第九話 チョイス・ナウ
「それでは、二次審査通過ユニットを発表する」
厳格さを伴った、あるいは緊張で強ばった声が響く。そう長くない言葉の間が、気が遠くなるような重い沈黙に思えた。
息をすることも忘れて待つアイドルたちの視線を受け、左枝はやや早口で一気に言い切る。
「Bブロック、Luminous Eyes! Cブロック、ステラ・ドルチェ! Eブロック、ファンタジスタ!! 以上三組が準決勝進出だ!」
「……!」
「当然」
ひとみは頬を紅潮させ、息を吐いて安堵する。その隣で、
「どぅえ!?」
「あら」
予想だにしていなかったのか、大きなリアクションを見せる
「やった!」
「おー」
指を鳴らして喜ぶ
左枝の言葉に続き、後藤が資料を片手に口を開く。
「んで、だ。今月末から一ヶ月半、本選の放送で流すための密着取材がウチと
全体への、という言葉が嫌に重く聞こえた。つまり、続く言葉をかける相手はこの場の全員ではないということになる。
既に部屋の空気は明暗分かれてきており、話を長く続けると良くないことはプロデューサー陣の目にもはっきりとわかっていた。手短に済ませようと、左枝は資料へ目を落とす。
「続いて準決勝の内容だ。本放送は二時間の生放送を予定している。密着の内容を含めた四十五分程度の映像が流されて、その後に準決勝の審査結果が出る。一次、二次予選の映像を事前に見た審査員十名、加えて公式サイト、スマホアプリ連動による視聴者票一位の計十一票が割り振られ、五組中二組が決勝に進出する予定だ」
事前に聞かされていた内容と変化はない。パフォーマンスをするのではなく、これまでの総合した結果で再審査される。それ自体に問題はない。
しかし、懸念点が一つあった。
「不利ね」
「はい。一票は確実に取られると思って臨まないと」
稔とひとみが発した言葉が、端的に状況を表していた。話は単純、大手事務所である楽園のユニットの方が自分たちよりファンの数が多い。そうなれば、視聴者票を自分たちに傾けることは難しい。
自分たちのファンが楽園のユニットも推している可能性も高く、そうした要素を考えていくと実力だけで視聴者票を奪うのはかなり難があると考えるのが妥当だ。
「純粋な実力でファン票の差を覆さないといけない……ま、そう大きな変化じゃないわね」
月乃は事も無げに流す。元より人気差が大きいことは分かりきっている。今更それが審査に反映されたところで、何かが変わる訳でもない、そう言いたげな様子だった。
気圧される様子もないことを確認して、佐枝は幾分か緊張の解けた様子で伝える。
「そして、準決勝を勝ち抜いた二組での決勝が行われる。今回のオーディションを通じて、唯一自分たちの曲で勝負できるチャンスだ。レッスンは抜かりないようにしておいてくれ。以上、質問や確認事項が無ければ解散とする」
解散、の言葉を聞いた瞬間、ずっと拳を握っていた
追って、
一階に降りた
負けてしまった。もう自分がBrand New Duoで出来ることは無い。突然突きつけられた事実をうまく咀嚼できず、飲み込めずにいる。負けたことを悔やむよりも、悲しむよりも、ただただ困惑が優先していた。
合格した六人は、本放送、そして決勝へ向けて話し合いをするようで、バラバラの部屋に行ったようだ。今、ロビーには最低限の社員と自分しかいない。
「……」
慰め、励まし、感情の共有。どれをとっても、どこか陳腐に思えてしまい、考えがまとまらない。
けれど、何か。何か言葉をかけなければいけない。そんな危機感めいた観念が、深冬に重くのしかかっていた。
「みーふゆっ」
聞こえた声に肩を跳ねさせ、振り返る。見れば、笑顔の弦音がひらひらと手を振りながら歩み寄ってきていた。そのまま手を深冬の頭に乗せて、軽い口調で続ける。
「まー、悔しーけど負けちゃったもんは仕方ないよね。これで仕事もらえなくなるワケじゃないしさ。元気出し」
「あのっ!」
