第十話 エブリシング

「惜しくも今回、二次予選敗退という形になってしまいましたが」

「は、はい! えっと、確かに、すごい、悔しくて……あたしなんか、我慢できなくて泣いちゃったんですけど。でも、がむしゃらにアイドル始めて、初めてちゃんと目標に向かうっていうのがいい経験になったと思いますし……」

「……マジメー」

 タレント寮ロビー。彩乃あやのは全身を金属のように強張らせながら、カメラを前に軽いインタビューに答えていた。それを聞いて、別室で待機している弦音つるねが邪魔にならない声量で突っ込む。

 Brand New Duo本選まであと一月ほどとなった十一月末。JGPに密着取材が入ってもう三週間になっていた。

 話によると、実は楽園がくえんの方には一次審査直前あたりから既にこうした取材がついていたらしい。幾つか目星を付けられた事務所には先んじてテレビクルーが送り込まれていたとのことだ。

 しかし、いざ二次予選が終わってみれば期待の楽園は二組、無名の新設事務所がそれを抑えるかのように三組通過という事実。テレビ側もこれを好機と捉えているのか、密着取材は三日早まってスタートした。

当然、取材のメインであり密着の対象となっているのは、準決勝に進む三ユニットだ。既に仕事やレッスンに対する密着のほか、制限を設けてオフの風景までカメラに収められているという。

 そんな中で、同じオーディションに挑戦したものの惜しくも敗退となった四人にもインタビューが入る形となったのであった。

 現在トップバッターとして取材中の彩乃を横目に見ながら、弦音はぼやくように言う。

「ぶっちゃけ、ほとんど使ってもらえんよねこれ」

 それを聞いて、同じく待機中の千里ちさとが頬に手を当てて首をかしげる。

「あら~、どうして~?」

「ん-、負けた方をテレビで映すんだったら、やっぱ負けた瞬間って要ると思うんすよね。負けてショック! ってとことか、その後で泣いちゃってるとことか。楽園はあーしらより前に取材入ってるから、そういうとこもバッチリ入ってると思うんですけど、あーしらはそういうとこカメラ入ってなかったじゃないすか。だからこー、なんつーかな、映えじゃなくてこー」

「映像の、力強さで、勝てない……から?」

 探していた表現を明確に言い当てた深冬みふゆにそうそれ、と両手の人差し指を突きつける。実際、弦音の言う通りではあった。

 密着取材、それも何に挑むかが初めから明確なものであれば、早いうちから取材に入るに越したことはない。下積みから順を追ってカメラに収められることのアドバンテージは大きいと言える。

 しかし、今回のJGPにはそれがなかった。取材する方からすれば、マークしていなかったがため完全に出遅れた状態になってしまったのだ。

 そう考えると、敗退したアイドルを映すパートではより感情的な映像のある楽園の方が採用率は遥かに高いだろうことは確かだ。

 とは言え、弦音たちにとっても大きな仕事。気も手も抜く訳にはいかない。だからこうして、邪魔にならないよう彩乃の取材が終わるのを待っているのである。

「誰が勝つかな、本選」

 仕事の話に紐づいて自然と口から出た疑問。弦音としては軽い話題の種くらいとしての意味合いしか無かったが、深冬は深く悩むように眉間のしわを寄せる。

「……難しい、質問、だと思い、ます。どの、ユニットが、勝っても、おかしくない」

「そうね~。二次予選だって、落ちちゃった子たちの実力も凄かったもの~。今の時点でどこかが頭一つ~って言うのは無さそうよね~」

 千里の言葉は口調こそ間延びしていたものの、その中にはっきりと責任が感じられた。ほとんど同じ条件の同業者たちを見て、刺激された部分があったのだろう。敗北の味は、次の仕事に向けて動く今を足踏みと思わせるに十分な苦さを残していた。

 と、二人の口に突如何かが押し込まれる。我に返れば、弦音がにやついた顔でフルーツ味のグミを押し込んできていた。

「ムズかしく考えすぎっしょー。そこで直接頑張んのはあーしらじゃないし、これ以上Brand New Duoで悩むのは今やるべきことでもないじゃん? リラックスしてこ!」

