第6話
新藤が目を凝らし、その窓を見張っていると、宮崎が白い顔を出した。昼間は黒縁のメガネをかけていたが、寝る前…いや、寝ていたこともあってか、裸眼である。
「ほぉ、メガネを取ると、かなり印象が変わるね」
新藤の思考を読んだかのように、隣の如月が言ったが、彼は返事をせずに目を凝らした。
一方、宮崎は窓から身を乗り出すと、窓枠を蹴って、宙に体を放り出した。驚いた新藤は思わず声を出してしまいそうになったが、彼女は宙でくるっと前転すると、真下にあった塀の上へと、華麗に降り立った。そして、塀の上の乗ったまま方向転換すると、地に降りることなく歩き出したのであった。
「あれは確かに、普通ではないね」
と如月は言う。
「はい、体操選手並みのバランス感覚です」
宮崎は塀の上を歩いているにも関わらず、少しも躊躇いがない。普通であれば、バランスを取ることだけでも難しい上に、何よりも人目を気にして、塀の上など歩けないだろう。しかも、宮崎はどちらかと言うと、地味で人見知りなタイプだ。あのような目立つ行動は、絶対に取らないはずである。
「よし、新藤くん。尾行開始だ」
「はい」
宮崎の依頼は飽くまで、自分の身に何が起こっているのか知りたい、というものだった。
「私に何が取り憑いているのかは分かりません。でも、それは何か大切なものを探していると思うんです。だから…すぐに除霊、みたいなことは避けたくて」
如月の手によれば、異能者による異常は、大抵が解決可能だ。しかし、依頼者の希望であれば、まずは異能の実態を掴まなければならなかった。
宮崎の足取りは軽い。あれを夢遊病、と表現するには無理があるだろう。まるで、夜の散歩を楽しむかのようだ。十分も尾行を続けると、如月が退屈そうに言った。
「何かに取り憑かれている、というのは間違いなさそうだね」
「それは異能力と言うのですか? 心霊現象では…と思ってしまいますが」
「心霊現象は確かに自然的なものだ。でも、他人に取り憑くだとか、自らの体に憑依する、となったら…異能力でも有り得るだろうね」
「如月さんは、霊の存在を否定しないのですか?」
異能、という摩訶不思議なものは存在しても、新藤は幽霊やら妖怪、という存在については半信半疑だ。如月も、どちらかと言えば、そういうタイプだと思っていたので、彼女から「お化け」という言葉が自然と出てきたことは意外だった。
「まぁ、そうだね。ただのバグデータと言えば、それで終わってしまう話なのだけれどね」
「バグデータ、ですか?」
「そう。バグデータが他の正常なデータに取り憑いてしまう場合もあれば、ちょっと壊れたデータが、バグデータを取り込んでしまう、というパターンもあるわけだ」
「どっちにしても、霊はこの世界にとって、誤った存在、ということですか?」
「その通り。で、そういうデータは通常、我々の視力では捉えられない。今回も目に見えない敵が現れるかもしれない。だから、君にこれを渡しておこう」
そう言って如月が取り出したのは、何の変哲もないように見える、メガネだった。
「なんですか、これ?」
「メガネだ。ただし、見えないものも見えるようになるメガネだよ。私自ら作った特別性だ。慌てん坊の君のことだ。壊してしまうかもしれないから、予備も渡しておこう」
新藤は何のことだか理解できていないが、如月が何らかの予測を立てて、必要だと判断したものなので、二つのメガネを受け取ることにした。如月は満足そうに頷くと、補足があるらしく、再び口を開いた。
「ちなみに、そんなバグデータを削除するプログラムもある。それが俗に言う…ん?」
如月が前方の様子を見て、何かに気付いた。
もちろん、新藤もそれを目にしている。宮崎が突然、足を止めたのだった。彼らは歩き続け、いつの間にか、広めの公園にいた。これだけ広い公園であれば、夜中に近い時間でもランニングをしている人に出くわしそうだ。
きっと、休日の昼間であれば、人で賑わっているのだろう。そんな癒しを与える、木々の多い公園で、宮崎は立ち止まったのである。
新藤と如月は、すぐ近くにあった木の影に身を隠して、次に彼女が何をするのか見張った。すると、宮崎は腹痛を覚えたかのように体を丸めた。
「だ、大丈夫ですかね?」
「新藤くん、ここで何も考えず、ただ助けに行ってしまうから、いつも騙されるんだよ、君は。こういうときは、もう少し様子を見るべきだ」
「……はい」
だが、宮崎は痛みに耐えられないのか、膝を折って、今にも蹲ってしまいそうだった。
「やっぱり、助けに…」
「待て、動くぞ」
如月が言うと、宮崎はさらに体を縮めた。ついに痛みで倒れてしまうのか、と新藤は思ったが、次の瞬間、驚くべきものを見た。
しゃがみ込んだような姿勢の宮崎が、突然バネのように跳ね上がったのである。その跳躍力は、とても人のレベルでは考えられないものであった。宮崎の姿は、並ぶ木々の葉の中に消えてしまう。
「ど、どこに?」
慌てて宮崎が消えた方を見る新藤だったが、如月はそんな彼に言い放った。
「目で追うな。相手はたぶん…獣だ」
「獣?」
「獣は視覚だけで相手にするべきではない。五感どころか、六感も駆使しなければ、その姿は捉えられないぞ」
新藤は言われたことを素直に実践しようと考えた。新藤は普段閉じている感覚を開くようなイメージで周囲の気配を探った。やろうと思って、できることではない。
でも、ここでやらなければ、宮崎の姿を逃してしまう恐れもあった。そんな危機感もあったせいか、新藤の感覚が研ぎ澄まさていく。視線を感じる。誰かが、確かに自分を見つめている気がした。
新藤は振り返りつつ、空を見上げた。
すると、木の枝と枝の間に黒い影が。
獲物の様子を窺うように、こちらを見下ろしている。それは確かに、獣のようであるが、良く見ると、それはパジャマ姿の宮崎だった。
「気付くとは、驚いた。人間は鈍感だとばかり思っていたが、少しはできるやつもいるらしい」
宮崎が喋った。
先程、電話で喋った彼女とは、まるで印象が違う。
「しかし、尾行とはあまり良い気はしない。何か用があるなら、言いなさい」
宮崎であるが、宮崎とは思えない、その人物の態度に、新藤は唖然とした。何だか、どこかのお偉いさんと喋っているようで、調子が狂うのだ。
「き、如月さん…対話を求めてきました」
「何を驚く。話したいと言っているのだから、話せば良い。その方がこっちとしても、都合が良いだろう。やつの目的が判明するかもしれない」
「は、はい…」
新藤は得体の知れない相手に、躊躇いはあったものの、退くわけにもいかず、改めて木の上から自分を見下ろす宮崎を見た。
「あの…貴方は何者ですか?」
新藤の質問に、宮崎は「ふむ」と言いながら、かゆいのか、握った拳で自分の頭を撫でた。新藤はその仕草に、どこか見覚えがあるような気がした。そして宮崎は、どこか威厳あるような態度で言うのだった。
「吾輩か? 吾輩は、猫である」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます