第七話 レディ・ステディ

 九月冒頭、JGP社屋内の会議室。その日は、ファンタジスタ!とえれくと☆ろっくの二組が呼び出され席についていた。

 千里を除く九人が夏休みを終えた今、本格的にBrand New Duo予選攻略に向けて動き始める、その第一歩である。

 四人の前に立った右城が、資料片手にそれぞれの顔を一瞥する。

「よし。それじゃあ、改めてBrand New Duoのルールから説明していくぞ。このオーディションは全四段階の審査に分かれている。運営からの発表によると、挑戦するユニットの数は八十四組。そして、一次予選の動画審査で……これが約半分まで落とされる見込みになってる」

 話が始まってすぐに、厳しい現実を告げられる。大型のオーディションであることはわかっていたが、実際に数字で言われるとその”厳しさ”が如何程のものかが如実に伝わってきた。部屋の中に緊張が走り、アイドルたちが表情を引き締めていく様子が右城の目にもはっきりと映る。

「今言った通り、一次審査は動画を送る形で行われる。三曲ある課題曲の中から一つを選んでパフォーマンスした動画を運営に送って、ダンスとボーカルに重点を置いた審査が行われる、とのことだ」

 話を聞きながら、恭香きょうかは自前のタブレットに、弦音つるねはスマホにメモをとる。深冬みふゆはメモ帳にシャーペンで書き残し、ましろは小さな手帳を開いてペンを持ったまま話だけを聞いていた。

「そして、一次審査を通過した約四十組は、実際に審査員の前でパフォーマンスする二次審査に進む。一次審査の時とは課題曲が変わるから、今はあまり強く意識しなくていい。ただし、この二次審査を通過できるのは……五組だけだ」

 メモを取る手が止まり、思わず息を呑む。八十四組、しめて百六十八人にも上った応募者たちはたったの五組、十人にまで絞られるという。オーディションである以上当たり前のことだと頭では理解できているものの、倍率の厳しさは事実として自信を押しつぶしにきた。

「今、頭に入れておいて欲しいのはここまでだな。二次審査を通過した五組はオーディション番組の本放送に出られることになる。準決勝は、一次と二次のパフォーマンスをネット上で公開して視聴者票も集める形で行われるそうだ。そして、ここからが問題なんだが……なんでも”本人たっての希望”らしく、準決勝から審査員が増えることになったらしい」

 困った様子で頭に手を置く右城を見て、アイドルたちは首を傾げる。

「準決勝と決勝、番組として放送される部分の審査に、楽園がくえんエンタテインメントからPrincipalの五人が特別審査員として参加することになった、みたいだ」

「んえっ」

「わーお……!」

 ここに来て発表された予想外のことに、弦音と恭香が声を上げて驚く。普段であれば楽しそうな表情を見せる恭香も、この時ばかりは動揺を隠せないようだった。深冬は声すら上げられない様子で固まってしまう。

 右城はそれを見てより眉を寄せながらも、手を出して話を続ける。

「気にすると思うけど、本番まで隠しておくのも悪いと思ってな……まあ、何にせよPrincipalに見てもらうには準決勝まで進むしかない。今は目の前の一次予選を通過することを考えてくれ」

「はーい」

 他の三人がそれぞれの表情で黙る中、ましろだけがどこか気の抜けたような返事を返した。

 数分後、会議室を出た四人は廊下を歩きながら言葉を交わす。

「……やばばのばばじゃん」

「いやーびっくり! ま、でも二回勝ち進まなきゃいけないんだし。右城さんの言ってた通り、目の前のこと考えないと最初で躓いちゃうよ?」

「わたしは楽しみだなぁ。だって、勝ち進んだらそんな凄い人たちに見てもらえるんだよ?」

「楽、しみ、ですか」

 戦々恐々としている弦音と深冬、冷静に事を捉える恭香に対し、ましろ一人だけが手を合わせて屈託のない笑顔を浮かべる。

「気にならない? 本当に人気な人たちから見て、わたしたちがどう映ってるのか」

「……わ、かり、ません。ちょっと、早すぎる、気が、しま、す」

「そーそー。いくらなんでもジキショーソーじゃね? 意味合ってるかわからんけど」

 どうにも目の前の現実を受け止め切れずにいる二人だが、それが既に決定事項であることもまた事実。今するべきことが変わった訳ではない。

 食い違う意図に黙り込んでしまう三人を、後ろから恭香がまとめて抱き締める。

「とにかくっ! やるべきことは一緒! どのユニットも優勝目指してレッスン頑張るのみ、でしょ!」

「……ま、そーだよね」

「『先のことはその時に、だね。まずは課題曲を選ぶところから始めよう』」

 弦音とクーちゃん越しの深冬が目を見合わせて笑う。それを見た恭香は安心したように優しく笑うと、二人を離した。

「それじゃ、私たちはレッスン行こっか!」

「はーい」

 片手でましろの頬を揉みながら、恭香は元気よく拳を上げてエレベーターへと向かう。

 残された弦音は、深冬と再び目を合わせた。

「んじゃ、あーしらは課題曲もらいに行きますか!」

「はいっ」



 都内、レッスンスタジオ・更衣室。レッスン着から普段着へと着替えながら、鈴本朱鳥すずもと あすかは横に視線を配る。関根礼せきね れいはいつもと変わらぬ無表情―――ではなく、ここ最近その表情や立ち振る舞いからは僅かな怒りが見て取れた。

「礼、なに怒ってんの? なんか嫌なことあった?」

 普段通りの口調で隠そうとしていた部分をつつかれ、礼は無表情に近かった顔を明確に顰めさせる。

 しかし、朱鳥がこうした直情的な振る舞いしかできない人間であることは礼自身よく理解しているつもりだ。自分が機嫌を損ねても意味はないと捉え、息をついてから返す。

「そうね。正直ずっとイライラしてる」

「なんで?」

天宮月乃あまみや つきの……いえ、ジュエリーガーデンプロモーションのことよ」

 その口から出てきた名前を聞いて、朱鳥はよりわからないといった様子で首をかしげる。

「そんな怒るようなことあった? なんか大したことない、普通の人だったけど」

 適当にあしらわれて機嫌を損ねていたのは誰だったか、と礼は視線で訴えるが、依然として不思議そうな表情のまま着替えを続ける朱鳥を見て、その思考を切り捨てる。

。私たちはオーディションで二百人近くから選ばれて、下積みをして、やっとデビューしたって言うのに。目標のPrincipalは新設事務所の新人に目を向けてる。腹も立つでしょ」

「ふーん……礼もそういうの気にするんだ」

 一足先に着替え終えた朱鳥は、立ち上がったかと思うと拳を突き出す。

「ま、そんなのどうだっていいでしょ。あたしたちはトップに立つためにアイドルやってるんだから、そのためならどんな相手とだって戦ってやるよ!」

 自信満々といった様子で言い切る朱鳥をよそに、礼も着替えを終え鞄を持って立ち上がる。つま先で床を叩いてシューズのずれを直しながら、無表情で釘を刺した。

「朱鳥のその心意気は買う。けど、彼女たちがただの新人でないことも確かよ」

 そう言いながら礼はタブレットを取り出し、その画面を朱鳥へと向ける。そこには、Luminous Eyesの公演を撮影したものが映されていた。朱鳥にとっては、既に見たことのある映像であり今更どこに注目するのだ、といった程度のものでしかなかったが、不満そうに映像を見るその様子に礼が嘆息する。

「感覚が麻痺してるのよ。私たちからすれば確かに超えているレベル、でも他の事務所の新人と比べると、ジュエリーガーデンのアイドルは誰も頭一つ抜けているところがある。レッスンの質がいい証拠よ」

 話しながら画面をスワイプすると、映像が切り替わる。今度はステラ・ドルチェの公演だ。

「どういう仕掛けがあるのかは知らないけど、彼女たちには侮れないくらいの実力が備わっている。私たちが負けるはずない、って思うのはいいけど、それは慢心じゃなく責任であるべき……そうでしょ」