 唐突に反応した味覚に戸惑いながらも、二人は肩の力を抜く。確かに、自分たちが悩んだところで結果は変わらない。であれば、先に進めた仲間をどっしりと構えて応援するのが今最もやるべきことだ。

 そうしているうちに、俯き気味で固い動きの彩乃が戻ってきた。余程緊張したのか、その顔は真っ赤に染まっている。

「次、弦音だって」

「ういー。つかキンチョーしすぎじゃねー?」

「だって、これ家族とか友達も見るんだよ!? ちゃんと映ってるかなー……またバカにされないかなぁ……」

 事が終わってなお悶々と唸る彩乃の肩を軽く叩いて、弦音がロビーへ向かっていった。


都内のレッスンスタジオ。久しぶりに密着のない日ということもあって、月乃つきのとひとみは羽を伸ばすようにレッスンに打ち込めていた。

 まだ長くあるように見える期間も、刻一刻と縮まっている。その実感に背を撫でられるような感覚が、ここ数日ずっと続いている。まとわりつく不安を振り払うように、ただ実直にダンスに打ち込む。本番が近づく緊張に駆られ続ける中で、レッスンの時だけがそれを忘れさせてくれた。

 そして、二次予選が終わって以降、ひとみの提案でLuminous Eyesはダンスレッスンの割合を増やしていた。

 これは審査員の情報を纏めたひとみが、歌よりもダンスの専門家が数多く審査員として招集されていることに気付いたため。確実に勝ちを狙いに行くのであれば、審査員に対応したパフォーマンスができるように、という作戦だ。単純な実力で勝てる見込みが薄いのであれば、相応に頭も使う必要があるという、ひとみの特技が活きた瞬間だった。

 決して低くない実力を持ったえれくと☆ろっくを破ったIG-NIGHTイグナイトに勝つために、これまで以上に精力的な情報収集も重ねて導いた答え。これが本番で日の目を見ることに繋がるのか、とう思いもひとみを焦らせるひとつの要因になっていた。

 ただ実力を伸ばすことのみを目的として、審査員が誰かなどまったく気に留めてもいなかった月乃は、これに素直に感心した。

 レッスンの前半を済ませ、休憩に入る。水分補給をしながらも真剣な顔でノートを見返すひとみの横顔を、月乃が覗き込む。

「真面目ね、本当に。もう少し休んだ方がいいんじゃないの?」

「それくらいしか、取り柄がないですから。活かせるものは全部活かさないと、芸能界じゃ生き残れないだろうし……私にできることは、全部限界までやらないと気が済まないんです」

 視線をやることもなく答える。どうにか言葉を返したい月乃だったが、藪をつつくような真似はしたくないという思いが言葉を詰まらせた。

 浅い呼吸を徐々に伸ばして、心持ちを整える。今更怖気づく理由も無いはずだろう。

「それがあなたの取り柄、っていうのはそうね。でも、それくらいしかないっていうのは頂けないわ」

「あ……」

 言わんとしていることを察したのか、ひとみは手を止めやっと顔を上げる。彼女にしては珍しい、叱られるとわかった子供のような表情だった。

 他の誰にもしないような気遣いを心がけながら、月乃は微笑む。

「ここまで来られたのは、私だけの力じゃないはずよ。あなたも他のアイドルたちより優れていた、だから勝てた。そうでなくちゃおかしいでしょ?」

 少なくとも、自分はひとみの熱意と技量を買っている。こうして二人で順調に仕事へ打ち込んでいることも、期待を裏切るようなことが無かったという証明だ。

 ひとみは、まだ飲み込みきれずにいるような顔を少ししたあと、いつもより下手な笑顔で微笑み返した。

「そう、ですよね。アイドルなんだから、もっと自信を持たなきゃいけないのに」

 何か心当たりのような、引っかかりを感じる言葉だった。前にも似たようなことがあったのだろうか、と探りを入れようとして、またも二の足を踏む。

 聞けば、高い確率でましろの名前が出てくる。それが月乃にとっては嬉しくない現実だった。自分だって、などという子供じみたプライドが、ここに来てまだ邪魔を続けている。

 回り道なら、逃げたことにはならない。そう断じて言葉を編んだ。

「一人ならそう思うのも無理はないと思うわ。でも、今のあなたは一人じゃない。自信が足りないのなら、その穴は私で埋めればいいわ。あなたの努力と実力は、私が誰よりわかっているもの」

