第十一話 セレクション・スタート

十二月、二十八日。慌ただしくもクリスマスが過ぎ、冬休みが訪れてすぐ。

 この日のために設営されたステージで、多数のスタッフが忙しなく動き回っていた。生放送ということもあり、段取りの確認から音声・照明のチェックなどがなされている。

「いよいよだね」

「き……緊張してきた……」

 ステージを見つめながら感慨深げに呟く前野に、彩乃あやのが震えてこぼす。その隣では弦音つるねがあっけらかんとした様子で肩をすくめた。

「あーしらが出る訳じゃないんだし、もーちょい気楽にしなって」

 ねー、と振ろうとしたところで、深冬みふゆも背中を丸め真剣な面持ちになっていることに気が付く。

「出ない、です、けど……出た、人には、勝ち負けが、あります」

「そうね~、みんな頑張ってほしいけど~」

 そう。これはオーディション、勝負事だ。一組だけが優勝を手にし、他の四組は必ず負ける。そういうようにできている。

 そして、彩乃と千里ちさとは経験上、”予選で落ちる”ことと”本選で負ける”ことの精神的衝撃がどれだけ違うのかをよく知っている。一歩一歩踏みしめてきた階段が、いきなり消えるような気持ち。それは当然、高く登っていればいるほど大きな衝撃と無力感に変わる。

 だからこそ、既に落選した身でも安心してはいられない。ライバルでもあり仲間、そんな相手がステージ上で、生放送で、その大きな現実を受け止める様を、これからまじまじと見せつけられるのだから。相応の覚悟は必要不可欠だ。

「ま、なるよーにしかならんよ、こういうのは」

 そこへ、缶コーヒーを開けながら後藤が歩いてくる。

「みっふは聞いてたっけ、左枝っちが言ってたやつ。アイドルってのはさ、才能と努力と運の合計値で勝負してんだ。だから確実にこーなる、とは限らんのさ。アタシらにできんのは見逃さないよう、見守ることよ」

 いつもの不適な表情のまま、誰もいないステージを見やる。それが自信なのか覚悟なのか、新人アイドルにはまだ判別がつけられなかった。

 見ていることしかできない。しかしそれは同時に、生き証人として見届けることができるということでもある。然らば、やるべきことをなすだけだ。



 楽屋の一室。飲み物や構成台本の置かれたテーブルを後目に、ましろと恭香きょうかは衣装の最終チェックに入っていた。初めて顔を合わせるスタッフたちから全身を事細かに見られていくのは、これから特別なことが始まるぞと宣言されているような気分になる。

 いくら立ち回りの上手い恭香であっても、この日ばかりは言動にぎこちない部分が少しだけ見られた。これから逃げ場のないステージで、堂々と勝ち負けを宣告されるとあっては緊張せざるを得ない。

 一方のましろは、特に緊張するような様子もなく、衣装チェックが終わってすぐ振り付けの確認を始めていた。それも、間違えないように、と言うよりは手持ち無沙汰だから体を動かしているだけ、といったような軽いもの。

 軽く慣らすように鏡と向き合うましろに、わかりきった問いを投げる。

「ましろ、緊張してない?」

「え、うん。してないよ」

 予想通りの返答にそりゃすごい、と笑って返しながらも、恭香の頭には一抹の不安がよぎる。これだけ明るいましろでも、大舞台で負ければ明るさを保ってはいられないだろう。正直、これまで彼女を見てきた経験からでは、その時どうケアすればいいのかまだわからない。

 既に結果は決まっている。他の四組は強敵だ。勝てているとは限らない。一人であれば笑って受け止められたであろう不安は、圧迫するように少しずつ力を強めていた。

「大丈夫」

 頬に両手を添えられ、顔を上げる。ましろの笑顔は、一点の曇りも穢れもない、まさに真白の純粋さで輝いていた。

「きっと見れるよ、楽しい景色!」

 無垢の表情に照らされ、汚れのようについていた不安が剥がれ落ちる。そうだ。少なくともこの子は、ただ競いに来ただけじゃない。であれば自分も、今後のために何かを吸収できればそれでいい。