 未だ納得しきれない様子の朱鳥を気にすることもなく、礼はタブレットをしまい出口へと振り向く。

「このオーディションを通過して、Principalの目を私たちへ向けさせる。そのために、ジュエリーガーデンプロモーションには絶対に勝たなきゃいけない。それだけよ」

「それだけって、ちゃんと言ってくれないと困るんだけど」

 歩き出そうとしたタイミングで腕を強く引かれ、礼は姿勢を崩しそうになる。文句を言おうと振り返ったところへ、朱鳥が焦点の合うギリギリの位置まで顔を寄せてきた。

「あたしたちは頂点を目指すんでしょ。だったら倒したい相手も、目標も、二人で共有しないと意味がないじゃん。一人でイライラしてないで、二人で勝つために頑張らないと! だから礼も、あたしをんでしょ?」

 不満げな表情は、本音をぶつけていくうちに不敵な笑みへと変わる。その変化を見て、礼もようやく口角を上げた。

「……そうね、ありがとう朱鳥」

「よし! それじゃ行こっか!」

 拳を作り、手の甲を軽く合わせる。それから二人は連れ立ってスタジオの外へと歩き始めた。

「うちからは何組出るんだっけ」

「デビュー直前のユニットも含めて十二組。明確に実力があるって言えるのは……Legato a Dueレガート・ア・ドゥエね。ここ最近で追い上げるように実績を出して……」



 JGP、タレント寮ロビー。二階から降りてきた彩乃あやの千里ちさとの目に飛び込んできたのは、並んで勉強するみのり蘭子らんこの姿だった。

 夏休みが開けたとはいえ、テスト対策にもまだ早い時期のはず。そう思った彩乃が、先んじて問いかける。

「お疲れ様です。勉強してるんですか?」

「お疲れ様、彩乃、千里さん。ほら、私と蘭子は受験があるでしょ?」

「ぅお疲れ様ですっ! アイドルたるもの、ファンの安心のため受験に落ちる訳にはいきませんから。稔ちゃんのお力を借りて磐石に、ということで!」

 確かに、見てみると稔のものらしきノートは見当たらず、机の上に広がっているのは蘭子のノートと参考書ばかりだった。

「稔ちゃんは頭いいものね~。進学先もう決まってるの~?」

「はい。アイドルになる前に、湖城こしろ大の理学科に決めました」

 事も無げに答える稔に、千里はまあ、と手を合わせる。

「湖城って言ったら都立よね~。偏差値も結構あるでしょ、そんなところに行けるなんて凄いわ~」

「かくいう千里ちゃんも、袱紗ふくさ芸大音楽学部の弦楽器専攻とかなり一流なところにいらっしゃいますけども」

 すかさず蘭子が割って入ると、千里は少し恥ずかしそうに私はいいの~、と手を振る。その横で、彩乃は感心した様子で目を輝かせていた。

「凄いなぁ……蘭子も進学先決まってるの?」

「まあ、幾つかには絞っ」

「ええ。ランには私の後輩になってもらうから」

 まだ決まりきっていない様子の蘭子を遮って、稔が得意げに胸を張る。しかし、蘭子の言葉もばっちり聞こえていた彩乃はどちらを信用すればいいのか戸惑い、二人の顔を見比べた。

 見るからに嬉しそうな稔に対して、蘭子は気まずそうに背中を丸めている。

「ですから稔ちゃん……ランの学力的にそれはちょっときついので」

「大丈夫よ私が見るもの。それとも同じ制服を着るのは嫌?」

「稔さんも受験ってことは、蘭子が入学したら稔さんはもういないんじゃ……」

 どうやら、何度か同じやりとりを繰り返しているらしい二人の会話に、思わず彩乃が助け舟に近い突っ込みを入れる。すると稔は、無粋だとでも言いたげな目で口を尖らせ睨み返してきた。普段の彼女からは想像できない表情につい怯んでしまう。

