっ♡

 ヨネが人生初のワクチン注射へのドキドキ感を身体全体で表現し、針と注射器本体は一つになりそうでならない、切ないすれ違いを続ける。

 「このクソババア‼︎唾かけやがって、きったないねっ‼︎なめんじゃないよっ‼︎」

 そう、不穏な患者よりも暴言を吐きながら、暴れる患者の老婆をシーツの切れ端から加工した長い襷のような当院名物の紐で縛り上げるヨネの情熱的な姿を僕は目撃している。当然ワンピース白衣で、その下にはスパッツなしの黒いショーツを丸出しで。まるで蘇ったナイチンゲールの様に、なんと、勇ましかったか。

 もしこの注射針一本がおっ立った自身の腕を彼女が認知してしまえば、僕はあの日の患者の老婆のように、間違いなく処刑されるのだろう。

 神様、お願い、助けて・・・。お茶目な神の悪戯は、もう気が済んだでしょう・・・?

 僕の祈りが届いたのか、すれ違い続けた針と注射器本体が重なり合う。

 よっしゃ‼︎

「はい、入れますよー。」

 その瞬間を逃さないで、ピストンを押す。無事に薬液が彼女の体に注入されるーーーーはずだったが。針と注射器の接続は、浅く重なり合っただけだったようで、接続部からフレッシュに迸る薬液。ほぼ全て床の上に溢れてしまう。

 もう、こうなってはどうしようもない。

 取り返しのつかない事態に僕は潔く全てを諦め、注射針を抜き、

 「終わりましたよ(色々な意味で)。」

 真っ直ぐな目で看護部長兼師長を見据えて、浅く微笑んで言う。同時に、ダンっと、床に溢れた薬液の上を靴で踏み、その水分を床に伸ばす。

「いやー、痛かったねー。」

 感想を述べるヨネ。

「はっはっは。じゃっ‼︎」

 素早く予防接種の道具を持って、素早くトンズラする僕。ヨネに全てがバレるかどうか、あとは僕の日頃の行いが試されるだけだ。

 

 後日、病棟にてヨネの前で他の看護師とされる雑談。

「可出君、師長に予防接種打ったの?貴方、ちゃんと出来たの?」

「・・・はっはっはっは、出来たに決まってるじゃないですか。師長に打つ前に能梨さんで練習していきましたし。」

 キラーパスは突然に。

「いやー、そんなこと言ってわかんないよ?失敗したかもしれないじゃん。」

 なんとも激ヤバな真実を鋭く探ってくる同じ入社時期の60代女看護師。こいつは僕を殺す気なのだろうか。

 そんな微笑ましい会話を聞いたヨネは、

「いーやっ。あれは絶対入ってたよっ。だって、すっごく痛かったもん。」

 膨らみのまるでない極薄の胸を張って自信満々に言うヨネ。

 この部下を信じ切る、男気に満ち溢れた素晴らしい、もしかしたら女性かもしれない上司に僕は惚れてしまいそうになった。

 「今年インフルに感染して死んだらごめんね⭐︎」と心の中で真摯に謝りながら、今回の大人の恋の様な話はここで幕を閉じるのだった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クソ病院ハンター、寧護 白都アロ @kanngosikodoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