マイナス七話 Origin-音路恭香「ノーエンジョイ、ノーライフ」

 ―――生きる意味って、なんだろう。

 別に哲学とか、世のため人のための貢献がどうとか、そういう話じゃない。

 私は、何のために生きてるんだろう。聞かれても、答えられる気がしなかった。

 だから考えて、答えを見つけた。

 私が生きるのは、楽しいことをするため―――


 夏の暑い日、涼もうと思って座ったベンチに同席した男性から、アイドルのスカウトを受けた。

 まさかの出会いに驚きながらも、好奇心から話を聞いてみる。なんでも、新設の事務所でデビューする最初のアイドルを探しているのだそうだ。

「すっごい挑戦的ですね」

「いやぁ……もう何十人に断られたことか。仕方ないんだけどね」

 左枝と名乗った男性は、どこか冴えない笑みを向けてくる。

「ということなんだけど、興味ない?」

「うーん……」

 人差し指を顎に当てて悩む。別に、アイドルをやるというだけなら即答しても良かった。

 しかし、新設の事務所、それも最初のデビューを飾るとなると話は大きく変わってくる。何しろ事務所に経歴が無いのだから、仕事をもらうまでの道のりが酷く遠いのは明らかだ。

 それに、活躍できず事務所がすぐに潰れたりすれば、自分のせいも同然だろう。

 ―――それじゃ、楽しくない。

「興味だけならあるんですけど……やっぱり、やるからには長く続けたいですよね」

「おぉ……そんなこと言ってくれたの、君が初めてだよ!」

 左枝は目を潤ませて身を乗り出す。今までのスカウトで相応の苦労をしてきたのだろう。

 落ち着くよう言い聞かせてから、どうしたものかと思案する。当然ながら、長く続けられるという保証はない。もし自分が楽しくても、すぐに終わってしまえばそれは苦い思い出だ。

「お話、持ち帰らせてもらえません?」

「もちろんもちろん! これ、僕の名刺ね。えっと君、名前は?」

「音路恭香です。できるだけ早く連絡するんで、期待しないで待っててください」

 いたずらにウインクして、恭香はその場を立ち去った。



 家に帰り、自室に入ってから、アイドルについて調べる。浅い知識ならあるが、いざ自分がやるとなれば今の知識では不十分だろう。

 当然、メインは歌と踊り。その他ファッションモデルをこなしたり、タレント業をこなしたり、役者をこなしたりと、芸能界の様々な場にアイドルの姿はある。近年は事務所管理の元、個人で動画配信を行うなど、活動の幅は広い。

 ―――見てるだけで、ワクワクしてくるな。

 高揚感を抑えて、再び逡巡する。アイドルとして潰れず売れていくために、自分にできることは何か。

 真っ先に思いついたのは、音楽と好奇心だ。幼い頃から、興味の湧いたことにはすぐに挑戦してきた。その中で、特に長く続いたギターとドラムの演奏は、今や立派な特技となっている。

 好奇心も、芸能界では強い武器だろう。ひとたび面白そうと判断すれば、体を張ったことでもやってみたいと強く思う。厳しくも多くのことを経験できるアイドルは、自分の性分とはしっかりマッチしているように見える。

 もちろん、話はそう簡単ではない。売れるためなら盲目的になんでもやる、というのが一概に正しいとは言えず、仕事である以上、自分の希望とそぐわない仕事・人物を割り切って受け入れなければならない。

「……でも、これは……」

 ベッドに寝転がり、天井を見つめながら胸に手を当てる。鼓動は早く、体は熱を感じたままだ。

 一旦冷静になって、真面目に考えよう。そうは思っていても、興奮冷めやらない。

「……っあーーー! やりたい! アイドル絶対楽しいもん!」

 勢いのままに起き上がって、部屋を出る。どうせ夕食時、家族は一堂に会しているはずだ。

 恭香の突然の告白に、一時リビングは騒然となったものの、当人の意思を尊重した家族はすんなりとアイドルになることを受け入れてくれた。

 こうして、スカウトされたその日のうちに、恭香は左枝へスカウトOKの連絡を入れたのである。



 履歴書を送り、面談を済ませ、軽い能力テストを経て、恭香は無事にジュエリーガーデンプロモーションの第ゼロ期生としてデビューするに至った。

 ついでということで、事務所の持つ寮にも来年度から入寮する手筈を整えた。

 そして、左枝がスカウトしてきた同期のアイドルとの顔合わせを行うということになり、恭香は事務所に足を運んでいた。

「恭香ちゃんはイケイケで明るいねぇ」

 前を歩いて案内するのは、マネージャーの前野。事務所内の案内や基礎レッスンで話すうちに、あっという間に打ち解けた。

「まあ、それが信条ですし。せっかくのアイドル活動、全力で楽しみたいじゃないですか」

「いいねいいね、そういうの! 他の二人はクール系だから、気が合うかはちょーっとわかんないけど、私は恭香ちゃん好きだよ」

 他愛もない会話を交わしながら歩くうちに、三階の会議室へたどり着く。前野が扉をノックしてから開けると、そこには既に一人の少女が本を手に座っていた。歳はそう変わらなそうだが、落ち着いた雰囲気がその姿を妙に大人に見せている。