「卒業しても制服はあるんだから、いいの」

「そ、そうですか……すみません」

 謝ってから、自分たちが外へ出る途中だったことを思い出す。時間に余裕を持ってはいるものの、いつまでも話を続けるわけにもいかない。

「そろそろ行かないと。蘭子、頑張ってね!」

「あ、はい! 応援していただけるなんて恐悦至極! お二人もお仕事頑張ってください!」

 拳をぐっと握って応援する彩乃に、蘭子も敬礼で返す。千里もひらひらと手を振りながら、寮を出て行った。

 再び二人になって数秒。蘭子は大きく息をつくと、人差し指を立てて稔に詰め寄る。

「んもう! ああいうのを彩乃ちゃんみたいなピュアっピュアな子にやったらダメじゃないですか! ランだって度が過ぎれば怒るんですからね!」

 蘭子が誰かを叱る、という構図は、他では見られない珍しい光景だった。

 しかし、稔は両手で頬杖をついてにこにこと笑顔を浮かべている。まるで叱責の効いていない様子にたじろぎながらも、蘭子は気を持ち直して詰める。

「聞いてますか」

「ええ、もちろん」

「怒っちゃいますよ」

「いいわよ?」

「良くないんですよ!!」

 思わず大声を出してしまったが、それでも稔は笑顔を崩さない。

 ―――あまりに無敵すぎませんかっっっ。

 遂に折れてしまいそうになったタイミングで、稔の左手が蘭子の頭に乗る。

「ふふふ、冗談よ。ちょっとやりすぎたかもね」

「……むぅー……」

「ごめんね。けど、後輩になって欲しいのは本当よ?」

 一転して諭すように、優しく声をかける。頭や顔を撫で回されながら柔らかな声色でねだられ、ついつい懐柔されそうになってしまうも、なんとか目を閉じて耐えた蘭子はできるだけ厳格に、と心で唱えて締めた。

「とにかく、あんまり過ぎたことはしないように。ワガママやイジりはラン限定ですよ」

「ふふ、はーい」

 本当にわかっているのか、という疑念を抱きながらも、蘭子はペンを持ち直しノートに向かい直す。その複雑そうな横顔を、稔は嬉しそうに見つめていた。



 JGP社屋、社長室。左枝は資料片手に悩ましげな顔をしていた。

「しかし参りましたね。まさかPrincipalが審査員になるなんて……プレッシャー、相当大きいだろうな」

 アイドルたちを憂うその言葉には、しかし確かに準決勝まで行けるだろうという自信と、そこまでの道のりに重いものが伸し掛る不安が現れていた。

 その横で、宝多は笑みを浮かべながらルビーの背を撫でている。

「これはクリスくんだろうね。いつもながら予想外の行動をしてくる」

「はは……楽園の方も今頃大変でしょうね」

「ああ。けど左枝くん、これはチャンスであり、彼女からの挑戦だと私は思うよ」

 撫でる手を止め、宝多は窓の外へ目を向ける。

「このオーディションで優勝すれば、来年の新春うたフェスに出場できる。それはすなわち、大きな舞台にいきなり放り出されることになる。恐らくクリスくんは、先に緊張を与えることで本番の舞台に耐えうるアイドルかどうかを試し、優勝者がうたフェスの場でリラックスしてパフォーマンスできるよう、チャンスを与えたんじゃないかな」

 どこか遠くを見るような目で語る言葉を聞いて、左枝は苦い顔で笑う。

 そんな二人の顔を一瞥してから、ルビーは机を飛び降り社長室から出ていった。

「自分には、キラキラした子と友達になりたい、って理由に思えますけど」

「ははは、それも違いないだろうな」



 都内某所の劇場。今まさに公演を終えたひとみは、汗を拭いながら楽屋へ入っていくところだった。

「お疲れ様です、ひとみちゃん」

「ありがとうございます」

 下野に会釈し、メイクを落とし始める。その最中にも、今の公演を振り返ることを忘れない。Luminous Eyesとしての活動が功を奏し、以前よりもひとみ個人のファン数が勢いづいて増えてきていた。その中には元々月乃のファンであった女子中高生などもおり、おかげで男性ファンが多かったひとみの公演にも少しずつ女子が目立つようになっていた。

