マイナス六話 Origin-明星稔「きっと私が一等星」
―――星を見るのが好きだ。
世界の広さを肌で感じて、自分の小ささを思い知る。大概の悩み事は、それだけで気にならなくなってしまう。そんな宙の広さが、私は好きだ。
けれど、私はいつからか忘れていたのかもしれない。
自分の足で行ける世界も、果てしなく広かったことを―――
偶然というものは、時に何か運命的な出会いを呼び起こすものだ。
その日は、たまたま寄り道をして帰ろうと思い立ち、大通りを歩いていた。すると、スーツ姿の男性に声をかけられる。聞けば、アイドルのスカウトをしているそうだ。
スカウト自体は、何度か受けたことがある。しかし、そのどれもが興味を引くようなものではなかったため、全て断ってきていた。
しかし、今回は毛色が違った。今まで受けたスカウトは全てファッションやコスメのモデルだったが、アイドルにならないかと言われたのである。
「……なぜ、私に?」
「いやぁ、なんて言うかな。オーラが出てるっていうか……光って見えるものがあったんだ。星みたいな」
図らずも男性が発した一言で、思わず眉間にしわを寄せた。しかし、それに気付かなかったのか男性は話を続ける。
「アイドルは、間違いなく生まれ持ったものが必要になる。才能と、努力と、運が全部なくちゃ輝けない、そんな世界だ。君には、人気になる才能があるように見えたんだけど……どうかな」
それは、誘い文句と言うにはあまりに危ういものだった。言っていることは道理だろうが、三つある要素の一つがあるからと言われたところで、はいそうですかと納得はできない。
しかし、逆を言えばそれは、ただ甘い言葉で誘われるよりは僅かに信憑性があった。少なくとも、このどこか口下手な男に、少し乗せられたことは間違いない。
―――人気になる才能、か。
「……事務所の名前、教えていただけますか」
「え、いいの!? ああっと、じゃあこれ、名刺、ちょっと待ってね」
差し出された名刺には、聞いたこともないような事務所の名前と、左枝という名前が記されていた。それを財布の中にしまって、頭を下げる。
「では失礼します」
「あ、そうだ。君の名前、教えてもらってもいいかな」
「……稔です。明星稔」
こうして、稔は偶然にも名刺とスカウトの話を持ち帰ることになったのだった。
☆
二日後、夜。稔の姿は、都市から離れた山の中にあった。
幼少期に両親に連れられ、生まれて初めて天体観測をした場所。それが今登っている山の頂だ。何度見ても色褪せない景色と、他に来る人の少なさから、稔は大事なことがあるとこの山を登り、自然の中で星を見ることにしていた。高校に入ってからは、一人で道具を揃えて登山するようになった。
重い荷物を背負い、ゆっくり確実に歩みを進める。夏になったばかりでも、夜の山は冷え込む。汗をかきながら登山道を進むその道中も、考えるのはスカウトのことだ。
人前に出て芸能活動をするなど、今まで考えたこともなかった。しかし、冗談交じりに家族に話したところ、やってみればいい、きっと人気になるだろうと言われた。
今までの人生における経験と、周囲の評価を自分の中で整合できない。別に目立つような人物でもなく、取り立てて歌や踊りが上手いわけでもない。さらに言えば足音が小さいらしく、話しかけるまで他人に気付かれないことなどしょっちゅうだ。
そんな自分が、アイドルになる? ステージの上で歌い、踊り、注目を集めるような人物に?
「……駄目ね。想像もつかない」
思わずひとりごちる。そうしている間にも足は進み、山頂付近を示すロープウェイ乗り場が見えてきた。その出入り口で静かに稼働している自動販売機で、温かいカフェオレを購入する。既に道は少しずつなだらかになってきており、目的の地点も近い。
やがて、稔は山頂にたどり着いた。平たい草原のようになった地面に、持ってきた大きな椅子を置いて、背中を預ける。万一にも眠ってしまうことがないよう、スマホのタイマーを設定しておく。
望遠鏡は、持ってくる日とそうでない日がある。今日はひとつの星や星座を見るつもりはないため、持ってきていない。
カフェオレを開けて、一口飲む。染み入るような熱と、ほろ苦さを伴った甘味が脳をまどろみに導いていく。
息を吐いて、星空を見上げる。雲一つない夜の空は、ばら撒いたかのように視界いっぱいに広がる星々で爛々と輝いている。
物言わぬ星の光が、痛いほどに眩く見える。この瞬間が、稔は好きでたまらない。どこか外界と隔絶されたような肌寒さと、目の前にひろがる暖かな光の生み出す感覚は、まるで自分を宙の旅へと誘っているかのようだった。
ただ呆けるように目を開け、降り注ぐ光を網膜に焼き付ける。両手で握るカフェオレのボトルから、微かに残った熱が手に伝わってきた。
このまま、何も考えず。頭の中を空白にしているうちに、稔の意識はいつの間にか深層へと潜っていった。
―――ねぇ稔。将来、やってみたいことってある?