「それじゃ、あと一人来るから。それまで軽くお話してて!」

 恭香を部屋に入れ、それだけ言い残して前野は扉を閉じる。

 物怖じすることなく、恭香は少女に話しかけにいった。

「隣、座ってもいいですか?」

「ええ、どうぞ」

 少女は持っていた本を閉じ、穏やかな笑顔を向けてくる。恭香は少女の隣に座り、荷物を下ろすと早速自己紹介を始めた。

「私、音路恭香。もうちょっとで十六歳になるかな、高校一年生です」

「私は明星稔。今、高校二年生だけど……稔って、呼び捨てでいいわ。同じ事務所の同期、あまり堅苦しくするものじゃないでしょ」

 稔と名乗った少女は、笑顔で自己紹介を返す。そっちがそうしてくれるなら、と恭香も敬語を使わず答えた。

「それじゃ、自然体で。前野さんがクール系って言ってたから、もっと冷たい人がいるのかと思ってた」

「確かに、明るく元気ってタイプではないわね。けど、事務所の命運を任された者同士だもの、仲良くやっていきたいわ」

「同感」

 自然体のまま、笑顔で話が続く。すると、再びノックの後に扉が開いた。

「はーいお待たせー。三人揃ったね。そんじゃ、左枝っちとまえのん呼んでくるわ」

 現れたのはもうひとりのマネージャー、後藤。どうやら前野とは入れ違いになったらしい。

 そして、後藤に連れられてやってきたのは、これまた大人びた雰囲気の少女だった。

 恭香は座る場所を変え、三人が三角系になるよう真ん中の位置に移動する。それを見て取った稔たちも、恭香に合わせた席についた。

「天宮月乃です。歳は十六、高校一年生です。よろしくお願いします」

「同い年! 私、音路恭香。同じく高校一年ね」

「明星稔よ、高校二年。よろしくね。敬語使わないで、呼び捨てでいいわ」

 三人で自己紹介を終えると、月乃が少し深く呼吸をしてから再び口を開く。

「……仕事仲間とはいえ、初対面で呼び捨てっていうのも中々ね」

「お、緊張してる?」

「そうじゃないけど……まあいいわ。これからよろしく。恭香、稔」

 挨拶を済ませると、今度は稔が言葉を紡ぐ。

「そうね、じゃあ話題をひとつ……二人は、どうしてアイドルになったの?」

 この場で話すに相応しい質問だ。三人はいずれも左枝のスカウトを受けてここにいる、その理由は最初に話す話題にもってこいだろう。

 言いだしっぺだから、と稔は続ける。

「私は、左枝さんと話して、色々考えてるうちに、アイドルとして人気になることに興味が湧いたから」

 稔が口を閉じたことを確認して、月乃に視線を送る。その視線をどう受け取ったのか、月乃は次いで話し始めた。

「私は……完璧なパフォーマンスを見てもらいたいから、かしら。自分がどこまでできるのか、それを試したいの」

「おお、二人とも人気になる前提の目標じゃん。やる気満々だね」

 恭香の反応に、稔は「もちろん」、月乃は「当然」と返す。アイドルを目指す以上、上を向くのは道理だ。

 そんな二人に続いて、恭香も自分を語った。

「私は、アイドルじゃなきゃできないことがたくさんあって、楽しそうだったから」

「……楽しそう?」

「そ。人生一回、青春はそのほんの一部でしょ? 歌も踊りも、モデルも役者も全部やるアイドルなら、きっと楽しいだろうなってワクワクしたから!」

 頷いて納得した様子の稔に対して、月乃は少し怪訝な目を向けてくる。

 ―――おや、これはやっちゃったかな。

 少し警戒したところで、月乃より先に稔が口を開いた。

「恭香も人気になること前提じゃない。そんなにたくさんのお仕事、ちゃんと売れなきゃもらえないわよ?」

「そりゃもちろん。何千何万のライバルがいるんだもん、全力でレッスンして、全力で戦って、それで勝ち取った仕事を全力でやる……その時って、きっとすごく楽しくて爽快だって、そう思わない?」

「なるほどね」

 続けた言葉を聞いて、月乃も目を閉じて頷く。どうやら納得してくれたようだ。稔に目を向けると、口の前で人差し指を立ててウインクされた。

「考えが甘いのかと思った」

「月乃、そういうの許せないタチ?」

「当然よ。勝負事の世界で、なんとなく楽しそうなんて」

 これは厳しいのが来たな、と思いながら、同時に顔をほころばせる。この二人となら、うまくやっていけそうだ。

 部屋の扉が開く。左枝と前野、後藤の三人が入ってきた。

「お、三人とも、もう仲良くなった感じかー?」

「ええ。この二人で安心してるところです」

「それは良かった。それじゃ、改めて顔合わせして、プロデュース方針について話そうか」

「お願いします」


 ―――今を精一杯楽しみたい。だから私は、全力で走る。

 あの時、ああしとけば良かったかも。きっと誰しも、そう思うときが来るだろう。

 けど、私はこうしていたからそれで良し、なんて言えるなら。

 きっとそれは、百点満点のエンジョイライフでしょ?―――


「ジュエリーガーデンプロモーション、ゼロ期生! 音路恭香、十六歳です! よろしくお願いします!」

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