第15話
百地の夫…飯島清司は、別荘に到着してから、少しだけ落ち着きを取り戻した。妙な状況になってしまったが、チャンスかもしれない、と考える。
大柄の男が、なぜ家の中に入ってきて…しかも自分に襲い掛かってきたのか。それは分からない。
最初は妻が自分を殺すために、自分と同じように人を雇ったのでは、と疑った。それにしては、仕事が雑だったし、妻も異様に怯えていたところを見ると、そうではないらしい。何が起こっているのか、不明ではあるが、雇った男に妻を殺させるためには、都合が良かった。
シナリオはこうだ。
変な男に襲われたから、まずは安全の確保のために、妻と息子を別荘に匿った。その後、自分は自宅に戻って警察を呼ぶ。その間に、雇った男が仕事を終えるだろう。
それが済めば、自分は何者かに妻と子供を奪われた不幸な男を演じるだけだ。もしかしたら、襲ってきた大柄の男が犯人と思われるかもしれない。だとしたら、本当に都合が良い。飯島は心の中でほくそ笑んだ。
「警察に行った方が…良かったんじゃない?」
と妻は言う。
「まずは君たちの安全が先だ。それに、僕だって混乱している。あの状況で冷静な判断ができなかったんだ」
「……家も空けてきてしまったけれど」
「少ししたら、様子を見るために一度帰ってみるよ」
「そう、ありがとう」
と妻は言った。
馬鹿な女だ、と飯島は思う。
これから殺されるというのに「ありがとう」だ。滑稽にもほどがある。
「……聞いても良いかしら?」
と妻が言う。
「何を?」
彼女が何を言うか、想像は付いていた。
「最近、どうしてしまったの?」
飯島はその言葉を聞いて、鼻で笑いたいような、この場で絞め殺してやりたいような、どっちとも言えない気持ちになった。それができれば、どれだけ楽で気が晴れることか。
「私、貴方を怒らせてしまったみたいだけど、何が原因なのか分からない。それだけでも、教えて欲しいの」
「……特に何もないよ。仕事が少し、忙しいだけなんだ」
「それだけじゃないのでしょう? 言いたいことがあったら、はっきり言って。私も陸も…そろそろ限界なの。貴方のその態度が…怖くて仕方ないの」
きっと、これが最後の我慢だ。
ここで耐えきれば、後は雇った男がこの女を殺す。飯島が殺意を抑え、よき旦那として笑顔を浮かべたとき、インターホンが鳴った。
「誰かしら…?」
「僕が見てくる。陸のことを頼むよ」
頷く妻に背を向け、飯島は素直な気持ちで笑みを浮かべる。妻の目を盗み、連絡を入れて良かった。飯島は友人を招き入れるかのように、その男を部屋に入れた。
「貴方、どちら様なの?」
飯島は何も言わず、ただ笑顔で妻を見つめた。妻の顔が青くなっていく。それが楽しくてたまらなかった。
雇った男は確認するように部屋中を見て回る。妻は危険を察知し、陸を自分の傍に呼び寄せようとしたが、遅かった。
雇った男は、滑るように陸の背後まで移動すると、息子の肩に片手を置いた。そして、もう片方の手には…大きなナイフが握られ、それを妻に見せるように、掲げてみせたのだった。
「陸!」
息子は自分の背後で何が起こっているのか、理解していないらしく、首を傾げた。怖がらせてはいけない、と妻は考え直したのか、パニック状態の自分を抑えつけたようだ。
「あ、貴方…どういうことなの?」
飯島は笑顔のまま、妻を無視する。代わりに、と言うわけではないが、雇った男が口を開いた。
「陸くん。これから、ママと君と、それからおじさんと一緒に、山の上で星を見に行こう。ここの星は綺麗で有名なんだ」
「星?」
と陸は背後に振り返る。
雇った男はナイフを隠しながら、陸に笑顔を見せた。
「そう、星だよ。都会で見る星とは、全然違って、空一面が宝石を散りばめたみたいに輝くんだ。見てみたいだろう?」
「……うん」
「ママに行こうって、言ってごらん」
妻はこれから自分と息子に何が起こるのか、想像しただろうか。とにかく、今は息子を守るため、従うべきだと判断したらしい。
「ママ。星…見に行っちゃダメ?」
すっかり星を見る気になって笑顔を見せる息子に、彼女は何を思うだろうか。
「そうだね、行こうか」
「やったー!」
妻は、息子に引きつった笑顔を返して、飯島をもう一度見た。
「じゃあ、行こう。さぁ、外に出ようか」
「うん!」
雇った男が息子を外に連れ出す。仕方なく付いて行く妻は、飯島に言った。
「後で説明してもらうからね」
これで最後だ、と確信した飯島は、腹に溜めていた本心を彼女に伝えた。
「何もかも、お前が悪いんだ。地獄に落ちろ」
死が迫っている、と理解したのか、妻はますます顔を青くして、何か言いたげに口を開きかけたが、外から
「ママ、早く行こう!」
と息子の声が聞こえ、外へ出て行った。
計画通りだった。
復讐を遂げた、という余韻に浸るように、飯島はしばらく別荘で何をするというわけでもなく過ごしたが、そろそろ動かなければならない、と立ち上がった。
車に乗り込み、自宅まで戻る。そして、警察を呼んでアリバイを作り、その間に妻と息子を片付けてもらう。きっと、死亡推定時刻、というものが自分の無罪を証明するはずだ。
そんなことを考えながら、車に乗り込もうとしたが、彼の行く道を塞ぐものがあった。
それは、自宅を襲撃した謎の大男と、
山の方へ連れて行かれたはずの妻の姿だった。
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