「凄いね、ましろは」

「そう?」

「うん。私も置いていかれないよう頑張らなくちゃだ!」

 そう言って、恭香は右手を上げる。求めているものを察したのか、ましろも続く形で右手を上げ、二人は勢いよくハイタッチした。

 事は目の前、逃げ場など無い。精一杯を出し切って楽しむ、それが私たちのやり方だろう。

「おっけ! 気合入れてこ!」

「うん!」



「どぅぉおお……」

 また別の楽屋では、蘭子らんこが壊れたように掌に人の字を書いては飲み書いては飲みを繰り返していた。どうにも落ち着けないらしく、楽屋中をぐるぐると歩き回りながら不安げな顔をしている。

 そんな様子を後目に、みのりは構成台本の最終確認を行っていた。自分たちが優勝するという前提を元にして一通りの流れを再確認し、頭の中で反芻してから、台本を置き声をかける。

「ラン」

「はひゃい!?」

 大げさに肩を跳ねさせる蘭子を手招きで呼び寄せると、自分と向き合うように座らせその肩に手を置く。強い力が入っており、歩く動きも固い。これでは本番どころではないだろう。

 意識して口角を緩めてから、ゆっくりと諭すように言い聞かせた。

「緊張するのはわかるわ。仕方のないこと。でも、そんなところファンに見せられる?」

 大きく息を呑む。蘭子であれば、発破をかけて引き締めるのが最も有効、そしてその様子を見ることが、早鐘の如く鳴っている自分の心音を落ち着ける一番の方法。それが稔の出した結論だった。

 気持ちが落ち着いたせいか、蘭子も肩に乗せられた稔の手が強張っていることに気が付く。考えてみれば当然、彼女だって緊張しない訳ではない。まして今回は、ステージに上がってすぐに退場させられる可能性すらあるのだ。恐怖もあって然るべきだろう。

 今の対等な立場で、自分ばかりが元気づけられてどうする。

 自分がされているように、稔の両肩へ手を置き返す。大舞台という緊張は、多少落ち着いても完全には消えない。だが今言える精一杯を伝える。

「稔ちゃん、ここまで一緒に来ていただき、ありがとうございますっ! ですがランたちここからが本番! まだまだよろしくお願いしますね!」

 気合いたっぷりに言い切ると、稔はそれが見たかったと言わんばかりに満足そうな顔で返した。

「末永く、が抜けてるわよ」

「だからそういうのはナシで! スタッフさんに聞かれちゃったらどうするんですか!」

 しっかりと突っ込みを返したことで、お互いに調子を取り戻したことを確認し、笑い合う。大丈夫、一人じゃない。

「そろそろね。幸せゲット、しちゃいましょ?」

「はいっ! おてて繋いでウルトラハッピーと行きましょう!」



「……うん。コンディションは好調、体もよく動くし喉の調子もいい。睡眠は九時間とった、問題ない」

 ウォーミングアップを終え、ひとみは改めて自分の調子を確認していた。緊張はある、だがこれまでの積み重ねと体調がしっかりと調整できたことからか想像以上に理性的な気持ちで臨めていた。

 しかし、それはひとみの話。見れば月乃つきのは彫刻のように固まり、思いつめたような神妙な表情をしている。

 緊張どころの話じゃないな、と思い近づいてみるがこちらに気付く様子はない。

「月乃さーん?」

 目の前で手を振っても、揺すってみても反応がない。呼吸も浅いしよく見れば微振動している気がする。

「荒療治しかないかな……」

 そう呟いて背後に回ると、背中に親指を突き立てる。爪を立てないよう押し込むと、その刺激で月乃は体を仰け反らせ声にならない声を上げた。

「~~~~~~~ッ!!」

 どれ程ぶりに現世に戻ってきたのか、まったく訳がわからないといった様子で首と目を横に振る月乃に、ひとみは良かった、と声をかけた。

「固まっちゃってましたよ、大丈夫ですか?」

「え、えぇ……もうこんな時間!?」

 時の感覚すら失っていたのか、時刻を確認してまたも慌てる。普段であればこんな様子を見せたりはしないと考えると、今回の大舞台が彼女にとってもどれほどのプレッシャーなのかが伝わってきた。

