マイナス八話 Origin-栞崎ひとみ「私が主役のストーリー」
―――自分の足で、走り出さなければ始まらない。
わかっていても、そばで輝くあの子は、あまりにも眩しすぎたから。
だから、これは私の決断で、決別で、決意。
階段を駆け上がり、解けない魔法をかける、私だけのシンデレラストーリー―――
彼女とは、もう十年近い付き合いになる。出逢ったのは幼稚園の時、それからずっと、離れる時間の方が珍しいくらい一緒にいた。
そして、だからこそ言える。彼女は、悠姫ましろは、まさに「主人公」と呼ぶに相応しい人物だ。
きっと本人は気付いていない。だけど、その明るさと前向きさは、多くの人を虜にする。そして、好きなことに向かって一心不乱に進んでいけるその強さは、きっと誰もが羨む特別なものだ。
どんな時でも前を向いて、強く明るく突き進む、まるで物語の主人公。そんなましろと一緒にいると、自分の人生すらも忘れて、彼女の歩むストーリーの登場人物であるかのように錯覚してしまうことがある。
私にだって、私の人生がある。どんな差があったとしても、ましろの人生は彼女が主人公であるように、私の人生は私自身が主人公なのだ。
だから、ずっと焦っていた。
ましろが本当になりたいものを見つければ、きっと彼女は本当にやり遂げてしまうだろう。
でも、そうしたら、私はどうなるのだろう。夢の叶えた彼女の友人Aとして、雲の上にいる彼女を見上げて過ごすのだろうか。
もちろん、平凡に過ごすことが不幸だと思っている訳じゃない。けれど私は、心のどこかでこれ以上彼女を、ましろを遠くに感じたくないと思っていた。
だからこそ、
「ひとみ、わたし……アイドルやりたい! ステージの上で、わたしだけの景色、見つけたい!」
「ましろ……」
その時私は、何か思う前に叫んでいたのだろう。
「私もやるっ!」
きっとこの時、生まれて初めて、私は他人に……他でもないましろに、「負けたくない」と思ったのだ。
☆
アイドルになると決めた数日後、二人はそれぞれの部屋で履歴書を前に頭を悩ませていた。
応募先はましろの母親、みどりの探してきた新設事務所、ジュエリーガーデンプロモーションに決めたものの、いざ自分がアイドルになるための履歴書など、どう書いたらいいものかわからない。
『とりあえず、なりたいです! って強い気持ちが伝わればいいんだよね』
机に置いたスマホから、ましろの声が響く。
「それだけじゃダメだよ。芸能人は人前に出るのが仕事、書類審査は自己管理とセルフプロデュースの力が問われる、最初の関門なんだから」
言葉を返したものの、アイドルとして自分には何ができるだろうと思い悩む。
歌うことは好きだ。しかし、好きなら良いという訳ではない。求められるのは技術や人を惹きつけるものだ。情熱だけで売れるなら、誰だってアイドルになれる。
『んー、わたしはダンスで、ひとみは歌かな』
「……確かに好きだけど、取り立てて上手いわけじゃ」
『言ってること矛盾してるよ~。アイドルのセルフプロデュースが遠慮してたら、自信ない子なんだなーって思われちゃうよ?』
はっとして、スマホを見る。通話中の画面には、満面の笑みを浮かべる自分とましろの写真が映っていた。
ましろの言う通りだ。自分からアイドルになりたいと言うのなら、少し誇張してでも自分が強みのある人間だと言って行かなければいけない。
今までの私じゃいけない。殻を破って、少しでもアイドルに相応しいとアピールするんだ。
「……そうだね。私は歌と、自己分析。他の誰にも負けないよう、努力できるアイドルに」
『うんうん、その調子! わたしはダンスとー、あと……笑顔とトーク力、と』
「トーク力はちょっと盛りすぎなんじゃない?」
笑いながら言葉を返すうちに、短い時間で緊張が解けていることに気が付く。
―――やっぱり、ましろは凄いな。
思わず嘆息してから、ペンを握り直す。ましろのような強みのない自分が、事務所の人間に認められるためには、どうすればいいのか。
考えろ、考えろ。自分が最も得意なことは、考えることのはずだろう。
全力で自身を鼓舞しながら、ひとみは履歴書にペンを走らせた。
☆
それから二週間と少しが経った。書類審査を通過したとの報せを受けた二人は、電車で三駅先にあるジュエリーガーデンプロモーションの事務所に来ていた。
新設の事務所でありながら、ビル一つに加え寮まで用意してあるという予想外の大きさに、思わず体が強張る。
自動ドアの先では、スーツの女性が二人待っており、すぐに手筈を確認してくる。
「どうもー! オーディションの子だね。えーと……」
「悠姫ましろです!」
「栞崎ひとみです」
「うん、悠姫さんに、栞崎さん。履歴書も確認済みね。オッケー、後藤ちゃん連れてって」
手元のタブレットで二人の顔と名前を確認すると、女性はもう一人に二人を案内させる。後藤と呼ばれた女性は、手招きをした後先導するように歩き出した。
その後を追いながら、事務所の廊下を歩く。無事についてきたのを見て、後藤は笑顔のまま口を開いた。
