第16話

「あの、如月さん…そろそろ起きてください」


運転を変わってから、如月は助手席ですぐに眠ってしまった。ここから大一番かもしれないのに、すやすやと眠る如月が信じられなかったが、彼女らしいと言えばそれまでだ。


「…うーん。もうすぐ着くの? 雨も止んだみたいだね」


「はい。寝ぼけた状態で、木戸やら成瀬さんを相手にできるんですか?」


「だって…車の運転はその人の性格を表すって言うけど、君の場合はその通り過ぎるんだもの。ほんと、数分で眠ってしまうよね」


「急いでるつもりなのにな…」


そう言いながらも、新藤は密かに喜んだ。


山道に入って道が険しくなる。それは、これから起こる出来事を連想させるようで、緊張感が高まった。


「新藤くん。先に言っておくけど」


如月が真面目な口調で言った。


「何ですか…?」


「私たちの依頼人は、優花梨ではなく百地だ。それは分かっているよね?」


「分かっています」


「優花梨の方は、私たちの依頼人にとって、排除すべき存在だ。百地が死んだらただ働き。何を守るべきか、誰が敵なのか、見誤ってはならない」


「僕だって、そのつもりですよ」


「そうかもしれないけど…君は百地より、優花梨の方に思い入れがある。そんな気がするよ」


如月の指摘に、新藤は少しだけ目を細めた。その表情は、睨むようでもあったし、痛みに耐えるようでもあった。


「……僕の知っている百地さんは、確かに優花梨さんの方が近いと思います。でも、僕は別に想い出を取り戻そうなんて、考えてはいません」


「ふーん」


如月は少しだけ笑みを浮かべると、新藤の発言をこう評価した。


「君の、顔に似合わず、感情を切り離して仕事できるところ、私は気に入っているよ」


その言葉に新藤の表情が明るくなる。


「え? 本当ですか? 今日はいつもの三割増しで頑張れそうです」


「調子に乗らないようにね」




目的地である別荘に、すぐ到着した。二階建てのこじんまりとした別荘で、確かに数日間の休暇を楽しむには、良い環境のようだ。


別荘の前には、既に車が二台停まっていた。一台は百地の夫の車で間違いない。もう一台は、さっき目にした成瀬のものではないことを考えると、木戸と優花梨が乗っていた車なのだろう。


新藤は車を降りて、真っ直ぐ別荘の方へ向かった。


「百地さん!」


新藤は玄関の扉を開けて、呼びかけるが、返事はない。どうやら、ここにはいないらしい。すると、どこからか悲鳴が聞こえた。室内ではなく、外からだ。


そして、百地ではない男の声だった。


「新藤くん、たぶん裏だ」と如月は言った。


二人は急いで外に出てから、裏に回る。


そこにいたのは、木戸と百地優花梨だ。


新藤は、百地優花梨が百地ではなく、優花梨であることを一目で理解した。それから、飯島清司も確認できた。彼は木戸の足元で跪いている。


この状況から、何があったのか、大体のことは察することができた。飯島は別荘まで到着したが、すぐに木戸が現れて、逃げ出せずに捕まってしまったのだろう。


だが、おかしなことに百地と陸の姿がない。どこへ行ってしまったのだろか。


優花梨は新藤を見て、驚いたらしく目を丸くした。


「新藤くん…どうして、ここに?」


優花梨の目が一瞬だけ如月を見たのが分かった。


「優花梨さん、君を止めに来たよ」


優花梨は目を逸らした。自分が何をしようとしていたのか、何をしていたのか、新藤に知られたくなかったのかもしれない。


すると、顔を青くして跪いていただけの飯島が突然動いた。優花梨と木戸、どちらにも僅かな動揺が走ったことを見逃さなかったらしく、逃げ出そうとしたらしい。


木戸は手を伸ばし、飯島の襟首を掴もうとしたが、ほんの一瞬だけ遅かった。飯島は新藤たちの横を通り抜け、走り去ってしまう。


「新藤くん、ここは任せた。私は飯島から百地親子の所在を聞き出す」


「一人で大丈夫ですか?」


「あの程度の男なら、一人で十分だ。そっちこそ、抜かるなよ」


如月の微笑みに、新藤も同じ表情を返す。如月が立ち去るのを見て、木戸が動いた。飯島を逃がすつもりはないらしい。そんな木戸の動きは、まるで大型動物を思わせるような、ゆっくりだが一歩が力強く、歩幅も広い。それは、圧倒的な力強さを感じさせる。


だが、そんな木戸の進行を新藤が遮った。二人の視線が役十年ぶりに交差する。木戸は一度足を止めはしたが、新藤など存在しないかのように、再び歩み出した。普通であれば、思わず道を開けてしまいそうな威圧感だが、新藤は決して動かなかった。それどころか、少しも臆する様子なく、警告するかのように、木戸に言うのだった。


「木戸くん、もう優花梨さんに関わらないでくれ。あのときと同じだ。君は彼女を不幸にする」


十年前、新藤を認識していなかった木戸だ。あのときと同じ言葉を使ったとしても、覚えていないだろう。しかし、木戸は新藤に言った。


「確かに、お前の言う通りだった。今回も、俺はあいつを幸せにできないだろう」


覚えていたのか、と新藤は内心驚いたが、表情には出さなかった。木戸は続ける。


「だけど、俺は優花梨の力になりたい。結末がどうなろうと、俺は優花梨を助ける」


「だったら、人を襲うなんてやめるんだ。彼女を助ける方法は、別にある」


「それも、お前の言う通りなんだろうな。でも、俺が知っている方法はこれだけなんだ」


そう言って、木戸は拳を握り、それを胸の辺りまで持ち上げた。圧倒的な暴力を見せつけるような、大きい拳だった。


「だから、退いてくれ。退かなかったら、あのときみたいに痛い目に合う」


そんな木戸を、新藤は真っ直ぐ見返した。そして、小さく呼吸してから言い放つ。


「退かないよ。退いて欲しいなら、やってみろ。君にできる、唯一の方法で。それで、彼女を助けられると言うなら、証明してみせろよ」


木戸がゆっくりと新藤に近付く。その距離は、一歩半程度に縮まると、木戸は呟くように言った。


「俺には同じ方法しかない。だけど、変わった。俺は変わったんだ」


それがどういう意味なのかは分からない。だが、何かしらの覚悟を秘めていることは、新藤も理解した。


木戸が一歩踏み出す。突き出される拳。


それは、木戸からすれば十年前の再現でしかなかった。たった一発の拳で、目の前の男は倒れる。いや、新藤だけではなく、どんな相手であろうが、そうやって自分の意思を通してきたのだろう。


しかし、今回は違った。


想像もしなかった、もしもが訪れたように。何があったのか理解できないまま、木戸は自分の膝が地に着いたことを不思議に思った。

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