第六話 コーリング!

 弦音つるね深冬みふゆのユニット、えれくと☆ろっくが結成された翌週の朝。事務所のロビーには、宿泊用の荷物を持ったましろ、恭香きょうか彩乃あやの千里ちさと、後藤が並んでいた。恭香と千里は、それぞれギターとヴァイオリンの入ったケースも背負っている。

「後藤さんも一緒なんですね」

「たりめーよ、こちとらジャーマネよ? せっかくじゃんけん勝ったんだから、楽しまんといけんでしょ」

 後藤に関しては楽しむ気満々のようだが。

 と、そこへ明らかに他とは毛色の違う、黒い車がやってきて事務所ビルの前で停まる。車体はやや長く見るからに送迎用、加えて言えば左ハンドルだ。

 運転席の窓が開くと共に、千里が駆け寄っていく。

「柴崎~! 久しぶりじゃな~い!」

「お久しぶりですお嬢。元気そうで何よりです」

 車を停車させ降りてきたのは、スーツに身を包んだ女性。年齢は三十代半ばほどだろうか、華美でないショートカットに薄いフレームの眼鏡をかけ、整った身だしなみをしている。

 女性は丁寧な所作で一礼しながら、車の後部座席ドアを開けた。

「皆様、お嬢がお世話になっております。私、お嬢の世話係をしております、柴崎と申します。以後お見知りおきを。どうぞ、ご乗車ください。話は―――高速をトばしながらでも」

 諭すような声色での挨拶……に、何か付け加えられたのにましろと千里以外が反応を示すも、言われた通り車に乗る。座席数は八席ほどだが中は広く、荷物を持って入ってもかなりの余裕があった。最後部に恭香と後藤、その前に彩乃とましろが座る。千里は助手席につき、柴崎が再びハンドルを握った。

「では捕まらないギリギリの速度で突っ走ります。ライドは約二時間、ゴールド免許を失いたくないので皆様シートベルトはしっかりとお締めくださいませ。それでは今から、楽しい首都高の旅が始まります、いってらっしゃ~い」

 エンジンをかける瞬間、柴崎は手馴れた様子で遊園地のアトラクションじみたアナウンスをしながら無表情でバックミラーに向けて手を振り、それから車を発進させた。

 安全運転で走り出す車の中で彩乃はぽかんと口を開け、ましろは手を振り返し、恭香は手を振りながら声を出さないよう笑いを堪え、後藤はできるな、と目を光らせた。千里は慣れた様子でお~、と手を挙げている。

 走り出してしばらく、首都高速道路に差し掛かったあたりでましろが口を開く。

「柴崎さんって、千里さんと付き合い長いんですか?」

「ええ、それはもう長い長い付き合いになります。なにせお嬢が生まれてこの方十九年間、世話係を務めておりますので」

 柴崎の返答に、彩乃が首をかしげる。恭香や後藤も違和感を示すが、探るのも野暮だろうとブレーキをかけて口を開かなかった。

 だが、そんな中でましろだけが思考のまま

「え、何歳なんですか?」

 と言い放った。彩乃は思わず後ろに座る二人の方を振り向くが、恭香と後藤は少し悩んだあと、今のは気になるからスルーで、と手振りで答えた。

 直球な質問であったが、特に気に留めることもない様子で柴崎が口を開こうとした時、先に千里が大きな声で返す。

「そうそう、結構若く見えるでしょ~? これでも私が産まれた時に二十七だから~、今……いくつだったかしら?」

「今年で四十七になります」

「うそぉ!?」

 想像だにしない回答に思わず彩乃が声を上げ、直後にしまった、と顔を青くしてまたも後ろを振り返る。二人はすぐさま今のはまずい、と身振り手振りで返した。

 しかし、当の柴崎はやはり全く気に留めていないようで、眼鏡の位置を正しながら冷静に答える。

「嘘のような本当の話、元気が若さの秘訣です」

「へー、綺麗でいいですね!」

 意外な答えにもまったく驚くことなく、ましろは屈託のない笑みで言う。彩乃はその様に、一種の尊敬に近い念を覚えた。

 その後も、千里の話を中心に会話は続く。友人を家に呼ぶと緊張させてしまい、二度以上来た者はいないこと、邸宅の使用人全員を巻き込んで演劇をやろうと言い出したこと、中学に上がって以降は夕飯の支度を自分から手伝っていたこと。花咲く思い出話に耳を傾けているうちに、気付けば車は高速道路を降りて緑豊かな別荘地に近づいていた。

「お嬢と言えば行動派なところがありますが、一見すると無謀なことでも目を輝かせて挑戦するのは昔からなのです。五歳の頃に一度、屋敷を抜けて街へ繰り出された時はもう大事件でしたね。全員首が飛ぶかと」

「退屈だったんだもの~」

 淡々と話し続ける柴崎と、笑顔でそれに相槌を打つ千里。その様子からは、付き合いの長さも相まって母娘のようなテンポの良さを生みだしていた。

 普段はそのマイペースさが目に付く千里も、今日は子供のように朗らかな笑みで車に揺られている。その様子に少しの新鮮さを覚え、彩乃と恭香も自然と笑顔になっていた。

 やがて車は停まり、それを合図に会話もぴたりと停止する。見れば、小さな湖のほとりに立つ大きな建物がそこにはあった。

「到着致しました。当園のトークライドはお楽しみいただけたでしょうか」

「はい、とっても!」

「なんだか恥ずかしいわね~、私のお話ばっかりしちゃって~」

 荷物を手に車から降りると、都会とは全く違った空気と静寂が一行を出迎える。別荘地であるためだろうか、他の建物が見えないよう林に囲まれた空間には、まさに切り出された特別な場所といった趣がある。

 これでは事務所での合宿というより、場所だけ見れば何か長期の企画ロケでもするのかと思ってしまうような雰囲気さえあった。

 しばらくその憧憬に立ち尽くす一行に、千里が声をかける。

「さ、楽しい合宿の始まりよ~。中に荷物、置いちゃいましょ~」

「清掃や設備のメンテナンスは済ませてあります。どうぞご自由に、倒壊しない程度でお楽しみください」

 促されるまま別荘の中に入る。中は六人が並んでもまだ余裕ある玄関を皮切りに、テレビとソファの設置された広いリビング、そこから見える厨房のようなシステムキッチン、見上げれば吹き抜けから見える二階の廊下と、合宿をするにはおあつらえ向きの場所だった。

