6-1 失いたくない(前編)


「はぁ、はぁ………くっ」


 息が上がる。激しい呼吸で体が揺れるとその度に全身が痛む。

 そして、額から流れる血が右目と視界を赤く染める。


 所々隊服は破け、そこから覗く肌には痛々しい傷が見える。

 服が破けていない箇所も、その下はいくつもの青痣がその綺麗な肌を侵食していた。

 まさに満身創痍と言える状態。

 それでも、愛笑は倒れずに目の前の敵と向かい合っていた。


 勝つ為に―――否。

 死なないために・・・・・・・


「いいなお前。ザコでもちゃんと骨がある」


 笑みを浮かべ、愛笑と向かい合うSランク喰魔。

 満身創痍の愛笑と違い、Sランク喰魔イーターは一切のダメージが見受けられなかった。


「はぁ、はぁ………くそ」


 小さな声で愚痴を漏らす。

 あまり言い慣れていない言葉だからか発音が変だったが、そんな言葉を使いたくなるほどに現状は最悪であった。

 そして、小さな愚痴をこぼした愛笑は痛みという悲鳴を上げる体に鞭を打ち、バッと両手を左右に大きく広げる。

 すると、愛笑の周囲の岩が浮遊し、それと同時に岩そのものが無から魔法で形成され始めた。


「ハア!」


 愛笑が左右に広げた手を喰魔に向かって突き出す。

 すると、浮遊している無数の岩がSランク喰魔に向かって一斉に飛来していく。


 Sランク喰魔は飛来する無数の岩を前に、さらに口元をニヤつかせる。

 肉食獣のように鋭利に尖った犬歯が剥き出しになるほどに。


「………!」


 不敵に笑うSランク喰魔は右拳を構える。

 そして、迫り来る岩の群集に右拳を構え、大きく振り抜いた。


衝撃インパクトッ!」


 そんな掛け声と共に振り抜かれた拳。

 すると、喰魔へと迫る岩たちがまるで見えない壁にぶつかったかのように次々と砕ける。

 その様子を見ていた愛笑は両腕を交差させ、防御の体勢を取る。

 すると、強い衝撃が愛笑を押した。


「ぐぅ!」


 衝撃に押され、背中から地面に倒れる。

 しっかりとした受け身が取れず、強く背中を打ち付けたことで苦悶の声を漏らす。

 しかし、倒れたままではいけないと即座に起き上がった。


「またこの衝撃・・………! 厄介過ぎる………!」


『衝撃』―――それがSランク喰魔の魔法。

 シンプルだが、攻撃力が凄まじく高い。

 愛笑の岩でさえ、今のように簡単に破壊されてしまう。

 範囲も広く、ハッキリと言って現在の愛笑の魔法とは相性が悪かった。


(それでも、やるしかない!)


 マイナスな思考を振り切り、自身を奮い立たせる。

 そして、再び喰魔に向かって両手を突き出し、魔法を放つ。


 Sランク喰魔の周囲の岩の天井、地面に変化が起こる。

 小さな山のように岩が隆起し、その先は槍のように鋭利になっていた。

 そして、隆起した岩は全て喰魔に向かって一斉に伸びていく。


 伸びる岩の槍に、喰魔は地面を強く蹴って前方へと駆け出した。

 強く蹴られた地面の岩は砕け、喰魔が駆け出したときの風によって砂埃が巻き上がる。

 その圧倒的なスピードにより、伸びる岩の槍は喰魔を捉えることはできなかった。


 そして、喰魔はそのまま愛笑に向かって接近していく。


「くっ!」


 喰魔の向かって来る姿に愛笑は顔を顰める。

 あんな威力の魔法を至近距離で受ければ、間違いなく死ぬ。

 死ななくても戦闘不能になるのは確実だ。

 それを分かっているから、何とか喰魔を接近させないように動き出す。


「ふっ!」


 喰魔から離れるように右へと走り出し、両手を向けて再び魔法を発動させる愛笑。

 迫る喰魔の足元や前方に次々と岩を隆起させ、喰魔の足を止めようとする。

 しかし、喰魔の足は止まらない。


 足元から隆起する岩は避け、目の前に現れる岩は拳で砕く。

 シンプルではあるが、笑みを浮かべながら絶え間なく隆起する岩を捌いていくその姿はあまりにも人間離れしていた。


「出鱈目過ぎるでしょ………!」


 速度を下げることなく向かって来る喰魔に怒るように驚愕する愛笑。

 喰魔から逃げるように走っていた愛笑は、ついに壁際まで来てしまっていた。


「ハハッ!」


 壁際まで来ると同時に喰魔も目の前にまで迫る。

 ここで迎え撃つしかないと、愛笑は接近戦の構えを取った。


「俺を相手に接近戦かぁ!? いい度胸だなっ!」


「っ―――!」


 喰魔の言葉にキッと目を鋭くさせ、強く歯を食いしばることで怒りを剥き出しにする。


 拳を使って戦うスタイルから接近戦を得意としているのは分かっていた。

 それゆえに接近戦では戦いたくないと自分からは距離を詰めず、中距離から魔法を放つ戦い方を徹底した。

 それでも、相手は確実に距離を詰めてくる。

 否が応でも接近戦で戦うしかなくなるのである。


 自分から接近戦をしなければならない状況を作っておいて、『度胸がある』という言葉は皮肉にしか聞こえなかった。


 愛笑が苛立ちを露わにする中、Sランク喰魔が右腕を後ろに引く。

 それを視界に捉えた愛笑は自身と喰魔の間に岩の壁を地面から隆起させた。


「無駄ぁっっっ!」


 壁に向かって右腕を振り抜く。

 喰魔の拳は容易に壁を貫き、その奥に居る愛笑に向かって拳を当てようとする。


(? 居ない………)


 崩れた壁の向こうに愛笑の姿は無く、拳は空を切る。

 それが予想外だったのか、喰魔は少し呆気にとられた表情で自身の拳を見つめる。

 そんな喰魔の右側面に、姿勢を低くした愛笑の姿があった。


(ここだ………!)


