第十二話 ウィー・キャン・メイク・イット・ドゥ
Brand New Duo準決勝、勝者はファンタジスタ!とLuminous Eyes。多くの想定を裏切る形の結果が明かされた直後、余韻に浸る暇は与えないと言わんばかりに
「それじゃあアタシら五人から、審査の詳細について一言言わせてもらう」
崩れかけていたものが、稲妻のような速度で再び会場を走り抜ける。十人はすぐさま姿勢を正し、審査員席へと視線を集めた。
しかし、敗北した六人がこれ以上の放送に耐えられる状況とは言いづらい。事実、反応も少し遅れ、こちらを見る目も限界を訴えているようだった。それをわかっていることもあり、阿吽の呼吸で
「個人的なお願いでやらせてもらってるから、手短にだけどね。まずは
「ダンスのクオリティ不足」
柔らかい言葉に収めようとしていただろう海月の言葉を遮り、
その言葉に
一月ほど前、二次予選の後。海月が去り際に残していったアドバイス。
『ちょっと、玲良ちゃんを見習った方がいいかもね』
そこに込められた意味を、涼穂はその場で理解できていた。咀嚼し、飲み込んだ……そのうえで、歌音に伝えることができないままでここにいた。
玲良を、自他共に認める完璧主義者を見習え。その言葉が意味するのは単純明快、クオリティを追及する意志が足りていないということだ。あえて玲良の名を出すことで、海月は少しだけ遠回しにクオリティ不足の解消を促したのだろう。
なぜそう言われるか、その心当たりも探す必要がない程に明瞭だった。なんでもそつなくこなす、と言われる涼穂と違い、歌音は歌が得意でもダンスに苦手意識があるのだ。しかしながら、ユニットとしてパフォーマンスの完成度を追及するため、涼穂が歌音に合わせる形で踊っており―――クオリティを自ら落としている、と言われても仕方のない状態であることは間違いない。
そして、当人がそれを克服しようと焦る様を間近で見ていた涼穂にとって、アドバイスを伝えるのは、既知の欠点を改めて指摘するような真似は、喉が張り裂けても出来たものではなかった。大切な相方の努力を否定するようで、彼女を壊す致命的な一言となってしまいそうで、二の足を踏んだままそこで停止し、今に至る。
だからこそ、クオリティ不足と言われてしまえば歌音は自分の責任だと感じ、涼穂はここに至るまでそれを解消させなかった、パートナーとしての責任を問われていることを胸の痛みと共に自覚せざるを得なかった。
そんな様子を見て、しかし玲良は言葉を緩めず続ける。
「ボーカルは目を見張るものがあったわ、それだけの審査なら決勝も見えてた。けどダンスが足を引っ張ってる。特に涼穂、あんた。無理して合わせてるのが一目見てわかる、それが信じらんないくらい見苦しい。相方を気遣うって言うなら、あんたがやるべきは歌音を踊れるようにすることよ、違う?」
耳が痛い、という言葉では済ませそうになかった。大きなオーディションに出ると言うのに、相方の苦手を解消させることができなかった。時間はいくらでもあったはず、否、そのために時間を割かなくてはいけなかった。
理解していたはずが、歌音を傷つけまいとする心が逃げてしまっていた。
「うん。二人ともちゃんとわかってるみたいだし、大丈夫かな。これをバネに、今後もっと頑張ってくれると私は嬉しい。二人ともポテンシャルは大きいし、優勝できる可能性が十分にあったことは忘れないでね。以上です」
幾分か柔らかな声色で締めてから、海月は玲良にケアも考えてね、と視線で訴える。
その様子を見届け、
「次に、ステラ・ドルチェの二人。パフォーマンスは非常に良かった。二人の息もぴったり合っていて、仲の良さを自慢したくなるのも頷ける。けど、言わせてもらうなら」
「カメラアピールが多すぎんだよお前ら。くどい、しつこい、安売りすんな。つか踊る時間減らすな」
またも。美桜の言葉を遮って香が言う。あまりにも迷いなく切り捨てられ、
しかも今度は玲良と違い、それだけを残して香が黙ってしまったため、美桜が取り繕うように話を戻す。
「……ええと、まあ、うん。そうだな。アイドルとしては間違いないと思うし、ファンとしてはアピールが多いと嬉しいだろうとも思うが、さすがに多いな。今回はパフォーマンスを中心に審査したこともあって、そこが引っかかるところだった。振りを削ったところがあるのもかなり響いてる、クオリティが高いだけに惜しいところだな。審査基準の違うオーディションなら、優勝も狙えると私は思うぞ。以上だ」