 少しだけ、驚いたような目の丸め方をされた。それがどういった感情からくるのか図り損ねているうちに、ひとみが少しだけ笑う。

「なんか、意外です。月乃さんも、そういう励まし方するんですね」

「らしくなかったかしら」

 笑われて初めて気恥ずかしくなり、髪の毛先を指でいじる。さっきまでとは逆に、月乃の口角が下がりひとみの表情が明るくなった。

 手の動きを見てその感情に気付きながら、ひとみは微笑んで言う。

「いいえ、元気が出ました。月乃さんにそう言ってもらえるだけの実力があるって、忘れないよう頑張ります」

ひとみの笑顔に絆されるように、月乃は手を下ろす。しかし、恥ずかしさが消えず取り繕うように提案した。

「せっかく取材もないし、今日はこの後も付き合ってもらっていい?」

「え、はい……どこに行くんですか?」

 顔を見られないよう、立ち上がって背を伸ばす。初めて深く付き合った年下ということもあってか、ひとみには弱いところを見られたくない、という思いは月乃の中でも一際強くなっていた。

「そうね、お風呂とご飯を一緒にどう? リラックスするのも大事でしょ」

「そういうことなら、ご一緒させてもらいますね」

 続く形でひとみも立ち上がり、レッスンを再開する。

「ご家族に連絡しなくて大丈夫ですか?」

「別に、レッスンが終わってからでもいいと思うけど」

「今日は遅くなりますから、早いほうがいいと思いますよ。またお小言になるかもしれないし」

「……本当、面倒見もいいのね」



「お疲れ様」

 驚いたのは、突如声をかけてきたのが朝波海月あさなみ みづきだったから。

 Legato a Dueレガート ア ドゥエの二人が密着取材で本選への意気込みを語ったあとの空き時間に、飲み物を買っているところで偶然出くわした。

 その緊張感に、思わず冷や汗をかく涼穂すずほと対照的に、歌音かのんは元気よく挨拶を返す。

「お疲れ様です!」

「ふふ、元気がよくてよろしい。密着、初めてだと結構疲れるでしょ。しっかりとお休みは取らないとダメだよ」

 さり気ない会話からも、密着くらいは慣れているという風格を見せつけられる。しかし、重要なのはそこではない。

 告知なし、かつ変装しての二次審査参加。そこから得た情報というものは間違いなくあるだろう。今、彼女たちの目から自分たちはどう見えているのか。それが恐怖にすら思えて仕方がない。

 自販機を離れてスポーツドリンクに口をつける歌音にも気付いていない様を見て、海月はその心中を察した。

 ―――そっか。気付いてたって美桜みおさん言ってたっけ。

 人差し指を顎に当て、視線をずらしてわざとらしく悩む。先輩としてこの場で助言を残すのは簡単だ。しかし、それをやってしまうとフェアでない、という思いも確かにある。

 ただのオーディションであれば気にすることではない。しかし、今回に限って言えば自分もいち審査員だ。特定のユニットに対し不公平に情報をもたらすのはいただけない。

 という理性的な思いとは裏腹に、ちょっと世話を焼きたいという個人的な感情もかなり大きい。

 内容は長くも思考時間はごく短く。最終的に出した結論は、「まあ、バレなきゃいいよね」だった。

「二次予選、頑張ったね。どう、準決勝自信ある?」

 それとなく探りを入れてみる。自分であれば、多少なり話しやすいだろうという計算もあった。

 他のメンバーでは癖が強いイメージが先行しがちで……実際そうなのだが……警戒を強めてしまう部分もあるだろう。

 だからこれは、私の仕事。

「……正直、難しい部分の方が大きい、と私は思います」

「わたしはきっと大丈夫だと思います! スズちゃんと一緒だし!」

 冷静に厳しい現実を受け止めている涼穂と、明るく前向きな答えを返す歌音。うんうんと頷きながらも、内心で分析を重ねていく。

 今の二人がどの程度の実力なのか、必要なものは何か、従って自分がかけるべき言葉は何か。

 準決勝はこれまでのパフォーマンスが審査対象、つまり生放送が始まる前には既に結果が決まっている。もし負けだとすれば、今しているレッスンの成果を披露することはできない。