「広っ……」

「豪華~!」

「こりゃいい、まえのん今頃悔しがってんだろーなー。写真送ったろ」

 ひとしきり写真を撮ってから、リビングの端に荷物を置く。千里はスマホのメモを確認してから、手を叩いて視線を集めた。

「それじゃあ、午前中はいつもと同じようにレッスンしましょ~。お昼まであんまり長くないから、軽いものにはなっちゃうけど~」

「はい!」

「はーい」

 レッスン着に着替え出す四人を横目に、後藤は部屋の隅に三脚を立てる柴崎に近づいていった。

「おや……私的利用ですが、事務所NGでしょうか?」

「んや、問題ないですよ。こっちも私的利用したいから、後で頂ければ嬉しいなと」

 後藤の答えになるほど、と微笑んで柴崎はカメラを設置する。その手馴れた様子を見て、缶コーヒーを開けながら後藤は話を続けた。

「昔から撮ってるんですか?」

「ええ。奥様……お嬢の母上に送るために。数ヶ月に一度しか会えないとなりますと、お互いに心配事も多いのでしょう」

 合わせたピントの向く先、準備運動を始める四人を見つめて、感慨深そうに柴崎は呟く。

「昔から、ああしてお友達との楽しげな様子を見られると、奥様は大変喜ばれるのです」

 一方、レッスンに打ち込む四人。せっかく広いスペースがあるのだからと、基礎体力トレーニングと発声練習に加えてダンスレッスンも行うことにしたようだ。

 幸いにも、ダンスパフォーマンスの少ない恭香と千里に対して、事務所内でもダンスの腕を売りにしているましろと彩乃という構成となったため、この場を利用して教えを請うこともできる。

 当人たちもユニットを組むうえでそこが気になっていたようで、まずは今のダンスを見てもらう形に決めたようだ。

 まずは恭香が、壁に背を預けて座る三人の前に立ち、踊り始める。自ら弾いたギターの音が光るロック調の音楽に合わせるように、時に激しく、時に静かな緩急のある振りは、大人びたお姉さんでありながら楽しさに目がない音路おとみち恭香という人物そのものを表現するかのような大胆なものだった。

 曲が終わり、締めのポーズから力を抜く恭香に、三人の拍手が飛ぶ。

「おー」

「凄いです恭香さん! ギターも弾けるのに、ここまで踊れるなんて」

「本当に凄いわ~、どうやってるのか全然わからなかったもの~」

 口々に褒め言葉を送る三人だが、今の目的はそれではない。

「ありがと。でも、今のままじゃ月乃たちには敵わない。だから、ちょっとでも気になるとこがあったら聞かせて欲しいな」

 その言葉を聞き、少し悩んだあとにましろがあ、と声を上げて立ち上がる。そして恭香とは別の方向に歩いて距離を取ると、

「ここなんだけど」

 と言って―――恭香の振りをほぼ完璧に再現して見せた。あまりのことに恭香と彩乃は呆然とし、千里はまぁ、と声を上げる。

 一節を丸々踊ったあと、ましろは事も無げに話を続ける。

「ここ、たぶん腕の振りとかが複雑になるからかな、脚の動きがちょっと固まり気味かなーって思、いました。次の動きを意識するなら、この動きに合わせる感じでこうやって足運びすると綺麗に見えるんじゃないかなって」

 途中、話す内容に夢中だったのか敬語を付け加える形になったものの、指摘を終えたましろはどうですか、と目を向けてくる。

「なるほど、うん。ありがとう、そこ意識してやってみる」

「いや、っていうか、ましろ……今の見ただけでそこ覚えたの?」

 彩乃が思わず尋ねると、ましろは笑顔で手を振る。

「一回じゃ無理だよー。レッスンの時に何回か見てたから」

 笑って否定したものの、それでもしっかりと教わった訳ではなく、何度か見ただけであることに変わりはない。そのことに彩乃が驚いているうちに、ましろは恭香へ視線を移し、嬉しそうな笑みを見せる。

「つい見ちゃうんだー。さっきもそうだけど、恭香さんって踊ってる時、すっごく楽しそうだから!」

 その笑顔を見て、恭香も思わず笑い返す。そんな二人を見ながら彩乃は呆気にとられ、千里はあらあら、と嬉しそうに手を合わせた。

 続いて、千里。ヴァイオリンに加えピアノとチェロも弾けることと、そもそもダンスそのものが苦手なことが相まって、恭香以上にダンスパフォーマンスを披露する機会は少ない。そのため、レッスンにおいても周囲とは水をあけられていた。

 そういう売り方、と言ってしまえばそれまでかも知れないが、ユニットで活動するとなると話は大きく変わってくる。今回の仕事で、最も自分のやり方を変えなければいけないのが千里であることは間違いなかった。

 深呼吸をして、バラード調の曲に乗せゆっくりと手を上げていく。クラシック寄りのゆったりとしたメロディに何気ない日々を綴った曲を、優雅かつ繊細な動きで表現する。アイドルと言うには情緒的すぎるとも言えるその穏やかな振りを、三人は固唾を飲んで見守った。

「……どうかしら~?」

 振りを終えた千里は、両手を重ねて尋ねる。ましろと恭香は悩んだ。クオリティの高低で言えば間違いなく何かを言うべきところだ。しかし、具体的にどこを指摘すれば良いのかを考えると難しい。自分たちとは表現が違い、今まで見てきた回数も少ないために簡単に口を出せなかった。

 そこへ、今度は彩乃が手を挙げる。

「あの。千里さん、重心がちょっとブレてるんじゃないかなって。一つ一つの動きはすごい綺麗なんですけど、流れで見た時に違和感があるんです」

 そう言うと、彩乃は千里の背後に回り抱きしめるような姿勢で腹に手を添える。そのまま、先の振りをもう一度やって欲しいとのことだ。

 言われるがまま千里は同じ動きをとる。しばらくして、彩乃が声を上げた。

「あ、ここですここ! 今、あたしの腕にちょっと寄りかかるくらい前に重心を置いてるんですけど、そんなに前のめりになると次の動きに移りにくくなるんですよ」

 彩乃の言う通り、声と同時に動きを止めた千里は、前方に重心を置いていたためによろけた。ましろもその様子を見て違和感の正体に気付いたらしく、あー、と手を叩く。

「一つ一つの動きはちゃんとしてるんで、それを繋げるための体幹とか、重心に集中してレッスンしてみたらどうでしょうか」

「なるほどね~、さすが彩乃ちゃんだわ~」

 千里は顔をほころばせ、彩乃の頭をよしよしと撫でる。最初こそ驚いた彩乃だったが、千里の気持ちを汲み取ってか恥ずかしそうな顔こそしたものの、抵抗はしなかった。

 その後も二人の振りに対する意見交換がしばらく行われ、気付かないうちに時刻は十三時に差し掛かろうとしていた。時計を見ることも忘れていた四人だったが、突如ましろが思い出したかのように