 だが、その一方であまりにコミカルな月乃を見て、ひとみは思わず笑ってしまった。ばつの悪そうな顔をされ、笑いながらだが手を横に振る。

「すみません、なんて言うか、可愛いなって思っちゃって。でも、ここまでにしないと。ファンの人や審査員の方々に、そんなところ見せられませんよ」

 相も変わらず口を尖らせたままの月乃から緊張が緩やかに抜けていたことに、恐らく本人は気付いていないのだろう。幸先は悪くないな、と気を引き締める。

 廊下の足音が慌ただしくなってきた。いよいよ本番だ。

「こんなところ、あなたにしか見せないわ……行きましょ、ひとみ」

「はい!」



 ―――その瞬間を、決して少なくない人間が見守っていた。

 あるいは自宅から。あるいは喫茶店から。あるいは客席から、スタジオの関係者席から。そしてあるいは、悔しさを噛み締め事務所から。

 期待、不安、楽観、諦観。視線より画面へと注がれる感情もバラエティ豊か。それもそのはず、勝ち抜いた一組が手にするものはあまりにも大きい。

 この大きくない舞台で、身に余るような栄光を手にするのは果たして誰なのか。


 照明が点く。スタッフの声が響く。物理的にそこには無いが、まさに今、幕は上がった。


『輝きに向け、走る少女たちがいる』

 ナレーションが響く。オープニング用の短いVTR、この時点ではまだワイプもないが、起動した何台ものカメラは既にその姿を……衣装に身を包み横並びに座る十人を捉えている。

 誰もが固唾を飲んで映像を見守るなか、映像は無慈悲にも感じるほどの速さで進んでいく。ナレーションと共に背景として映し出されたのは、ここにいないアイドルたちのレッスン映像だ。

『厳正なオーディションを乗り越え、今日ここに集められた五組。新しい舞台へのチケットは、誰が手にするのか』

 VTRが終わり、映像がカメラへ切り替わる。ステージ端でマイクを握る司会が映されると共にその声が始まりを告げた。

「新人アイドル、デュオユニットオーディションBrand New Duo! 本日、生放送でオーディションの最終選考が行われます!」

 表情は真剣に、かといって締めすぎず。適度な緊張感をもって臨んでいると伝えるように。こうした場面に慣れていない以上、いつ自分の顔が画面に映っているのかわからない。例えワイプでも気の抜けた表情を見せる訳には行かない。

 真剣な顔で並ぶアイドルたちが順番に映されたあと、まるでこちらが主役とでも言わんばかりの熱量がある一点に注がれる。

「そして! 本日、特別審査員として参加するのは、楽園がくえんエンタテインメントよりPrincipalプリンシパルの皆さんです!」

 客席から割れんばかりの拍手が飛ぶ。弦音がミュート状態で手元に出してある生放送のコメント欄でも、溢れんばかりの文字と感情が激流と見紛うような速度で流れ始めた。

 カメラに向かって慣れた様子で手を振るクリスを横目に、カメラが切り替わった瞬間かおるがぼやく。

「……アタシらが出れば嫌でも期待の新人に目が行くってことか、今気付いたわ」

「あら、香さん気付いてなかったんですか?」

 意外、というには少しおどけたように笑う海月みづきを軽く流す。それに続くように、玲良れいらも機嫌が良いとは言えない様子で呟いた。

「この暴走超特急がやることに、いちいち意味とか考えてらんないわよ」

 そして観客席の奥、関係者席を見やってこぼす。

「ほんっと、そういうとこに似ちゃったんだから」

 視線の先では、司会の声に続き予選の様子を映した密着VTRが流れ始めていた。


 まず始めに映されたのは、楽園の本社外観。今年の四月、企画がアイドルたちに発表されるところだ。カメラが入っていることに、新人ですら一切の動揺を見せないあたりはさすが大手事務所といったところだろうか。

 楽園からの出場者は、立候補式だった。今回の出場条件を満たしていたユニットは十五組いたが、その中でも三組は考えた結果出場を辞退したという。

 挑戦を決めた十二組への取材が映る。真っ先に映されたのは、本選でも有望株であるIG-KNIGHTイグナイトだ。簡易的な活動紹介がなされた後、レッスンの映像をバックにれいの声が響く。

『Principalへの挑戦、というのが一番の理由です。この事務所でアイドルをやる以上、彼女たちほど大きな存在はいませんから。一度同じ舞台に立てれば、大きな成長も見込めるのではないかと』

 続く形で、朱鳥あすかの映像に変わる。

『戦う、競うっていうんですか。アイドルを続けるって、戦い続けることだと思うんですよね。大きい事務所にいるからって、安心してるうちに知らない相手に出し抜かれたりしたら嫌じゃないですか。あたしは絶対負けたくないから、ライバルの顔は覚えたいし、一刻も早く勝ちたいです』