 しかし、それでも。レッスンは実力を伸ばし、敗北の経験は今後に活かすことができる。であれば、勝ち負けに関わらずアドバイスを送るのも先達としての務めだろう。

「そっか。仲良しなのはいいことだね」

 そう言って歩き出す。緊張のためかその場から動けずにいる涼穂の横を通る瞬間、聞こえるようにこう残した。

「ちょっと、玲良れいらちゃんを見習った方がいいかもね」

 反応を見ることもなく、立ち止まらずに歩いていく。その途中で、少し言い過ぎたかも知れないな、とも思った。

 とは言え、彼女たちに何が足りていないのか、それを突きつけるのだとしたら、この表現以外には思いつかなかったことも確かだ。

 頭角を現している後輩であれば、出来る限りは頑張って欲しい。自分たちに近づいてくるその努力を応援したい。それが、国民的アイドルと呼ばれるに至った朝波海月の嘘偽りない現在いまだった。

 足取りは軽く、背負うものは大きく多く。後輩の行く末を楽しみにしながら、鼻歌交じりに呟いた。

「ふふ、がんばれ若人ー、なんちゃって」



 街並みから離れた山。取材の合間を縫った今日この日に、みのり蘭子らんこは数か月ぶりの登山に訪れていた。体力と持久力を伸ばすためのトレーニングと趣味を兼ね、前回よりも荷物の重量を増やして臨んでいる。

 元より、時には望遠鏡を背負って何年もこの場所を訪れている稔からすれば、もはや慣れたものだ。しかし、登山などほとんどしたことのない蘭子は違う。だからこそ、稔についていける持久力を育むという意味ではこれ以上ない特訓となっていた。

 一方の稔も、他のアイドルのパフォーマンスを寸分違えずコピーする蘭子の観察眼と瞬発力、物覚えの良さについて行こうと、今までは基礎トレーニングしかしていなかった自宅でも様々な形の自主トレーニングに挑戦するようになっていた。

 図らずとも、互いの互いをよく見る姿勢が、自分にないものを見抜いて変化を与えることに繋がったのだ。

 いつも通り、自分の調子で歩みを進めながらも、稔はたまに背後を振り返る。気合を入れすぎたのか、はたまた本番が近づく焦りからか。今日の蘭子は少し無理をして荷物を重くしているように見えていた。普段の彼女であれば、ペース配分までしっかりと管理することからも、疲弊に近い状態に陥った顔が殊更珍しく映る。息は荒く、足取りも良くない。というより、力づくで浮かせて荷物の重さで下ろしているような感覚だ。

 しかし、あえて稔はそのことに言及しなかった。そうさせたのは経験から来る、蘭子であればその重さに耐えて登り切れるだろうという確信めいたもの。それと、自分なりの考えで努力する彼女に水を差すようなことを言いたくないという気持ちだった。

 本当に危ないようであればいつでも止めに入る。荷物だって半分は自分が持ったとしても問題ない。そう心の中で繰り返しながら、稔は前へ歩みを進める。

「正っ……直」

 ふと、蘭子が言葉を吐き出す。思い一歩を踏み出しながら、気付けのように。

「今、でもっ! 稔、ちゃんっ、の……隣、が! ランで、いい、のか……わから、なく、なるん、です」

 息遣い荒く吐露したのは、その心中にある不安。何を今さら、と言いかけて稔は言葉を飲み込んだ。

 今ここで言うからには、蘭子なりの意味がある。そう思って、振り返らないことで続きを促す。

「ですけどっ、稔ちゃん、言った、じゃない、ですか。一等星、に、なれるか、って。だっ、たら……ラン、も! 主人公に、なるっ、くらいの、気概が、なきゃ! ダメ、だなって!」