「あ、お腹すいた」

 と言ったことで初めて正午を過ぎていたことに気が付き、昼休憩をとる。

「お昼はどうするんですか?」

「みんなで作ろうと思って~、色々用意してもらったの~」

 そう言いながら千里が大型の冷蔵庫を開けると、中にはみっちりと様々な食材や調味料が用意されていた。明らかに六人では使い切れない量に彩乃と恭香が思わず冷や汗を流す中、背後から柴崎が手を挙げて言う。

「お嬢、本日は笹塚と井之頭も動員しております故」

「それじゃあ、え~っと……五、六、で……八人分ってことね~。何を作ろうかしら~」

「皆様方もご自由に、必要とあらばお持ち帰りにも対応しております。材料不足のスマイルは非売品ですが」

 千里を中心にしばらく悩んでいた四人だったが、恭香のできれば肉を使った料理がいい、との提案でビーフストロガノフに決定。役割を分担してキッチンに立ち、彩乃と恭香のどちらかが千里に逐一目を向けつつ調理を開始した。

「こうやって、みんなでお料理するの、楽しいわよね~」

「合宿って感じ、しますね!」

「千里さん手元ちゃんと見てくださいね!」

 和気あいあいとした雰囲気の中、徐々に料理の香りが立ち込め始める。夏も半ばになる頃、まだ陽は高く昇っていた。



 都内のスタジオ。月乃つきのは撮影の仕事に入るため、やや早いタイミングでそこを訪れていた。

 後藤からのメッセージを見返し、仕事内容を再確認しながら歩いていたところで、聞き覚えのない声に呼び止められる。

「あ、あんた」

 大きな声に思わず顔を上げると、やや幼げながらも強気そうな顔立ちをした少女がこちらを指差している。その礼節を欠いた態度が、自分に向けられていると悟った月乃は眉をひそめて素通りしようとしたものの、少女はつかつかと歩み寄ってきた。

「ジュエリーガーデンプロモーション、Luminous Eyesの天宮あまみや月乃でしょ」

「……なに?」

 ご丁寧に事務所から並べ立てて名前を呼ばれ、無視する訳にもいかなくなった月乃は不機嫌そのものの態度で言葉を返す。少女はそれに臆することもなく、自信ある様子で胸に手を置いた。

楽園がくえんエンタテインメント所属、IG-KNIGHTの鈴本朱鳥すずもと あすか。名前くらいは知ってるで」

「申し訳ないけれど知りません。私に何か用なら事務所を通してください」

 自己紹介に押し付けがましい言葉を加えようした少女……朱鳥に、月乃は食い気味かつ素っ気なく返す。そのまま歩き出そうとしたところで、腕を掴まれ大声で返された。

「ちょっと待ってよ。Brand New Duo出るんでしょ? 他の出場者について何も知らないなんて、そんなの有り得ない。あんたまさかライバルの下調べもしてないの?」

 矢継ぎ早に直球な言葉を投げられ―――ついでに痛いところを突かれ―――月乃は思わず睨み返す。それに対し、朱鳥は不敵な笑みを浮かべた。

「朱鳥、そこまでにしなさい。初対面の人に対する態度じゃないでしょ」

 と、そこへもう一人の少女が現れ、月乃と朱鳥を引き剥がす。そして手を払う月乃に対し、頭を下げながら自己紹介した。

「申し訳ありません、相方が失礼しました。私、楽園エンタテインメント所属の関根礼せきね れいです。以後、お見知りおきを」

「……そう。それで、私に何か?」

 礼と名乗った少女を見て、こちらであればまだ話が通じそうだと感じた月乃は要件を聞く。自分とは違う対応に朱鳥が顔を顰める中、礼は黙って月乃の顔を見つめる。そして、月乃が沈黙に耐え兼ねるギリギリのタイミングになって、やっとのことで口を開いた。

「気になったんです。同じオーディションに挑むアイドルとして、のことが」

 何か含みを持たせるような、持って回った言い方をされたことで月乃はその場を離れることを忘れた。

 それが何を意味しているのかはわからないが、相手が大手だからといって舐められる訳にはいかない。少し強気に、語気を強めて返す。

「楽園みたいな大手のアイドルが私に? 一体どういう風の吹き回しかしら」

 その言葉を聞いて、礼は少し悩むような表情を見せる。警戒を解かないよう、月乃は撮影までの時間を確認する。まだかなり余裕はある、探りを入れるくらいはしても問題ないだろう

 事実、大手事務所のアイドルが新設事務所の新人である自分たちを気にかける理由が見当たらない。プライドの高い自信家である月乃でも、実力が評価されている訳ではないだろうことはすぐにわかった。

 やがて、礼が口を開く。そこから出てきたのは、思いもよらぬ名前だった。

Principalプリンシパルの方々があなたたちを気にかけていたので、何か関係があるのかと思ったんですが……そちらはご存知ないようですね。お騒がせしました、失礼します」

 それだけ言うと、礼は朱鳥の手を引いて来た道を引き返していく。朱鳥は何か言いたそうに月乃を睨んでいたものの、それ以上言葉を発することはなかった。

 一方の月乃は、そんな朱鳥の態度を気にする暇もなく呆然としていた。礼の口から出た名前は、”ライバルの下調べもしていない”月乃であってもすぐにわかるものだった。

「Principal……? 嘘でしょ?」



 昼食を終えたましろたち四人は、いよいよユニットを組むための本格的な話し合いを始めることとなった。

 事前に千里から、自分が得意とすること、やりたいことを今一度考え直してくる、という宿題を受けていた三人は、各々準備を済ませて並ぶ。

「それじゃ、一番手は私からいいかな?」

 まず手を挙げた恭香が、アンプに繋いだエレキギターを提げて前に出る。そして、呼吸を整えてからピックを持った右手を掲げ、弦を鳴らし始めた。

 低い音でリズムを取り、数節の後に音が高くなると同時にアップテンポな旋律が響き渡る。今回はユニットを組む材料になるということもあり、恭香らしいロックサウンドから少し離れたポップスに近い音楽だった。

 演奏をしながらも、恭香は三人の表情を見る。実際に視線を向けられることで、誰が何に注目しているのかを理解できた。千里は弦を抑え、弾き鳴らす手元を。彩乃は恭香の姿全体に目を向け、視覚よりも聴覚に重きを置いて聴き入っている。そしてましろは、恭香の顔をじっと見つめていた。