締めの瞬間、香も否定はしない、と言わんばかりに頷く。ひっそりと不満げな視線を投げかけていた稔と、香ばかりをずっと見ていた観客・視聴者がそれに気付いた。惜しい、というのは香からしてもそう遠くない表現なのだろう。
しかし同時に審査基準を見抜けなかった、自分たちの雰囲気を優先して必要とされている部分に手を出してしまったことを堂々と暴かれた。順当な審査であると納得できたが、何を言われるかという緊張で薄らいでいた悔しさが思い出したように沸々と沸き上がってくる。
前提で負けていた。クオリティでの勝負に持ち込めなかった。活かすための決断が裏目に出た。その事実は、悔やんでも悔やみきれるものではないだろう。
そして、少しの間を置いて香が再び声を上げる。
「んじゃ次、
「先に言っておいてやる、クオリティで言えばお前らが
数秒の沈黙。こればかりは二人も言い返すことはできなかった。会場の空気に少しずつ重圧がかかる中、香は一ヶ月待っていたその答えを呈する。
「顔」
張りつめていた空気が、一気に困惑の様相へ変わる。あまりに想像のつかない答えに、観客席からはささやき合うような声も聞こえた。
あえてその場で一息つき、香はその何たるかを語る。
「もっと言えば表情。前に聞いたな、ステージの上のお前らって何だ? アイドルだろ。あんな怖い顔して踊るアイドルがいるかよ」
何を言われているのか、理解に時間を要した。それほどに、礼にとって表情は眼中にない部分、
違う。
それほどまでに、礼にとってそれは
だからこそ、突きつけられた事実を受け入れることができない。何を言っているんだこの人は。私は真剣に戦うためにここにいる。どれだけ真摯に取り組んでいるかがわかる表情のはず。それなのに。
「勝ちたかったんだろ、負けるのが嫌でしょうがなかったんだろ。そりゃわかるよ。お前らがクール系で売ってるのもよく知ってる。でも今回、特に準決勝のは違った。アレはクールで余裕ある表情じゃなくて
そこまで言われて、ようやく。そこまで言われなければ、気付くこともできなかった。
視聴者票を獲得したIG-KNIGHTが、最もファンのことをないがしろにパフォーマンスをしていた。だから負けた。至極単純な話だ。
ステラ・ドルチェがファンへ意識を向けすぎたのと反対に、IG-KNIGHTはファンから意識を逸らしすぎたのだ。
もはや、観客席へ視線を向けられなかった。はっきりと意識の中に飲み込めた今、視聴者票で一位にしてくれたファンをずっと裏切っていたことが情けなくて仕方がなかった。
認めてもらいたかった、
顔を伏せ、浅い呼吸を繰り返す礼を見て、香は息をつく。何も彼女たちを晒しものにしたかった訳ではない。本当にただ気付いて欲しかっただけだった。
フォローを入れて締めるか、と思ったその時。あえて音が立つように右足で床を叩き、
「ファンの皆さん、すみませんでした!」
突然の行動に礼は酷く狼狽し、観客席からもどよめきが起きる。
その一方で、海月と玲良は口角を緩めた。
「へぇ」
「いいじゃない」
朱鳥は左手を強く握りしめる。爪が食い込みそうなほどに。本当なら瞼も閉じて開きたくなかった。
しかし、それでも。今発言できるのは自分だけだ。いつも歩幅を合わせてくれた礼が立ち止まったのなら、その時は自分が一歩先から手を引けばいい。だから今は、この目を閉じるな。
大きく息を吸い、思いの丈をぶつける。
「みんなのために勝ちたかった、勝つところを見せたかった、けど……必死になりすぎて、みんなの気持ちを考えられてませんでした! 本当にごめんなさい! でも! 勝ちたかったのは間違いなくファンのみんなのためです、だから……次は、これからは、このことを忘れないで、みんなのために頑張りたい! こんなあたしたちだけど……許して、くれますか」
身勝手だ。わかっている。衝動で動いたせいで語気は徐々に弱まり、最後の言葉は彼女にしても珍しく弱気が見えていた。
一秒ほどの沈黙。それが長く、永く。時の概念を忘れるほど長く、苦しかった。