 そう言うと同時に、ロープウェイ乗り場横の自販機にたどり着く。さすがに登頂成功で気が抜けたのか蘭子はゆっくりと座り込んで一度荷物を下ろした。

 浅く早い呼吸を、意識して長く深く整えていく。赤みを帯び始めた空を眺めながら、少し人心地を手放してその空に浮かぶような感覚に身を任せる。

 たっぷり一分ほどかけて普段通りの呼吸に戻してから、蘭子はぽつりと呟く。

「……もしかしてさっきの、口に出てました?」

「ええ、はっきり」

 含みある得意げな笑顔で返される。視線は空へ固定したまま、蘭子は続けた。全身を締め付ける疲れや痛みや凝りのせいか、恥じらいの介在する余地は頭になかった。

「でも本当ですよ。稔ちゃん、ミステリアスなお姉さんで売ってるのに心持ちがしっかり乙女なところとか、それはもう推せるんで。そんなお人と並んで立つなら、ランだって相応に立派な目標を立てないとなって」

「ふぅん?」

 わざわざ回り込んで、いつかのように顔を寄せる。視界いっぱいに広がった稔の嬉しくてたまらないという表情に、しかし蘭子は咎めるようなテンションで返した。

「その手は通じませんよ。もう驚いたりしませんからね」

「あらそう」

 言うが早いか、稔は両手で蘭子の頭を思い切り撫でまわした。これは予想外だったのか蘭子も「えぶぁ!?」と素っ頓狂な声を上げてされるがままになる。

 ひとしきり楽しんでから両手を離すと、稔は満面の笑みで聞き直した。

「これはどう?」

「……それはズルです」


 数分後、開けたスペースで軽いストレッチをしながら稔が話を戻す。

「私からすれば、蘭子ほど主人公みたいな子もあまりいないと思うけど」

「掘り返すんですか……べつに、ランはごくごく普通のオタクですよ。今でこそアイドルになりましたけど」

 踊れる時点で普通ではない、と突っ込むべきか迷って辞めた。稔からすれば、否、事務所の誰に問うても信じられないと言うだろうが、恐らく蘭子は本気で言っている。

 であれば、かけるべきは否定ではなく誘導の言葉。

「キュートな笑顔、趣味はお菓子作り、努力は欠かさず夢にひたむき、加えて言えば美人のヒロイン。条件は揃ってると思わない?」

「それは……それらしく言えばそうなりますけども」

 少し、満更でもないといった感情が口角に出た。好感触を得て、稔も僅かに饒舌になる。

「いいじゃない。このままオーディションに優勝すれば見事なサクセスストーリーよ?」

 嬉しさと恥ずかしさが同時に頭に昇ったか、蘭子は誤魔化すように大きな声を上げた。

「あーもう! ダメですそういう甘い言葉は! 真剣に現実を受け止めて、精進しないといけないんですから! んもう!」

 正面から褒められるのが苦手、それも稔が蘭子を好きなポイントのひとつだった。

 一通りのストレッチを終えると、ロープウェイに乗って下山する。今日は天体観測が目的でないことに加え、単に稔の気が違う方を向いていたのだ。

「ね、ラン。今日はこのあとお風呂に入りましょ」

「……それは公衆浴場的な意味合いでよろしいでしょうか?」

 恐る恐る聞き返すと、稔は例によって意地の悪い笑みを浮かべた。

「私はそのつもりだったんだけど……ランがどうしてもって」

「いえタオルが汗吸ってるのが心配だっただけですから! 別に深い意味とかないんで!!」



「お」

「お疲れ様です」

 事務所内を歩いていた紅香くれない かおるが偶然出会ったのは、IG-KNIGHTの二人だった。

 それまでなら挨拶だけで済ませていたところだが、今は事情が違う。既に審査のため、準決勝へ進んだ五つのユニットのパフォーマンスには目を通してあり……目の前の二人に関して言えば、二次予選で審査したのが自分自身だった。

 自分の意見一辺倒という訳でなくとも、彼女らに追随してくるような実力のユニットがいなかった、だから通した、というのが香の本音であったことは確か。しかし、それは即ち彼女ら二人が自分のお眼鏡に適ったのかと問われれば、そんなことは

「……どうかされましたか?」

 立ち止まって視線を注がれ、れいに尋ねられる。射止めるような鋭い視線を受けながら、どう返すべきか、即断即決の香にしては珍しく迷った。

 言いたいことが無い訳ではない。ただ、今すぐそれを言葉とするにはやや語彙に不満があるうえ、自分の後輩にだけアドバイスじみたことをするのはフェアじゃない。そういった思いが言葉を詰まらせるに至っていた。