 勝った先を見据えている礼に対して、競うことそのものに意味を見出す朱鳥。違う方向を向いているようで、しかしここまで来たその実力が、食い違った二人でないことを確かに証明している。

 他にも二組の映像が流れたが、Legato a Dueレガート・ア・ドゥエはそこに含まれていなかった。そのまま、次の事務所へと場面は移る。

 そう、他の事務所だった。大型オーディションへの意気込みを語る様を映されたのは、楽園の二組から続いてここにいない者たち。

 締め付けられる思いになった。ステージの上にいた少女たちにとってそれは、目を逸らしたくなるような重いものだった。この後に彼女たちが辿る道と、今どこでどうしているのかを思えば、ありもしない恨み辛みをぶつけられたかのような錯覚さえ、覚えてしまいそうになった。

 その後も、レッスンに打ち込む様や、合格したらどの曲を届けたいかと夢見る様子が時の流れと共に映し出される。特に一次予選を通過して喜ぶ様子は、関係者たちにとって最も辛い映像だっただろう。

 場面が変わり、”二次予選 当日―――”というテロップが出る。あの時の慌ただしい会場廊下の様子が映された直後、とある楽屋に入っていくカメラの映像になる。その先を察することができたのは、準決勝に進んだ十人の中でも相川涼穂あいかわ すずほだけだった。

 カメラに向けて挨拶したのは、紛れもない煌輝きらめきクリスその人。

『実はこの時、Principalの五人が既に審査員として参加していたのだ』

 数人の息を呑む音は、幸いにも放送に乗ることは無かった。しかし、ワイプにばっちりと映った驚愕の表情は、視聴者が彼女らの心情を察するに余りあるものだっただろう。

 廊下の喧噪が聞こえる楽屋内で、クリスは取材に答える。

『私たちも結構長いじゃないですか。業界の今後じゃないけど、これから先アイドルをやっていく子たちに何か託したいなって。有名なうちに』

 笑いながら言ったその言葉が本心なのか、会場にいる大多数には判断しきれなかった。

 そして変装する五人の様子が映し出されたあと、審査に向けカメラに挨拶してから楽屋を出る。この時点で、涼穂以外の九人も誰が自分たちを見ていたのかはっきりと知らされることとなった。

 緊張感のせいか、未だ鮮明に思い出せる二次予選が画面に映っている。しかし、ただがむしゃらに前へ進んできたJGPの三組にとって、その時とは別物の緊張感を持たされた今見る映像は、まるで体感したこともないような、記憶とは違う程遠いモノに思えた。

 あの時は聞けなかった審査員の言葉が、字幕付きで明かされる。真剣に誰を通すか、誰を落とすかを話し合っている様は、それだけ自分たちをプロとして扱ってくれているという喜びと、これから同じように審査されるという現実を同時に突きつけていた。

 そして、二次予選の結果発表に場面は映る。緊張の中に、僅かな期待を光らせる少女たちに待っていたのは……落選の二文字。

 絶句する者、声を上げる者、耐えきれずその場から逃げ出す者と、その反応は様々だった。関係者席にいる面々も、覚えある光景に胸を締め付けられる。

 その光景に重みを感じたのは、放送を見ていた視聴者の一部も同じだった。あるいは身内が出るから、あるいはPrincipalが出るからとただ目を通していたところへ、その壇上に立つためにどれだけの涙が流れたのかをまざまざと見せつける。新人のうちから大舞台に立つ、ということにはそれだけの意味が、意義が、意志が込められているのだと、彼女たちは覚悟をもって戦い抜いてきたのだと、知らせていた。

『波乱を起こした二次予選。予想を裏切り楽園よりも多くの通過ユニットを出したのは、全く無名の新設事務所だった』

 ナレーションの声と共に、JGPの社屋が映される。映像を見ている人間の大半が初めて見るであろうその場所に潜入したカメラに映ったのは、まだ芽吹いたばかりの無垢な輝きたちだった。

 配信のコメントが急速に勢いを落としていく。そのほとんどが楽園、ないし他のアイドルのファンであったこともあり、困惑の声が多く上がっていた。

 食いついた。弦音はそう思った。誰もが予想できなかったダークホース、それを目の当たりにしても、興味を持つ人間というのは実際そう多くない。自分の推しているユニットが敗退した時点で視聴をやめた者もいるだろう。しかし、低く見積もっていた弦音の予想とは異なり、困惑の中にも興味を示すようなコメントは少なからず見られた。

