02:婚約破棄、からの国外追放(2)

「聞けば、貴様はエヴァを叩き、足を踏みつけ、顔に熱い紅茶をかけるなどして散々虐げてきたそうではないか」

 それは全て私がエヴァにやられたことだ。


 ドレスに汚水をかけられたこともあるし、真冬の池に突き落とされたことだってある。

 水中で必死にもがく私を見てエヴァが上げた笑い声は、いまでも耳にこびりついて離れない。


「貴様を大聖女と信じ崇めている愚民どもも、貴様の数々の悪行を知れば手のひらを返して石を投げるだろうな。何が聖女だ。この悪魔め」


 国王の声に重なって、キイン……という音が聞こえる。


 ――ああ、耳鳴りだ。いつもの。


 聖女となってからというもの、私はメビオラのために懸命に尽くした。

 過酷で知られる『メビオラ救護団』の一員となり、自国はもちろん、ときには隣国にも行って負傷者を癒した。


 戦のないときは各地で奉仕活動を行い、飢えた民にパンやスープを配った。


 辛いことや悲しいことはたくさんあった。

 それでも、『女神レムリアはあなたを見込んで特別な力を授けたのです。誇りをもって責務を全うしなさい』という教皇の言葉に従い、歯を食いしばった。


 半年前、隣国ユーグレストの『魔胎樹討伐戦』の戦場で、私は長く伸ばしていた髪を短く切った。


 同じ救護団に所属していた他の聖女たちは何故他国のためにそこまでやるのかと困惑していたけれど、国境など関係ない。目の前で負傷し、苦しんでいる人がいるのだ。呑気に髪の手入れをしている時間があれば一人でも多くの命を救いたかった。


 私がたった三年で《聖紋》と神聖力を失ったのは、短期間のうちに莫大な神聖力を消費したせいだろう。


 濡れ羽色だった髪はいまや老婆のように真っ白になり、ストレスのせいかたまに耳鳴りが聞こえるようになってしまったけれど、人々の感謝の言葉と笑顔を思えば踏ん張れた。


 ――ありがとう。君のおかげでユーグレストは救われた。


 私の前に跪き、左手の甲にキスを落として微笑んだユーグレストの騎士を思い出す。

 私の左手首には彼の親友から貰った赤い組み紐が巻き付いている。二人だけではない。ユーグレストでは多くの人が私に感謝してくれた。


 でも……。

 カイム様からは「《聖紋》を失い、ただの人になり下がったお前に価値はない」と言われ、婚約破棄された。


 代わりにカイム様と婚約したのは私の一年後に聖女として目覚め、王宮の神殿で何不自由なく過ごしてきた異母妹のエヴァ。


《聖紋》も神聖力も婚約者も何もかも失った私は妹殺しの冤罪を着せられ、国外追放される。


 人の役に立とうと頑張って、頑張って、頑張り続けて。


 頑張った結末がこれなの?


 この場にいる宰相や騎士たちは何も言わない。

 みんな国王の言葉を信じ、私が妹を虐げ、殺そうとした悪女だと思っているのだろうか。


 ……耳鳴りが酷い。

 頭痛と、全身が腐り落ちるような倦怠感に苛まれ、私は強く目を閉じた。


「カイム、並びに聖女エヴァよ。これが最後の機会だ。リーリエに言いたいことがあるのなら言うが良い。発言を許す」


 私はのろのろと顔を上げ、再び右手を見た。


 いまでこそ妹を盲信しているようだけれど、それでも、カイム様は三年もの間、私の婚約者だった人。

 もしかしたらと、ほんの少しだけ、希望を抱いてしまった。


「ありがとうございます、国王陛下。こんなことになって本当に残念ですわ、お姉さま。でも、全てお姉さまが悪いんですよ。聖女の力を失って、新たにカイム様の婚約者となった私に嫉妬する気持ちはわかりますが、毒殺しようとなさるなんて酷いわ」

 エヴァは拗ねたように、薔薇色の唇をほんの少しだけ尖らせてみせた。


「全くだ。こんなに愛らしいエヴァを殺そうとするなど信じられぬ。婚約破棄に踏み切ったのは正解だったな。貴様のような女を王家の一員として迎え入れるなど、私にとっても国民にとっても悪夢だ。もはや顔も見たくない。父上、どうかこの女を《黒の森》に送ってください!」


《黒の森》はユーグレストとの国境に広がる魔物の巣窟。

 そこに送られるということは、死ねと言われているに等しい。

 胸に抱いた希望は、粉々に砕け散った。


「ああ、お可哀想なお姉さま。どうか最期を迎えるそのときまでに己の過ちに気づき、悔い改めてください。その汚れた魂が救われるよう、私は敬虔な女神の信徒として、あなたを慕う妹として、心から祈っています」

 エヴァは胸の前で手を組み、真剣な表情で目を閉じた。


「自分を殺そうとした相手のために祈るとは、なんと優しい……やはり君こそ真の聖女だ!」

 カイム様は感極まった様子でエヴァを抱きしめた。


 ……なんなのだろう、この茶番劇は。


 目の前でいちゃつき始めた二人を見て笑いたくなったけれど、私の表情筋は固まったきり動かない。


「……これが……三年もの間、国のために必死で尽くしてきた者に対する、この国の仕打ちなのですね」


 視界が滲む。

 泣き顔を見られたくなくて、私は俯いた。


 侮蔑。嘲笑。憐憫。好奇。

 様々な感情を乗せた視線が私の全身に突き刺さる。


 みんな見ているだけ。

 庇ってくれる人は誰もいない。

 金で爵位が買えるような国に期待するほうが無駄だったのだろうか。


 ……私の三年間は何だったのかしら。


 絶望が雪のように降り積もり、私の心を凍らせていく。


「何を言うか。三年に渡る奉仕活動の実績。それと、貴様の助命を乞うエヴァに免じて温情をかけてやっているのだぞ。慈悲深い妹に礼の一つも言えぬのか。貴様の性根はどれだけ腐っているのだ」


 なぜ自分を陥れた犯人に礼を言わなければならないのか。

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、私は唇だけで小さく笑った。

 その態度が不快だったらしく、国王は鼻を鳴らし、丸太のように太い腕を振った。


「罪人リーリエを拘束し、《黒の森》に追放せよ!」

「はっ!」

 国王の命に応じ、兵士たちが私を拘束する。


 頬を伝った雫が一つだけ落ち、赤い絨毯の上で跳ねた。

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