 やがて演奏を終えると、三人に加え見守りの二人からも拍手が飛ぶ。

「凄いです!」

「上手ね~」

「うん、すっごい楽しそうだった」

 口々に褒められても恥じらいを見せることなく、恭香はウインクで返す。

「ありがと♪さ、次は誰がやる?」

 互いに顔を見合わせた後、少し緊張した様子の彩乃が勢いよく手を挙げる。前に出て呼吸を整えながら軽く手足を振ったあと、スマホから流れる音楽に合わせて踊り始めた。

 普段は流され気味で緊張しがちな彩乃だが、ひとたび体を動かし始めるとその雰囲気は大きく変わる。幼げながら端正な顔立ちも相まって、どこか中性的なイメージを纏いながら軽やかに跳ねるその様はクールにも映るものだ。

 ダンスそのもののクオリティも、スポーツ少女というだけあって非常に高い。細かい手足の動きから大きく大胆な振りまで、緩急のはっきりとした動きでメリハリをつけつつ、細部に至るまで油断なく意識が向いており、まさに手本のようだった。

 彩乃自身は、とにかく自分の内面に集中力を向ける。目線の動きまで含めてダンスという芸術は成り立つ。であれば、徹底的に無駄を排して手本通りに動かなければいけない。

 三十秒と少し経ったところで、曲が転調する。テンポが上がり、激しさを増したロックサウンドだ。しかし、彩乃はその急激な速度の変化にもばっちり対応し、ごく自然に音楽とひとつになる。

 そして、クライマックス。

 ―――ここ。

 両脚に強く力を込め、バック転で最後を飾る。難なく着地し、ポーズを決めると共に曲が終わった。

「凄いわ~!」

「うん、さすが彩乃。ダンスにかけては事務所一番だね」

「おー」

 拍手と共に褒められ、彩乃は照れくさそうに頬を赤らめてそそくさと戻っていった。

 続いて視線を合わせたあと、ましろが譲る形で千里が前に出る。その手には愛用のヴァイオリンと弓があった。

 いつも通りの笑顔で三人へと向き直ると、ヴァイオリンを左肩に乗せ弓を構える。


 次の刹那、場の空気は一変した。


 幼い頃より専門の家庭教師をつけて修練を積んできた千里の演奏技術は、その道のプロを選ばなかったことが悔やまれるほどの圧倒的なを持っていた。普段の彼女らしからぬ真剣な表情に、感情と技術が多分に乗せられた力強い旋律。それは見るものの視線と心を奪うに飽き足らず、演奏をもってして自分の領域に観客を引き込むような無類の魅力となって襲いかかってきた。

 上手い。美しい。流麗でありながら立ち居振る舞いは強く、堂々としている。自身の力量と実績に確たる自信があるからこそ出来ることだ。

 千里は、自分の世界に没頭していた。迷いなく、堂々と、自分の意志を乗せて音楽を解き放つ。それが偉大な母の演奏を見て、何も教わらずに育ってきた、自分なりの答え。

 最後の小節を弾き終えた千里は、息を吐きながらヴァイオリンを下ろす。しかし、先の二人と違ってすぐに拍手は飛んでこなかった。

「どうかしら~?」

 口に出して、やっとのことで反応が返ってくる。

「あ、あたし……こんな凄い演奏、初めてです」

「すみません、ちょっとびっくりしちゃいました。横からはよく見てたけど、正面から見るとこんなに力強いんですね」

「すごい真剣でした」

 ましろ以外の二人、特に彩乃は強い衝撃を受けたようで、声が少し震えていた。逆に、恭香はどこか疼くような、楽しみを抑えきれないといった笑みを浮かべている。

 そんな様子に、千里はいつもの笑顔で礼を返す。

「ふふ、ありがとう~。さ、最後はましろちゃんの番よ~」

 促される形で千里と交代し、最後にましろが前に出る。

「えへへ、ちょっと練習してきたんだ」

 自信ありげに笑って、ましろはスマホから音楽を流す。一度の瞬きの後、流れる曲に合わせて踊り始めた。

 それは、普段なら触れることもないであろうバレエのリズム。体のバランスを維持しながら、流れるように綺麗な動きで魅せていく。合宿が発表されてから今日までが一週間ということを踏まえると、その習熟度には目を見張るものがあった。未知すら容易に取り入れるその様に三人が感心―――したのも束の間、大きなピアノの音が唐突に音楽を遮る。続く形で流れ出したのは、深冬が歌うようなローテンポのポップスだった。

 あまりに急な転換に三人が丸めた目に映ったのは、その急な変化に対応し振り付けを変えるましろの姿。先に彩乃がやったことと同じように思えるが、転調に対し音楽ジャンルそのものが大きく変化している。通常であれば、中断の動きが入るはずだ。しかし、ましろの動きは続いていた。区切りなくシームレスに、その体は次の振りに移行している。

 更に数十秒後、今度はノイズ音が響いたと思えばロック、鐘の音が鳴ればクラシックと、目まぐるしくトラックが移り変わる中、ましろはずっと笑顔で踊り続けていた。

 手足を自在に動かし踊りながらも、自分の”サプライズ”に驚く三人を見てましろはより目を輝かせる。

 ―――大成功。見たかった、見れた。

 やがて、嵐のように過ぎ去った五分を終えたましろは一息つく。

「どう?」

「いや、どう、って……これ、一週間で?」

 またも一番大きな衝撃を受けたのは彩乃。ましろの動きは、アイドルとして……プロの仕事として見れば明らかに付け焼刃のものであったが、たった一週間の独学で身につけたとは到底思えない、人に見せられるレベルには仕上がっていた。

 と、感情を抑えきれなくなったのか恭香が飛び出し、ましろを抱き締める。

「やるじゃんましろ~! こんなに覚えるの大変じゃなかった?」

「大変だったよ~。でも、色んな音楽聴いて、色んな踊り方するの、凄く楽しかった!」

 頭を激しく撫でられながら笑うましろ。そんな様子を見ながら、彩乃は千里の声がしないことに気付き視線を動かす。千里は口に手を当てたまま、石のように固まってしまっていた。驚いた彩乃が恐る恐る、その目の前で手を振って呼びかける。千里ははっと我に帰ったあと、手の位置はそのままに感嘆をこぼした。