 喰魔は右の拳を振り抜いた直後であり、右側からの攻撃に対処し辛い体勢である。

 そこを突こうと愛笑は右拳を構え、その拳を岩で覆うことで岩の拳を作り上げる。

 そして、その拳を喰魔の脇腹めがけて振り抜いた。


「っ!」


 振り抜かれた愛笑の拳。

 ドンッ、という大きな打撃音が響く。

 しかし、愛笑の拳は喰魔の脇腹には当たっておらず、喰魔の脇の下から伸びる左手によって受け止められていた。


「くっ!」


 止められたことに悔しそうに顔を顰める愛笑。

 対して、Sランク喰魔は愉快そうにニヤリと笑っていた。


「そのくらい読めてるよ」


 愛笑のことを小馬鹿にするような発言をすると、Sランク喰魔は受け止めた岩の拳に指をめり込ませる。

 そして、そのまま自分へと引き寄せるように左腕を引いた。


「っ!」


 このままではまずいと魔法を解除し、岩の拳を自壊させる愛笑。

 しかし勢いは止まらず、体はSランク喰魔へと引き寄せられていった。


「らぁっ!」


 Sランク喰魔は愛笑の頬に向かって右腕を薙ぎ払うように振るう。

 迫る喰魔の腕を愛笑は姿勢をより低くすることで回避する。

 しかし、その直後に今度は喰魔の左脚が迫る。

 それは避けられないと愛笑は悟り、右腕を盾のように構え、その右腕を更に左手で抑えることで守りをより強固にした。


「ぐぅ!」


 重い衝撃が愛笑の右腕にのしかかる。

 不安定な姿勢で受けたこともあり、踏ん張ることすらできない。

 愛笑は蹴りの重さに耐えきれず、勢いそのままに蹴り飛ばされてしまった。


「ぐあっ!」


 硬い地面に体を打ちつける愛笑。

 そして、痛みに顔を歪めると蹴りを受けた右腕を左手で強く抑えた。

 右腕で防御したことで完全な直撃は避けられたものの、盾にした右腕には大きなダメージを残してしまった。


 そんな愛笑の姿を喰魔は苛立たし気に見つめる。

 楽しんでいた最中に、玩具おもちゃが壊れてしまった。

 高揚した気分に水を差され、喰魔の機嫌は明らかに悪くなっていた。


「どうした!? もう終わり―――」


「―――っ!」


 喰魔が愛笑へ苛立ちをぶつけようと声を荒げたその瞬間、愛笑の表情も一変した。

 苦痛に歪む表情から怒りの形相に顔を変え、右腕を抑えていた左手を強く地面に叩きつけた。


 すると、Sランク喰魔の背後の岩の壁が僅かに動く。

 その音を喰魔は自身の耳で捉え、振り向くことなくその場から跳躍した。

 喰魔が跳んだその直後、喰魔が立っていた背後の壁から巨大な一本の岩の槍が隆起した。


 愛笑の不意を突いた一撃を避けたSランク喰魔。

 地面へと着地すると、愉快そうに笑みを浮かべていた。


「いいぞ! その調子―――うおっ!」


 その瞬間、今度はSランク喰魔の地面が隆起した。

 喰魔を乗せた岩の柱が天井へと伸びていく。

 それと同時に、天井からも岩の柱が喰魔めがけて伸び始めた。


「ハハッ!」


 明らかに自身を押し潰そうとしている二本の岩の柱に、喰魔は瞬間的に甲高い笑い声を上げる。

 体勢を整え、屈んだ状態で柱の上でバランスを取る。

 そして、滾る情熱と愉悦に笑みを浮かべ、その興奮を左右の拳に込めた。


衝撃インパクト!」


 左の拳を足元柱に、右の拳を天井から伸びる柱に叩き込む。

 そして、拳から放たれる衝撃に二本の岩の柱は押し潰されるように砕けた。


「………不意打ちでもダメか」


 バラバラと崩れ落ちていく岩の瓦礫。

 その様子を愛笑は悔しそうに見つめていた。


(私の攻撃は全部避けられるか、防がれる。一切ダメージを与えられてない)


 これまでのSランク喰魔との攻防。

 攻撃を仕掛けた回数は圧倒的に愛笑が多い。

 それでも喰魔にはダメージは無い。

 それどころか、負傷して満身創痍となっているのはこっちの方であった。


(しかも、アイツ。私に直接攻撃するときは魔法を使ってない・・・・・・・・………!)


 喰魔は愛笑へ直接攻撃する際、自身の魔法である衝撃は一切使用していない。

 最低限の魔力と自身の身体能力による攻撃しかしていなかった。


 それが一体、何を意味するのか。


(私には本気を出す必要すらない。アイツにとっては壊れないように遊ぶ玩具程度ってことか………!!!)


 ギリッという音が鳴るほどに強く歯を食いしばる。

 握り拳を作り、湧き上がる悔しさを少しでも消化しようと強く握りしめた。

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