第8話 整った頭と片隅の記憶
「佐藤って、いつも何してるんだろ。」
「さぁね。なんか、ひたすら絵を描いてるって、噂で聞いたよ。」
「だから、ペンずっと握ってんだ?勉強してんのかと思ってたわ。」
「何よりそれ、あいつ欠点すれすれだって知ってんだろ?」
「そうだった!」
嘲る笑い。そんな言葉は既に、離れた俺に聞こえるほどの声で発せられた。
いつもいつも。
俺自体に人格の主導権は無い。
小学校の頃から、頭角が現れ始めた。
「僕」と「俺」はそれくらいから共存していた。
時々、先生から呼び出しを食らった。
そこで、言われた言葉。
「お前、別人みたいだったぞ。」
これを機に、今の自分を見失った。
どの人格がいつ現れるのか。 どれが本当の人格か。
親しい人をいくら作っても、知らない間に機に自然と嫌われた。また、孤独になる。
日記をつけてみると、少しずつ文体に違いが現れた。
荒い文字と言葉遣い。そして、強気な雰囲気。
その次の日は決まって呼び出しを食らうか、
みんな僕を遠い目で見ていた。
他人を中心に自分を変える、きっちりとした言葉遣い。そして、整った文字。 弱気な雰囲気。どちらかというと、馴染み深い方。
翌日は見下し、嘲けて、気色悪いものを見ているような目と態度。
そうだ、俺、精神棟に入れられてたんだ。
学校にも行けずに。
回復だけは他の人より早かったらしい。けど、壊れやすさも人一倍だと。
社会に入れば、時に自分を殺し、時に、もう1つの自分が弱気な僕を守ってくれていた…ような気がする。
それでも、傷は癒えることはなかった。
嫌気が差していた。けど、まだ死ぬのは怖かった。 精神科の先生に言われた言葉。
「死ぬのが怖くなくなっていたら、救いようが無かったかもしれない。」
死ぬ事に抵抗がある内は生きていようと思ってた。けれど、悪い物は僕の体をどんどん蝕んだ。 不眠、立ちくらみ、それに加えて時に過食と拒食が不定期に入れ替わった。
ある意味、地獄を生きていた。
さっさと死んでしまった方が楽なのかもしれないくらいの。
常にぼぅっと、した空間も何も考えずに反復作業を繰り返す日々。 そんな時に、俺は事故にあった。 車に轢かれた。赤信号に、侵入した。
忘れはしないあの梅雨に差し掛かった頃の大雨は僕を冷たく包み込む。滴る透明な雫。
それは、不透明な赤色と見事なコントラストを描いていた。視界の端は赤1色。
力が抜け、行き先となるかもしれない黒色の向こうを想像した。報われたと言えるのかな。いつの間にか瞼は落ちていた。
搬送された病院は、大木のある広場を持っていた。
差し込みの明るいあの部屋。そこで、出会った彼女。
「神崎あおい」だ。
看護師として僕と巡り会った。
僕の人生に花が咲いた。
毎朝、優しく声をかけてくれる。
幾年ぶりの幸せを感じた。人の温かみに触れた感動。それは凄まじかった。
プラスの感情とは素晴らしいものだった。
仕事の休憩には、弁当片手に大木の前で笑いあった。それくらい意気投合していた。
気遣いから始めた明るい振る舞い方は、僕を照らした。そして、いつしかそれは彼女の一部と変わった。
「名前呼ばれるのって嫌い?」
「まぁ…そうだね。頭をよぎっちゃうからね。」
「やっぱそんなもんだよね!事情は言わないでいいよ!私も関わってきた方だからさ!」
看護師も色んな人と接しているのだとつくづく大変な仕事なんだと。そして、彼女の咄嗟の気遣いは心に染みる。
「好きな物は?」
「太陽。」
「じゃあ太陽って呼ぶね!」
「えっ…」
「その方が楽なんでしょ!」
「うん。」
事情を言わずもがな何か察し、直ぐに対処を行う姿勢。今まで受けた対応とはまるで違った。
泣こうと思えば泣ける。それくらい心を打たれた。けれど、いつしか泣かない、泣けない、泣きたくない。気持ちに変化が起こっていった。
木の葉は順に順にと色を変えて季節の変化を伝えてくる。
そして、ほのかに気温が上がってくる頃。
おおよそ、半年。
状態とは裏腹にいつ、飛んでやろう。切ってやろう。
幸せとは何か。
作り方。