自分でも驚くほど大きい声が出てしまい、少し怯む。しかし、言葉を遮らずにはいられなかった。
弦音の笑顔にも口調にも、まるで力が入っていない。深冬を励ますためだけに、傷も隠さずに空元気を出している、少なくとも深冬の目にはそうとしか映らなかった。
だからこそ、本音を聞き出すために。深冬は、あえて取りたくない言葉を手に取る。
「……悔しく、ないん、ですか」
笑顔が消え入り、手が下ろされる。弦音はどこか気まずそうな顔をしたあと、真剣な表情で返した。
「ごめん、無理した。やっぱ深冬に嘘ついちゃダメだよね」
申し訳ない、というよりは、深冬と同じで感情の整理がついていない様子だった。無表情とも真剣とも取れる表情の中に、悔しさや怒りのような抑えきれない感情が渦巻いている。
「……昔さ、おとーさんに言われたことあんだよね。小学校の運動会で、一位取れなくて泣き出しちゃった時。”悔しくて泣くのは、次がない時にしろ”って。あーしら、確かに負けたけど、負けたけどさ。まだ次があんじゃん。アイドル辞めなきゃいけないわけじゃないじゃん。だからさ、なんつーの……ここで負けたって泣いてるより、次の仕事もらいにいこーよ」
それは、弦音なりに、前に進もうという意志。真面目にやる、ということを彼女なりに解釈し、今は立ち止まっている時ではないという結論を導き出した。
しかし、その声音は、顔は、声にした言葉の裏側を物語っているようだった。
悔しい。やり切れない。あんなに頑張ったのに。本当はそう言いたい、けれどそれは弱音であり、深冬の前で言ってはいけない。せめて自分の中にある
「……それは、間違、ってない、と、思います」
慎重に言葉を選ぶ。自分に適切な言葉がかけられるかは分からない。しかし、それでも。今は自分が言わなければいけない場面なのだ。
「けどっ、悔しいって気持ちも、残念って悲しみも、無理して仕舞い込んだら、駄目だと思いますっ……ちゃんと、悔しいって言って、泣きたいなら泣いて、その気持ちに、ちゃんと折り合いをつけないと。苦しいまま進むんじゃなくて、悔しさも分け合って、想い出にすれば、きっと大事な力になるんです」
怖かった。弦音が芯としている父親の言葉を、否定してしまう気がしたから。それで彼女が折れてしまったり、愛想を尽かされてしまうことが怖くて仕方がなかった。
しかし、それでも。今自分がするべきことは、大切な相方の素直な気持ちを聞き出すことだ。
しばらく悩むように顔や視線を動かしていた弦音だが、、やがて頭に手を当てて唇を噛む。
「……正直、悔しい。泣きたいし、今めっちゃ叫びたい」
絞り出すように、本来言いたくなかった言葉を喉奥から落とす。それもまた、彼女なりの責任の取り方。
「頑張ろーと思ったんよ。しっかりしてなくても、あーしのがお姉ちゃんじゃん? だから、こーゆー時……さ……」
話しているうちに声が震え始め、腕を目元にやって横を向く。泣きたくない、という気持ちと向き合いたい、という気持ちがせめぎ合い、これまでに感じたことのない感情が弦音の中で渦巻いていた。
泣くこと自体は構わない。だがここはまだ社屋、人の目は多い。誰もが事情を知っているはずだが、弱いところを見せたくはない。
その時、後ろから諭すような声をかけられる。
「二人共、お疲れ」
「前野、さん」
返事ができたのは深冬だけ。だが前野も理解できているようで、車のキーをわざとらしく回しながら歯を見せて笑った。
「話、ちょっと聞いちゃった。私も深冬に賛成かな、若いんだから、思い切り泣ける時は泣いちゃうが吉! ってことで」
弦音の頭と深冬の肩に手を置き、前野はまるでいたずらでも提案するかのように子供じみた声で言った。
「海とか行っちゃうか!」
「ふえっ」
「ほらほら、車出すから乗った乗った! やっぱ青春と涙っつったら海でしょー?」
半ば無理やり二人の背中を押しながら、前野は密かに慈しむような目で二人を見る。
―――頑張れ、負けるな。私たちも全力でサポートするから!
