ZERO Season - 輝く前途を目指して
マイナス十話 Origin-悠姫ましろ「この小さな四角の中に」
―――幼いころから、景色のことばかり考えていた。
高いところから見える景色。車の窓から見える景色。子供だから見える景色。大人だから見える景色。
いつかきっと、わたしにしか見えない景色を見つけたい。わたし以外の誰にも見ることのできない、素敵な風景―――
「……ましろ?」
両手の人差し指と親指で、風景の一角を切り取る。視線の先では、名前も知らないモデルが大型の看板広告でポーズをとっていた。黒地の背景に大きな薔薇と並び、海外ブランドの口紅を宣伝している。
立ち止まって、しばらくその広告を見つめる。目があっても、写真が何かを訴えてくることはない。それでも、想像力を総動員して、湖に飛び込むように、思いを馳せる。
あなたは、そこから―――
「まーしーろっ! ここ道だから!」
「……あ、そっか。ごめん」
肩を掴まれて、我に帰る。一緒に歩いていた友達……栞崎ひとみは手を引いて彼女……悠姫ましろを道の端まで連れていった。
通行人の来ない道端に来ると、ひとみは腰に手を当てて問いただす。
「もー、何見てたの? 広告?」
「うん。ほら、あの人……あそこからは、どんな景色が見えるのかなって」
指さす先には、変わらず写真広告がある。アナログな一枚は、当然表情を変えることもない。
ましろにならって広告へ視線を向けたあと、ひとみはいやいや、と首と手を横に振る。
「あれ写真」
「知ってるよー。そうじゃなくてさ、その写真を撮ってる時とか、ああやって大きく街に出てるのを、自分で見た時とか……写真の本人にしか、わからない気持ちになるんだろうなって」
もう一度、同じ風景を指で切り取る。行き交う人の奥、写真のモデルと再び目を合わせ、その気持ちを想像する。
衣装に袖を通して、スタイリストと話しながらメイクを施されて、大勢のスタッフに囲まれながら眩い照明に照らされて。
自信を持って挑んだのかな。それとも緊張したのかな。表情を作るためにどんなことをしたんだろう。答えの出ない疑問を次々と浮かべていく。
やがて、深く呼吸をしてから手を下げた。
「どう?」
「うーん……すごく気になる。けど、モデルさんはちょっと違うかなぁ」
「そっか」
中学に入ってからの三年間、ましろはずっと「なりたいもの探し」をしてきた。気になったことがあれば今のように、指で風景を切り取り、その景色に思いを馳せてみる。そうして、自分がその場に立ってみたいと思う景色を探していた。
しかし、卒業が見えてきた三年目の秋になっても、結局これというものは見つからず。最近は芸能界にスポットを当ててみたものの、見つかったのは決め手に欠けるものばかりだった。
難しい顔で考え込むましろの肩に、ひとみが手を置く。
「でも、近づいてきたんでしょ? それがわかるなら進歩だよ」
「うん……なんか頭使ったらお腹すいちゃった! どこか寄ってく?」
「寄らない。今日はみどりさんがドーナツ揚げてるって」
六歳の時から一緒にいるひとみとましろは、お互いにもう一人の家族と言っても差し支えないような関係にある。だからこそ、ましろの母親から直接ひとみに連絡がいくことなど珍しくもない。
むしろ、連絡に気付かないことのあるましろのために、あえてひとみに連絡が来ることすらあるくらいだ。
スマホのトーク画面を見せられ、ましろは笑顔で返す。
「じゃ、早く帰ろっか」
「切り替えが早いんだから……」
☆
「ただいま~」
「お邪魔します」
「おかえり~。手洗っちゃって、すぐ出すから」
玄関に上がるなり、リビングの方から声が聞こえる。一度リビングに行き、鞄を並べて置いてから、手洗いとうがいを済ませてリビングに戻る。
テーブルについて間もなく、ましろの母親であるみどりが、ドーナツと紅茶の乗ったトレイを持ってキッチンから出てきた。
出された紅茶を飲んでから、ドーナツを頬張る。
「今日は何か面白い話あった?」
「特にないかな~、”発見”はさっきちょっとあったけど」
「お、ついに見つかったか?」
嬉しそうに身を乗り出すみどりに対し、ましろとひとみは顔を見合わせてから首を振った。
「近かったけど、ダメみたいです」
「そっか~、なんだったの?」
「モデルさん。駅前におっきな広告出てる人」
二人の話を聞きながら、みどりはうんうんと声を上げて頷く。そして、ドーナツと紅茶を一口ずつ喉奥に流し込んでから答えた。
「やっぱ芸能人か~。何になりたいか決まったら、全力で応援するんだけどなぁ」
「ね~」
「色々見てみたら? 舞台とか、ドラマとか」
ひとみとみどりに顔を覗き込まれ、ましろはドーナツを咀嚼しながらむーと唸り声をあげる。
すると、スマホを取り出したみどりが動画サイトにアクセスして何やら調べ始めた。二人はその様子を見守りながら、紅茶でドーナツを流し込む。