「元気になってきたよね〜!」
「そうだね。」
「そろそろかな?」
うっ……
「確かに…ね。」
筋肉が少し痙攣する。
「きっと大丈夫だよ。」
向けられたピースサイン。あぁ……
「へへへ。」
今日も仮面を被って過ごす。
「あまり、無理はしないようにね。じゃあ!」
晴れやかなその表情。
「じゃあ!また!」
あなたと僕は今、晴れ女と雨男なのかもしれない。
ボトルを握る。 部屋へ向かう。
その途中。
「佐藤さん。時間がありますか。」
「はい。」
「では、私と来て貰えますか?」
握る手に力が籠る。ペットボトルは音を漏らした。
ガタン。
鼓動が早まる。
頼む……
「最近の検査結果を見るに、もう回復は十分に行われたと思われます。」
あっ…… 思考回路から電気信号が途絶える。
「えっと、それって……」
「まさに、あなたが今想像しているものだと。」
深く言葉が突き刺さる。
「そろそろかなって思ってました……」
「長い間お疲れ様でした。」
「ありがとうございます。ちなみに、いつ?」
「目安は1週間後くらいですかね。」
「そうですか。」
「では、こちらからの用は以上となります。何かご質問は?」
「いや、ないです。」
ゆっくり立って、後ろの重いドアを押し開ける。
時は来た。
部屋のベッドに横たわる。天井の黒ずみにばかり目が行ってしまう。
僕には、想いが2つあった。
白い布に囲まれた彼女。そこから生まれる1つの想い。
そして、それを伝えるべきかという悩み。
人生は飾るもの。そして、人生の色も染めるもの。
僕は、怖かった。未来が。
弾かれ者の僕。唯一関わってくれた彼女。
このまま何も伝えず終わるのは1番なのか。
交差する考え。しかし、時間は無い。
なら、後悔しないであろう方を選ぶのが筋ってもんか。
僕が彼女に対して最終的に抱いた想い。
それは。
「彼女といつまでも繋がっていたい。」
それだけだった。
自己保身だって。自立が出来てない。そう思われたってこの際良い。
ただ、彼女と関わっていられたなら。
いつの間にか3日間が消えた。
4日目の夜。
退院の宣告を受けたと事。それほど体調はすこぶる良い。
小学生にまで、若返ったかのように。
従事者に頼み、夜に広場の芝生の生えた場所に1人で行く事にした。
普段なら就寝か、ベッドの上かのこの時間。
何故か、心の中での冒険心が大きくなってくる。
少しばかり、回ってみた。と言っても、休憩室くらいだ。
人一人もいない。大きな笹が、入れ物の中で、しっかりと立っている。もう8時前だ。
「お父さんみたいにかっこいい大人になれますように。」
「俳優さんになって、ヒーロになりたいです。」
「元気になったお母さんに早く逢えますように。」
「君が無事でありますように。」
そうか。ちょっとの驚きが心の4分の1を支配する。
広場に出ると、
赤ん坊のように横たわり、空を見上げる。
布団のように柔らかい芝生に包まれて。
月の光はいつもより、暗いように思える。それとは対照的に、夜空には燦然と輝く星々が広がる。
一等級、2等級、3等級。
「星の数ほど……か。」
あるひとつの星が僕の注目を奪い去る。
「綺麗……」
星は何があろうとも氏名を全うする。
そして、等しく僕らを照らしてくれる。
彼らにとって明るさなど関係ないのだ。
何があろうと照らしてあげる。
その態度は心の中に刺激を与える。
1等級は、自然と2,3等級の星々を照らす。
ほんのわずかの羨ましい気持ちが僕の中で宿る。
「テレビでしか見たこと無かったけど、やっと見れた。」
真夜中には見えない。しかし、ピークになると日中でも観察できる星。
夜空という闇でありながら、ほんのりと輝きを残す。2つの面を持ち合わせている。
そんな夜空に1人でにふけていると、
「何してるの?」
そう聞こえた瞬間勢いよく肩を叩かれる。
心臓が止まり、血行が止まる。そんな気がした。背後にあるキュウリを見たときの猫のように。
長い髪に隠された面を覗き見ると
「へへっ。」
口角を吊り上げる神崎だった。
「いや、ちょっとね。」