☆
千里が寮の玄関を開けると、既に抑えきれない泣き声がロビーから少し聞こえてきていた。胸の前でぐっと拳を握って、ゆっくりと歩みを進める。
恐らく、部屋にたどり着くまでに感情が溢れてしまったのだろう。礼儀に人一倍気を遣う彩乃らしくない、乱雑に脱ぎ捨てられた靴がその急ぎようを物語っていた。
ロビーにあるソファのひとつで、彩乃は精一杯声を押し殺そうとしながら泣いていた。それでも抑えきれないようで、時折小さくない嗚咽のような声を漏らしている。
「彩乃ちゃん」
声をかけられ、やっとのことでこちらに気付いたようで、彩乃は声にならない声を上げて何か言おうとする。
「ちさっ、さ……ごぇ、ぁさ……あ、し、っぇ、は……」
自分がまともに話せる状態じゃないことは、彩乃自身よくわかっていた。それでも、千里に謝りたかった。
どちらが悪い、などないことも、謝ることに具体的な理由がないこともわかっている。それでも、至らない部分があったから落選した。それは揺るぎない事実だ。
大粒の涙をこぼしながらしゃくり上げる彩乃を、千里は何も言わずに抱き締める。
「……ごめんね、彩乃ちゃん。私も、こんなに悔しいの、初めて……」
何か言って、励まさなくちゃ。そう思っていたはずだった。
しかし、開いた口から滴ったのは謝罪の言葉。そして、今の今まで気付けていなかった奥底の本心であった。
高名な
何も背負わない、色眼鏡で見られない。自分から求めた条件。そこから返ってきた答えは、実力不足という簡単で、それ故に最も悔しい結果。
「頑張った、のにっ……残、念、よね……! ごめん、なさいっ、私の、方こそっ、お姉さ、なのにっ……」
気付けば、千里も堰を切ったように涙が溢れて止まらなくなっていた。
それを見た彩乃も、少し驚いて涙を止めたあと、膨れ上がるように氾濫する感情に押されてまた泣き出す。
決して小さくない寮の中を、二つの大きな泣き声がこだましていた。
たっぷり三分ほど泣いて、ようやく二人は人心地を取り戻す。泣き腫らした互いの顔は真っ赤になり、とても他の誰かに見せられるようなものではなかった。
「……ふふ、こんなお顔、見られちゃったら恥ずかしいわね。二人の秘密にしましょ」
「はい」
どうにか言葉を返しながらも、彩乃は内心で感嘆していた。泣き止んですぐに自分の心配ができる千里のことが、とても大きく頼もしく見えた。
「こんなに泣いちゃってから励ますのも変だけど、私たちまだチャンスはたくさんあるわ。これから頑張って、みんなに負けないよう頑張りましょ!」
「っ、はいっ!」
力強く頷く。気持ちを洗い流せば、あとは前を向きなおすだけだ。
と、その時千里のポケットから音がする。その主であるスマホを取り出し画面を見て、千里は見たことがないような驚愕の表情を浮かべた。
「ごめんなさい彩乃ちゃん、私ちょっと出てくるわ……ママから」
最後の一言だけで、事情を深くは知らない彩乃にまで緊張が走る。話に聞く限りでは、世界中を仕事で飛び回り千里の世話すら柴崎たちに任せていたという。今の千里の反応と併せても、こうして連絡をとってくることは珍しい、と推測できる。
ぱたぱたと小走りで奥の廊下へ向かう千里を見送り、彩乃もスマホを取り出す。
―――千里さんも、お母さんと向き合うんだ。あたしだって、そうしないと。
そう断じて、
六コール、取り込み中だろうかと疑ったタイミングで音は途切れた。
『彩乃?』
聞こえてきたハスキーな声に、ある種の安堵と恐怖を覚えながら口を開く。
「久しぶり、碧葉。今いい?」
『……泣いてんの? いいよ、話しな』
その察しの良さに内心で驚きながらも、自分がわかりやすいだけだと断じて話を続ける。Brand New Duoはまだ情報未公開、詳細を話す訳にはいかなかったため、これまでも家族や友人には何も言わずにいた。
