第十三話 Brand New Duo
決勝戦の数分前。一度会場を出た左枝と宝多は、廊下の自販機横でコーヒーを開けていた。
緊張と興奮で加速していく鼓動は、もうずっと落ち着きを見せない。そんな様子をできる限り隠そうと努めながらも、左枝は尋ねる。
「社長は……この展開を見越して?」
「ははは、そんなまさか。彼女たちのポテンシャルには賭けていたし、誰かが決勝へ行くと思ってはいたが、
台詞に対し崩れない物腰に畏敬の念を抱きつつ、コーヒーを喉に流す。数分先が気にかかって、味など微塵も分からなかった。
僅かな沈黙にも耐えられず、少し早口で言葉を投げる。
「どっちが、勝ちますかね」
「そこは問題でないよ左枝くん。彼女たちは本当によくやってくれた、我々が今見据えるべきはこの先だ。これだけ奮闘してもらって、その後の仕事が用意できなければ大人の名折れだろう」
はじめの言葉で驚き、続く言葉で腑に落ちる。
事務所全体として見ても大きな躍進、名前を売るという意味ではこれ以上ない大金星を挙げた。
となれば、向けられる目の数は桁違いに増えることだろう。仕事の幅も大きく広がり、今後はより個々の希望に沿った仕事を取れるかもしれない。
勝とうが負けようが、全力を出し切り結果を出してくれたことは事実だ。それに報いる準備は、早いに越したことはない。勝って兜の緒を締めよ、ということだ。
その姿勢に心から感心した左枝は背筋を伸ばし、目と目をしっかり合わせて返す。
「はいっ、私も精進します」
「そう固くならなくていい、あくまでそういう気持ちが大事という私の姿勢だ。実際私もこの結果を見て、引き抜くのが君たちで良かったと思っているところだよ」
飲み切ったコーヒーの缶を捨て、宝多は引き締まった表情で振り返る。
「しかし、決勝まで来た以上、勝ち負けのアフターケアは緩めないでほしい。これだけの努力をしてきたんだ、負けた方のダメージは相当なものだろう」
「承知しました、肝に銘じます」
互いに頷いてから、関係者席へと戻っていく。プロデュースした責任を、しっかりと果たさねばならない。
どちらが勝っても、どちらも誇りだと、そう伝えよう。
☆
意識のあるまま、時間を止められたようだった。
呼吸しているはずなのに、酸素が巡る実感がない。常にどこか息苦しく、視線を動かすこともできない。目には渇きも感じ、瞬きすら忘れているのかと思ってしまう。
だが、目の前で繰り広げられている事実が、そう思わせるだけの緊張感を放っていた。
Brand New Duo決勝戦、審査員五名と特別審査員である
公平を期すために、投票者にはどちらが勝っているのかわからない。番組運営のみがその具体的な数を見られるようになっている。
先手を取り、美しく柔らかな、時に扇情的とも言える曲とパフォーマンスで観客を魅了したLuminous Eyesか。
後手ながらも二人それぞれの個性を活かし、才覚と努力を存分に見せつけ会場全てを巻き込んだファンタジスタ!か。
どちらが勝ってもおかしくはない。だからこそ、一寸先がまるでわからない。
逸る鼓動、震える体。今か今かと、誰もがその時を待ちわびている。
「それでは発表します! 新人アイドル、デュオユニットオーディションBrand New Duo! 優勝は……」
めぐる照明、鳴り響く音。
そして、光は射し込んだ。
「Luminous Eyes!!」
―――世界から、音が消えていた。照明が視界を遮っているのか、眩い光でほとんど何も見えなかった。何を言われたのか理解するのに時間をかけ、飲み込むことも難しかった。
しかし、それでも。隣で同じように呆ける
ああ、私たち、勝ったんだ。
「え、あ……」
うまく言葉が出なかった。何か言うべきだとは思えど、喉が枯れたような小さな音がかき消される。
自分の声が消されてやっと、歓声に囲まれていることに気が付いた。割れんばかりの声と拍手に称えられている。アイドルをやって、否、人生においてここまでの拍手喝采を受けたことはない。
勝てた。その実感が、じわりじわりと染み込むように、ようやく心に到達してきた。
月乃の背に手をやり、今が嘘でないことを確かめる。互いに状況を理解できていないようで、しかしそれがおかしくなって少し笑った。
そこまで思考を巡らせたところで、ひとみは思い出す。ましろに勝つ、という目標を達成することができた。