 特に今日は、一際目立つ格好をした女子高生らしき観客の姿も―――

 そこまで考えたところで、思考は中断し手が止まる。廊下の方から、何やら大きな足音が聞こえてきた。そして、ノックも半ばに楽屋の扉が勢いよく開け放たれる。

 ダイナミックに登場した”目立つ観客”は、ドアノブをしっかり握っていたがために開いた扉の勢いに振り回され転びかけた。オーバーサイズのアウターに着けた缶バッヂが、忙しない音を出す。なんとか姿勢を持ち直しセーフ、と腕を水平に動かしたあと、ひとみを見つけ凄まじい速度で迫ってくる。そしてメイク落としを持ったままの手首を掴んで顔を寄せてきた。

「凄い凄い! あなたとっても上手だった! わたし感動しちゃったよ!」

「え、あ、あの」

 どうして観客席にいた彼女が今ここにいるのか、なぜ着替え中に入ってきて挨拶もなしに詰め寄ってきているのか、様々な疑問が高速で頭を駆け抜け、ひとみは礼も言えず固まってしまった。目の前の少女は変わらず、鼻息荒くしながら派手なサングラス越しに力ある視線を向けてくる。

 自分だけではどうしたらいいのかわからず、下野に助けを求めようとしたその時。

歌音かのん、まだ着替え中じゃない? もう少し待たないと」

 少女の後ろからまた一人、先ほどまで観客席にいたはずの女性が楽屋へ入ってきた。そして、もう不要とばかりに着けていた眼鏡とバケットハットを取る。するとそこには、無表情ながらも非常に整った清らかな顔立ちがあった。

 その顔を見て、どうしてこの二人が楽屋に入ってこられたのか、ひとみはやっと理解する。

「Legato a Due……楽園のアイドルが、どうしてここにいるんですか……!?」

 もしこの場にいたのが月乃であれば、その正体に気付くことは無かっただろう。オーディションでライバルになりうるユニットを調べ、当たりをつけていたひとみだからこそ正解にたどり着けた。

 Legato a Due。楽園エンタテインメント所属の新人デュオユニット。元気いっぱいでおっちょこちょいな有海歌音ありうみ かのんと、端正な顔立ちに隙のない完成されたパフォーマンスが売りの相川涼穂あいかわ すずほの二人によって構成された、キュート系のアイドルユニットだ。

 デビュー当初の数ヶ月はあまり話題に上がらなかったものの、最近になって二人のキャラクター性がSNSで受けたことや、その歌唱スキルの高さが広まったことでファンが増え、現在ではBrand New DuoでもIG-KNIGHTイグナイトと並ぶ有力候補……というのが、ひとみの見解だった。

「へ!? わたしたちのこと知ってるんだ! ねぇねぇスズちゃん、わたしたち有名人だよ!」

「うん、頑張ったもんね。でも今、その子着替えてるから」

 相も変わらずひとみの手首を握る歌音を、涼穂はあくまで冷静に諭す。二度言われたことでやっと歌音は手を離し、照れた様子でごめんなさいと数歩下がった。

 来客、それも思わぬ相手がいる以上待たせる訳にはいかない。ひとみは取り急ぎメイクを落とし、下野にアイコンタクトで時間をもらう旨を伝えた。

「すみません、お待たせして」

「いえ、こちらこそ。急に押しかけてすみません」

 今一度、互いに会釈し自己紹介を済ませる。それから本題について尋ねると、

「てきじょーしさつです!」

 と、明るい口調と表情に似合わない物々しい単語が飛び出してきた。とはいえ、それが目的であることはひとみにとっても想定内。口元をきゅっと引き締め、真剣な表情で続きを促す。

 依然、笑顔のままの歌音に代わって、涼穂がそのサインを受け取り話し始めた。

「もちろん、オーディションを前にどんな相手がいるのか知って気持ちを引き締め……あわよくば勝つための情報を得たい、それが目的ではあります。ですが、あなたたちの場合は少し事情が異なっている」

 何かを含ませた物言いに、ひとみは思考を巡らせる。なぜ彼女らがここにいるのか、それに明確な理由があったとしても、自分たちが特別に目をつけられる原因が特定できない。活動においても楽園のアイドルとは実績に大きな差があり、目の前の二人と比べれば自分たちはまだ取るに足らない有象無象のひとつでしかないはずだ。