 らしくないな、とため息をつき後頭部に手を当てる。わざわざ心配などしてやるのは自分じゃない、他の奴に任せればいい。恨まれたとしても、自分には正直でいる。

「……準決勝行く前に、お前らに一つ聞いておきたいことがある」

 少し身構えた礼は何かを感じ取ったのだろう、朱鳥あすかの方はただの質問と捉えているのか大きな反応は見られなかった。

「ステージの上のお前らって、なんだ」

 直接的なアドバイスにならないよう、言葉は能う限り濁した。答えを聞かせるつもりもない。それが、”らしくない時間”をかけて編みだした言葉。

 多少は時間をかけるものかと思っていたが、礼は鋭く真っすぐな瞳で迷うことなく答えた。

「ステージの上かどうかは関係ありません。どこであろうと、私たちは私たちです」

 なるほど直球で芯のある回答だ。ファンが聞けば拍手が飛んでくるだろう。

 ―――でも今のお前らじゃ不正解だ。

「宿題にしといてやる。連絡先よこせ」

 ポケットに手を入れ、手触りでスマホが入っていないことを確認すると鞄に手を入れる。丁寧に並べられたコスメの間にスマホを発見し、ぶっきらぼうに礼へと差し出した。

 連絡先が手に入るとすぐに歩き出す。これ以上の親切は柄じゃない。

「本番までにあと一回だけチャンスやる。アタシの言いたいことがわかったら送れ、わかんねぇならそれ自体は責めねぇ。下手なこと言うくらいなら何も言うな」

「今の答えは間違っているということですか」

 焦りこそ伴っているものの、毅然と言い返してくる言葉に手を振ることで誤魔化しながら去っていく。

 歩みを進めながら、二人の顔を思い返していた。パフォーマンス中と打って変わって年相応の表情を見せる朱鳥と、仕事の時でもそうでなくても睨むような眼光の目立つ礼。

 思わず、思っていたことが口からこぼれた。

「気付けないのはいいからさ……直せよな、アタシですら出来たんだからよ」



 都内の温泉施設。風情というには近代感を伴った和風モダンとでも言うべき内装の中は、平日ということもありやや空いていた。レンタルのタオルセットを手に、月乃とひとみは脱衣所へ向かう。

「こういうところ、あまり来ないんで新鮮です」

「そうなの? 私は毎月来てるけど、もっと早く誘っていれば良かったかしら」

 談笑しながら脱衣を済ませ、浴場に入る。築年数が浅いのか、想定していたよりも広い浴場は目を引くくらいに綺麗に見えた。

 体を洗い、まずは露天風呂に入る。流石に十一月ともなれば外気が冷たく、一度湯舟に浸かってしまうとしばらくは出られないであろう染み入るような温もりが体を包んだ。

 筋肉を軽く揉みほぐしながら息をつく。思えばここ最近はずっと忙しくしていたような気がして、自然と笑ってしまった。

「どうしたの?」

「なんだか、ゆっくりするのも久しぶりだなって」

 言われて初めて気付いたようで、月乃もそうね、と背を伸ばした。徐々に体の内側へと熱が巡っていく中で、顔だけが冷たい外気に撫でられている。そのギャップがどこか心地よく、このまま時間を忘れてしまいそうだった。

「そうだ、ひとみ」

 ふと声をかけられて顔を向ける。月乃は試すような笑みを浮かべて問うた。

「サウナって入ったことある?」


「あら、奇遇ね」

 偶然にも一人しか利用していないサウナ室、その一人が偶然にも稔だった。特に示し合わせた訳でもない出会いに驚く二人とは対照的に、汗を流しながらも余裕のある笑みで出迎える。

 ひとみが何か返そうとすると、わざとらしく何かに気付いたような顔をして指をさす。見ると、二人の背後に「会話はお控えください」の注意書きが貼ってあった。

 月乃と並んで座り、前方に設置されたテレビになんとなく目を向ける。何を考えるでもなく天気予報をただ目に入れていると、二分ほど経ったところで稔が立ち上がった。汗を拭き取り出口へ向かうところへ、月乃が声をかける。