それこそ優勝以上に実感できないことだったが、今突きつけられているこれが真実だ。同じ舞台、互いの健闘を称えるくらいはしてもいいだろう。
そう思って振り返ったひとみと、その動きを視線で追った月乃、そして真っ先に”それ”に気付いていた
その他の面々はおろか、十年来の親友であるひとみでさえ、ましろが泣くところなど数える程度にしか見たことがなかった。それ故に、誰一人として、その涙を予見できたものはいない。
当人も気が付いていなかったのか、はっとしてから恐る恐る頬に触れ、自分が泣いていることに気付く。
それから我に返ったように、慌てて指で涙を拭った。
「あ……ごめ、ん、ひとみたち、勝った、から……おめでとう、って、言わないと、駄目、なの、に」
限界が近い。もう少し言葉を紡げば、また簡単に決壊する。それを悟った恭香は、メイクが崩れないよう涙を拭っている様を見てまだ大丈夫、と肩を抱き小さく呟く。
「ましろ、楽屋まで我慢」
小さく頷いたのを確認してから、いつものように飄々とした笑顔を作り、前へ向き直る。
「いやー負けちゃった。やるじゃん二人とも」
反応は薄い。二人して、勝った喜びよりも負かしてしまった衝撃が強いと言わんばかりの顔をしていた。
その気持ちには内心で理解を示しつつ、恭香は笑顔を崩さず言う。
「ほらほら、みんなに笑顔見せてあげな。じゃないとこっちも心配しちゃうよ」
ひとみをしても、そうは言っても、と返したかった。しかし、この場において正しいのが今の恭香の言葉であることは間違いない。
月乃の手を強く握り、頷く。自分たちは勝った。であれば、応援してくれた人たちに大手を振るって感謝すべきだろう。
今もまだ、自分たちはアイドルだ。
そう思い直し、ひとみと月乃は笑顔で観客席とカメラに向けて手を振った。
「はい! 名残惜しいですが、お時間ここまでとなりました。それでは新人アイドル、デュオユニットオーディション、Brand New Duoここまでとなります! 応援ありがとうございましたー!」
司会の声が聞こえ、カメラが会場全体を映すように引いていく。テレビ側の映像は終わった、そう判断した瞬間、恭香はましろを連れて舞台袖へと駆け出していった。
関係者席でそれを見た
「駄目よ!」
叱りつけるような鋭い声で、
立ち止まりながらも、何か言い返さねばと二人は口を開く。
「だって……」
「行っては駄目。二人は決勝で負けた。最も優勝に近い場所で負けたのよ。 ……私たちとは、重みが違うの」
苦虫を嚙み潰したような顔で言う稔に、何も言えなくなった。自分自身が準決勝で敗退しているからこそ言える言葉、それ以前に負けた自分たちでは、何も言えない。そう思わせるだけの説得力があった。
その頭に手を置きながら、千里が続ける。
「大丈夫、そのために二人いるんだもの。今は、勝った二人をお祝いしなくちゃ」
ね、と優しく笑う姿を見て、場が鎮まる。確かにその通りだ。勝ったというのに負けた方ばかり気にされては、月乃もひとみもいい気分にはなれないだろう。
Principalが準決勝総評の時間を入れたお陰か、収録時間が差し迫った番組は終わった。まずはスポットライトに照らされる二人に、賞賛の言葉をかけにいこう。
六人はステージへと歩んでいく。その姿が関係者席から見えなくなる頃に、席を降りてきた人物たちが残った宝多に声をかけてきた。
「お疲れ様です、
「やあ、みんな。久しぶりだね」
「もうプロデューサーじゃないけどね」
「上手くいってるみたいで安心しました」
「元気そうで何よりです」
「そう簡単にコケてくれるような奴じゃねぇしな」
声をかけてきたPrincipalの五人は、慣れた様子の言葉を口々に投げかける。宝多は笑顔で対応しつつも、すぐには視線を向けなかった。
「しかし、
「わかってますよ、宝多さん。やっぱり、キラキラしてる子たちを選んでくれましたね」
「クリスくんにそう言ってもらえると嬉しいな。自慢の子たちだよ」
話し合う間だけ、ほんの僅か、
「さて、アタシ先戻るぞ。そろそろ前髪が鬱陶しい」
「私も一足先に失礼しようかな。余韻に浸っているところ、ここにいると悪いだろうしね」
そう言って
「……あの子ら、ここからが問題よ」
「うん。でも、上手くやれると思うよ。あれだけ努力できてるんだもん」
☆
息を切らしながら、楽屋の扉を開ける。待機中のスタッフに頭を下げ、少し出払ってもらった。