 短時間でこれ以上は無理だと判断したひとみは、一度思考を打ち切って涼穂の澄んだ目へと視線を戻す。

「あなた方……ジュエリーガーデンプロモーションのアイドルを、Principalの五人が気にかけている、という話で私たちの間では持ち切りになっています。ですから、その理由を探りに来ました」

「え」

「私個人としては、審査員としての唐突な参入も、恐らくはあなた方の参加が原因だと見ています。そして、もし本当にそうだとすれば、その影響力は計り知れない」

 自主的に打ち切ったはずの思考が、強い衝撃で強制的にシャットダウンさせられる。しかし目の前にいる涼穂の表情に嘘はなく、また精神的に揺さぶるにしては話のスケールが大きすぎる。

 実は、月乃はIG-KNIGHTと出会ったことをひとみに話していなかった。確証もない下手な話をしてプレッシャーをかけるわけにはいかないという彼女なりの心遣いあってのことだったが、それも知らぬ間に無になってしまったと言える。

 動揺は隠せないが、それでもまだ嘘である可能性はある。そう思い切って表情をどうにか保ち、話を続ける。

「その様子だと、そちら側に思い当たる節は無さそうですね」

「……はい。正直、嘘をついて揺さぶろうとしている、と言われた方が納得できます」

「違うよ! スズちゃんは嘘なんかつかないし、嘘だったら大胆すぎるよ!」

 立ち上がって必死に訴えようとする歌音の肩に涼穂が手を置き、ゆっくりと座らせる。その顔は、先ほどまでの冷淡さを持ったものではなく、とても穏やかな笑顔だった。不満げながらも歌音が座り直したことを確認すると、元の表情に戻って涼穂は続ける。

「これで真相は分からずじまい、当人のみぞ知るところだと分かりました。ですが、これまであなた方の公演を見て、粒ぞろいと言える実力があることも理解できた……こちらも一切油断せず、絶対に勝つつもりで臨みます」

 既に全員が見られていた、という事実もさることながら、強い意志の篭った目で見られる。思わず怯みそうになったところで、その右手が歌音の肩に置かれたままであることに気が付いた。

 ―――怯むな。

 確かに、相手は強い。今は月乃もそばにいない。しかし、この決して長くない時間で得られた情報は大きかった。そして、無理にでもポジティブな捉え方をするのであれば、目の前の二人だけでなく、Principalまで自分たちを気にかけている。それは即ち、自分たちが有象無象というには頭一つ抜けたものを持っていると認識してもいいはずだ。