どうして?
聞いてみたくなっただけ。お母さん、今のあなたくらいの時は歌手になりたかったの。
……うーん……じゃあ、女優さん。
あら、どうして女優さんがいいの?
色んな役をやるの、楽しそうだから。
そうね、きっと楽しいわ。でも稔、歌うのも好きでしょう。
好き。でも、歌手は演技が仕事じゃないから、いい。
ふふ、人前に出るのは怖くないのね。じゃあ、どっちもできるような、例えば―――
「っ……」
閑静な山に似合わないアラームの音と、ポケットの中の振動で我に返る。ほとんど眠ってしまっていたらしい。
何か夢を見ていたような気がする。否、妙な懐かしさを覚えるそれは、過去の記憶だったかもしれない。
立ち上がって椅子を畳み、荷物をまとめてからもう一度空を見上げる。
星が輝いて見えるのは、燃えているからだ。例え距離が変わってもその大きさが変わることはなく、いつかは燃え尽きて消える光。人とは生きる時間の尺度が違えど、決まった終着点に向けて生きている事実は、ニアイコールと言ってもいいのかも知れない。
星の大きさは変わらない。余程のことがない限り、一度一等星として記録されれば一等星、六等星として観測、発表されればずっと六等星だ。
しかし、短い時を、同じ地球で生きる人間は違う。人が人を見る目は如何様にも変わる。自分では気付くことのない事実でも、他者から見ればわかることもある。
―――私なら、一等星にもなれるだろうか。
垣間見た記憶のせいか、はたまた星の光にあてられたせいか。稔の中にあった懐疑心は、少しずつ好奇心へと姿を変えていた。
あるいは、最初から見えていた好奇心に、向き合う準備ができたのかもしれない。
「……人気者を目指すのも、案外面白いかもしれないわね」
少しだけ、大きい声で呟いて、稔は山を降り始めた。
☆
翌日、朝食を取った稔は、珍しく母の育恵に聞いた。
「お母さん、出かけようと思うんだけど、どっちが見栄えいいかしら」
「……どうしたの急に」
今まで、買う服こそ選んでいたものの、着る服を選ぶことはそうなかった稔からの思わぬ質問に、育恵は目を見開いて驚く。
「気を付けた方がいいかなと思って」
「あ、アイドルやるって話、やる気になったってこと?」
育恵が聞き返すと、稔は少し歯切れ悪そうに声を出す。
「まあ、そうね。けど、私来年は受験でしょ? だから、今のうちに行く大学決めようと思ったの。十八になる年にアイドルを始めて、弊害が出たら嫌だもの」
「真面目ね。あなたなら大概の大学は大丈夫よ……下は今履いてるやつでしょ? ならこっちの方がいいんじゃないかしら」
向かって右手の服を指さすと、稔は頷いて部屋に戻っていった。
その後ろ姿を眺めながら、育恵は小さく呟く。
「初めてやりたいと思ったんだもの、楽しみなさいね。きっとあなたは、人気者になれるから」
☆
それからは、予想以上に早く事が進んだ。
元より成績優秀な稔からの進路相談は、担任も真剣に受け止め、今の成績より少しランクの高い公立大学を勧められた。流石にアイドルをやると言った時には驚かれたものの、後押しの言葉もかけてもらえた。
参考書を買い受験勉強を始め、雑誌やSNSを見てファッションの勉強もする。体力も要求されるため起床後と就寝前にはストレッチを習慣付け、ジョギングとダンスの基礎練習も始めた。趣味の映画鑑賞も、自室で行う際は何かしらのトレーニングと並行する。
急に忙しくなったものの、数日続けて気が付く。稔にとって、それらの努力はほとんど苦でなかった。むしろ、目標に向かって努力することを楽しく感じている自分がいる。
アイドルというからには、何十万を超えるライバルがいるんだろう。自分の才能と努力は、他のアイドルをどれだけ超えていけるのか。今では楽しみで仕方がない。
トレーニング生活を始めて一週間、勉強と共にしっかりと習慣づいてきたことを確認した稔は、左枝に連絡を取った。
前途は洋洋。きっとこれから始まる新たな生活は、今以上の充足感を与えてくれることだろう。
いつの日か、演技の仕事ができる日も来るだろうか。
「明星です。進路等の整理がつきましたので、お話受けさせてもらいます」
―――いつか消えてしまうのなら、一時だけでも輝きたい。
他の何よりも大きく、強い光を放ち、誰の目にも入るように。
そして、強く輝こうとするその時の私は。
身も心も、きっと激しく燃え盛っているのだろう―――
「ジュエリーガーデンプロモーション、ゼロ期生。明星稔、十七歳です。よろしくお願いします」
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