「凄いわましろちゃん……たった一週間でこんな……」

 いつもの間延びした口調ではなく、噛み締めるようなその言葉には、羨望とも、劣等感とも取れる感情が乗っていた。

 その顔を見てか見ないでか、ひとしきりましろを撫で終えた恭香が手を鳴らす。

「さて! 今のでわかったことも多いと思うし、これを判断材料にするってことで、ひとまずはここまで。いいかな?」

「あっ、はい!」

「いいよー」

 すぐに返した二人に遅れて、千里もまた笑顔に戻る。

「ええ、そうね~。いろいろ、考えなくちゃいけないものね~」

 そんな四人の様子を見ながら、柴崎は誰にともなく呟く。

「厳しいですね」

「そりゃーそうですよ」

 独り言として言ったつもりが反応を返され、少し驚く。後藤は淹れてもらった紅茶を口にしてから続けた。

「一見普通の女の子、でもオーディションを勝ち抜いてる。それだけの才能、努力の持ち主ってことは間違いない。まず身内との差を乗り越えなきゃ、”外”に出たときに打ちのめされちまいますからねー」

 飄々としたようでいて、その実しっかりと四人全員に視線を配る。そんな後藤の仕事ぶりを見て取っていた柴崎は、あえて何も言わなかった。少なくとも、ここから先は芸能界に疎い自分が踏み込むところでも、独り立ちした子供に余計な世話を焼くところでもない。そう断じて。

 ましろたちは、続いて恭香の提案で連想ゲームや性格診断を行うことにしたようだ。話し合いながらお互いの性格や考え方を見ていこうという思惑があるのだろう。その場にいる後藤や柴崎を巻き込むことなく、あくまで自分たちの問題として捉える様を、二人の大人は何も言わず見守っていた。



 事務所社屋、休憩室。所属アイドルたちの憩いの場となっているそこに、みのり蘭子らんこが入ってくる。すると、既に室内のソファには弦音と深冬が並んで座っていた。弦音が片手に持ったタブレットを顔を寄せ二人で見つめながら、何やら真剣な表情をしている。

「お疲れ様、二人とも」

「お疲れ様です!」

 声をかけると、二人は笑顔になり、クーちゃんと一緒に手を振って返す。

「二人もおっかれー!」

「おっ、『お疲れ様!』、です」

 稔たちもソファにかけ、何をしていたのかと問う。曰く、ユニットの方向性を固めたはいいものの、どういった衣装を頼めばいいのかという部分で弦音が考えすぎてしまい、深冬と話しあっていたそうだ。

 ファッションに一定のこだわりを持つ弦音から見て、抑えたいポイントは幾つかあるが、それを自分と深冬の両方のイメージに沿うようピックアップするにはどうしたらいいか、考えるうちに混乱してしまうそうだ。

「オーディション、最後まで行けば新曲テレビで歌えるかもっしょ? そーなった時に何も考えてないのってやばばじゃん。気になったら止まんなくてさー」

「『目標は具体的な方が、レッスンにも身が入るしね』……という、ことで」

 それを聞いて、蘭子も強く同意する。弦音はしばらくうんうんと唸ったあと、話の矛先を蘭子たちへと向けてきた。

「二人はなんか、ハッキリしてんよね。蘭子に寄せてカワイー! ラブリー! みたいなさ」

「違うわ弦音。二人の未来はスウィートなのよ」

 謎の訂正に深冬とクーちゃんが揃って首を傾げる中、弦音はなるほどー! と納得した様子を見せる。蘭子は何を感じ取ったのか、やや顔を赤くしながら言葉を繋いだ。

「ステラ・ドルチェの良いところはそこです。基本的にはカワイイ系でポップなランのスタイルで行くつもりですけど、ご要望があれば稔ちゃんのミステリアスやクールなスタイルも出していける、全方位隙のないユニット! シリアスもいけるカワイイはオタク的にもポイント高めですから」

 少し早口な蘭子の言葉に、深冬は嬉しそうに頷く。弦音はふむふむと頷きながら手元のタブレットと視線を交互させた。

「えれくと☆ろっくのイイトコロはー……あーしの音楽性に深冬が乗っかる意外なトコとー、深冬はカッコイイも行けるんだぞってトコとー……あとなんだろ」

「もう少し自分を前に出した方がいいわね」

 ユニットの特性を抽出しようと深冬のことばかり並べる弦音に、稔が釘を刺すように言う。

「二人で一つになるのがデュオユニット。良いところ一つ出すのにも、二人が合わさることでどんな相乗効果があるのか、何をファンに届けられるのかを押し出した方が説得力があるわ。私のファンも最初は驚いてたけど、私とランがお似合いだってわかってからは」

「そぉぉーーーーうですねぇ!! 弦音ちゃんのファッショナブルな部分や快活な音楽性と深冬ちゃんのカワイイですとか滑舌の良さですとかそういった要素を掛け合わせるってことを考えるのが良いとランも思います!!」

 稔の言葉を無理に遮るように、蘭子は大声かつ早口でまくし立てる。いきなりのことに深冬は跳ねるように驚き、弦音は呆然としてしまった。その一方で、稔は嬉しそうとも意地悪とも取れる笑顔で蘭子の横顔を見ている。

 大きく息を吸って吐いて、蘭子は落ち着きを取り戻す。何か言ってくれると、と視線で訴えられた弦音は、どうにか言葉を紡ごうとする。

「えー、ってーと……まー最初に言ったけど、あーしの音楽で深冬の意外なトコを見せるってのが一番で……あーしも深冬に合わせてキレーな感じになったりした方がいいんかな」

「そういう、方向転換も、たまにやる、の、いいと、思いますよ」

 何かを察した深冬も、弦音に乗る形で同意する。

 と、そこでふと弦音がタブレット内の時計を見て声を上げた。

「あ、今日のクイズセブンライン! そろそろ始まんじゃね?」

「もうそんな時間でしたか!」

 蘭子も反応を示し、二人はいそいそと休憩室内のテレビを点ける。

「今日はカオルさんが出んだよね~」

「年に数度のPrincipal対決、見逃す訳には行きません!」



 一通りのレクリエーションを終えたましろたちは、軽くシャワーを浴びてレッスンを終わりにし、別荘のリビングでテレビをつけて談笑していた。

「恭香さんまだ笑ってる」

「だって、ましろと千里さんの絵、すっごい良くて、っふふ……また絵心対決やろうね、ふふふ、あーダメだツボっちゃった、あははは」

「もう、そんなに笑われると恥ずかしいわ~」

 恭香が笑い続ける中、テレビのチャンネルを変えていたましろがその手を止める。見ると、今始まったばかりのクイズ番組が映っていた。番組レギュラーとゲストの二チームに分かれて競うタイプの内容で、どうやら今日の放送では放送中の夏ドラマ出演者によるチームが挑戦するようだった。