鼻先に痛みが走る。それが何を示すのか理解し、思わず目を閉じようとした。
「いいよー!」
顔を上げる。観客席の女性が、立ち上がって叫んだのだ。今にも感情が振り切れそうな、限界に近い顔だった。
「好きだから! 応援してるのー!! これくらい! なんでもないよー!!」
それを皮切りに、口々の声援と拍手が会場を包んだ。
「大丈夫ー!」
「頑張ってー!!」
「それでも好きー!!」
礼は、恐る恐る朱鳥を見る。泣いていた。顔を赤くして涙を流しながら、それでも歯を見せて笑い、手を差し伸べる。ゆっくりとその手を取って、震える脚で立ち上がった。
ペンライトやサイリウムの光がある訳ではない。照明は自分たちに向いており、決してそこから観客席が見えやすい訳でもない。
それなのに、椅子を立って叫ぶファンたちの姿は、目が
声は出せなかった。これ以上情けないところは見せたくなかった。声を出さないよう、しゃくり上げないよう泣いた。そして、朱鳥と共に頭を下げた。
ひとしきりの声が止んだあと、香が再びマイクを握る。
「本分だけは忘れんなよ。以上」
座ったあとも、涙の止まらない礼の背を朱鳥がさする。
その様を見ながら、しかし毅然とした態度で玲良が立ち上がった。
「次、Luminous Eyes。少なくともあたしから総合的に見て、あんたたちが一番”完璧”に近かったわ」
思わぬ言葉に、ひとみは面喰った表情が出てしまう。
そんな自他共に厳しい人間から、思わぬ言葉をかけられた。その事実が、受け入れがたい程に信じられない。
「そうね、点数をつけるとすれば……三十点」
続く言葉で、一気にその評価が妥当なものであると思い知らされた。完璧に近い、ということが、すなわち高得点という意味ではないのだ。
しかし、落胆する必要はない。数値にすれば低くても、現時点で最も高い評価を得られたという事実は変わっていない。
「仕上がり自体はまあまあってところだけど……えーと、
淡々と並べ立て、他の誰かが意見する前に評価を締めてしまった。特に反応がないところを見るに、言いたいことは全て言った、ということなのだろう。
言われたことを噛み締めるように再確認し、ひとみは神妙な顔で頷く。この後の決勝で、今言われたことを少しでも活かせるようにしなければいけない。
横を見れば、月乃はまたも緊張で固くなっているようだ。後でもう一度、内容の確認を行った方がいいだろう。
会場から、僅かな時間音が消える。誰もが固唾を飲んで見守る中、クリスが立ち上がった。
「最後に、ファンタジスタ! すっ……ごいキラキラしてた!」
齢二十三にして、少女のような爛漫とした瞳で放たれた言葉は、あまりに抽象的だった。
たっぷり二秒ほど待ってから、玲良が肘で脇腹を突く。慣れた様子を見ると、芸風のようなものなのかもしれない。
嬉しそうな笑顔はそのままに、クリスは詳しく語りだす。
「うん、みんな輝いてたんだけどね。Legato a Dueとステラ・ドルチェはお互いを見る目がキラキラしてた。IG-KNIGHTはちょっとメラメラしすぎちゃったけど、努力自体は間違ってないよ」
超がつくほどの有名人である彼女の、その風変りな表現は誰もが知るところながら、それを理解するのは簡単ではない。ただ、冷静でいられる数人はその語り口から一つのことに気が付いた。着眼点が違う。
パフォーマンスそのものについては言及せず、各ユニットの長所のみを語るそのやり方は、優しさから来ると言うよりも最初から違う場所を見ているかのようだ。
加えて、IG-KNIGHTに対しても努力は間違っていない、と断言した。まるで彼女たちのこれまでを見てきたかのような口ぶりも、不可思議なものを感じさせる。
「それからLuminous Eyes。全体で見ればキラキラしてるのに、二人はそれぞれメラメラしてたりギラギラしてたりして面白いね! これからが楽しみ!」
さすがのひとみも、こればかりは言葉の意図を読み取れそうになかった。言葉が違ったとしても、それぞれの単語が何を意味して選ばれたものなのか検討をつけられない。他の言葉選びがポジティブなこともあり、何を言いたいのか推察の余地もない。
「で、ファンタジスタ!なんだけど……うん、誰よりも自由! 思う存分にキラキラしてて私的には一番良かった!