当然、公式の情報が未発表である以上は下手なことを言えば情報漏洩にあたる。慎重に選んだ言葉を、ゆっくりと吐き出していく。
「ちょっと、大きいオーディション落ちちゃった」
『それで泣いてた? あー、二人組で出てたんだろ』
またもこちらが何か言う前に先を越された。とはいえこれ自体は想定内。Classical Wingとしての活動は少ないもののしっかりと行っており、SNSでの宣伝もしているため、家族であればそこに紐づいたものと類推するのは不思議ではない。
「ん……別に、どっちが悪いとかじゃないけどさ。なんか、すごい……悔しくて、泣いちゃって」
『ふーん……悔しくて泣いたんだ』
何か含みのある言い方だった。まるで、彩乃が悔しさで泣いたことが意外であったかのような言い回し。
その意図を聞き返すか迷っているうちに、予想だにしなかった言葉が聞こえてきた。
『良かったじゃん、喜びな』
「え……」
良かった、という言葉と、姉らしくない安堵したような声色に、彩乃は混乱する。
『口では言ってなかったけど、みんな心配してんだよ。あんたプレッシャーに弱いし、自信も強く持てないから、どっかで折れたらそのまま辞めちゃうんじゃないかってさ』
思わず黙り込んでしまう。他ならぬ自分のこと、そう言われても仕方ないのは身に染みて理解できた。
小さい頃から、スポーツは何をやっても楽しかった。だが、大会や公式戦は大嫌いだった。緊張して体は思うように動かず、負ければ下の兄と姉が喧嘩する。自分のしたことで周りが争いだすのが嫌で仕方なかった。
成長するに従って、その態度も決して悪意から来るものではないと理解することはできた。兄は口と態度が悪いだけで言葉だけ見れば真っ当なアドバイスをくれていたし、姉は奮い立たせようとしてくれていた。喧嘩に関しては単に二人の馬が合わないだけで、それも深刻なものではないとわかった。
だとしても、互いのやることに対し密接すぎる家族関係は、奥手な彩乃にとってはどうしても窮屈なものだった。
だからこそ、アイドルとして寮で暮らす今の生活には、どこか開放的なものを感じていたことは間違いない。今こうして姉と話さなければ、と思ったのも、
『負けて、悔しかったんだろ? それで、キツめの言葉貰おうと思って、自分からかけてきた。家にいた頃の彩乃なら、ビビッてそんなこと絶対やんなかったよ』
千里に頼らず気持ちを振り切るには、まだ自分ひとりでは難しい。そう思ったから、あえて叱咤激励を求めた。以前の自分であれば、萎縮して抱え込んでしまっていただろう。
自分の行動を言葉で紐解かれていくうちに、心が澄み渡ってくる。
『成長してる。頑張ってんだね』
「う……っ」
片手で数えられる程にしか聞いたことのない、姉の優しい声。それが鼻の奥を突き、彩乃はまたも涙を滲ませた。
『泣くんじゃないよ。落ちたって次の仕事があるんだろ、二人でやってんならパートナー心配させんな』
「わかっ、てる!」
『ん。また連絡よこしなよ。父さんも母さんも
「……雅晴はどうせバカにしてるんでしょ」
少し不貞腐れたような口調で返す。
『そうでもないよ。ま、たまにこうやって電話しな。言いたいことあったらあたしから伝えとく』
何か言ってやれ、というのが暗に伝わってきた。躊躇う気持ちは小さくなかったが、どうせ口伝えならと思い、思い切って腹に力を込める。
「次は勝つ!」
『よし。それじゃもう切るよ、またね』
通話が切れる。短い間に激しく動いた感情は、今しばらく収まりがつきそうになかった。
ただし、胸の奥にあるものは、迷いや躊躇いではない。
