18:膝枕はいかがですか?

 王子が外出するのだから、近衛騎士団に厳重に守られての旅になるかと思っていたのだけれど、エミリオ様自身が拒否したらしい。有事の際はむしろ足手まといになると言って。


 そんなわけで、夜明け前の暗い王都を走る馬車はこの一台だけだった。並走する護衛の馬もない。


「リーリエはこれまで城下町を歩いたりしたの?」

 硬く門が閉じられた王都の家々を眺めていると、エミリオ様に尋ねられた。


 馬車の席順は、左から、エミリオ様と私。

 向かいはギスラン様、ルーク様、フィルディス様の順番で座っている。


 三人は既に夢の中にいるため、私とエミリオ様は声を抑えて会話した。


「いえ。これまで出かけたのは王宮の外周にある王立図書館だけです」

 この二日間は《銀獅子宮殿》の客室に閉じこもり、侍女たちと実験ばかりしていた。少しでも品質の良い回復薬を作りたくて。


「じゃあ、ユーグレストに来てから一度も町を散策してないんだ」

「はい」

「なら、オーガスに着いたら一緒に町を散策しようね。二人きりで」

 順調にいけば、オーガスの町にはちょうどお昼ごろに着く。

 そこで私たちは昼食を摂り、走り疲れた馬を変える予定だった。


「二人きり、ですか? フィルディス様たちを置いて?」

 私は向かいに座っているフィルディス様たちを見た。


 フィルディス様とギスラン様は俯き加減におとなしく眠っているけれど、ルーク様はいびきをかき、ギスラン様に全力でもたれかかっている。

 そのせいか、眠るギスラン様の眉間には皺が寄っていた。


「……。やっぱり邪魔されるかなあ……仕方ない。皆で行くか」

「はい。そうしましょう。皆と一緒のほうがきっと楽しいですよ」

 面白くなさそうに軽く唇を尖らせたエミリオ様を見て、私はふふっと笑った。


「あ。見てくださいエミリオ様、夜明けの光です」

 しばらくして私は声を上げ、窓の外を指さした。


「どこ?」

 エミリオ様が身体を寄せてきて、私にぴったりくっつく。


 ち、近い……!!

 肩に触れる彼の体温に、頬を掠める美しい金糸の髪に、また心臓が騒ぎ出した。


「本当だ。綺麗だね」

 私の超至近距離で、エミリオ様はエメラルドグリーンの目を細めた。

 胸よ鎮まれと念じながら、私も窓の外へと視線を移す。


 地平線の彼方からゆっくりと太陽が顔を出し、空が美しい朝焼けに染まっていく。

 夕焼けとも見違うようなオレンジの色合いに思わず息を呑み、私たちはしばし言葉を忘れて見入った。


「晴れて良かったね」

「はい。本当に」

 日の出を見た後、私たちは会話に興じた。

 エミリオ様は兄である第一王子や二人の妹の話をしてくれた。

 仲が良いらしく、家族のことを語るエミリオ様の表情は楽しそうだった。


 お返しに私も家族の話をできれば良かったのだけれど、私の母は故人だし、他の家族は人格的に問題のある人しかいない。きっとエミリオ様に余計な気を遣わせてしまう。


 特にエヴァの話はしたくなかった。

 半分血の繋がった姉に冤罪をかけるような女が王妃になって、メビオラは将来大丈夫なのだろうか。


 国民たちには同情するけれど、でも、メビオラのことはもう気にしないことにする。

 私がこれから生きていく場所はユーグレストだ。

 私を受け入れ、愛してくれる人がいるこの国こそが、いまの私の居場所。

 ここにいるために、私も最大限の努力をしようと思う。


 巧みな話術で私を楽しませてくれるエミリオ様を見つめながら、決意を新たにしていると――


「あっ」「あっ」

 私とエミリオ様は同時に声を上げた。


 というのも、ギスラン様にもたれかかっていたルーク様がいきなり、ギスラン様の顎を裏拳でぶん殴ったのだ。


 わざとではない。

 その証拠に、ルーク様は目を閉じ、豪快にいびきをかいている。


 ただ、寝返りを打った拍子に、ルーク様の握った拳が、たまたま、不幸にもギスラン様の顎を直撃したというだけで……でも、いまのは痛かった!! 絶対痛かった!!