一転して、他者にもわかる言葉で話す。あくまでもファンタジスタ!に対する評価であって、他のユニットにわかりやすく言及することを避けたのだろうか。
とはいえ、これで全てのユニットに対する評価が出揃い、いよいよもって準決勝が終わりを迎えた。司会が再びマイクを握り、スタッフが動き始める。
「Principalの皆さん、ありがとうございました! それではこの後、いよいよ決勝戦です!」
発言と共にテレビはCMに、生配信はVTRでカットされたシーンを再編したものに切り替わる。
十人のアイドルたちは、スタッフの誘導により足早に楽屋へと戻っていった。
☆
楽屋の中は、静まり返っていた。
敗退したユニットには、今日これ以上の出番は無い。それが気遣いであるのか、あるいは突き放されているのかは判断できなかった。
気を利かせてスタッフは楽屋を空け、今ここにいるのは二人だけ。恐らくは、決勝に出る二組以外はどこもそうなのだろう。
黙りこくっている涼穂に、歌音はなんと声をかけたらいいのか悩む。励ましの言葉をかけたくとも、今回は―――少なくとも歌音から見れば―――自分のせいで決勝に進めなかった。しかし、だからといって自責を言葉にするのは間違いだ。
何か、何か言わなくちゃ。先走る思いに体がついていけず、口を中途半端に開いたまま横を見やる。
衣装の裾を握りしめ、涼穂は泣いていた。唇を噛み締め大粒の涙を流すその表情は、出会ってから今まで一度として見たことのないものだった。
誰よりも上手なのに、どこかつまらなそうにレッスンする子。それが、歌音から見た涼穂の第一印象だった。デビューする前からレッスンに飽きているかのような様を見て、大半の同期は鼻につくとして彼女を避けていた。
しかし、歌音は逆にその所以が気になった。少なくとも、自分はデビュー目指してレッスンするその時が楽しい。彼女は、なぜ無関心そうな顔を見せるのだろう。そう思って、苦手なダンスを教えて欲しいという振れ込みで涼穂に触れた。
何度も教えを乞うているうちに会話が増え、その答えは思っていたよりも簡単に引き出すことができた。
「……私、何かができなくて苦労したこと、ないんだ。昔から何やっても褒められて、勝手に妬まれて……なんて言うか、それが嫌になって、何もかもつまんなくて。芸能界なら、私より凄い人なんて幾らでもいると思ってスカウト受けたけど……」
そう言った時、涼穂は密かに試していた。何故かは分からなくとも、自分に対し積極的な歌音が、これを聞いてなお親密にしてくれるのかと。妬まれるのには慣れていた。どうせ何をやってもできてしまう、なら一人で勝手に生きていればいい、それが自分に対する評価だという、諦めに近い気持ちもあった。
「そうなんだー! 今もみんなよりできてるもんね、相川さんは凄いね!」
しかし、想像していた反応は返って来ず。代わりに返されたのは、混じり気のない尊敬の言葉だった。あまりに純粋な言葉と表情に肩透かしを食らったような気分でいると、続けて予想だにしない言葉が飛び出す。
「でもね、わたし知ってるよ! 相川さんよりわたしの方が上手くできること!」
面喰った。今までダンスを教えてきても、彼女が得意とするボーカルレッスンでも、自分より上手い、などと思ったことはなかった。にも関わらず、ここまで自信を持って言えることとは何なのか。思わず身を乗り出して続きを促した。
「えへへー、笑顔!」
他の人間なら、そこで怒っただろうか。くだらないと一蹴しただろうか。いくら笑顔ができたとしても、パフォーマンスに繋がらなければ意味が無いと言っただろうか。
だが、
持て囃されていたから、ダンスもボーカルもトップクラスだから、そんな話ではなかった。ただ単に、自惚れていた。世界の広さを知らなかった。そのせいで、アイドルをやるには表情づくりも大切であるという、なんとも初歩的なことに気が付けていなかった。これでは落第生、笑いものもいいところだ。
そう思った瞬間、おかしくなってしまい、その場で笑った。
「あ! 初めて笑った!」
馬鹿にされていると取られてもおかしくないところを、歌音は嬉しそうに笑い返した。彼女にとっても、涼穂の内面が聞けたこと、彼女の素とも言える表情を引き出せたことが、嬉しくてたまらなかった。