「あっもしかして?テレビでのやつ?」
目を見開いてニヤニヤと口にする。
「そうそう。」
「やっぱり?どこにあるの?教えてくださいよぉ〜」
手を合わせてこちらを見る彼女はとても愛らしい。
初めてあった当初は言葉使いもまだ固く、
看護師と患者の壁が明らかだった。
それが、今は友達のような、近所の子供のような、ペットのような親しみ深い存在となっている。
そのギャップがまた、僕の心を縛る。
もう4月は過ぎ去ったというのに。
「ほら、あの右の方。」
「ナーニー?どれ?どれも同じ星じゃん。」
「それは、そうだけどぉ。。。」
道に迷ったがごとく困り果てる僕。
「あれ?もしかして。」
頭の上に電球のマークが現れたように見えるくらい、明るい表情の彼女
「ちがうよぉ。その下。」
「あれか!」
やっと……やっと……
葛藤は交差する。
「そうそう!」
「初めて見た〜。あんまり変わらない……?もしかして。もっと、ロマンチックなんだと思ってた。」
ちょっと物足りなさそうに彼女は口にする。
「それを言ったら終わりだよ。」
せっかく。見合った場面を作れたと思ったのに。心の中で地団駄を踏む
「えへへ。」
彼女の手は固く閉じた。
どうしよう。このまま退院を迎えるのは嫌だ。
「ひとつ聞いていい?」
真面目な声が、突然響く。ただ、よく聞き取れない。
「えっ?」
「ねぇ……どう思ってる?」
どう思ってる……?まさか、知ってるのかな。
手を体の横に置き、心の内を知られないようににそっと上をむく。
「寂しくて、たまらない。 そして、怖い。また、自分を殺して行かないといけないのかなって。寄り添ってくれる人は居なくなる。だから、この先もずっと、一緒にいて欲しい。」
思いの丈を口にした。もう。僕のキャンパス
鮮やかな紅に染まっていた。今すぐにでも。
「花屋敷 君は誰ぞと 向日葵か 」
彼女は僕の手を掴んだ。
握手のように。
僕たちは月光に照らされた。彼女は月下美人のようだった。
生憎、詩歌に対する知識の乏しい僕にはその言葉に含まれた物は感じ取ることは難しかった。けれど、乏しいなりに上っ面の意味だけは感じ取れたようにも思える。
心のモヤはすぅーと消える。
夜空を見上げると月の光はいっそう強く輝く。見えない太陽は元気を取り戻したかのようだった。
しばらく、沈黙の空間が続くと
「どんな感じ?私はもう友達じゃないのよ?」
彼女は、決して軽いとは思えない口調で、思いの丈を投げる。
「何ていうかさ、初めてでさ、言葉に出来ない。とにかく幸せだ。」
発した僕なりの言葉を受け取った彼女は手に力をこめたのが伝わった。そして、目線を逸らした。
「ならさ、ちょっとはそっちから動いてよ。私からばっかでなんだか恥ずかしい。」
確かに、告白以外の事については、されるがままだった。浮かれているのかもしれない。
今、彼女に何をしてあげるのが良いか、何を期待してるのか。それを知る事は何よりも難しい。 ただ、何もしない訳には行かない。
「僕には君が何を求めているのかは分からない。だから、いっそ、君の事を困らせてみようと思う。」
「それって何、どういうこと?」
彼女の言葉をフル無視して、繋いでいる彼女の手の平を仕切りのようにして、彼女自身の右頬に添える。
「えっ。」
同時に僕の顔を彼女に思い切り近付けてみる。
まっすぐ彼女の瞳を見続ける。
彼女の頬は更に、リンゴのように紅潮した。
すっかり、余裕の無くなった2人は暫く見つめ合うだけの時間が続く。少しすると、顔を下に向け、前髪を垂らす彼女に
「どう?困った?あおいさん?」
前髪を優しく手繰り上げる。
目に映り出された彼女を見て僕は軽く笑う。
「笑わないでよ。」
羞恥心に支配された彼女はとても可憐だ。
「びっくりした。」
どうやら、成功といったところだ。
してやったという達成感は僕のセロトニンを増幅させる。 目の前にいるのは、ヴィーナスだった。
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