「随分早いのね?」

「十分経ってるもの。まさか競う気だったわけじゃないでしょ? 子供じゃないものね」

 さらりと流され、出ていかれる。ひとみが苦い顔で愛想笑いをしながら見ると、図星だったのか露骨に口を尖らせていた。

 八分ほどかけてじっくり体を温め、ぬるめのシャワーで汗を流してから露天スペースに戻る。椅子に座って体を休めていると、月乃がすぐに立ち上がった。

「私、次行くけど」

「あ、私はここまでにしておきます」

 言うが早いか稔の後を追うように歩き出す月乃を見て、邪魔しちゃ悪いもんね、と見送る。続いて入るのも無粋だなと思い、また露天風呂に入った。

「あ」

「え」

 声を掛けられ、初めてそこに蘭子がいたことに気が付く。冷静に考えれば、稔がいる時点で察しておけたかも知れない、などと思いつつ隣まで近づいていく。

「お疲れ様、蘭子。来てたんだ」

「お疲れ様です……さっきまであちらにいたもので」

 手で示す方向を見てみれば、屋根と衝立のついた寝ころび湯の区画があった。そこにいたのであれば、見えないのも道理だろう。

 どこかぎこちない動きで筋肉を揉みほぐす蘭子を見て、僅かに危機感が走る。限界近くまでトレーニングをしている証拠、夏より前であれば過度なものは禁物、と話題の種にしていたであろうものが、今はライバルが自分を高めているという危機感として迫って来る。

 ―――負けていられない。

「ひとみちゃんがいらっしゃると言うことは、月乃ちゃんも?」

「ああうん。稔さん追いかけてサウナ行っちゃった」

 月乃の負けず嫌いには思い当たる節があるのか、蘭子はあー、と苦笑する。

「……いよいよですね」

「うん。なんだか、実感ないかも」

「わかりますわかります。大きなライブが近づくにつれて”この日で正しいんだよな……”って謎に実感を消失してしまう例の現象」

 笑って話していても、心のどこかに本番の近づく逸り焦りがある。果たして、自分たちはステージに立つ資格を与えられるのか。今しているレッスンが本番に繋がらなければ、どれだけ強い衝撃になるのか。考えればきりがない。

 しかし、それでも。前に進む以外の選択肢はとうに切り捨てた。

「負けないよ」

「ランたちだって、負けませんよ」



「すみません、こんなにおもてなしして頂いて」

「いいのいいの~! お父さん遅くなっちゃったし、本番もうすぐなんでしょ? いっぱい食べて元気つけなきゃ!」

「おいしー」

 悠姫ゆうき家。この日は恭香きょうかがましろの家に泊まりに来ていた。テーブルの上に所狭し……と言うよりは容赦ない量並べられた料理を、談笑しながら口に入れていく。

 マイペースに食べ進めるましろが相槌を打つ形で、話そのものは恭香とましろの母、みどりの二人で進められていた。

「ましろの面倒見るの、結構大変じゃない? この子、ひとみちゃんのことも昔っから困らせてばっかりだから」

「私は、そういうの好きですし。何より、一緒にいて楽しいならOKですから」

 笑顔を絶やさず受け答える恭香に、みどりは慈しむような目を向ける。

「面倒見いいんだ」

「……そういうわけじゃ、ないですよ」

 ふと、ましろが手を止める。恭香にしては珍しい、ネガティブなニュアンスを含んだ言葉だった。

 口角は上げたまま、しかし困ったような表情で、恭香は話し始める。

「……私の家、なんていうかな。いい意味で放任主義っていうか、やりたいことはやらせるけど、あまり干渉はしない、みたいな方針で。だから、興味を持ったことは片っ端からやってたんです。でも、満たされないっていうか、気付いたんです。私にとっての”楽しい”って、周りに人がいて初めて成立するんだって」

 少しずつ食事を進めながら頷くみどりと、元のペースに戻って食事を再開するましろ。気を遣ったりはしていない、と続きを促していた。

「だから、誰かと何かしたかったんです。ギターもピアノも、セッションしたくて始めて。でも、同じくらいの熱量でやってくれる子はいなかった。私、今すごく楽しいんです。みんなで同じ場所に立って、同じことをしてるのが。そして、今こうやってましろと並んでステージに立つのが、本当に、本当に心から楽しい」