滲む視界と震える指先に歯がゆさを覚えながら、鞄を乱雑に漁りメイク落としを取り出す。先にましろ、後に自分。しっかりとメイクが落ちたのを確認すると、あらん限りの力で抱きしめた。
「……ごめんねっ、ましろ……! 負けちゃった……! 勝ちたかったね……! ごめんね……!」
ましろの頭に、少しの空白が流れ込む。
ステージからここまで歩いてくる間に、恭香に迷惑をかけまいとしてか涙は少し引っ込んでいた。しかし、今こうして痛いほどに抱き締められ、耳元で聞いたこともない恭香の泣き声を聞いたことで、その気持ちが沸々と熱を取り戻し始めた。
恭香が泣くとは、そんなことがあるとは思っていなかった。だが、今こうして自分の横で泣いている。では、自分がさっき泣いたのも、間違いでは、なかった―――
「―――ふ、く、ぅあああ!」
考え終えるより先に、鼻先の痛みが許容量を超えた。これまで出したことのない声が出ているのが信じられず、受け入れられない事実を示すそれにまた涙が出た。
痛みは、鼻先から目頭へ。心から体の外へ。涙と声を止める術も、止めなくていいという真実も、今のましろは知らなかった。
衣装にしわがつくことも気にせず、ただ声を上げる。結果発表の瞬間まではもう一曲だってやれる程に残っていた体力を、全て出し切るように。自分の中の全てを絞りだすように。
恭香を慰めたい、次のことを考えなければいけない。そんな思考が自分の声にかき消され、涙となって瞼から落ちていく。
生まれて初めて、悔しかった。誰かに負けることがこれほどまでに悔しいなんて、知らなかった。何よりも、そこまで勝ちたかった自分の気持ちに、最後まで気が付けなかった。
負けて当然だ。自分のせいで負けてしまった。
まとまらない頭が、ままならない体が、また痛みと涙を加速させていく。
慟哭の声は、しばらく止むことはなかった―――
☆
三日後、十二月三十一日。様々な感情の交錯したBrand New Duoが終わり、事務所内の雰囲気が少し変わった。
その日も、大晦日だというのに十人全員がレッスンをしたいと事務所に押しかけ、いつものレッスンスタジオも使えない都合上、事務所の一室に押し込まれる形で全員がレッスンに励んでいた。
誰もが真剣な表情で自分を追い込んでいく様を見つめて、後藤は呆れたような、喜んだような笑みを浮かべる。
大きな敗北を経験しても、その末に勝利した二人がすぐそばにいても。誰一人として、折れてしまうことは無かった。今までよりも真剣に、何が足りなかったのか、アプローチを変えるべきかと探り合い、追い求めていく姿は、間違いなく輝きを放っていた。
しかし、事務所側の人間としては大仕事の後、休みを取ってもらわなければ困るのも事実。まして今日は揃って年越しをするという予定もあり、時刻は十九時を回っている。片手を口に添えて、大声で呼びかける。
「そろそろ閉めたいから終わりにしなー」
「すみません、あと三十分でいいので!」
「私たちも、もうちょっと!」
「申し訳ないんですけどギリギリまで引き延ばしていただけると!」
「同じくー!」
「こっちも~」
予想通りの答えにうんうんと頷いてから、もう一度声を張り上げる。
「んじゃあ、まえのんが寮で用意してる鍋焼きうどんは大人たちで全部食っちまうか」
「今行きます!」
「よろしい」
打って変わって一斉に帰り支度を始める十人に、今度こそ満足を顔に出して頷く。
最低限の荷物しか持ってきていない十人は、三分もしないうちに雑談を交えながらぞろぞろと廊下へ歩き出し始めた。
そんな中、ひとみだけが視線を落とし浮かない顔をする。この三日間、オーディション優勝後の打ち合わせなどが響きましろと話せていなかった。通常の友人関係であれば気に留めないような時間でも、毎日のように顔を合わせていた幼馴染とあっては、決勝で付いた違和感を拭いとる機会を逃したような感覚だ。
その様子に気付いた月乃が声をかけようとしたところで、腕に何かが触れる。見れば、恭香が肘でつついてきていた。ウィンクと共に人差し指を立てられ、止められる。
「どしたのひとみ」
「え……」
ふいに、ましろがひとみの顔を覗き込んだ。今まさに話しかけづらいと思っていたところへの不意打ちで、咄嗟に言葉が出てこない。
「体調悪い? うどんなら消化いいから大丈夫だよ」
「……なにそれ」
思わず、小さく吹き出す。相変わらず何を考えているかはわからないものの、励まそうとする意思は伝わり、暗雲を溶かしていった。
穏やかな笑顔と共に、ひとみの口角も上がる。