 それに、負けられない理由という点では、ひとみは誰にも劣るものではないという自負がある。油断しないという言葉も、アイドルとしては前提に近い心構えだ。

「高く買っていただいて嬉しいです。でも、本選で勝つのは私たち、Luminous Eyesです」

 拳を強く握り、固い誓いとして言い放つ。この場にいない月乃の分まで、ここでしっかりと宣言しなければいけない。

 ”負けられない”ではなく、”勝つ”意志で臨む。貪欲なまでに勝利を求めることを、ひとみは涼穂にも劣らない眼差しで告げた。

 その想いが伝わったのかは定かではない。が、涼穂はどこか満足げとも取れる顔で頷いた。

「それが聞けて良かった。一人のアイドルとして、あなたと競うのが楽しみです。今日はお時間取らせてしまい、申し訳ありませんでした。歌音、行こう」

「うん。あなたも凄かったけど、わたしとスズちゃんはもっとも~っと凄いから! オーディション、楽しみにしてるね!」

 あくまで明るく、励ますような言葉を置いて、二人は楽屋を出る。扉が閉まったあと、ひとみは長い息を吐きながら全身の力を抜いた。

「ふぅ……」

「お疲れ様。大変だったね」

 下野の声を聞いて、ここに滞在できる時間が残り少ないことを思い出し衣装を脱ぎ始める。衝撃は大きいが、折れる理由はどこにもない。

 ―――絶対勝つ。そうですよね、月乃さん。



 レッスンルームの照明が点いていることに気付いた恭香が扉を開けると、中では月乃が険しい顔でダンスレッスンに臨んでいた。

 動きは正確、緩急がはっきりとしており動いていても止まっていても美しい。それだけに、その表情が美麗さを欠くようなものであることが気になってしまう。

「月乃」

「……恭香。ごめんなさい、もう時間だったのね」

 息を整えながら汗を拭う。視線をよこさないのは、恭香の後ろにましろがいるからだろう。

 気になるところではあったが、今の状況で追求しても良い結果を招かないこともまた確かだ。

「頑張ってるじゃん」

「……ええ、少しね」

 返事の歯切れも、目に見えて悪い。何かあったことは明らかだ。

 個人としては、気にかけたい気持ちが大きい。しかし、今はユニットとしてのレッスン、それも恭香をましろに合わせるため、言わば遅れを取り戻す目的で行なうもの。他のことに時間を割く訳にはいかない。

「顔色、あんま良くないよ。ひとみとはちゃんと喋ってる?」

「……当たり前でしょ」

 ともすれば、ただあしらわれたように見えるやり取りだが、恭香はそこに手応えを感じ取った。

 同時に月乃も、心配されていたこと、何かあったなら人に頼れと暗に言われていることを少ないやり取りで読み取る。

 IG-KNIGHTとの一件があった直後、Principalがなぜかオーディションの審査員に名乗り出たと聞いた時、月乃は焦燥に近い動揺を受けた。いくら自信家かつ努力家であることを売りにしている彼女でも、物事に段取りがあることは重々承知している。まだデビューしたて、卵とも雛ともつかないような位置にいる自分を、遥か彼方の頂点にいるアイドルがなぜ気にかけるのか。その未知がいつしか圧力に変わり、彼女の心を縛っていた。

 自分自身、不調であることもその原因もわかっていた以上、他者から言われるまでそれを直せなかったことを悔いる。そして、ばれないよう一瞬だけ恭香とましろに視線を移した。

 ―――気を遣ったつもりが、頼らないせいで私が沼にはまったってところね。

 不器用な自分の性格に苛立ちを見せながらも、月乃は荷物をまとめてレッスンルームを出る。最後に扉を開けたところで立ち止まり、聞こえるかどうかの声で呟いた。

「悪いわね」

「いいよ」

「っ」

 聞こえたとしても返事をされるとは思わず、つい振り返る。恭香は先ほどまでと打って変わり、嬉しそうに歯を見せながらウインクして見せた。

 不意を突く恥じらいで感情が振り切れ、月乃は靴音を鳴らしながら足早に更衣室へ向かう。その途中で、ポケットに入れたスマホが振動した。取り出してみると、母親からの電話だ。

「……母さん? なに?」

『月乃、自主レッスン終わった?』

「今終わったところ」

 以前であれば、店番を頼むための電話をかけてくることが多かったものの、アイドルになったことで喫茶店の手伝いをやめてからは電話で話す回数はめっきり減っていた。だからこそ、何の用があるのかと返答を待つ。が、返ってきたのは思いもよらぬ言葉だった。

『調子良くなってるみたいね』

「は? どういうこと?」

『最近、ずっとムスっとしてたでしょ。時間空いた時にどこか出掛けようかと思ってたけど、元気そうな声色で安心した』

 そんなに顔に出ていたのか、ということよりも、声色だけでそこまでわかるのか、の疑問が大きかった。まるで理解できず、伸びたばかりの眉間にしわが戻ってくる。

 昔から、母にはどうやっても敵わなかった。常に独特の空気を持ち、余裕を崩さない。かと思えば娘と違って人の機微にも敏い、不思議な人物。隠していることを射抜くように話されるのが苦手で、かといって人付き合いの器用さに欠ける月乃には隠し事をやめることも、上手く取り繕うこともできなかった。左枝にスカウトを受けた時も、勿体ぶって返事を先延ばしにしていたことを見事に見抜かれている。