「~~~~~っ」

 堪らなかったらしく、ギスラン様は身を屈め、顎を押さえて悶絶した。


 その並外れた再生力から『不死の怪物』などと酷いあだ名をつけられているギスラン様だが、痛覚がないわけではない。


 常人と同じように、痛いものは痛いのだ。


「ギ、ギスラン様、大丈夫ですか……?」

 私は震え声で尋ねた。


 ギスラン様はキッと目を吊り上げ、身体にかかっていた毛布を跳ね飛ばすようにして立った。


 涙目のギスラン様なんて初めて見る。やっぱり相当痛かったんだ……。


 ルーク様はもたれかかっていたギスラン様がいなくなったことで、座面に身体を打ち付けた。


 でも、その衝撃をものともせず、呑気に寝そべって、ぐうぐう寝息を立てている。


「気持ち良さそうだな。このまま永眠させてやろう」


 ギスラン様はルーク様を見下ろし、氷のような声音で死刑宣告をした。


「待ってください!? どうか、どうか許して差し上げてくださいギスラン様!! ルーク様に悪気はなかったんです!! というより、意識自体なかったんですよ!!」

 私は青ざめて立ち上がり、ギスラン様の右腕を掴んだ。


「落ち着いてギスラン!! ルークの寝相の悪さは騎士団でも有名でしょ!? そうだ、こっちに座って!! リーリエは真ん中に座って!!」

 エミリオ様は大慌てでギスラン様の左腕を引っ張り、自分と入れ替わる形で座らせた。


 私も指示通り、座席の真ん中に座る。


「ほら、特別サービス!」

 エミリオ様はギスラン様の肩を押し、スカートに包まれた私の膝の上に横たえた。


 えっ!? 特別サービスって、私の膝枕のことなんですか!?


 激しく狼狽えていると、ギスラン様は無言で動きを止めた。

 すかさずエミリオ様が毛布を取り上げてギスラン様にかけ、その肩を叩く。


「おとなしく寝なさい。暴れるんならリーリエの膝枕は無しだからね」

「わかった。寝る」

 ギスラン様は私の膝の上で小さく頷き、全身の緊張を解いた。


 わかっちゃったんですか!? 本当に私の膝の上で寝るつもりなの!?


 顔から火が出そうだ。

 私は両足にギスラン様の温もりと重みを感じたまま、石像のように固まった。


 やれやれ、という顔でエミリオ様が私の右隣に座る。

 どうすることもできず、ただ黙って馬車に揺られるだけの時を過ごす。


 不意に、エミリオ様が上体を倒すようにしてギスラン様の顔を覗き込んだ。

 ギスラン様の顔を見下ろし、くすりと笑みを零す。


「幸せそうな顔しちゃってまあ」

 耳を疑った。


 幸せそうな顔をしてるの!? 無表情が定番デフォルトのギスラン様が!?

 何それ、凄く見たい!!


 好奇心がむくむくと膨れ上がる。

 いますぐに身を乗り出し、寝顔を覗き込んでみたくて仕方ない。

 でも、身体を動かしたら起こしてしまうかもしれない。


 だから、私はギスラン様の顔を見たい気持ちをぐっと我慢した。


「ごめんねリーリエ。重みに耐えられなくなったら言って」

 私に詫びてから、エミリオ様は再び姿勢を正した。


「いえ、大丈夫です。このままで」

 私の膝の上でギスラン様が眠っている。


 人間嫌いで、人間不信で、初めて会ったときは私を路傍の石でも見るような冷たい目で見つめてきたギスラン様が。

 聖女であった頃は、互いに触れ合うこともできなかったギスラン様が。


 まるで、人に懐いた猫のように。私の膝の上で無防備に寝ている。

 耳を澄ますと、彼の穏やかな寝息が聞こえた。


「…………」

 くすぐったいような、足元がふわふわするような。なんとも奇妙な感覚だった。

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