「って言うか、大晦日なのに蕎麦じゃないんだ」
「蕎麦もあとで食べるって弦音が言ってたよ」
「そんなに入る? 食べ過ぎないでね」
いつもの調子で話す二人に、今度は月乃が怪訝な顔つきになる。すると、それを見越していたように恭香が肩を叩いた。
「仲直りじゃないけどさ、ほぐす時間もあげないと。お姉さんでしょ?」
「……言われなくたって、わかってたわ」
ならよし、と微笑む恭香の手玉に取られたようで、言いようのない気持ちを抱えながら髪をいじる。
拗ねたような態度を取りながらも、少し小さい声で言い返した。
「あなたこそ、少しは他人に頼りなさい。ずっと平気に見えるのも心配だわ」
「ん、ありがと。もちろん頼るよ、その時はよろしく!」
自分にしても珍しい言葉だと思ったが、結局変わらない調子で流されてしまう。こちらもいつも通りだ、とあえてそれ以上の追及はしなかった。
事務所を出て、寮に入る。リビングでは、前野が寮母と作った鍋をテーブルに鍋と取り皿を並べながら待っていた。
「おつかれー、大晦日くらいゆっくりしてていいのに」
「そういう訳にも行きませんから」
「まーま、仕事の話はここまで。座れ若いの、一本開けようぜ」
荷物を置き、特に激しく動いた何人かはシャワーを浴びてくる。数十分経って全員で席に着き、いざ食事を始めようとしたところで後藤が待ったをかけた。
「んまーアタシらは済ましたけど一応忘年会だからな。代表してひとみんから一言」
「仕事の話しないって言ったばっかじゃん」
弦音の突っ込みをそーゆーこともあんの、とあしらって、後藤はひとみに何か言うよう促す。少し困った様子のひとみだったが、やがて立ち上がると全員の顔を見ながら口を開いた。
「えー、今年一年、お疲れ様でした。大きな仕事があって、みんなそれぞれの形で同じことに取り組んで、結果も様々となりました。ここで手にした成果を元に、来年も頑張っていきましょう。それでは、乾杯!」
「かんぱーい!」
グラスを掲げ、食事を始める。レッスン中の真剣な空気から一転し、和気あいあいとした雰囲気がリビングを包み込んだ。
「ひとみたちは年明けたらすぐライブだもんね」
「うん、緊張はするけど、ファンの人たちに恩返しする気でやるつもり」
結局、後藤の言とは裏腹に仕事の話をする者もいれば。
「そういえば、稔ちゃんお受験は大丈夫~? もうすぐでしょ~?」
「私は模試A判定なので大丈夫です。ランは?」
「え……まあなんとか本命Aには到達できました。かなりギリギリですけど……」
「凄いわ、そんなに頑張ってくれてるなんて嬉しい」
「一応言っておきますけど稔ちゃんとこは目も当てられない結果でしたからね!」
仕事以外の話に花を咲かせる者もおり。
「ん-おいし」
「年越しそばってコロッケ入れたら駄目かな……」
食べることに夢中になる者も。
そんな様子を見ながら、前野と後藤は穏やかな顔で示し合わせ、ここにいない者たちにひっそりとメールを送った。
”現状良好、メンタルケア軽度のまま続行します。”
賑やかな声は絶えないまま、年は明けていく。
☆
忙しくなったのは、新年になってからだった。
Luminous Eyesは出場権を獲得した新春うたフェスのレッスンに、というのは当人たちもそれ以外も重々理解していた。
となると、Brand New Duoを切っ掛けにしてJGPに目を付けた企業が仕事を振るのは―――他の八人。
「ほらっ! 二人は決勝行ったから特に声かけてもらえてるよ!」
「うおー凄! ましろはどれやってみたい?」
「おー」
こと、楽園の大型新人を振り切って決勝まで進んだファンタジスタ!には多くの声がかかった。
前野がまとめたオファーの一覧を眺めながら、ましろと恭香は楽しそうに話し合う。
撮影、トーク、公演。様々な依頼から自分で選ぶという初めての経験は、努力の結実を目にしているようで感慨深いものがあった。
「あ前野さん止めて……これ、ポップ系のフェス?」
「これ? そうそう、地方で毎年やってるイベントだって。規模はあんまり大きくないけど、恭香がこういうの好きかと思って声かけてくれたのかな?」
相槌を打ちながらも見るからに興味津々の恭香。爛々と目を輝かせながらも、どこかでブレーキをかけているのだろうその様を見て、ましろと前野が同時に頷く。
「じゃ、これ出ます」
「え、いいの?」
「おっけ! 大舞台で披露したパフォーマンスの生、結構集客も望めると思うよ~?」
