「入嶋さん、仕事…慣れてきたみたいだね」


ある日、細田は上司からそんなことを言われた。実際、入嶋に細田が教えることはなく、自分の仕事を回すし、他チームのサポートもこなすほどになった。


「はい。とても飲み込みが早く、何をやってもらっても処理のスピードも速くて助かっています」


「なるほど。優秀な人材が入って、本当に良かった。それで、その入嶋さんなんだけど…別チームに移ってもらいたいと思っているんだ」


「はい?」


「この前、清水さんが退職しただろう。それが大きな穴になってしまって…それを埋めるためにも、ぜひ入嶋さんに移動してもらいたいんだ」


「……それは決定ですか?」


「殆どね。彼女に、それとなく伝えておいてくれ」


「……はい」


そんな話を聞いて、細田は自分のデスクに戻った。椅子に座ってから、隣の入嶋を横目で見る。


淡々と仕事をこなす彼女。

その裏側には、あの笑顔がある。その二面性が細田には尊く、魅力あるものだった。


それが遠ざかってしまう気がして、自分でも驚くほど気が沈んでしまった。お互いの仕事内容が別の物になり、席も離れるだけ。それなのに、これだけ落ち込むものだろうか、と自分でも驚く。


細田は昼休みになると入嶋を連れ出し、その件を伝えた。


「そのチームって…萩原さんのところですよね?」


と入嶋は顔を青くした。


「うん、そうなんだよ」


「いやです、絶対嫌ですよ」


「僕も…入嶋さんに抜けられたら、ダメージ大きいよ」


「私も、細田さんと離れたくないです」


入嶋の大袈裟な言葉に、細田は言葉を詰まらせる。そして、自分も同じ気持ちなのだ、と伝えたかった。でも、それを自分が言葉にしたら、きっと不快にさせてしまうのでは、という気持ちもあった。


「とにかく、もう一度…入嶋さんに残ってもらえるよう掛け合ってみるよ」


「はい、お願いします。私、細田さんと一緒じゃないと、ここで仕事できないです」


細田は曖昧に笑って、上司に入嶋が抜けることは、とても厳しいし本人も別チームに配属されることは不安に思っている、と伝えた。だが、上司も理解を示すような言葉を返すものの、結果的には意見を変えるつもりないようだった。そして、入嶋は萩原がいるチームへ移ることになった。


しかも、最悪なことに萩原の横に座ることになったのだった。どうやら、入嶋は萩原から仕事を教わるらしい。


入嶋が席を移動させている途中、細田は無意識に彼女が次に座る席の方を見てしまった。すると、そのすぐ横に座っている萩原と目が合った。細田は何事もないといった様子で目を逸らしたつもりだったが、


その寸前に萩原が笑ったような気がした。


それからと言うもの、常に騒がしく感じていた萩原の声が、余計に煩く感じた。




それから、入嶋と二人になる時間は減ってしまった。今までは昼食の時間、二人きりになることはあったが、彼女のチームは、萩原が言い出した「ランチミーティング」が頻繁に行われるため、入嶋もそれに参加するのだった。


「今週末、打ち上げ行きましょうよ」


と萩原が言うこともあった。


どうやら、チームに課された月の目標を達成したことから、打ち上げに行くらしい。何でも祝えば良いものではない。細田はそう思ったが、そのチームとは関係がないので、口に出すこともない。


「入嶋さんも行くでしょ?」


萩原の誘いに、入嶋が何と答えるのか気になり、細田は耳をそばだてる。


「……はぁ」と入嶋は曖昧な返事をした。


行くのか、行かないのか、明確な答えを知ることなく、週末を迎えた。入嶋たちは、定時になると一緒にオフィスを出て行ったので、きっと彼女も参加することになったのだろう。細田は、打ち上げとやらで、入嶋がどんな表情をするのか、考えれば考えるほど、味わったことない嫌悪感に頭が割れそうになるのだった。




次の週、細田はやはり一人で昼休みを過ごした。

だが、一人でいると、入嶋がどこでどんな表情をしているのか、気になって仕方がなかった。考えると気分が悪いので、オフィスを出ることにした。


勢いよく飛び出したものの、彼は行く当てもなく、コンビニでパンを買って帰るだけだった。しかし、オフィスに戻ると誰かがいた。


「ねぇ、聞いた? 萩原さんと入嶋さんの話」


「え、何それ。聞いてない」


ドアノブに手をかけようとしたところで、細田は止まり、聞き耳を立てた。どうやら、女性社員が噂話をしているようだ。


「何か、良い感じらしいよ」


「良い感じって?」


「休みの日にも会っているとか、会ってないとか」


「はぁ? 嘘でしょ? それって、もうそういう関係ってこと?」


「ね。それにしても、入嶋さんって、あんな感じなのに、人を見る目ないんだね」


「どういうこと?」


「だって、萩原さんって…ないでしょ」


そこで二人の女性社員は、声を出して笑った。

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