その日を境に、二人は唯一無二の親友になった。程なくして、歌音をユニットとしてデビューさせたいという話が舞い込み、周囲が判断に困るところを押し切って彼女は涼穂を相方に選んだ。キュート系のユニットという話に困惑した涼穂も、半ば強引に押し切られたこと、自分を最も理解してくれている相手と歩みたいという気持ちに素直になって、話を承諾し今に至る。
大粒の涙を流す涼穂の姿は、大きく感情を揺さぶられたその様相は、初めて笑ったあの日以来に見るものだった。悔しくて、言葉を発することもできない。そんな彼女を見るのもまた、初めてだ。
その感情が先行し、いつの間にか歌音は悔やむことも悩むことも忘れていた。ただまっさらに、目の前の事実だけに向き合っていた。
「……スズちゃん、泣いてる」
「……ごめん、ね。私が、もっ」
「悔しかったんだ、勝ちたかったんだ……つまらなく、なかったんだね」
思わず、涼穂も顔を向ける。歌音が流し始めた涙の、その意味は分かれど、分からなかった。
「えへへ……勝負には、負けちゃっ、たけどっ、っく。わたひっ、スズちゃ、楽しく、できっ、た、かなっ」
何もかもがつまらない、そんな涼穂を、泣くほど本気にさせられた。けれど、そんな彼女の足を引っ張り、負けさせてしまった。本気の喜びと、心からの悔しさが綯い交ぜになり、歌音はしゃくり上げながら泣き始めた。
それを見て、涼穂も感情がかき乱される。負けた悔しさ、それでも自分のことを優先してくれる相方の健気さ、そんな彼女を信じ切れずに負ける切っ掛けを作った自分の不甲斐なさ。これまでに感じたことのないがむしゃらな感情の濁流が、しかし彼女の琴線を確かに爪弾く。
二人で泣いた。さっきまで静かだった楽屋の中を、声にならない声と涙で埋めつくすように泣いた。
悔しいのに、悲しいのに、これまでになく―――嬉しかった。
☆
観客席にとっては小休憩、というタイミングながら、そこに居並ぶ面々は想定外の早さで合流してきたステラ・ドルチェの二人に驚きを隠せなかった。
「早っ!」
「え、と、大丈夫、なんですか?」
恐る恐る尋ねてくる
「それどころじゃないもの。あそこで負けた以上、決勝を見て学ばなくちゃいけないでしょ。私たちに何が足りなかったのか、それを知る義務がある」
「転んでもタダでは起きないのがアイドルの常ですから!」
心配させまいと気丈に振る舞う
特に、同じゼロ期生の中で一人だけ敗退となった稔の気持ちは察するに余りある。それだけの覚悟を見せられたのであれば、自分たちがするべきは何も言わずに決勝の時を待つだけだ。
既に、彩乃や
しかし同時に、稔の言う通り、次に自分たちが勝つためには何が必要なのかを、ここで吸収しておく必要もある。友人として、仲間として心配はしたくとも、アイドルとしてするべきは自分の心配だ。
複雑な感情を込めた視線が、セッティング中のステージへと注がれていた。
☆
「……先手は取られちゃったか。どっちがいい、って訳じゃないけど……」
打ち合わせを終えた恭香は、姿見の前で段取りと衣装のセルフチェックを行っていた。自分の雰囲気に合わせたデビュー曲は格好良さを重視、衣装もスマートなパンツスタイルでダンスが映えるものとなっていた。アイドルにしては些か振り切った感じもあるものの、最終的に二人に合うデザインになっていることに、初めて見た時は膝を打ったものだ。
コンディションは決して悪くない。最大限、やるべきことはこなせるはずだ。そう確信する一方で、大舞台で負けることに対する緊張は高まる一方だった。
これだけの大きな舞台、それも画面越しに大勢の人が見ている中で、というのは恭香にとっても初めての経験だ。今まさに負けた三組を間近で見ていたこともあり、負ければ自分ですらどうなってしまうのかわからない恐怖が心を蝕んでいる。
「大丈夫?」
ふいに、ましろが顔を覗き込んできた。最も重要と言えるこの時に至っても、その顔に緊張の色は一切見えない。
しばらくじっと恭香の目を見つめてから、ましろはその手を取って立てさせる。そして、おもむろにハイタッチをした。
「いえい。楽しんで行こう。お客さんが一番観たいのって、多分それだと思うし」
―――ごくごく自然にアイドルしてる。クリスの放った言葉の意味を、ここにきてはっきりと感じた。
だから、彼女は強いのだ。
「ん、おっけ! 二人には悪いけど、感動を上塗りしちゃおっか!」
