第8話
「やっぱり、乱条さんだったか」
と新藤は溜め息を吐いた。
「何だ、新藤くん…あの女と知り合いだったのか?」
「実は、少しだけ…道を聞かれたんです。等々力ビルってどこにあるか、って」
「……前々から言っていることだけど、君の困っている人は取り敢えず助けよう精神は、やはり考え直した方が良いぞ」
「すみません…」
「で、何者なんだ、あの乱条という女は」
「さぁ、本当に道を聞かれただけなので」
乱条は自分の名前が聞こえたせいか、新藤の顔をまじまじと見た。記憶の中に一致する人物があったらしい。
「なんだ、あんた…昼間の恩人じゃねぇか。なんで、あんたが如月葵と一緒にいるんだよ」
「僕は如月さんの第一助手ですから」
「なんだって? じゃあ、お前が新藤晴人か」
新藤と如月は眉根を寄せる。如月のことだけではなく、新藤のことも知っている…ということは、何者かが如月探偵事務所の情報を彼女に流していると考えられた。
「なんだよ、だったら…あのときぶん殴っておけばよかったなぁ」
乱条の表情から、新藤は明確な殺気を感じ取った。そして、彼女は如月探偵事務所そのものを叩くことが目的であるらしい。
一歩一歩、距離を詰める乱条に、如月は新藤の後ろに隠れるが、まるで野次を飛ばすように問いかけた。
「何しにきた? なぜ私を狙う? お前は何者なんだ?」
「なんだ、昼間は小便漏らしそうなほど、びびっていたくせに、今度は強気じゃねぇか」
「ふん、あの時とは違って、この新藤くんがいるからな。こいつは強いぞ。お前なんか一発だ。ボコボコだ。絶対に泣かせてやるからな!」
「へぇ…」
と乱条は新藤に視線を向ける。
不敵な笑みを浮かべる乱条は、今にでも殴り掛かってきそうである。如月は新藤の影から言う。
「それより、質問に答えろ! お前は何者で、目的は何だ!」
乱条は如月の質問を鼻で笑って答える。
「だから、そんなこと…どうでも良いんだよ。あたしは、あんたらが二度と調子に乗らないように、ぶっ壊すだけなんだからよ。…ん?」
今にも拳を振り上げようとする乱条だが、新藤と如月まであと数歩というところで、彼らの頭上に何かがあると気付いた。木の枝に乗った、宮崎である。
「なんだ、この女…さては、異能者だな」
乱条に対し、宮崎は表情を変えることなく答えた。
「吾輩は猫である。名前はミャン太。君は何者かね?」
「なんだよ、またその質問かよ」
乱条は呆れるように溜め息を吐き、肩を落としたかと思うと、突然その体中から殺気を放った。
「そんなことは、どうでも良いんだよ。異能者は、全員、ぶっ殺すまでだ!」
そう言って、乱条は宮崎が乗っている木に向かって、蹴りを突き出した。乱条の靴底が、木に突き刺さると、葉が悲鳴を上げるように音を立てた。
その揺れに、宮崎もバランスを崩しかけたが、すぐに別の木へと乗り移る。それを見た乱条は関心したように言った。
「やっぱり、異能者だな。ほら、降りて来い。ぶっ殺してやるから」
挑発する乱条だが、宮崎は無表情で見下ろす。しかし、どこか驚いているような印象があった。
「吾輩は暴力は好まない。何でも暴力で解決しようと考えるのは、野蛮である」
そんな宮崎の言葉に、如月はどこか興奮気味に言った。
「お、新藤くん…あの猫、私と気が合いそうだ。意見が一致している」
「何となく、口調も似ていますしね」
と新藤は苦笑いを浮かべた。
しかし、暴力を好まない人間の主張を、暴力を振るう人間が受け入れるか、と言えば、そうではない。乱条は言った。
「降りてこないなら、引きずり下ろしてやるだけだ」
「ふむ…やはり人間は恐ろしい。斯くなる上は」
飽くまで無表情の宮崎は、木の枝の上で四つん這いとなると、次の指針を決めたらしかった。その体勢から、獣としての力を発揮する、前段階のように見える。乱条はそれを迎え撃つつもりで、ニヤリと笑い
「どうするんだい?」
と聞いた。すると、宮崎は身を低くする。
「自然界の鉄則だ。自分より強いやつからは、逃げるのみ」
宮崎はまたも信じられない跳躍力を見せ、別の木へと移った。それだけで止まるわけではなく、さらに次の木へと、次の木へと飛び移る。どうやら、木の上を移動して、この場から離脱するつもりらしい。
「おいおい、逃げられると思うなよ」
そう言った乱条は、如月のことなど忘れたのか、宮崎を追おうとした。だが、その進路を新藤が遮る。
「なんだよ、恩人。邪魔するのか?」
新藤は背中に隠れる如月に言う。
「如月さんは、宮崎さんを追ってください」
「え? 新藤くんはどうするの?」
「僕は乱条さんと話し合います」
「えええ…一人になるのは嫌だなぁ」
「大丈夫。僕が乱条さんを相手にしている限り、如月さんは襲われることはありませんから」
「うーん…分かったよう。絶対にその女を私に近付けるなよ?」
「はい」
「良し、信じた。頼んだぞ」
如月は宮崎を追って走り出すが、乱条はそれを追うことはせず、ただ見送った。彼女の興味は、如月から新藤に移ったのかもしれない。
公園の街灯が、二人だけを照らす。乱条は吐き捨てるように笑った。
「面白い。あたしを止められるって言うのかい、新藤晴人。この期に及んで、あたしがどんな人間か…理解できない、ってわけじゃないだろう?」
「理解しているつもりですよ。だからこそ、僕の出番なんですよ」
「なるほどね、聞いた通りだ」
「誰から、何を聞いているんですか?」
「何度も言わせるなよ。そんなことは、どうでも良いんだよ。あたしはあたしの仕事をする。お前もそうなんだろう?」
新藤は乱条の正体が何者なのか、落ち着いて考えれば、答えが出るような気がした。しかし、乱条はそうさせてくれないだろう。これだけの殺気を放つ相手に、落ち着いて考えている暇なんて、あるわけがない。
集中して、この人の相手をしなければならない、と新藤は覚悟した。
そんな新藤の覚悟を感じたのか、乱条は不敵な笑みを見せ、間合いを取るように、数歩だけ後退した。そして、腰を落とすと拳を握って構える。
「それじゃあ、始めようか」
闇の中に浮かぶ微笑みは、あまりにも獰猛だった。
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