 宝多の横顔を見る。この事態を、社長である彼は見抜いていたのだろうか。あるいは、期待していたのだろうか。表情からでは、読み取ることはできなかった。

 一月半の密着で撮影された、レッスンや仕事の映像が流れていく。当人としては見慣れた光景、しかしそれ以外からすれば、予想だにしない成績を叩きだした無名事務所の情報。当然ながら向けられる視線には様々な熱が込められる。

 その実力の所以を探ろうとする者、どこか知った様子で眺める者、純粋な興味を向ける者。アイドルになって、これほどまでに他者の視線が自分たちに向いていると実感させられたのは初めてのことだった。

 平行するように、勝ち残ったIG-KNIGHTとLegato a Dueのレッスン風景や事前インタビューが次々と映し出されていき、時が現在に差し掛かったところで映像は終わる。

「さあ、ということで……厳しい審査を勝ち抜いた五組が、今こうして準決勝の舞台に揃っています! 皆さん意気込みや自信のほどはどうですか?」

 司会に言葉を振られ、礼が毅然と返す。

「絶対に勝ちます。それだけです」

 冷淡にすら見えるほど端的な言葉を述べ、審査員席のPrincipalを睨むように見る。揺らぎのない、強い信念をもっての言葉だった。朱鳥も当然と言わんばかりの態度をとる。

 続く形で恭香がましろへアイコンタクトを送り、マイクを持った右手を上げる。

「私たちはとにかく全力を出し切って、見ている方々も私たち自身も、めいっぱい楽しめたらなって思ってます。ね」

 笑顔で頷く二人。それに続いて、月乃が口を開く。

「自信はあります。絆が深いという意味でも、努力と実力という意味でも、私たちが一番であると証明するつもりです」

 緊張を解かないよう注意しながら腕を下げる。その横でひとみも強く頷いた。

 ひと呼吸ぶんの間を置き、涼穂がカメラへと顔を向ける。

「ここまで応援してくれた方々にも、歌音にも感謝しています。その恩を返すような結果を出せるよう、頑張ります」

 思わずわたしも、と口走りそうになった歌音が慌てて口を閉じ、何度も大きく頷く。

 そして、待っていましたとばかりに稔がマイクを口へ寄せた。

「少なくとも、この中で一番仲のいいユニットは私たちなので。あとは持てる力を出し切れたら満足です」

 涼しい顔で言ってのける様に、礼と月乃が露骨に顔を顰める。蘭子はと言えば、赤い顔でカメラから目を逸らしていた。

 十人十色の様相を見せるアイドルたちに、司会がありがとうございましたと謝辞を告げる。

「それでは、ただいまより一次予選、二次予選の映像をダイジェストでお届けします! 公式サイトでは視聴者投票を受け付けていまして、この視聴者票の一位が審査員評価の一票分として審査に加算されます! 皆さん振るってご参加ください、それではどうぞ!」

 カメラが外れた瞬間、審査員たちの元へスタッフが駆け寄っていく。これが終われば、いよいよ準決勝の結果が発表される。緊張を顔に出してはいけないとわかっていても、そちらを注視せずにはいられなかった。

 予選VTRは、IG-KNIGHTから始まった。五組の中では抜きんでたクオリティを有する二人のパフォーマンスは正確。視線もしっかりとカメラに向いており、どの瞬間を抜き出しても乱れがない。ただ事をこなすだけでなく受け手に届けようという意思があった。

 その雰囲気に僅かな変化が見られたのは、二次予選の時。切り替わった映像には、明確な違いがあった。カメラではなく審査員に向けてアピールしている、ということではない。礼の顔つきが、より鋭くなっていた。朱鳥の方に大きな変化が見られないことからも、小さな違いが目立つ。先ほどまでの受け手を意識した感覚とは打って変わり、伝わってくるのはその内面。絶対に負けてなるものかという強い気持ちが、表情にまで現れていた。

 表情にこそ出さなかったものの、月乃がそのただならぬ眼光に背筋を冷やしたことは間違いない。蘭子も、ただ勝利だけを渇望するようなその変化には、内心で戸惑いとも驚きともつかない感情を揺らしていた。