『今夜は水曜ドラマ”夕暮れが、君を染める。”チームが登場! 主演の紅香くれない かおるさんとチームセブンライン朝波海月あさなみ みづきさんのPrincipal対決、勝つのはどちらか!』

 注目のカードとして紹介されていたのは、二人のアイドル。

 Principal―――恐らく、国内で今最も有名な女性アイドルグループ。楽園エンタテインメントから七年前にデビューした、五人組ユニットだ。大手の出ということもあってか、デビューしてから他の追随を許さぬ勢いでその名を大きくしていき、四年の間に国民的アイドルの座まで上り詰めており、アイドルに興味がなくともその名前を知らない人間の方が少ない。

 今やテレビ・ラジオ・SNS・動画投稿サイトのどこを見ても、彼女らを見ることなく過ごすのはほぼ不可能と言ってもいいレベル……正に、アイドルとしてひとつの頂点にいると言って差し支えないような存在だった。

 画面の中では、気の強そうなつり目にロングヘアの女性と、ボブカットに眼鏡をかけた知的で優しそうな女性が向かい合う光景が映されている。

『さあ紅さん。今回メンバーの海月さんが相手だけど、どう? 普段から勉強してるとこも見てると思いますけど』

『ま、よく見てますね。だからアタシも今日はちょっと、連勝止めてお灸を据えてやろうかなと』

『おぉ、やる気十分ということで! なんかね、全然勉強してそうな感じには見えないけど』

『オイ』

『海月さんの方はどう、自信ある?』

『もちろんです。香さん玲良れいらちゃんと同じでムキになりやすいんで、最初から飛ばしてペース掴んじゃおうと思います』

『簡単には負けてやんねーからな』

 どこか楽しそうなやり取りをする二人を見ながら、彩乃がぽつりと呟く。

「Principalかぁ……」

 アイドルになる前であれば、その存在は強く意識することのない、有り体な言い方をすれば雲の上、別世界にいるものと認識していた。しかし、自分がその世界に飛び込んだ今、彼女たちは目指すべき最終目標のひとつという現実的な存在となる。だからこそ、ただ目にするだけでも強いプレッシャーが心にかかるようになっていた。

 そんな中、ましろも呟く。

「あの人たち、どんな景色見てるのかな」

 どこか抽象的な言葉の意味を、はっきりと察せたものはその場にいなかった。それがただ収録現場の話をしているのか、それとも”国民的アイドル”という看板を背負うことに対する認識の違いを意味しているのか、それはましろのみぞ知るところだ。

 と、そこへ玄関から柴崎が現れる。

「お取り込み中失礼致します。ご夕飯のバーベキューが準備できましたのでお知らせに参りました。すぐ始められますか?」

 それを聞いて、レッスンで体力を消費している食べ盛りの四人が首を横に振るはずもなく。

「私すぐ食べたい!」

「あ、あたしも、できたらすぐお願いします!」

「わたしも~」

「ですって~、それじゃ外に出ましょうか~」

 一も二もなく手を挙げた恭香に続いて、彩乃とましろが返答する。それを見た千里が先導する形で、ジャージ姿の四人は外へ出た。

 庭は広く取られており、湖のほとりという絶好のロケーションが映える。バーベキュー用にセットされたテーブルの周りには、既に後藤と見知らぬ男女が立っていた。

「あ、後藤さん飲んでる~」

「お、見つかっちまったな~? 社長にバレたら減給だから、コレな、コレ」

 わざとらしく口の前で人差し指を立てる後藤の手には、恭香の言う通りビールと思しき泡立つ液体の入った、プラスチック製のコップが握られていた。

「紹介するわね~、こちら笹塚と井之頭。二人ともうちのお手伝いさんなの~」

 一方、千里が並び立つ男女を平手で示しながら紹介する。笹塚と呼ばれた女性が先に、井之頭と呼ばれた男性が後に礼をしてから、既に点いている火を育てる作業に戻っていった。

 テーブルの上には、肉を中心に様々な食材が乗せられており、見るだけで心躍る光景となっていた。

「うわぁ~! 夢みたいかも!」

「恭香さん、お肉大好きですもんね」

「よく動かれる皆様のために、タンパク質を十分に摂取できるようご用意しました。満足いくまでお召し上りください。焼き上げはあちらの二人に頼めばお望み通りに仕上げます」

 普段は年長者として周りを気遣う恭香も、この時ばかりは目を輝かせて鉄串に次々と肉を刺していく。同じように千里が手当たり次第に食材を焼かせていく中、ましろと彩乃は相談しながら少しずつ焼く対象を選ぶ。後藤は酒を少しずつ飲みながら既に頼んでおいた肉を待ち、三人の使用人は忙しなく動き回っていた。

 やがて、炭の音に遅れて肉の焼けるいい匂いが立ち込めてくる。いの一番に焼き上がった肉をもらった恭香は、胡椒香る牛肉を実に幸福そうに食べ始めた。その後も、各々が好きに選んだ肉、野菜が次々と音を立てて熱され、辺りに芳醇な香りが満ちていく。野菜で挟んだ肉にかぶりつく彩乃、マイペースに食べ進めるましろ、上品な所作ながら次々と胃に詰め込んでいく千里と、四者自由な食事時を過ごす。

 それまでのレッスンや特技披露で体力を消費していたこともあり、この夜のバーベキューは誰もが普段よりも多くの量を食べていた。

 四十分後、すっかり食事を終えた四人は、用意されたベンチに座って一段落ついていた。都心を離れ自然の中にいると、夜空に浮かぶ星は段違いに多く、より輝いて見える。

「いやー……いい体験したー……千里さん、皆さん、ありがとうございます」

 噛み締めるように独り言ちた後、恭香は座ったまま姿勢を正して柴崎たちに頭を下げる。それを見た彩乃も慌てて倣い、ましろもゆっくりとした所作で礼をした。

 千里は首を横に振って、どこか憂うような顔で答える。

「私にお礼なんていいのよ~。みんながいなくちゃ出来なかったことだし、本当なら私一人でやるべきところを家に頼っちゃった訳だし~」

 これまで口に出してこなかったものの、母の存在を意識してアイドルの道を選んでおきながら、こうして家に頼ってしまったという後ろめたさを千里自身も感じていたようだ。その表情からは、自分一人の力に対する無念が見て取れた。

 家を離れ、仕事に就いているとは言え、それでも成人してから数年の大学生。一人の力で成せることは多くなくて当然だろう。それでも、自分の出した成果を自分のものとして認めてもらいたい、という渇望を抱く彼女にとって、今回の合宿で家を頼ることが本意でなかった部分も確かにあった。