「うん、みんなに楽しんでもらおう!」
☆
廊下を通り、いざ決勝へと向かう途中、Luminous Eyesの二人は足を止める。眼前に現れたのは、IG-KNIGHTだった。
まだ感情の振れ幅が少ない朱鳥はともかく、礼は楽屋でも泣き腫らしたのだろう、顔の紅潮も目元の膨らみも引いていないままだ。
「……天宮月乃」
「……何かしら」
今の今まで持っていた高揚感が怯えに変わっていくことに焦りを覚えながらも、月乃はそれを表に出さないよう返す。
表情と打って変わり、落ち着き払った声音で礼は静かに告げた。
「勝ちなさい。私と朱鳥を負かしておいて、ここで負けるのは許さない」
思わず、意表を突かれたと顔に出る。今までの数少ない印象からは全く想像もつかないような発言だった。
しかし、それが意味するところは流石の月乃であっても理解できる。がむしゃらに突き進み、大きな失敗をし、プライドを折られて初めて……
二人の脇を通り過ぎながら、確たる自信と共に言葉を残す。高揚感も帰ってきた、問題はなにもない。
「当然よ。あなたこそ、瞬き一つもしないでよね」
振り返らずに歩みを進め、舞台袖に着く。準備を整えたスタッフに混じって、左枝とファンタジスタ!が先に到着していた。
「いよいよだな。四人とも、後悔ないよう全力でやってくれ」
「もちろんです。月乃も、手加減無しだからね」
「私がそんなことすると思ってるの?」
冗談めかした恭香の言葉に、月乃は不敵な笑みで返す。
「……私たち、絶対に勝つから」
「うん。わたしたちも負けない」
十年来の親友に、ひとみは初めてライバルとして宣戦布告する。覚悟を伴ったそれに、ましろはいつもと変わらぬ様子で返した。
「Luminous Eyesさんスタンバイお願いしますー!」
スタッフの声がかかり、月乃とひとみはステージへ戻っていく。その背中を、三人は何も言わずに見守った。
照明が落ちたままでも、衣装姿の二人が戻ってきたことはすぐにわかった。観客席が再開の空気を感じ、少しだけざわついててから静かになる。
そして、カメラが司会を映す。先程までアイドルを映していたワイプのカメラは審査員たちへ向いていた。
「大変お待たせしました、それではBrand New Duo決勝戦、Luminous Eyesのパフォーマンスです、どうぞ!」
眩いばかりの照明に晒され、カメラが切り替わる。全身に馴染みきった曲に乗せて、二人はたおやかに踊り始めた。
物静かな旋律から始まる音楽は、白い月の光さす夜を思わせる。そのイメージを崩さぬよう、動きは優美に、歌声は艶やかに。
歌い上げる
互いの色を意識しつつも、乖離しないよう近づけた
夜であろうと暗くはない。彼女らを照らす光は、眩いばかりに。
秘めたる想いは強く、歌声はゆっくりとページをめくるように優しく、そして踊りは月明りのように美しく。音楽に乗せられた物語は、山場へと近づいていく。
今、踊り子となる語り部の、舞いと言の葉に酔いしれる。たった一度の素敵な一夜。
課題曲でないパフォーマンスを見た者たちの目を特に引いたのは、振り付けのシンクロにあった。左右対称の同じ動きが多く取り入れられていながら、二人は目を合わせるでもなくそれをやってのけている。止まる時に魅せるのではなく、動くことで魅せていく、という姿勢が見て取れるような努力の結晶がそこにはあった。
また、細やかな動きを大きく見せる、という技術に関しても、この二人には目を見張るものがあった。曲と詞の雰囲気に合わせた小さな動きを、だが決して小さくなりすぎないよう、見ている相手に伝わることを意識してこなしている。一つ間違えればチープなお飾りになり兼ねないものだが、それを確かな装飾へと昇華させることができていた。
そして、動くことで魅せていながら、その歌声が体の動きでぶれることはほとんどない。強さと優しさが重ね合わさり美しさと成る、そんな綺麗な歌声であった。
天宮月乃が持つ美しさのそれに不随する棘を、栞崎ひとみの柔らかさが包み込むことで、優しく、美しい一つの形として完成させる、それがLuminous Eyesのパフォーマンス。
紛れもなく、その色は会場を染め上げることができていた。
曲が、止まる。緊張の中に、確かな達成感と手ごたえがあった。