 続いて流されたのはファンタジスタ!の予選パフォーマンス。雰囲気はまるで違うものになり、クオリティでは半歩劣るかもしれない。しかし、先の光景と対照的に画面の中で目立ったのは、笑顔だった。二人は揃って笑顔、踊れることが、歌えることが、表現できることが楽しくて仕方がないといった顔をしていた。審査があることすら忘れているのではと思わせるようなその顔は、しかし見た者まで笑顔にしてしまうような、不思議な力があった。

 そして、二次予選になってそのクオリティは各段に上がっていた。二人の足並みも一次予選と比べ各段に揃ってきており、特にましろの良好なコンディションを存分に活かしたダンスは、見る人の目を奪うと言っていい程に仕上がっていた。

 特に、この時まで月乃を最大の敵だと仮定していた礼と、実際のパフォーマンスを初めて見たひとみはカメラの存在を忘れて表情を変えた。レッスンを積んでいるのだから当然、と言っていられないレベルで、ましろは実力を伸ばしていた。否、むしろ評価するべきはそれに追随できている恭香の方かも知れない。個々人の成長が、ユニットの総合力を底上げするいい例を見せつけられているようだった。

 次に映されたのはLuminous Eyes。クール系という意味ではIG-KNIGHTからも遠からずといったところがあるようにも見えるが、表現するものは正反対と言えるほどに異なる。IG-KNIGHTが正確性、振り付けに過度な自己表現を混ぜない”静”で魅せているのに対し、Luminous Eyesは振り付けの端々で優美さを思わせるような手付きや動き方の工夫を取り入れており、自己表現の”動”を交えたパフォーマンスをしていた。

 そして、ファンタジスタ!とはまた違った形で、この二人も常に笑顔だった。楽しんでいると言うよりは、安らいでいる、安心している、信頼している。振りと相まって、穏やかで美しい印象を受け手に与えていた。

 この映像に、礼はどこか不機嫌のような違和感を覚える。確かにクオリティは高いが、その笑顔には勝利への強い意志が見られない―――ように、彼女にはそう見えた。あえて解剖するような言い方をすれば、自分と同じように真剣な表情であって欲しかった。

 刻一刻と結果発表が迫る中、Legato a Dueのパフォーマンスが流される。他のユニットと比べても頭一つ抜きんでているのは、その歌声だった。歌音の幼げながらも力を感じる、さながら若さを全力で表したかのような声音に、涼穂の透き通った声を最大限に活かす凛とした歌。異なる輝きが立ち並ぶことで、確かな相乗効果が生まれていた。

 どちらかと言えばボーカルに比重を置く恭香とひとみが、特にこの二人を警戒した。審査員の目がそちらに向けば、間違いなく強敵になり得る相手。今のうちから意識しておく必要がある。そう思わせるには十分だった。

 最後を飾ったのは、ステラ・ドルチェ。これまでの四ユニットと比べると、最も個性が強いと言ってもいいその特色は、パフォーマンス内のアピールにあった。カメラを、ひいてはその先で見ているファンの存在を意識し、節々でカメラアピールを行うその様は、ファンを第一に考えるという意味では何よりアイドルらしい、一つの正解とも言えるスタイルだった。

 それを見て、膝を打つ思いをしたのは涼穂。相方のスタイルに合った、目指すべき先はこういうものだと気付かされたような気分だった。同時に、今ここで勉強になるような経験をしてしまうのは勝利が遠のくようで、少し喜びきれないような気にもなる。

 それぞれがそれぞれに抱く印象に少し変化が訪れたところで、映像が終わった。その終わりは、審査の始まりを意味する。

 まるで、断罪でも待つような思いだった。自分たちが勝つ、という思いがいくら揺るがなくとも、心のどこかに負けてしまえばどうすればいいのか、と暗雲が見え隠れする。

 舞台へ戻ってきた司会、姿勢を正して座る審査員たち。既に幕は上がっている。引き返すことなど、できない。

 テレビ側にCMを挟む時間を使って、集計を行っていたであろうスタッフが忙しなく動き回る。この時間も、配信側ではしっかりと映っているために待機時間とすることもできない。一瞬の気の緩みすら許されない空間には、もはや息苦しさすらあった。