「違う、と思います」

 そこへ、彩乃が口を開く。決して大きな声ではなかったが、静寂の中にあってその一言は全員にはっきりと届いた。

「確かに、こんな遠い場所で、凄いとこまで連れてきてもらって、美味しいご飯もあって、それは千里さんの家だから出来たことだと思います。けど、あたしたちのために合宿を思いついて、それを社長にまで話してもらってこんな場を用意するっていうのは、千里さんがやったことじゃないですか。きっと、他の人だったら思いつかないし、お手伝いさんに迷惑かもって考えて止めちゃうかもしれないし。それでも千里さんがここまであたしたちを連れてきてくれたのは、それだけアイドルに本気だから、ってことなんだと思うんです」

 その言葉に千里がはっとした表情になると共に、恭香が言葉を繋ぐ。

「うんうん、そうだね。ましろと彩乃も悩んでるだろうし、どうにかしなきゃって思っても、私じゃこんな大掛かりなことできなかった。千里さんが、自分にできる最大限まで頑張ってくれたから、みんな答えが明確になってきたんじゃないかな」

 そう言って恭香が目配せすると、ましろも笑顔で答えた。

「わたしは、おいしいご飯も食べられたし、合宿のために仕上げたダンス見せられてとっても楽しかったです!」

 バトンのように繋がれていく言葉に、千里は胸の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。ゆるやかな風が吹いているというのに、その熱は染み入るように千里の全身へ行き渡る。

 自然と上がった口角に安心を覚えながら、千里は少しだけ俯いていた顔を前に向けた。

「そうね。私、間違ってないって思ったからそうしたのよね。ありがとうみんな」

 ゆっくりと立ち上がった千里が、別荘の方へ戻ろうと歩み始める。

「もう一度シャワー浴びたら、少しゆっくりする時間に」

「あっ」

 彩乃が上げた声に、その場の視線が集中する。咄嗟に出た声が思わぬ反応を呼んだことで、彩乃は顔を赤らめながら、足元に置いていた花火を取り出した。

「えっと……夏だし、みんなでやったら楽しいかなと思って、準備してきたんですけど……」

 正直、彩乃自身これを言うか、かなり迷っていた。あくまで今回の名目は”合宿”であり、遊ぶために来ているのではない。

 しかし、季節のこともあり偶然目に入った花火を気付けば買って持ってきてしまい、今も勿体ないという気持ちが勝ってつい口に出してしまった。

 恐る恐る、周囲の反応を伺う。すると、千里が珍しく鋭い声を出した。

「柴崎!」

「十五分いただきます」

 言うが早いか、柴崎はアクション映画のような軽々とした身のこなしで車に乗ってどこかへ走り去る。その素早さに呆気に取られている間に、笹塚と井之頭がどこからかロウソクを用意し火をつけた。

「準備できました、お嬢」

「心ゆくまでお楽しみください」

「おっしゃ、地元一花火渡すと危ない女・後藤ちゃんに任せろ」

 あまりに手早い準備と、真っ先に遊びだそうとする後藤を見て緊張が解けたのか、恭香がましろに向けてウインクした。

「それじゃ、お楽しみ第二弾ってことで」

「えへへ、大歓迎!」

 次々と集まって花火を要求され、彩乃は慌てて包装を剥く。それからは、手持ち花火を楽しむ時間の始まりだった。

「綺麗ね~」

「そうですね!」

「んー、勢い良い花火って見てて気持ちいいよね!」

「うん、綺麗」

 少しの時間が経つと、車が戻ってくる。降りてきた柴崎は抱えきれないほどの花火を買ってきており、中には地面に設置して使う大型のものまであった。

「お好きにご利用ください。残った分は私共で私的に楽しみますので」

 更にバラエティ豊かな花火の登場で、場はいっそう盛り上がる。

「これは何~?」

「お、ちさとん目の付け所がいいな。そいつは火つけてちょっと遠くに投げると面白いぞ」

「後藤さん、結構危ない遊び方しそうなイメージなのに真面目ですよね」

「そりゃお前ネズミ花火は危ねーだろ?」

「え~い」

「全然遠くに投げれてない!」

「これさ、大筒並べてその前で演奏するの、やってみたくない?」

「おー、凄いアリ」

「とてもロックな提案ですが、今は専門家が不在ですので残念ながら」

「くー! 惜しいなー!」

 そうして、更に時間が経つ。結局花火を使い切ることはできず、自然と規模を縮小していき最後は線香花火を楽しんだ。

 ひとしきり花火を楽しみ終えると、千里が立ち上がる。

「楽しかったわ~! それじゃ、私先にシャワー浴びちゃうけどいいかしら~」

「あ、はい! どうぞ!」

 鼻歌を歌いながら、楽しげな足取りで別荘へ戻っていく千里。それに続こうとした三人を、柴崎が呼び止めた。何かと思って振り返った三人の前で、深く頭を下げる。

「皆様、本日はお付き合いくださり、ありがとうございます」

「え、いやいや、だってこっちの都合でやってもらって、ねぇ?」

「え、あー、うん」

 予想外の言葉に彩乃が焦る中、柴崎は顔を上げて続ける。

「……お嬢の母上、奥様は世界的な音楽家。旦那様は音楽レーベル企業の役員。どちらも中々家に帰ってこられず、私共の仕事と言えば掃除とお嬢のお世話ばかりでした。そして、お嬢が巣立っていった今、やることと言えば広い屋敷の掃除ばかりです」

 それまでほとんど無表情だった柴崎が、悲しげな目で語る。

「誰も使わない広すぎる屋敷を、いつかもわからない予定のためにくまなく掃除して回り」

「……」

「広く長い廊下を利用してパターゴルフを嗜み」

「……ん?」

「手入れした庭で宝探しゲームに興じ」

「結構楽しんでますね……」

 変わらぬトーンで挟まれたジョークに彩乃が思わず突っ込みを入れると、柴崎は少し嬉しそうな顔になって続けた。

「ですので、お嬢があのように仰っていたとしても、私共からすれば頼っていただけるのが嬉しいのです。見ているだけで刺激になる、類い稀なお人ですから」

 刺激になる、という言葉に彩乃は苦笑で返し、恭香とましろは笑顔で頷く。その顔を一人一人じっと見つめてから、柴崎はもう一度丁寧に礼をした。

「世話係の仕事を抜きにした、個人的なお願いです。これからも、どうかお嬢の良き友人として、よろしくお願い致します」

 後片付けに勤しんでいた笹塚と井之頭も、手を止めて姿勢よく一礼する。ましろたちは顔を見合わせた後、笑顔で頷いた。

「はいっ!」



 五十分後。四人は順番にシャワーを浴び、最後に出てきた恭香が髪を乾かし終えたところに彩乃がやってきた。

「恭香さん」

「ん、彩乃。どした?」

 窓から月の光が差し込む中、二人は言葉を交わす。

「そっか。頑張れ!」

「はい!」

 力強く頷くと、彩乃は恭香に背を向けて歩いていく。その背を見送り、窓の外を見てから恭香も歩き出した。

「さて、私も行くか!」


 二階の一室。千里はスマホに送られてきた今日の写真を眺めていた。自分たちで撮ったもの、後藤や柴崎の撮ったもの、送られてきたそれらを保存して眺めるその顔は、過ぎた時を慈しむような穏やかな笑顔となっていた。