「……うん。次は勝つ」
小さく呟いてから、大きく息を吸う。
「がんばるぞーーっ!!」
数分を遡り、千里は廊下の最奥まで行ってから通話に出る。
「……もしもし、ママ?」
『千里、久しぶり』
諭すようでありながら、厳格さを伴った声が聞こえてくる。言われた通り、最後に直接連絡をとったのはアイドルを始めた一月、それも一方的に文章で送っただけだった。こうして双方向にコミュニケーションをとったのは更に数か月前になる。
元より少なかった連絡は、大学に入ってから更に減っていた。それも大抵は千里の方から連絡をとっていたため、母の方からこうして電話を寄越すなど彼女にとっては事件と言っていい事態である。
「ママから電話なんて珍しいわね~、何かあったの~?」
『オーディション、落ちたんですってね』
息が止まった。
「……どうして知ってるの?」
『そっちのプロジェクト関係者と話す機会があってね。残念でしたね、ってうっかり漏らされたの』
少し困ったような口ぶりから、本当に偶然知ってしまったというのが伝わってきた。
「そうなの……でも、わざわざ連絡することかしら」
自分が生まれる前から音楽で生計を立てている母からすれば、今回のような失敗も山積みになるほど経験してきたことだろう。たった一度の失敗を強く憂いているとは思えない。
『ええ。あなた、芸能界に入ってから初めて負けたんじゃない?』
言われて初めて気が付く。確かに、これまでのオーディションでは規模が小さいとはいえ落選したことはなく、今回がアイドルとして初めての明確な敗北だった。
思い返せば、これまで運が良かっただけだろうか、こうして負けるのが当たり前なのだろうかと心に暗雲が立ち込めてくる。
「そうね。初めて。こんなに悔しいの、初めてよ」
『でしょうね……千里』
唇を噛み締めたくなるような敗北感。初めてそれと向き合う
『世界は、広かった?』
その声が、とても嬉しそうで。自分とは違う道を選びながらも、遠からぬ舞台で同じ壁に突き当たっていることを、喜んでいるようで。
―――なんだ、気にしないふりして。私が芸能界に来たの、嬉しいんじゃない。
「……ええ、とっても!」
『そう。それがわかったのなら、十分よ。ここからは、先のことを考えなさい』
それだけを言い残して、一方的に通話が切れる。始まりも終わりも唐突な会話に、思わず息をついてしまった。
「もう、勝手なんだから……」
口ではそう言いながらも、胸の奥に暖かいものを感じた千里は自然と笑顔になっていた。スマホを握りしめ、ロビーの方へ戻っていく。
すると、前方から大きな声が聞こえてきた。
「がんばるぞーーっ!!」
それを聞いて、足の動きが少し早まる。ロビーに着くと、何か言おうとした彩乃を有無も言わさず抱きしめた。
「もぎゅ」
「彩乃ちゃ~ん! これからも頑張りましょ~!」
☆
首都高速道路。前野が運転する車の後部座席で、深冬は東京の夜景を見つめていた。様々な色の灯りによって彩られた景色は、綺麗でありながらどこか儚さを感じさせ、今の深冬にはどこか遠くに見える。
弦音はといえば、行きの車で泣きじゃくり、海に着けばすぐさま大声で叫びまくり、せっかく海沿いに来たのだから食事を奢ると前野が言うと、どこか吹っ切れたのか大盛り海鮮丼を深冬が少し引くくらいの速度でかき込み、今は深冬の肩に頭を預けて熟睡している。
「豪快だったねぇ」
「ふふ、はい」
ハンドルを握る前野の言葉は、安堵しているようにも呆れているようにも聞こえた。少し前までの勢いを思い出し、深冬も笑いながら頷く。
「深冬はあれで良かった? あんまり解放できてないんじゃない?」
明るい口調でありながらも、弦音に圧されてか目的を果たせていないように見える深冬を案じる言葉。