今までに浴びたことのないような拍手が会場を揺らす。何人かは、感極まったのか叫んでいた。
その一部始終を見ていた恭香は、楽屋とは変わってあっけらかんとした様子で言う。
「やるねぇ二人とも。これは強敵だ」
返事が一拍を置いても返って来ないところを見て視線をずらすと、ましろは目を輝かせていた。
「……すごーい」
いつもの口調、しかしそこには普段決して見せない、強い羨望の気持ちが乗せられていた。未だましろのことを理解しきれていない恭香と左枝にも、はっきりとわかる。
わたし、あの景色が見たい。そう言わんばかりの、幼い少女のような視線だった。
交代で、ファンタジスタ!がステージへ上がる。すれ違う瞬間、四人は視線も声も交わさなかった。例え互いをどれだけ気にかけていても、今は自分たちを表現するための時間だ。
スタンバイのポーズを取る前、ましろは恭香に拳を出す。恭香もそれに笑顔で応え、拳が合わさった。
「圧巻のパフォーマンスを見せてくれました! Luminous Eyesのお二人、ありがとうございました! さあいよいよこれで最後、ファンタジスタ!のお二人です、どうぞ!」
一拍の静寂を置いた後、流れ出したのは管楽器による大きな音から始まる陽気なミュージック。恭香のスタイルである格好よく元気のいいジャズ系の音に、ましろの持つ可愛らしさを混ぜ合わせた、元気なダンスミュージックだ。
最初のインパクトで弾けるように、足取りは軽快、振りは少し大げさなくらいに。時間も場所も関係ない、豪華絢爛なショーの始まり。
キュートながらも才能あふれる、大胆不敵なましろのダンス。
スタイリッシュを引き立て弾けるパッション、時にたった一人へ送られる恭香のウィンク。
ちぐはぐじゃない、自由自在。二人だからこそ作れる景色。舞台の上から届けられる、その楽しさは無限大。
今が楽しくてたまらない、巻き込まれなければ勿体ない。パフォーマーもギャラリーも、ひとつになったらハイライト。全てを輝きで盛り上げる、最高の時間をぜひキミも。
曲調からして正反対、Luminous Eyesと対をなすような独創性は、振りの中にも表れていた。
全体を通して動きのシンクロで魅せていたLuminou Eyesに対し、ファンタジスタ!はあえて動きを揃えなかった。ましろの自由で大胆な振りと、恭香のスタイリッシュな振りを別々に魅せ、二人の動きは止まる瞬間に重なる。見栄えを重視する、観客を楽しませるという点がよく考えられた振り付けだった。
動きだけでなく、歌も同じく。年相応ながらも可愛らしさのあるましろの声と、大人びた雰囲気を纏う恭香の歌声が重なる時、その音が最も心地よく聴こえる。そうなるよう、恭香が念入りに考えたパート配分の賜物だった。
そして、振りだけで見る者を魅了するましろにはない、カメラアピールを恭香がこなす。ましろが全ての視線を集め、打ちぬくようなウィンクで虜に変える、そんな恭香自身の立ち回りの上手さも詰まっていた。
総じて、格好良くも観客一体となって盛り上がれる、ファンタジスタ!らしいパフォーマンス。先と変わらない、割れんばかりの拍手の中にも、曲調にあてられ口笛を吹く者がいた。
楽しかった。信じられないくらいに楽しかった。
最終目標ほど大きな場所でなくとも、自分たちを見て楽しんでくれた観客からの歓声は、ましろに求めていたものが間違っていないことをしっかりと教えてくれた。
そして、それを見ていた全ての人の中、最も強い衝撃を受けていたのは天宮月乃だった。
正直に、軽んじていた。真っすぐに努力するひとみほどの実力は、ましろにはないだろうと思っていた。才能という言葉で人を片付けたくない月乃にとって、今までそれは目を逸らしていた部分だった。
しかし違った。甘かったのはましろではなく、彼女を直視していなかった自分だった。
「やっぱり……ましろは凄いな」
ひとみが小さくこぼした言葉が、否応なしに脳を直撃する。
知っていたのだ、この才能の奔流を。あてられてきたのだ、これに。そして、それながら、彼女に勝ちたいと願い、一心不乱に進み続けた。
自分たちのパフォーマンスが先で良かった、と感じると共に、月乃は心底自分を恥じた。決勝というこの大舞台において、ましろの才能から目を背けていたのは自分だけだった。