笑顔で話を進める二人。それを見て、恭香はこみ上げる気持ちのままにましろへ抱き着いた。
「ありがとー! 大成功させようね!」
「うん、がんばろ!」
今後、どういった方針の仕事を受けていくべきか。打ち合わせのため会議室へ向かいながら思案を巡らせていた稔の元へ、前方から蘭子が急いだ様子でやってきた。
半ば小走りになっていたこともあり、やや大げさな身振りでブレーキをかけながら挨拶をする。
「どぅおっ、とと稔ちゃん!」
「ラン。どうしたの?」
「あはい、お恥ずかしながら五分ほど早く始めさせて頂いておりまして、それでですね、ちょっとラン的にどうしてもやりたいお仕事を見つけましたので、そろそろ事務所にはいらっしゃるだろうなと思いちょっと早いけど会議室までと!」
早口で、かつ遠回しな言葉でまくし立てられたが、要は打ち合わせを早めてまでやりたい仕事が見つかったらしい。
ビジネスマナーを意識して五分前ちょうどに到着するよう、計算しながら歩いていた稔としては、更に早く着くどころか事前に資料へ目を通していたことに舌を巻いた。
蘭子の情熱にきちんとついて行かなければ、と気を引き締めつつ、話の続きを促す。
「そう、どんな仕事?」
「はい! お菓子メーカーさんからのご依頼なんですけど、バレンタインからホワイトデーまで毎週スイーツを手作りする番組を公式チャンネルで配信したいとのことで、なんとランたちに白羽の矢が」
興奮気味に語る蘭子の顔を愛おしい眼差しで見つめつつも、稔は内心で閉口する。
話そのものは魅力的だ、即答で受けよう。方向性という意味でも間違いはない。しかし、その仕事は紛れもなく
ユニットとしての売り出し方を蘭子に寄せているとはいえ、自分に何か足りないものがあるのではないか、と勘繰ってしまう。
「お菓子作りならランがお教えできますし、ぜひお受けしちゃいたいんですが……稔ちゃん的にどうでしょうか?」
ひとしきり語って熱を出し切ったのか、徐々にテンションを平常へと戻して尋ねてくる。やや上から覗き込まれるという少し奇妙なこの構図にも、もう慣れた。
この情熱に、魅力に、実力に。少しも遅れてはいけない。隣に立つと決めた以上、降りることも降りられることも許さない。
燃え盛り始めた気持ちを悟られないよう、稔はいつも通りの笑顔で答えた。
「断る理由が無いわね、受けましょ。早速、今週の土曜にでもお菓子作りの基礎から……」
「あ、土曜日はちょっとラン用事が……」
「なんの?」
それはそれとして聞き捨てならない言葉にずい、と顔を近づける。
「えー、あー……いやちょっと、映画、に、ですね……」
「私抜きで映画? よっぽど仲のいい相手がいるのね」
「そ! ん! なことはないんですけども!! あのその……ジャンルが、ですね? なんと言いますかヒーローものでロボットものって感じで……ちょーっと稔ちゃんをお誘いするにはなーって言うのがぁ」
「事前に何か見る必要ある?」
「ですよねはい! 最低限二クールほど見て頂けないと困るかなと!」
半ば開き直ったように返事する蘭子に笑って返す。遅くならないうちにと会議室へ向けて歩き出しながら、小さく呟いた。
「ねえラン」
「はい?」
「迷惑だった?」
「……何を今更。いつも通りでいいんですよ。その強引さが稔ちゃんのいいところじゃないですか」
「……ふふっ、あなた好きよ」
「また履修済み項目が増えてる……」
「うーーん……」
渡されたリストからやりたい仕事を選ぶ、というのは弦音と深冬にとって初めての経験であり、それゆえ簡単に決めることはできなかった。大仕事を終えたひとつの仕切り直し、ここで判断を誤れば今後の活動に響く部分もあるだろう。
休憩室のソファを転がりながらああでもないこうでもないと唸ってたところへ、長らく黙りこくっていた深冬が声を上げた。
「あ」
「どした!」
声音からポジティブな反応と見た弦音は、あえて大きな声と身振りで体を寄せていく。当初こそこういった行動に驚いていた深冬も、約半年を経てほぼ自然に受け入れるようになっていた。
指さす先にあったのは、短い間だが水族館のアナウンスを行う仕事の依頼。
「水族館~?」
「……ここ、クーちゃんと、会ったところ、なんです」
言われて備考欄を見てみると、自社製品を頼りに活動する深冬の姿を見て、クーちゃんの公的使用を容認すると共に正式な仕事を依頼したい、という旨が記されていた。