 口ぶりから、湧き上がってくる気持ちが溢れていた。噓偽りのない、ましろと一緒で良かったという気持ちが、”お姉さん”ではなく”少女”としての音路おとみち恭香から出た本音だった。

 一つ息をついて、みどりはましろに投げかける。

「いいお姉ちゃんができたね、ましろ」

「ん? うん」

「またいつでも来てよ、恭香ちゃん。自分ちだと思ってさ」

 ただの主婦というには慣れた様子でウインクされ、恭香は一層その目を輝かせる。そして、食事を再開しながらましろへ問いかけた。

「だって。ましろ、私がお姉ちゃんでもいい?」

「いいよー。恭香ちゃん、ひとみと違ってお母さんって感じじゃないし」

「あんたはいい加減、ひとみちゃんに頼るの卒業しなよ」

 笑いながら食べ進める。三人分にしては多いと思われたテーブルの上の料理たちは、意外にも短時間のうちに空になっていた。

 食後のお茶を飲みながらゆっくりと息を吐くましろに、恭香がスマホを持って笑う。

「んじゃ、仲良し姉妹記念ってことでみんなに自慢しちゃおっか!」

「それいい、やろうやろう」

「写真撮るの? 食後のデザートあるから一緒に写す?」


 その数分後、事務所の許可を得てファンタジスタ!の写真が恭香のSNSに投稿された。

『仲良し姉妹!』

「ばっちし」

「いぇーい」

 更にその十数分後、温泉施設内の食事処でパフェをシェアするステラ・ドルチェの写真が稔によって投稿される。

『@Kyoka_Oto826 じゃあ私たちはラブラブカップルで』

「いや文言! というか事務所の許可は!?」

「あら。まあそういうこともあるわよ」

 無事、二分以内に許可は取るよう小言が届いたという。

 更に少しの間を開けて、寮のロビーで撮ったえれくと☆ろっくの写真が弦音から、同じ場所からClassical Wingの不慣れな写真が彩乃のアカウントから上げられた。

 そして同時刻、温泉施設の休憩室。

「みんなこぞって上げてますね」

「私たちも撮るわよ……」

「撮るのはいいですけど、まだ顔赤いですよ。もうちょっと冷ましてから」

「のぼせてないから……!」

 そして数分後、ひとみと明らかに普段より顔が赤い月乃のツーショットがひとみによって投稿され、投稿後ゼロ秒でのぼせたことをコメントで指摘された挙句稔によってサウナで張り合った結果自爆したことも暴露された。

「絶対に許さない……」

「そろそろ飲み物追加しますか?」

「お願い」



「お疲れ様でーす」

「お疲れさ……うおっ」

 十二月初頭。リハーサルのため準備中のBrand New Duoのステージに、突如として煌輝きらめきクリスが現れた。何の話も聞いていなかったスタッフたちは驚く。

 自分の席や観客席となるスペースなどを一通り見渡した後、ステージに立つ。動きの遅くなっていたスタッフたちの一人が、気を利かせるように照明を点けた。

 眩いばかりの光に照らされ、決して大きくないスタジオを一望する。大きくなりすぎた自分にとっては、もう立つことも難しい小さなステージ。それでも、新人には凍り付くほど大きな舞台だろう。

「ちょっとここ、使わせてもらってもいいですかー?」

「ど、どうぞー!」

 許可を得ると、クリスの雰囲気が一変する。周囲に形容しがたい緊張感を走らせた直後、音もないままに踏み出した。

 その場にいた全員が、目を奪われる。たった一つの照明、音も無ければ他のメンバーもいない。しかし、だからこそ目を引く振りと響く靴音は、幻覚と疑うほど美しく、芸術的だった。

 振りは正確。覚えている、仕上がっているではなく、染み付いている。どんなコンディションであっても、ファンの満足を得るだけのパフォーマンスは絶対にできる、そう思わせるような軽やかさを纏っていた。

 そして何より、常に笑顔だった。自分が楽しむことと、観ている人間を楽しませること。その双方を両立させるような、偽りのない素の笑顔。例え本番でなくても、ステージに立つ以上は常にアイドルであると言い放つような完璧さが、そこにはあった。

 やがて振りが止まると拍手が起こる。クリスは手を照明にかざして、満足そうに呟いた。

「もうすぐだね。みんな応援してる。頑張れ」

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