「さあ、お待たせしました! 先ほど視聴者投票が締め切られ、集計が完了しました! それではこれより、Brand New Duo準決勝、結果発表に入ります!」

 十人の背後にある大型モニターの画面が切り替わる。それぞれの頭上にユニット名が表示された以外はほとんど何も映らない、シンプルな画面。名前の上に重なる形で得票数がわかる形になっているということが一目で理解できた。

 そしてそれは同時に、純粋な数の差を目で見える形にされるということもまた、すぐに理解させられた。

 冷や汗が出る。しかし、それすらも悟られてはいけない。ただ神妙に、喉の渇きすらも忘れてその時を待つばかりだった。

「さあ、まずはその分野のプロである審査員の方々から、五票が入ります!」

 司会が声高々に宣言する。カメラにも視線が必要だとわかっていても、その下に設置されたモニターへどうしても目が行ってしまう。

「IG-KNIGHT!」

 最初に票を得たのはIG-KNIGHT。露骨に拳を握る朱鳥も、その横で涼しい顔をする礼も、内心では息をすべて吐き出す程に安心したのは言うまでもない。

 いよいよ票が入ったことで、会場全体の空気が緊張に包まれる。次に名前を呼ばれるユニットはどこか、と視覚だけでなく聴覚にも、皆一様に力を入れていた。

「ステラ・ドルチェ!」

「っ!」

 やや下へ注いでいた視線ごと顔を上げた蘭子は、危うくその勢いで立ち上がりそうになる。しかし、一票も得ることがないという大敗は避けられた。その事実がもたらす安心は非常に大きいものだった。

「Luminous Eyes!」

 正反対に、ひとみは固められたかのように動けなかった。堅実で確実、をモットーにしている彼女にとっては、ここで安心したらその隙を突かれるかもしれない、という警戒心の方が強く出ていた。

「ファンタジスタ!!」

 ましろはいつもと変わらぬ様子でおー、と声を上げる。恭香はカメラが向いた瞬間を逃さず、ウィンクすることで緊張などしていないとアピールする。

 そして、次の瞬間に会場は大きくどよめいた。

「ファンタジスタ!!」

 連続得票。誰かが予想できただろうか、中間結果で一歩先を行ったのはファンタジスタ!だった。

 誰もが表情に出さないよう務めていても、焦りや驚きが心中にあることは間違いないだろう。

 息をすることも忘れそうな空気感の中、司会がモニターを見上げながら現状報告を行う。

「さあ、前半の投票が終わり、中間結果ではファンタジスタ!が一位となりました!」

 そんなことはわかりきっている、早く進めて欲しい。アイドルからも観客からもそんな視線を刺される中で、しかし司会は手元の資料にある一文を読み上げることで、更に緊張を高めた。

「決勝に進めるのは二組、そしてかなりギリギリの勝負になっている、とのことです! スタジオの空気もより一層、張りつめてきました! 続いては特別審査員、Principalの皆さんによる投票です!」

 ―――来た。

 アイドルたちにとっては、準決勝における最たる部分。それが目指す道の最果てにいる五人からの投票だ。誰からの投票かは明かされないものの、ここで手に入る票の重みが栄光と言ってもいい程に大きいことは間違いない。

 誰だ。誰がそれを手にするのだ。

「Luminous Eyes!」

「!」

 思わず顔を見合わせる。二票目を得てファンタジスタ!に追いついたことも合わせ、この一票は二人に大きな安心をもたらした。

 一方の審査員席では、発表の順番を知らされていた海月が指名することなく尋ねる。

「どうしてあの二人にしたんですか?」

「消去法」

 減点方式で審査した結果、という厳しい目で見た答えを、香はぶっきらぼうな言葉に替えて投げ返した。

「ステラ・ドルチェ!」

 続く形で入った票で、奇しくもJGPの三ユニットが並ぶ。あまりの展開に、蘭子は胸に置いた手を動かせなかった。マイクには入らない観客席のざわめきが、心臓の鼓動を加速させていた。

