03:森の中で【side:フィルディス】
冬が終わり、ようやく暖かくなってきたと実感し始めた春の昼下がり。
ユーグレスト王国の東部に広がる森の中。
村人から依頼を受けたおれは森にいる魔物を狩っていた。
おれの周囲には十五にも及ぶ青い水晶のようなものが浮かんでいる。
これは魔法でできた氷柱。
おれは氷柱を意のままに飛ばすことができる。
空中で急旋回させることも、急制動も、あり得ない軌道を描かせることも可能だ。
足元から飛び上がるようにして襲い掛かってきた巨大ムカデの頭を氷柱で貫き、背後から襲ってきた獣型の魔物は半歩右に踏み出すことで回避。
振り向きざま、青く輝く《氷精剣》で首筋を切り裂く。
左右から挟み撃ちにしてきた魔物たちを四つの氷柱で迎撃しつつ、木の上から飛びかかってきた猿のような魔物を剣で切り上げる。
時間差をつけて襲いかかってきた三匹の魔物はそれぞれ一つずつ、合計三つの氷柱で的確に急所を貫いてやった。
耳障りな断末魔を上げて、どう、と倒れ伏す魔物たち。
引き続き交戦しながら、辺りをざっと見回す。
残り二十弱といったところか。
ここで戦い始めた頃はこれほどの数はいなかった。
戦闘の音と気配を察して、雑魚どもが寄ってきたか。
好都合だ。
おれはちまちま倒すのを止めて、体内の魔力を練り上げることにした。
その時間を稼ぐために、背を向けて走り出す。
多種多様な魔物たちは全員でおれを追ってきた。
逃げると反射的に追いかけてくるような、知能の低い奴らばかりで良かった。
半年前の『魔胎樹討伐戦』のときに出現した魔族たちは、平気で奇襲をしてきたり、各個撃破を狙ってくるような厄介な奴らばかりだった。
ふと、おれたちと共に命を賭け、最前線で戦ってくれた隣国の少女を――白髪の聖女を思い出す。
あれから半年が経つが、自国に戻ったリーリエはメビオラの王太子と結婚したのだろうか。
それともまだ前線で奮闘しているのだろうか。
リーリエには他人のためなら自分を犠牲にしてしまうような危うさがある。心配だ。心身のケアも含めて、王太子がきちんと彼女を支えてくれれば良いのだが。
《なんだ。逃げるのか? 辛いなら手を貸そうか?》
木の上で高みの見物を気取っていた白銀の狼――氷の精霊王フェンリルが『念話』で尋ねてきたため、おれは物思いを打ち切った。
《大丈夫》
思念で応えて足を止め、身体ごと振り返る。
同時に練り上げた魔力を放出。
「――凍れ!!」
短い呪文と共に意思を叩きつけると、魔力は魔法となって顕現した。
おれを追いかけてきていた魔物たちは一匹残らず氷漬け。
魔物だけではなく、樹も雑草も地面も、見渡す限りの景色が凍っている。
急激に辺りの気温が下がり、吐息が白く染まった。
このままにしていては自然破壊も良いところなので、砕けろと念じ、魔物の氷像を壊していく。
全ての魔物の氷像を破壊してから、おれは魔法を解いた。
春の森の平和な風景が戻る。以前と違い、少々濡れた状態ではあるが。
魔物の死骸から立ち上った悪臭が鼻をつき、おれは顔をしかめた。
《終わったようだな》
フェンリルが駆けてきた。金色の瞳で、おれをじっと見上げる。
「ああ。もう辺りに魔物の気配はなさそうだが、感じるか?」
声に出して訊く。
《いや。近くにいた魔物たちはお前に恐れを成して森の奥に引っ込んだようだ。村人もあんな奥までは行かぬだろう。任務完了と判断して良いはずだ》
「じゃあ帰るか。さすがに疲れた」
おれの右手から《氷精剣》が消え、左手首に青く輝く腕輪が出現した。
おれの意思に応じて腕輪は剣となり、戦闘意欲を無くすと腕輪に戻る。
フェンリルから貰った《氷精剣》は、なんとも不思議な剣だ。
《朝から魔物を狩り続ければ当然だ、馬鹿者め。お前がそんなに頑張るのはリーリエのためか?》
どきりと心臓が鳴った。
「リーリエのためというわけじゃないが……次にもし会ったとき、リーリエに誇れる自分で在りたいと思っているのは確かだ」
《それはリーリエのためと同義だ》