しかし、深冬は視線を移すことなく、口角を上げて答える。
「大丈夫、です。悔しく、ても、怖くは、ない、ので。それに」
目を閉じて、噛み締める。負けることは怖くない。そこからしか得られない経験も、負けたからこそ気付けることもある。大きなことも、些細なことも。
「さっきの、弦音さん、見てたら、元気に、なれました」
その言葉に嘘はなかった。強がりでも気遣いでもない本心、そう判断した前野はなら良かった、と笑って返す。
深冬は相変わらず景色を見ている。高速を降りるまではまだ少しかかるだろう。
ふと、視界の端に映った何かに目が行く。それは、ビルの隙間から見えるドーム会場。ほんの僅かな時間、気付けるかも怪しいような刹那に、深冬は深い感傷のような感覚を覚えた。再びドームを隠したビル群に右手をかざし、口を開く。
「……わたし、少し、だけ、見えた、気がします」
「お、なになに?」
えれくと☆ろっくの結成から今日までの、ごく短い間の活動とレッスン。そこで深冬が目にしたもの、手にしたものは、決して少なくなかった。
ユニットとなったことで流入してきた弦音のファン、そこからわかる自分と相方のスタイルや長所の違い、息を合わせて踊るということ、息を合わせて歌うということ。
そして何より、少しだけ前に進めた自分と、横に立って手を握ってくれる相方。
「はじめは、なんで、って、思った、けど……わたし、弦音さんに、選んでもらえて、良かった、です。きっと、自分で、思ってるより、ずっと真面目、で、頑張り屋、さんで。でも、周りを、見ることを、忘れない」
空いている左手で、寝ている弦音の手を握る。
「わたし、弦音さんが、大好きになれました」
「んふふ、だってよ弦音」
笑いながら振られた言葉に、寝ていたはずの弦音が肩を跳ねさせる。目を向けていなかったためか、深冬も気付いていなかったようで目を丸くして頬を染めた。
「……いつからー?」
「いつからっていうか、深冬が喋り始めてすぐ起きたでしょ。たまにチラっと目開けるからバレバレだって」
二人して顔を赤くする様を見て、前野は意地の悪い笑みを見せる。
弦音は抗議するかのようにむくれたが、それはそれとばかりにすぐ深冬へ向き直った。
「深冬も、前野さんも、ありがと。めっちゃ泣いてめっちゃ食べて、めっちゃ寝たらすっごいスッキリした。んで、えーと……」
言葉をまとめようと、しばらく髪を弄りながら悩み、ぶつぶつと何か呟いてからまた顔を上げる。
「あーしも、深冬で良かったし、深冬が良かった。なんか、これまでって色々考えて行動しても、ダメになって後悔することけっこーあったけど……オーディション落ちても、深冬を選んだのは絶対間違いじゃないって、わかる」
握られた手を強く握り返して、弦音は精一杯の勇気と共に深冬の目を見て言った。
「おねーちゃんって言うには頼りないけどさ。あーしも深冬、大好き。これからも、よろしくね」
「はい。よろしく、お願いします」
☆
「じゃあ、今後のスケジュールは一旦これで決定ね。後藤さんに伝えるわ」
「はい……」
JGP社屋の一室。Brand New Duo本選へ向けて、仕事とレッスンのスケジュール調整を行っていた稔は、後藤への連絡を終えると蘭子の顔を見る。
結果発表と予選通過。自分たちにとっては嬉しい結果だったが、手放しで喜ぶには罪悪感が伴うこともまた確かだった。特に他人を気にかけてしまう蘭子の性格上、浮かない顔になるのは仕方のないこととも言える。
どう声をかけようか、少し迷った。無論ながら落ち込んでいて欲しくはない。仕事やレッスンへの支障だとか、明るい蘭子が落ち込めば周囲にも伝染するだとかそういった話ではなく。稔にとって、彼女にはただ笑顔でいて欲しかった。
