06:世界が美しいと思えたのは

「ああ、すまない。手加減できる相手じゃなくて。風邪を引いたら大変だ。ちゃんと袖を通してくれ」

 私が震えていることに気づいたフィルディス様が紺色の上着を脱ぎ、私の肩にかけてくれた。


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますね」

 上着を羽織ったはいいものの、私には大きかったため、許可をもらって袖を折る。


 フィルディス様の体温が残った上着は温かい。

 それに、ほんのり彼の匂いがして、胸がドキドキした。


「……相変わらず凄いなあ、フィルの魔法は。もう急いで逃げる必要はなさそうだね。リーリエがよく会話していたのはこの子たち?」


 エミリオ様はレッドウルフの氷像を見て肩を竦め、私の頭上にいる二体の精霊を見上げた。


 レッドウルフの襲来が怖かったのか、それともフィルディス様の魔法が怖かったのか、単純に寒いのか。精霊たちは抱き合ってブルブル震えている。


「はい。何故知っているんですか? エミリオ様はいつから私の付近に《蝶》を飛ばしていたんですか?」

 目をぱちくりする。


「実は半日前から。姿を見せても良かったんだけど、そうすると実際に救出されるまでの時間が長く感じるだろうから。救出の直前まで消しといた」

「なるほど」


《フタリ りーりえ トモ ダチ?》


 精霊たちが手を繋いで頭上から下りて来た。

 尋ねられた私は、エミリオ様から目の前の精霊へと視線を移動した。


《ニンゲン トモダ チ ムカエ キタ?》

《モウ ダイ ジョウブ?》

《りーりえ ナカナイ?》


 思いやりに溢れたその言葉に、私はまた泣きそうになった。


「ええ。もう大丈夫。この三日間、親切にしてくれて本当にありがとう。あなたたちがいなければ私は今頃生きてはいなかったでしょう」

 指で頭を撫でると、精霊たちはくすぐったそうに首を竦めた。

 それから、二手に分かれてエミリオ様とフィルディス様の傍に行く。


《りーりえ ナカサナイ?》

《ナカスト オコル!》

《オコル!》

 精霊たちは怒り顔を作り、両手を腰に当てた。


「吹けば飛ぶような弱小精霊に怒られてもなあ……こっちには精霊王がついてるんだけど」

「ああ。泣かさない。幸せにするために全力を尽くすと約束するよ」

 エミリオ様は頬を掻き、フィルディス様は大真面目に頷いた。


 も、物凄い殺し文句だわ……。

 フィルディス様の言葉を聞いて、私は密かに赤面した。


《オマエ りーりえ ナカス キカ!》

 精霊は小さな手でぽかぽかエミリオ様の頭を叩いた。

 見ていてハラハラした。

 お前って、その方はユーグレストの王子様なのだけれど……精霊たちにそんなことを言ってもわからないだろうか。


「わかったわかった、ごめん。冗談だってば、言われなくたって元から泣かす気なんてないよ。必ず幸せにします。だからリーリエをぼくにください」

「エミリオ様!? それは何か違うような気がするのですが!?」

 真面目くさって言うエミリオ様を見て、私はまたも顔を赤くした。


《ヨシ。りーりえ シアワセ ニ スル ナラ ユルス!》

《イッテ ラッシャイ りーりえ》

《ガンバレ!》

 一体の精霊は手を振り、もう一体の精霊は身体の胸の前で拳を握った。


《ダレカ ニ ナカサレ タラ イツデモ カエッテ オイ デ》


「ありがとう」

 私は涙ぐみながら微笑んだ。


 後ろ髪を引かれる思いで精霊たちと別れ、私たちは洞窟を出た。


 いつの間にか雨は上がり、雲間から太陽が覗いている。


 陽光の眩しさに目を細めたそのとき、ばさり、という音がした。

 見上げれば、黄金の竜が上空から舞い降りてきた。


 地面に着地した竜の全長は十五メートルほどか。

 四本の指先から伸びた鋭い爪に大きな翼。

 頭頂部には二本の角が生えていた。

 ギョロリと動いてこちらを見つめた目玉は金色がかった緑色。その瞳孔は縦に切れ上がっている。


 おっかなびっくり挨拶したら、竜は猫のように喉を鳴らしてくれた。

 見た目はちょっと怖いけど、どうやら友好的な竜みたい。

 頭からパクリと食べられることはなさそうだ。良かった。


「落ちないように気をつけて。いや、落ちても魔法で助けるけど」

「はい。ありがとうございます。頼りにしています」

 エミリオ様に気遣われながら竜の背に座る。


 竜の鱗は人肌程度に温かく、撫でるとざらざらしている。未知の感触だ。


 乗った順番は私が先頭で、真ん中がエミリオ様。最後がフィルディス様。


「みんな乗ったね。じゃあ行くよ。ギュレット、お願い!」

 エミリオ様がそう言うと、ギュレットというらしい黄金竜は翼を力強く羽ばたかせ、飛んだ。


 ぐんぐん上昇し、適当な高度で滑空へと移行する。


 全身に浴びる風が気持ち良い。

 上空の澄んだ空気を力いっぱい吸い込めば、胸が浄化され、蓄積していた負の感情も消えていくような気がした。


「見てリーリエ、虹が出てる」

 エミリオ様が私の肩を叩き、右手を指差した。


「わあ、本当ですね……綺麗」

 風に靡く白髪を片手で押さえながら感嘆する。

 振り返れば、フィルディス様も虹を見ていた。


 眼下に広がる森の中では無数の魔物が生息しているけれど、それでも世界は美しい。


 素直にそう思えるのは、危険を冒して駆けつけてきてくれた二人のおかげだ。


 未来は希望に満ちている。

 そんな気がして、私は自然と笑っていた。

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