しばらくして、みどりが指を止めた。
「アイドルとかどうよ、今は配信でも見られるよ」
「あー……考えたことなかったかも」
「確かに、モデルの仕事もするし、ドラマやバラエティにも出る……それに、タレントっていうよりは、方向性がわかりやすいんじゃない?」
みどりのスマホには、今夜コンサートの映像を配信する待機画面が映されていた。まだ開始まで二時間ほどあるにも関わらず、チャット欄には多くのファンがコメントを残している。
驚くような早さで流れるコメントを目で追っているうちに、ひとみは段々とましろの表情が明るくなっていることに気が付いた。
「気になる、って顔してる」
「わかる?」
「露骨すぎ」
自然と口元を緩めるましろに、思わずひとみも笑ってしまった。
その後、ついでだからとひとみは悠姫家に泊まっていくことになり、二人は入浴を済ませてリビングのソファで待機していた。
テレビには、有線接続を通してましろのスマホの画面がミラーリングされている。チャット欄の方は消音したひとみのスマホに映されており、時間が経つごとにコメントする人数も増えてきていた。
「あれ無くてもいいのかな、光るやつ」
「家で見るのに? 別にいらないと思うけど……」
他愛もない会話をしながら、その時を待つ。画面に表示される同時接続の人数が増えるにつれて、二人の心も高揚感を隠せなくなってくる。
そして、ついにその時がやってきた。
―――映されたのは、ドームの全景。満員の客席が放つペンライトの光が、ひとつのイルミネーションのように綺麗に並んでいる。
見渡すようなカメラワークで待ち侘びるファンたちを映したあと、カメラがステージ正面に切り替わった。
暗かったステージに、後方から眩いライトの光が当てられる。それと同時に、ピアノの旋律から始まるイントロが流れ始め、歓喜の声がドーム全体に響き渡る。
ステージ下から、三つの影がせり上がってくる。ライトを後光のように浴びながら現れた三人の、真ん中に立つ一人が手を高く掲げ、バックライトの消灯と共に最初の一節を歌い始める―――
ましろは、その時初めて、自分の指では切り取れない景色に出逢った。
テレビの画面に合わせて、確かにフレームを作っているはずなのに。光が、音が、そして何よりもパフォーマンスするアイドルたちが、ましろの指から出ていこうとしているように見えた。
わたしの指じゃ、収まらない世界に、この人たちはいるんだ。
……やがて、九十分に渡る映像配信が終了した。
「……すごかったね」
どちらが先に言ったかはわからない。ただ、二人が共に圧倒されたことだけは確かだった。
受けた衝撃の大きさに、天井を見上げて息を吐く。たった一時間半で、自分の知っている世界を大きく塗り替えられた気分だった。
リビングの照明に焦点を当てたまま、目を閉じる。瞼の裏から光を感じながら、ちっとも働かなかった想像にふける。
あのステージに立っている時、どんな気分だったんだろう。きっとそれまでも、信じられないような量のレッスンをこなしたんだろうな。練習の期間中だって他のお仕事があったはずだし、本番は何万人のファンの前で一発勝負だ。
足がすくむように怖いんだろうな。何度も自信を疑っちゃうんだろうな。
だけど、それでも。色んなお仕事をこなして、たくさんの人に支えられて、あのステージに立つのは……きっと、他の何よりも、楽しいんだろうな。
「よっし!」
「わぁ! どうし……」
急に上体を起こしたましろに、ひとみは驚いたものの、その顔を見てすぐに言葉を失う。
ましろの表情は、遊園地に入ったばかりの小さな子供のように、口角は上がり、目は爛々と輝き、嬉しくて、楽しくてたまらないと告げていた。
今にも外に飛び出して行きそうな表情で、ましろは親友に宣言する。
「ひとみ、わたし……アイドルやりたい! ステージの上で、わたしだけの景色、見つけたい!」
「ましろ……」
こうして、ましろがアイドルを志し始めたのがその年の秋。言うが早いか、その冬にはオーディションを受け一発合格。翌年の一月より、ジュエリーガーデンプロモーションのオーディション第一期生として、デビューを飾ることになったのだった。
―――はじめて、そこに立ちたいと思った。
光の溢れるステージの上で、自分にできる精一杯をする。
それはきっと、とても怖くて、不安になるんだろう。
だけど、わたしはその景色が見たい。努力も運も経験も、全部全部を出し切って、何万人の人達に感謝を伝えるような、そんなステージがしてみたい。
だから、わたしと一緒に精一杯、走ってくれますか―――
「ジュエリーガーデンプロモーション、オーディション一期生! 悠姫ましろ、十五歳です! よろしくお願いします!」
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