記されていた、というよりは明らかに見やすいよう太文字で強調されている。わざわざリスト形式にして渡した後藤の仕業だろう。
「いいじゃ、あ~……でも喋る仕事か」
「いえ、できます。人前に出ないで、台本を読むだけ、ですから」
「お、んじゃもうこれやるしかないじゃんね! 決定けって~い!」
テンション高く頬ずりしてくる弦音の肩を叩きつつ、深冬はリストの続きにも目を通す。
「でも、これは一ヶ月しか、流れないし、新規層の獲得では、ないので……あと数件、受けましょう、ね。『みんなより沢山のお仕事受けて、地盤を固めておかないとね!』」
先を見据えた深冬とクーちゃんの意見に、弦音も表情を引き締めて同意する。
「おし、何やろっか!」
「次は、弦音さん、選んでください」
「んえーどれがいっかなー……」
静まり返った寮のリビングで、千里は十分ぶりに顔を上げる。
集中したい、と言ってヘッドホンを着けてから、彩乃がしばらく話しだす様子も無かったからだ。
「彩乃ちゃん、どう~?」
「あ……中々、決まらないですね」
少し申し訳なさそうな様子からは、見栄を張ったようで情けない、とでも言いたげなのがわかる。
困らなくていい、と表情を柔らかく意識して、身を寄せながら尋ねた。
「何聴いてるの~?」
「えっ」
聞かれると思わなかったのか、彩乃は顔をにわかに赤らめながらスマホの画面を見せてくる。
そこには、千里にも覚えのある曲名が映っていた。
「G線上のアリア? どうして~?」
「……あの、合宿の時に千里さんの演奏聴いて、ちょっと、興味湧いて、あんまりわかんないけど有名なのくらいはって……」
恥ずかしそうにぼそぼそと話す姿を見て、少し眉を寄せる。
「私たちアイドルなんだから、あんまり無理に私に合わせなくてもいいのに」
「無っ、無理なんかじゃなくて! あたし、音楽ちゃんとわかる訳じゃないですし!」
必死で弁解する彩乃の顔を見て、数ヶ月前まではヘッドホンなど着けていなかったことに思い当たる。彼女も、彼女なりに新しいことに向き合おうとしているのだ。
であれば、自分もそれに倣うべきだろう。せっかくアイドルの道を歩んでいるのだ、今までの自分らしさを多少無視しても構わない。
「それじゃあ、私も何かスポーツ始めようかしら~」
「えっ……例えば?」
「う~~~ん、何かおすすめある~?」
先程までの恥じらいが混じった顔から一転、本気で困った様子で眉間に指を当てて悩む彩乃。しばらくして、絞りだすようにゆっくりと答えた。
「……バレエ、とか」
「バレーボール~? 私に球技できるかしら~」
「あ、いえ、そっちじゃなくて」
天然そのものの返答で少し和んだ雰囲気の中、二人は徐々に話を仕事へと戻していく。
「けど、そうね~。普段やってないことに挑戦するならきっと今なのよね~……あら?」
再びリストに目を通した千里が何かを見つけ、画面を見せる。
「ねえ彩乃ちゃん、これはどう~? ラジオのゲストですって~!」
見てみれば、それ自体は彩乃も確認済みの依頼だった。ではなぜ彼女がこれを選ばなかったかと言うと、自分は喋る仕事に向いていないだろうと思ったからだ。
弦音ほど気楽に仕事と向き合えず、ひとみほど冷静沈着でもなく、ましろほど自然にアイドルではいられない。そんな自分に、考えて話す仕事は役者不足だろう。
そう思って言い淀んでいると、何かを察したのか千里は身を寄せ、ゆっくりと彩乃の頭を撫でた。
「緊張しちゃうから、難しい?」
「う、はい」
簡単に見抜かれたことも併せて、情けないなと自戒する。しかし、千里は思っていたものとはまた違う言葉をゆっくりと紡いだ。
「無理は言わないけどね、挑戦してみない? きっと彩乃ちゃんのファンも喜ぶし、私たちも何か新しいことをした方がいいんだと思うの」
諭す口調の中に、強い感情を垣間見る。そうだ、今自分たちは、苦い思いをしてここにいるのだ。
この悔しさを塗り替えるために、まずは自分が変わらなければならない。
「……やりましょう」
「そう~? 嬉しいわ~! きっと二人でやれば楽しいものね~!」
一転して気の抜けた笑顔で手を合わせる千里を見て、彩乃は素直に感心した。この公私の使い分けも、ただ歳を重ねたからできるものではないだろう。
少しずつでも、近づいていけるように。まずは手の届く範囲を広げていこう。
「頑張りましょうね、千里さん」
「もちろんよ~! これからもよろしくね~!」
☆