 またか、という苛立ちを抱えながらも、半ば諦めの気持ちで言葉を返す。

「そう。問題ないから」

『私にはいいけど、周りの人にはお礼が言える子でありなさい。ひとみちゃんにもね、家族でお世話になってるんだから』

「……いつ世話してもらったのよ」

 少なくとも、覚えている限りではひとみが家族の世話をしたことはない。自分ひとりが世話になっている、ということなら何も言えないが、何も家族ぐるみとまで言う必要はないだろう。そう思っての発言だったが、聞こえてきたのはまたも予想を裏切る言葉だった。

『あの子のアイデアで小さい本棚置いたの、お客さんに人気なのよ。姉さんも喜んでた』

「なに、何の話?」

 完全に想定外の全く知らない話をされて、思わず食い気味に聞き返す。確かに、いつからか店の中に見慣れない本棚と数冊の本が置かれていた。それ自体には気付いていたものの、それがひとみの発案であるなど月乃にとっては寝耳に水だった。

『知らなかったの? あなた、ちゃんと仕事場でコミュニケーション取れてる?』

「なっ……当たり前でしょ!?」

 心配するような声音に、感情の瞬間風速が振り切れた月乃は遂に怒りを表に出す。続けて怒ってしまった自分が恥ずかしくなり、もういいから、とだけ言って一方的に通話を終えた。

 スマホを乱暴にポケットへと突っ込むと、苛立ちと羞恥で入り乱れた心のまま、月乃は数歩前の何倍か不機嫌な顔でまた歩き出す。それでも、自分の落ち度を認めない訳にはいかない。再びスマホを取り出すと、ひとみに向けてメッセージを送った。

「言われなくたって、やったから」

 誰にも聞かれないよう独り言ちて、月乃は更衣室の扉を開ける。その体と足取りが少しだけ軽くなっていることに、彼女自身が気付くことはない。



 十日後、一次予選に使う動画を撮影するため、Luminous Eyesとえれくと☆ろっくがスタジオに来ていた。

 評価点はあくまでパフォーマンス内容であるため、服装はシンプルなTシャツとパンツ。何テイクか繰り返し撮影してから選ぶため時間も長くとってある。

 最終確認前のストレッチをこなしながら、弦音は思いつめたような表情の深冬に声をかける。

「深冬固くなりすぎ~! 体やーらかいのにガチガチんなってんよ」

「ぅ」

「だいじょーぶ、あーしがついてる! まず一次、絶対通過すっかんね!」

 本番前だというのにあっけらかんとした様子の弦音を見て、深冬は少し笑う。深く考え込んでしまう自分に対して、弦音の持つ身軽さは紛れもない長所だった。

 ―――本当に、助かります。

「はい、リラックス、して、がんばり、ます!」

「うっしゃそのチョーシ! 通ったらおねーさんがなんかプレゼントすっから!」

 その様子を横目に見ながら、月乃はひとみへと問いかける。

「コンディションはどう?」

「問題ありません。月乃さんも」

「心配なんていらないわ。私もしてないしね」

 不敵な笑顔を見せる月乃を見て、ひとみは密かに安心する。しっかりと、本番までに憑き物を落とすことができたようだ。

 互いにライバルと出会ったことを話し合ったお陰か、二人はこの一週間それまで以上に身を入れてレッスンに励むことができていた。月乃の台詞も、晴れやかな気持ちと十全な準備を以て挑む自信の現れである。

「IG-KNIGHT、Legato a Due……誰が相手でも勝って進む。頂点以外で止まる気なんて」

「さらさらない、ですよね」

 遮るように言葉の先を当てて見せたひとみに、月乃は満足そうに頷く。

 その様子を見て、機材チェック中の右城と前野も自然と笑みをこぼしていた。いざ大型オーディションの第一歩、緊張してしまうのが当然だろう。そんな状況に置かれながらも、こうして平静でいられるということは、それだけ予選通過にも近いと捉えていいだろう。

 機材チェックを終えた右城が、手を叩いて声を張る。

「よし! それじゃあ最終確認のあとに本番撮影を始めるぞ、準備はできてるか?」

「はい!」

 この日、少女たちによる大きな一歩が踏み出された。

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