そういった意味で言えば、慰めるという選択の方が正解だったかもしれない。しかし、稔はあえて蘭子の頭でなく肩に手を乗せた。
「気持ちはわかるわ。けど、今この事務所は誰もひとりぼっちじゃない。支え合う相手がいるんだもの、信じるしかない。それに、私たちは勝った。ということは、前を向いて、次も勝つために努力する責任がある。一次、二次予選を通過できなかった人たちのために。そうじゃない?」
あえて発破をかける、この判断は賭けに近かった。これといった効果が見られない可能性も、逆効果になってしまうことも考えられたが、前を向いて欲しい一心で稔はこの手を選んだ。
蘭子は一段深くうつむき、大きくため息をつく。失敗したか、と稔が身構えた途端、両手を握って立ち上がった。
「はいっ! 思うところはありますがランもアイドル、なら応援してくれている皆さんのために、責任持って本放送に臨まないといけません! 背中を押していただきありがとうございますっ!」
「……ふふっ」
頬を紅潮させ、鼻息荒く気合を入れ直す蘭子を前に、稔は失笑する。
そう、自分の心配する範疇に収まるような子じゃない。だからこそ、見ていて退屈しない。
改めて肩に手を置こうとして思い止まり、握られた蘭子の両手を両手で包む。
「どゅえぁ!? あの稔ちゃんまだおててはちょっと」
「嫌♡」
真正面から切り返され空気の抜けたような声を出す蘭子に、稔は微笑み返した。
その三つ隣の部屋では、月乃とひとみが顔を寄せてスケジュール、並びに自主トレーニングのメニュー表を見返していた。
「やりすぎて体を壊しても良くないし、ギリギリまで詰めるならこの辺でしょうね」
「はい。恐らくこれが、今の私たちにできるベストだと思います」
真剣な顔で何度もタブレットの画面をスクロールしては見返すひとみ。その両肩に、月乃はゆっくりと両手を置いた。
「ちょっと強張りすぎね」
「え」
「リラックスした方がいいわ。緊張するのはわかるけど、焦って本番に響いたら困るでしょ?」
そう言われ、息を吐きながら視線を上げる。言われてみれば肩に力が入りすぎていたようで、少しずつ自然体に戻っていく体に十数分越しの人心地を覚えた。
優勝すると意気込んでいるのはいいもの、実際にステージが進むごとに心にかかる重圧は増える一方だ。
準決勝からはPrincipalが審査員となる。彼女らの審査基準は不明だが、デビューして七年、国民的アイドルになって三年という目から見られる以上、決して甘くないことは確かだ。
しかし同時に、ひとみの思うように事が進んでいるのもまた同じだった。自分たちの予選通過に加えて、ましろたちファンタジスタ!もまた同じ舞台に立っている。
もし互いに準決勝を通過することができれば、待ち望んだ直接対決ができる。
「だからこそ、焦ったらダメ、か」
腕を伸ばして体をほぐす。まだ本番までは一月以上ある。本選に出場するため、他の仕事はかなり減っていく予定だ。
学校のこともこなさなければならない。減った分一つ一つの仕事にはより集中する必要があるだろう。そして、その中でも確実に勝てるようにレッスンを重ねていかなくてはいけない。
大丈夫、芯はぶれていない。
「ありがとうございます、月乃さん」
「いいわ、これくらい」
目を合わせて笑う。ここまでは好調、勢いを落としてはいけない。適度に力を抜きながらも、前に進むことだけは忘れないでいよう。
一度タブレットの画面を閉じると、ひとみは立ち上がった。
「少しジョギングしようと思うんですけど、どうですか?」