否、そうではない。ここまで来た以上、痛いほどに理解できる。彼女も、自分たちと同じように努力している。一見すれば軽い態度しか取らない彼女も、それが本質ではないのだ。
だから、ひとみは勝ちたいと願った。だから、恭香はその手を取った。なのに、自分は反発していた。
悔しかった。恥ずかしかった。しかし、今更どうすれば良いのか。思考が一気にネガティブへ落ちそうになった時、何か暖かいものが手に触れた。
「……わかります。ましろって、ああいう子だから。無意識に、周りの人を悩ませることも多くて。でも、月乃さんには心配しないで欲しいです。そのためにも、私がここにいますから」
思わず、取られた手を強く握り返した。かねてから頼もしいと思っていた相方に、これまでにない全幅の信頼を寄せていた。
そうだ、まだ終わりではない。最も重要な勝ち負けが決まっていないのに、情けない顔を晒してどうする。
手を握って、再び光あふれるステージへと戻る。恭香の顔は、やり切ったという達成感と、感想でも求めるような自信に満ちていた。
再び四人が壇上に揃い、司会もまた戻って来る。
「二組続けて、とても素敵なパフォーマンスでした! さぁ! それでは一旦CMのあと、最終結果の発表です! 皆さん、投票する最後のチャンスですのでお忘れないよう、お願いします!」
視聴者票を集めるため、最後の猶予が与えられる。生放送視聴者に向け、司会は四人に向けて尋ねた。
「どうでしょう皆さん、凄くやり切った! ってお顔していらっしゃいますが」
短いアイコンタクトを交わして、恭香が最初に口を開く。
「楽しかったです! こんな大勢のお客さんたちと一体になって楽しめるっていうのは、もう初めての経験なんで。これからもっともっと、この歓声を大きくしていきたいなと」
「わたしも凄い楽しかったです。またみんなでやりたいです、ね!」
ましろが観客席へ向けて振ると、大きな反応が返ってきた。
「緊張しましたけど、全部出し切れて良かったなと思ってます」
「やるべきことはできたと思うので、あとは結果を見るだけです」
短くまとめたところで、CMが開けたようだ。集計のスタッフが忙しなく動き回り、演出のスタッフとあちらこちらで話し合っている。
そして、司会の元へ紙が届けられる、結果が出た。
「はい、お待たせしました! それでは決勝戦、結果発表です!」
準決勝の時と同じく、ユニット名が画面に映し出される。再び静まり返った会場の中に、司会の声が響いた。
「まずは審査員票、Luminous Eyes!」
最初の一票はLuminous Eyes。今回ばかりは誰もがモニターを見つめ、反応も見せずに結果だけを神妙に待っている。
「続いてLuminous Eyes! ファンタジスタ!!」
追いの一票が入り、ファンタジスタ!も得票するもLuminous Eyesが一歩リード。
「ファンタジスタ!! Luminous Eyes! 審査員票が二つに割れました!」
なんと完全に真っ二つ、審査員の人数差でLuminous Eyesがリードを保ったままとなった。
しかしまだ約半分。ここから逆転する可能性も十分にある。
「どちらが勝つのか本当にわからない勝負です! 続いて特別審査員、Principalの皆さんの投票……Luminous Eyes!」
またも連続した票が入り、ここで大きく引き離した。
「ファンタジスタ!! ファンタジスタ!!」
どんでん返し、とばかりに、ファンタジスタ!が連続得票で並ぶ。審査員席の玲良は、美桜と海月を交互に睨んだ。
「そして……Luminous Eyes! ファンタジスタ!! なんと十人の審査員が入れた票で完全な同点です! 最終結果は、視聴者の皆さんに委ねられることになりました!!」
どうやら完全に偶然だったらしく、司会の声にも熱が入る。
我慢できなくなった玲良は尋ねた。
「あんたたち、わざとやってんじゃないでしょうね」
「まさか、公平に選んだよ」
「私もいいと思ったから入れただけだよ?」
そんなやり取りが行われていることもつゆ知らず、会場の誰もが固唾を飲む。
「それでは発表します! 新人アイドル、デュオユニットオーディションBrand New Duo! 優勝は……」
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