一月中旬。都内の高層ホテルにある大型ホールでは、生放送番組『新春うたフェス』が今にも始まろうとしていた。
Luminous Eyesは序盤の特別参加枠であり早々に出番を終える予定だが、出番が終わってもホール内で観覧しているところがワイプで抜かれるため気が気ではない。
それに加え、今回ここに来ているのは二人だけ。出演者ではない左枝と後藤、宝多を含めても五人であり接触のタイミングも限られている。有名なアーティストばかりの中、大舞台の経験が最も少ないというのも不安を加速させる要素だった。
「本番でミスしないといいけど」
楽園エンタテインメント本社の一角で、礼はテレビを睨みながら呟いた。その鋭い目つきからは、皮肉なのか心配なのかの判断がつきづらい。
何より、朱鳥にとっては礼がここまで他人に言及するというのが珍しく、思わずつついてみたくなった。
「心配してんの? 呪ってんの?」
「物騒なこと言わないで、純粋な心配よ。天宮月乃は取り繕うのが上手いだけで内面は年相応、一人だったらこの緊張には耐えられていないでしょうね」
実際問題、この日の月乃は本番が始まるまでに繰り返しフリーズし、ひとみに三度も指圧されたことで背中を若干痛めていた。
そんなことは知る由もないとは言え、まさかあの礼が他人を心配するとは、と面白くなってきた朱鳥は人差し指を立て更につつき回す。
「へー、心配してあげてんだ。礼が、人のこと、ねぇ?」
「……当たり前でしょ。初めてできたライバルよ、ここで醜態を晒すようなら頬を張りに行ってもいい」
結局のところ物騒な発言をしていることは無視して、更に上機嫌になった朱鳥は嬉しそうな笑顔で礼の頬を物理的につつき始めた。
「ライバル! へーライバルかぁ~、あたしの時もそんなこと言ってくれなかったのにライバルなんてねぇ~」
「競い合うのにちょうどいい相手、って意味なら彼女が初めてよ」
鬱陶しそうに手で払いのける動作をしながらも、番組開始の直前に礼は小さく呟いた。
「それに、あなたは相棒でしょ」
聞こえなくてもいい、そう思っていたものの、朱鳥はしっかりと聞き取っていたようで思い切り体重をかけてきた。
「わかってんじゃん!」
「ちょっ、重い! もう始まってるでしょ!」
楽園の女子寮、その一室。そこでは、ふわふわのパジャマに身を包んだ涼穂と歌音がテレビを見守っていた。
涼穂の部屋には座椅子が一つしかないため、座椅子に座った涼穂に歌音が背中を預ける形を取っている。
「始まった!」
いつもより元気ながら、どこか真剣さを含んだ声を上げる歌音の後頭部に、涼穂は視線を落とす。
準決勝での敗北が響いたのか、歌音があれ以来ダンスレッスンと基礎トレーニングの数をかなり増やしているのは涼穂も知るところだった。筋肉痛で動くのも辛そうにしている様も何度か目撃している。
苦い経験が響いて、悔しさを払拭するためにレッスンに励む。悪いことではないが、物事には限度というものがある。焦るあまりに自分を見失ってしまえば、大きな事故にも繋がりかねない。
しかし、どう言葉をかければいいのかも悩むところだ。ある程度諫める必要があるとは言え、甘やかすようではPrincipalからのアドバイスを無碍にしているのと同じだ。歌音も、甘やかされたと判断すればいう事を聞いてはくれないだろう。
しかし、単独でのトレーニングもされている現状、何か言える大きなチャンスは今だ。
「歌音」
深く考えながら、ゆっくりと喉を震わせる。あるいは、本番のステージよりも緊張しているかもしれない。
だって、この子にだけは、嫌われたくなんてないから。
「真剣になるのはいいけど、体壊さないようにね」
「……うん、わかってるよ。でも」
「ファンが見たいのは、元気な歌音でしょ。無理して怪我でもしたら、みんな笑顔じゃなくなるかもしれない」
沈黙。テレビから流れる音も、ほとんど脳で処理できていない。
反発されても仕方がない、と思った。幾ら歌音が優しいとはいえ、自分の感情を抑制するようなことを言われて黙ってはいられないだろう。
「わたしね」
それは、初めて聞くような落ち着いた声音だった。
「スズちゃんの足を引っ張っちゃダメだって思って頑張ってた。でも、一回ほんとに体が痛い日があってね。個別レッスン取り消してもらって、トレーナーさんにもやりすぎって怒られちゃったの」
既にそこまで自分を追いつめていたとは初耳だった。恐らく、関係者も含めて心配させまいと伝えずにいたのだろう。