会話中、視界を虹色に輝く美しい蝶が横切った。
この蝶は……。
考えるよりも先に、フェンリルが姿を消した。
フェンリルは他人に見られることを嫌う。
基本的に人間が嫌いなのだ。
それなのに、よく自分と契約してくれたものだと思う。
「やっと見つけたー!! おーい!! フィルディスー!! フィー!! ルー!!」
叫び声が聞こえた。前後左右ではなく、上から。
驚いて見上げれば、高い木々のさらに上、蒼穹を背景にして黄金の竜がホバリングしている。
竜にまたがり、大きく手を振っているのは、十八歳のおれより二つ年下の美少年。
緩く波打つ金色の髪。新緑色の瞳。
弓なりの眉が柔和な印象を与える彼は、エミリオ・マーシア・ユーグレスト。
半年前に挙げた戦果により、おれと同じく《英雄騎士》などと呼ばれている彼は、この国の第二王子でもあった。
「エミリオ!? どうしたんだ!?」
仰天している間に、おれの傍にいた虹色の蝶は姿を消し、エミリオは竜の背から躊躇うことなく飛び降りた。
風の魔法が得意な彼は緩やかに降下して、木々の天蓋の隙間を器用に抜けた。
ふわりと金糸の髪を靡かせ、地上に降り立つ。
「久しぶりだねフィル! いや挨拶は置いといて、大変なんだよ! これは一番にフィルに知らせなきゃと思って、王宮から急いで竜を駆ってきたんだ! せっかくの休暇中に何してるの!? なんでよりによって森の中にいるの!? 森の中にいるんじゃ上空から探せないでしょうが! 見つけ出すの、ほんとに苦労したんだから――ってうわ、何これ? 魔物を狩ってたの? 一人で? この数を? 怖っ」
一人で百面相をしながら喋り倒していたエミリオは辺りに散らばる死骸を見て、自身の腕を摩った。
「いや、それより何がどう大変なんだ?」
「ほら、ぼくって風の精霊王シルフィと契約してるでしょ? フィルがリーリエのことを気にしてたからさ、たまーにメビオラまで《蝶》を飛ばしてリーリエの様子を聴いてたんだよね。あくまで『たまに』、『気が向いたときにだけ』だよ? 四六時中盗聴してたら、なんか変態みたいでしょ? 聴覚を共有するのは疲れるし――」
「…………」
リーリエが大変だというなら、無駄口は止めてさっさと用件を話せ。
その意思を込めて睨むと、エミリオは慌てた様子で話の軌道修正にかかった。
「あー、うん、本題ね! リーリエはいま国の西部、《黒の森》にいるんだよ。なんでそんなところにいるのかわからなくて、《蝶》を使って情報を集めてみたんだけど……どうやら聖女の力を失って王太子に捨てられた挙句、妹を毒殺しようとした罪で国外追放されたらしい」
気の毒そうな顔をするエミリオ。
その目はどこか、おれを心配しているようにも見えた。
「な……」
おれは絶句した。
聖女の力を失った? 神聖力を使いすぎたのか?
妹を毒殺?
他人のために命懸けで戦場を駆け回っていたリーリエが?
嘘だ。天地がひっくり返ってもあり得ない。
何よりも問題なのは、彼女の追放先。
《黒の森》は国が開拓を放棄した魔物の巣だ。
無力な少女となったいまのリーリエが魔物に襲われたら――
最悪の想像をしてしまい、背筋が凍った。
「《黒の森》って、まさか――」
「大丈夫だ。リーリエは生きてる」
取り乱しそうになったおれを制するように、エミリオは右手でおれの左手を掴み、強い眼差しを向けてきた。
「ぼくがなんのために国で一番早い黄金竜を駆って来たと思ってるんだ? リーリエには《蝶》を張りつけてある。もちろん居場所は特定済み!」
エミリオは得意げに笑った。おれも小さく笑い返す。
どうやら絶望する必要はなかったらしい。
「行くよフィル! 疲れてるとこ悪いけど、ここからは君の仕事だ! ピンチのお姫様を救うべくしっかり働け!」
「当然!!」
「良い返事!!」
おれの左手を強く握り、エミリオは上空で待機している竜目掛けて飛んだ。
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