「二人は友達?」
「はい!」
「そっかー、揃ってアイドルやれるといいねぇ」
後藤は話しながらエレベーターを呼び、二人に先に乗るよう促す。言われるがままエレベーターに乗り、階層を示すランプを目で追う。
「緊張してるー?」
「え、あ」
「わたしは全然!」
唐突に投げかけられた質問に戸惑っているうちに、ましろが即答する。一拍遅れて、ひとみも「少し」と答えた。
ましろのあまりに快活な即答に、後藤は笑いながら言葉を返す。
「はっはっは、そりゃいい。変に固くならないで、ありのままの自分を出しなよ」
言い終えるのと同時、エレベーターが七階へと到着する。扉が開いた先では、廊下にずらっと椅子が並べられ、既に十人以上の少女たちが座っていた。
奥に詰めて座り、自分の名前が呼ばれるまで待つようにと伝えて、後藤は下階へ降りていく。先にましろが座り、最後尾にあたる位置にひとみも腰を下ろした。
少し背を曲げて、自分たちより先に座っていた参加者を見る。数人は楽器の入ったケースを持ち込んでおり、そわそわと視線を泳がせる同い年くらいの少女や、ハーフのような顔立ちで楽譜を眺める大学生ほどの女性、一番前に座る少女も同年代だろうか、ノートを開いてぶつぶつと何か呟いている。
平常心でいようと深呼吸し、スマホのメモ帳で問答の予想を見返す。そうして過ごしていると、やがて奥の扉が開き一人の男性が顔を出した。
「えーでは……菓蘭子さん。お入りください」
「ぅはいっ!」
驚いたのか緊張のせいか、素っ頓狂な声で返事をした後、菓と呼ばれた少女は部屋へ入っていく。
それからは、始まってしまったという緊張のせいか、妙に時間が早く進んでいるように感じた。一人あたり二十分はかかっているはずなのに、その半分くらいの時間で部屋を出てきているように思える。
「では次……悠姫ましろさん、どうぞ」
「行ってくるね」
「うん」
頑張って、などの言葉はかけない。きっとましろはアイドルになる、という確信めいた感覚がある。彼女の心配はいらない。今日は私が勝負する日だ。
ひとみの後ろにも、五人ほどの少女が座っている。自分が最後というわけでもない。
思考を巡らせて落ち着こうとしていると、その時がやってきた。
「次、栞崎ひとみさん、入ってください」
「……はい」
☆
面接官は三人。社長の宝多、プロデューサーの左枝、先ほどから扉を開けて呼び出しを行っていたプロデューサーの右城という男たちだった。
まず履歴書の内容を確認され、次に軽い歌とダンス、その他特技があればそれを披露する時間が設けられる。
歌以外に用意しているものはない。ひとみは自分にできる全力で歌い、ましろと練習したダンスを披露した。
「歌、上手いね」
「ありがとうございます」
褒め言葉は素直に受け取り、その後簡単な問答に入る。だいたいは予想していた通りだったが、転機は最後に訪れた。
「私からは以上かな。右城くん、何かあるかい」
「ええ、では……栞崎さん、悠姫さんとはお友達で?」
「はい」
ましろとの関係を掘り下げられる。可能性はあると思っていたが、実際に引き合いに出されたと思うと緊張が走る。
右城は、なるほどと呟いて言葉を続けた。
「わかっているとは思うけど、友達とオーディション受けて一緒にアイドル、なんていうのは正直すごく甘い考えなんだ」
「はい」
「それを踏まえて聞きたいんだけど……君は悠姫さんと一緒にアイドルやりたいのかな?」
―――来た。
唾を飲み込み、息を吸ってから、自分の気持ちを吐き出す。これだけは、メモにも書いていない本心。
「私は……彼女なら、きっとアイドルになると確信しています。だからこそ、ここに来たのも事実です。けど、私は……彼女に、ましろに、勝ちたい。自分の力で、同じ土俵で戦って、勝ちたいんです。そして、胸を張って、自分の歩いてきた道を多くの人に見てもらいたい。それが私の、アイドルを目指す原動力です」
しっかりと右城の目を見て、大きな声で答える。話し終えたあと、しばらくの沈黙が部屋を包んだ。
やがて、待ちきれなくなったのか宝多が切り出す。
「なるほど。ではこれで面接は終了です。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
言えることは言った。悔いはない。そう心で唱えて、部屋を後にする。
合格通知は、二人揃って次の日に届いた。
―――「誰だって主人公」「みんながプリンセス」それはきっと真実で。
私がこれから歩む道は、それをぶつけ合う過酷な道のり。
けれど、そこを乗り越えた時。きっと私は、私を認められるはず。
だから恐れず、表紙を開いて。最初の物語は、もう始まってるから―――
「ジュエリーガーデンプロモーション、オーディション一期生。栞崎ひとみ、十五歳です。よろしくお願いします」
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