「わたし、やっぱりスズちゃんがいないとダメなんだと思う。わたしに何ができるか、ちゃんとはわからないし上手く言えないけど……やっぱり二人一緒がいい」
それまで振り向かずにいた歌音が、涼穂の胸に頭を置いて顔を上げる。
「今までよりは厳しく、でも無理にならないよう、一緒にレッスンしてくれる?」
笑顔が得意、と豪語する彼女とは思えないような、不器用な笑顔。その額に、涼穂は額をくっつけた。
「もちろん。私も、歌音がいないと駄目になっちゃうから」
「どーもー! 大丈夫そうー?」
舞台袖で待機していたLuminous Eyesに声をかけてきたのは、Principalの四人だった。うち海月だけは、司会・進行を任されているためここにはいない。
慣れた様子で声をかけてきたクリスに、飛び跳ねるほど驚きながらも二人は会釈を返す。
「あはは、緊張してるね。でも大丈夫、二人ともちゃんとキラキラしてるよ」
「だから人間に分かる言葉で喋りなさいよ、この輝きお化け」
どう返したものかと悩む前に、美桜が代わって前に出る。
「顔色は悪くないな、私から言うことは特に無さそうだ。思い切りやるといい」
「誰も新人に過度な期待なんかしてねーよ。お前らの仕事はミスせず、及第点出して無事に終わるだけだ。簡単だろ」
無茶ぶりのような、そうでもないようなことを言う香の発言に、ひとみはどうにか頷いて返した。
それでもまだ緊張が解けない様子の月乃を見て、玲良はわかりやすくため息をついて見せる。
「ま、二度とこんな大舞台立てないかもしれないんだもの。ちゃんと楽しまなきゃ損よ?」
正直、ここまでの台詞は月乃にとってしっかり咀嚼できたものではなかった。
しかしここに来て、あからさまな煽りを受けて。天宮月乃のプライドが、嫌というほど刺激される。
「……そんなことはありません。すぐ二度目が来ますから」
「へぇ、そう。だったら楽しむだけじゃ駄目ね。
ともすれば生意気と取られかねない強気な言葉を、玲良は上機嫌で受け止めた。そのやり取りを見ながら、ひとみは軽く笑う。
「ありがとうございます。おかげでかなり解れました」
「うんうん、さっきよりキラキラが増してる! それじゃ、頑張っておいで!」
四人が立ち去って少ししたところで、二人の出番が回ってくる。特別枠というだけあって、Brand New Duoの概要と様子が特別編集で流れるというおまけ付きだ。
リハーサル通りに、海月らの待つ司会席に行く。一気に開けた視界には、多数のカメラと見たことのあるアーティストたちが映った。
これで緊張するなと言う方が無理だろう、と頭で思えるだけ、先刻よりは落ち着けている。気の遠くなるようなたった十数歩を、二人は確かに踏みしめた。
その顔を見て、海月は口角を上げてカメラの方へ二人を紹介する。
「さあ、オーディションを勝ち抜いたLuminous Eyesのお二人です! どう、緊張してる?」
「結構……でも、少し解してもらえました」
ひとみの返しに、何があったかを察した海月は嬉しそうに頷いた。
「大きな舞台で歌うのは初めてということで、リラックスしていいからね」
親近感を抱かせる口調に、こちらも程よく解れた月乃が返す。
「はい。すぐにまた来ますから」
「お、これは頼もしい! かなり余裕があるということで、それじゃあスタンバイお願いします」
ステージ上に移動する。眼下で待つのはファンではなく格上のアーティストたち。何もかもが初めてのことに、心臓の鼓動も治まる様子を見せない。
しかし、不安はない。ここまで来た、勝ち取った場所。見守ってくれている人々のためにも、まだ自分たちを知らない誰かのためにも、自分自身のためにも。
二人は目を合わせて、力強く頷いた。
―――できることなら、全部やる。
夢がある。望みがある。ひとつを叶えただけでは終わらない、無限の明日と未来がある。
大地を蹴り、広い空へと臨み続けるその姿は、正しく光の如く。
次の舞台へ、次の世界へ。望み続け、臨み続ける彼女たちが、いつか多くに祝福される、その時までの物語。
「準備が整ったようです、それではLuminous Eyesのステージを、どうぞ!」
まだ、物語は始まったばかり。
今日も、希望へつながる幕が上がる。
―1st Season 完
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