「Legato a Due!」

「わぅっ」

 前半で票を得られなかったところへの一票で、歌音が声を上げ、慌てて口を塞ぐ。涼穂は息をついて、手にした安心の感触を確かめた。

 審査員席では、玲良が逆に尋ね返しているところだった。

「なんで?」

「んー? もっと頑張れーっていう、激励の思いかな」

 そう返す海月の横顔を見て、玲良はそれ以上追及することもなく視線を前へと戻した。

「Luminous Eyes!」

 何人かが、息を呑む。ここに来て、巻き返すようにLuminous Eyesが一位へと歩を進めてきた。

 特に焦りを感じたのは、礼と涼穂。次の票がどのユニットに入るかで、自分たちの負けが決まる状況にまで追い込まれた。

 それがなぜか、どうしてJGPがここまで、など今はどうでも良かった。とにかく票が、次につながる一票が欲しい。喉から手が出る思いでモニターを見つめ、震えるほどに手を握る。人生でここまでのことは無かったと言ってもいい程の手汗も、今は感じることができなかった。

 Principal最後の一票。視線を、祈りを、願いを、渇望を、あらゆるものが一手に注がれたその一票が―――露わになる。


「ファンタジスタ!!」


 礼の目に映る景色から色が抜け、その世界に音は無かった。

 涼穂にとって、本当に強く殴られたかのような衝撃を言葉で味わうのは、初めての経験だった。

 そして、ここまで余裕の表情を作っていられた稔もまた、この一言で背後のモニターを見上げずにはいられなかった。

 それだけの、そうするだけの事実は、あまりにもあっさりと告げられた。

 審査員たちによる十の票が全て発表され、視聴者票を残した今の得票数は、


 IG-KNIGHT 一票

 ファンタジスタ! 三票

 Luminous Eyes 三票

 Legato a Due 一票

 ステラ・ドルチェ 二票


 つまり、視聴者票が誰に入ろうと、楽園から決勝進出者が出ることは

 そして、その視聴者票がどう傾くかは事前に推察できてしまっていた。だからこそ、稔が強い反応を示したのだ。

「さあそして! 審査を見た視聴者による投票で一位を得たのは……IG-KNIGHT!」

 最後の最後で、滑り込むような一票が入り、IG-KNIGHTが同率二位となる。しかしそれは、準決勝の結果が動かないまま確定した瞬間でもあった。

「どう……して……」

 礼の虚ろな目が、未だ色彩を取り戻しきれない自分の手と膝を捉えきれずに揺れている。今にも倒れそうなその様に、朱鳥は自分のことを気にする余裕もなかった。

「……」

 歌音は、唇を引き締めていた。カメラの前で、悔しがる訳にはいかない。応援してくれたファンに、情けないところは見せたくない。

 そんな最後の理性で、見たこともないような苦い表情をする相方に、涼穂は針で刺されたような感覚を拭えなかった。

「稔ちゃん」

 思わず俯きかけた稔の手を握り、蘭子が正面を向いたまま声をかける。力のこもった、というよりは限界に近い声色だった。

「まだ下を見ちゃダメです……ファンが見てます」

 綱渡りのような感情の揺れから放たれた言葉に、稔は戦慄に近いものを感じた。敗北を突きつけられた今この瞬間においても、蘭子は自分よりもファンを優先して、アイドルであることを優先していた。例え泣いたとしても、どんな表情であっても。俯いてはいけない。それは恐らく、蘭子がこれまでアイドルから貰ってきた感情が作り上げた、最後の柱なのだろう。

 手を強く握り返し、稔も前を向く。結果は出た。もうどうすることもできない。であれば、それでも前を向くこの姿勢を、一人でも多くに見てもらうしかないのだ。


 ひとみの四肢は、震えていた。

 まさか、ここまで上手く事が運ぶなんて思ってもみなかった。ましろと直接対決ができたら、の思いでここまで来て、それが実現した。してしまった。あまりに現実味のない現実に、頬をつねりたい気分だった。

 しかし、胸にこみ上げる高揚感と収まらない熱が、この今が本物であると伝えている。

 おもむろに、横へと顔を動かす。ましろと目が合った。今まで見たこともないような、宣戦布告するような、強気な笑顔が返ってくる。


 ましろとしても、意外な結果であったことは間違いない。正直なところを言えば、楽園のどちらかと競い合うことになると心のどこかで踏んでいたために、この結果は予想外でもあり、嬉しかった。一緒にアイドルとなって一年も経たないうちに、何かの節目まで到達できたような、そんな気持ちだった。


 様々な感情が、ほんの数秒の間にステージの上を交錯する。それを打ち破るように、司会の声が会場中に響き渡った。

「決勝戦に見事進出したのは、ファンタジスタ!とLuminous Eyesです! このあと、最後の対決が生放送で行われます!」

 最後の戦いが、始まる。

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