一方、打ち合わせを最も早く終えたましろと恭香は既に事務所を出ていた。残暑も消え少しずつ寒くなる季節、特に陽の出ていない時間は肌寒い。帰宅するであろう人々の中にも、コートや手袋がよく見られるようになってきた。
それは同時に年末が、この大きな仕事を締めくくる舞台が近づいていることを意味している。
頬を打つ風に時の流れを実感しながら、恭香はましろに問いかけた。
「ましろ、私たち、勝てると思う?」
「え、んー」
ましろは人差し指を顎に当てて考え込む様子を見せたものの、数秒も経たないうちに朗らかな笑顔で答えた。
「わかんないけど、なんかワクワクします。多分、そこでしか見られない景色が見られると思うから」
「そっか、じゃ、大丈夫そうかな」
未来がどうなるかはわからない、けれど予感は前途洋々。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、どうあっても現実を織り交ぜて考えてしまう恭香にとって、ましろのこの楽天的な部分はありがたく思えるものだった。
それに報いるのであれば、自分も自分なりに歩みを進めるのが筋だろう。
「そうだましろ、敬語使うのやめにしない?」
「え」
「どうせ歳ひとつしか変わらないし、窮屈でしょ? 私はそっちの方が嬉しいんだけど、どうかな」
窮屈に見える、というのは事実であれほとんど建前で、私は嬉しい、の方が本心だった。
しかし、ましろは即答せず唸り声を上げながら眉間にしわを寄せる。珍しい反応に興味が湧き、恭香は一歩前に出た。
「何かある?」
「……ひとみに怒られそうだなーって」
真剣な顔から出た少し幼い返しに、思わず吹き出してしまった。大概のことに即答するましろも、意外なところで悩むらしい。
笑いながらも恭香は親指を立て、はっきりと言い放つ。
「大丈夫、私が許す!」
「そっか。じゃあそうするね、恭香さん」
直後、笑顔を向けたましろに勢いよく抱き着き、頭を撫でまわす。冷たい手が素肌に触れないよう、少しだけ気を付けながら。
「さんもナシ~!」
「え~? じゃ恭香ちゃん!」
「よしよし可愛いぞ~ましろ~!」
努力なら目いっぱいする。だから、アイドルじゃないこの瞬間も大切に楽しんでいたい。
寒さに抗うようにひとしきりはしゃいだあと、長い息を吐いた恭香は噛み締めるように呟いた。
「頑張ろうね」
「うん、優勝しよう」
☆
JGP社屋内。終業前の最終確認を行っていた左枝と右城の元へ、宝多がやって来る。コートを羽織っているところを見るに、帰宅する前に一声かけにきた様子だ。
「お疲れ様。どうかな、その後は」
「社長、お疲れ様です。合格した六人は今後の見通しも含めて順調で」
「そうでない四人は?」
穏やかな口調ながらも鋭い返しに本題はそっちか、と察した二人は、しかし迷うことなく即答する。
「弦音と深冬は前野さんが外に連れ出して、持ち直したと連絡がありました」
「彩乃と千里も、家族と話して一旦は気が楽になったと後藤さんが確認しています」
「ふむ。なら今日のところは問題なさそうだな。君たちも、今後のケアを怠らないようにしてくれ」
アイドルとしてプロデュースする以上、人間の人生を預かって夢に向かう道を舗装する責任と義務がある。彼女たちから見て、仕事において最も身近で頼れる相手は自分たちでなければいけない。再確認などするまでもない、前提の心構えだ。
二人のプロデューサーは力強い返事と共に頷き、宝多もそれを見て口角を緩め、頷き返した。
「いよいよ本番だ。今回の仕事だけでなく、今後についても考えなくてはいけない。私も来年の仕事を取るため尽力する、君たちにも期待しているよ」
「はい!」
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