 静かな部屋に、扉をノックする音が響く。どうぞ、と返すと入ってきたのは彩乃だった。

「えっ、と、失礼、しますっ」

 緊張しているのか動きは固く、顔も心なしか少し赤い。その様子から千里もすぐに要件を察したものの、まずはその緊張を解こうといつも通りに返す。

「彩乃ちゃん、どうしたの~?」

「あ、えっと、その」

 彩乃はしばらくもじもじと言い淀んでから、深呼吸して千里へ向き直る。

「あ! あたし! 千里さんと……ユニット、組みたいですっ!」

「あら、どうして?」

 当然、理由を聞かずに承諾する訳にもいかない。手を出して、その心の内に問いかける。

「あの、今日の、演奏……聞いて。あたし、すっごい感動したんです! それで、ああいう音楽も踊ってみたいって、なって。あ、あと! ユニット組むっていうなら、ダンスもしなくちゃならないから、あたし……あたしなら、千里さんの苦手克服も手伝えると思って。あたしなりに、真面目に考えて。千里さんと、組みたいって、思いました」

 話していくうちに、彩乃の顔は徐々に赤くなっていく。器用とは言えないものの、生真面目な性格がよくわかる、実直な回答だった。

「あたし、その……姉とかと違って、自信持つのが苦手っていうか、受け身な方だから。千里さんみたいに、何が起きても動じないくらい強くなりたい、ですし。なんていうか、家族を安心させられるようになりたくて。あたしに出来ることなら全部やるんで、あたしも千里さんから学ばせて欲しいんです!」

 胸の前で拳を握って、思いの丈を吐き出す。家族に対する少なくない劣等感と、その家族を安心させたいという末っ子らしさの入り混じった願いは、他にない熱を持っていた。

 千里は黙って頷き、彩乃が話し終わるまで相槌を打つ。そして、ゆっくりと手招きをした。戸惑いながらも近づいてきた彩乃の頭に手を置いて、優しく撫でる。

「色んなところを見て、たくさん考えたのね。ありがとう彩乃ちゃん、とっても嬉しいわ」

「そ、それじゃあ」

「ええ、私は大歓迎。一緒に、高いところまで行きましょう」


 ましろは、二階テラスに出ていた。涼しい風が頬を撫で、満天の星空はいくら見ても飽きない。

 何も考えず、ただ空を見上げるその視界が、突然何かに塞がれた。

「まーしろっ、何してんの」

「恭香さん」

 目を塞いだ手をすぐにどけて、恭香は笑顔でましろの隣に座る。

「綺麗だねー」

「はい。だから、ちゃんと覚えておこうと思って」

 話しながらも、ましろは空を見上げ続けている。そんな彼女の横顔を見て、恭香は嬉しそうに頬杖をつき微笑んだ。

「わたし、景色って好きなんです。どんなに見慣れてても、全く同じ景色ってないから。それに、わたしが今見てる景色は、わたしじゃないと見れない。わたしの身長で、わたしの目線で、アイドルになって、ユニットを組むのが遅くなって。遅くならないと、今日の景色は見られなかったから」

 その考え方は、ともすれば能天気や結果論とも取れるもの、いち芸能人として正面から褒められるものではなかったが、恭香は笑顔のままそれをましろらしさ、彼女の長所と捉えて聞いていた。

 ―――そりゃ、月乃とは合わないよな。

 憂いとも慈しみとも言えない複雑な感情を視線に乗せ、恭香はましろの横顔を見る。

「わたし、中学に入ったらやりたいことを見つけるって決めて、色々探してたんです。ひとみとかお母さんにも手伝ってもらって。でも、二年半経っても何も見つからなかった。それで三年の夏に、お母さんに勧められてアイドルのライブビューイングを観たんです。それでビックリして。アイドルって、素敵な景色を見ながら、素敵な景色を作ることもできるんだって、わかって」

 それは、普段のましろでは決して見られない興奮の混じった言葉だった。頬を少し紅潮させながら話すその横顔には、紛れもない夢への羨望が浮かび上がっていた。

 満天の星空を見上げながら、ましろはその羨望を展望へと昇華させていく。

「わたし、アイドルになって、新しい景色がたくさん見たい。アイドルじゃなきゃ見れない景色も、わたしじゃなきゃ見れない景色も、まだまだたくさんあるはずだから。それで、色んな景色を見たら、いつか大きなステージに立った時、わたしだけの素敵なステージができると思うんです。わたしだけに作れる景色を、ファンの人たちに見てもらいたい」

 星々を映したましろの目は、これからの未来を見ているかのように無数の小さな輝きで溢れていた。言い切った後、恭香に向き直り目を細めて笑う。

 それを見た恭香も、頷いてから問いかけた。

「ましろ、アイドル楽しい?」

「はい、楽しいです!」

 ―――考えるのは、私がやる。だから、何も考えず一緒に走ってくれる人がいい。

「私も楽しい。だから、ましろと一緒にもっと楽しいことしたい!」

 勢いよく立ち上がり、恭香はましろに手を差し伸べる。ましろもすかさずその手を取り立ち上がった。

「一緒に目指そ、オーディション優勝!」

「はい!」



 翌週。ジュエリーガーデンプロモーション社屋には、またも十人のアイドル全員が集められていた。

 資料を持った左枝が、深呼吸してから声を張る。

「みんな、ありがとう。この度、五組のユニットが出揃った。九月から、いよいよBrand New Duoの一次予選が始まる。ここまでも大変だったと思うけど、ここからが本番だ。うちから出場するのは」

 表情を引き締めるアイドルたち。その顔をよく見てから左枝は宣言した。

悠姫ゆうきましろ、音路恭香。『ファンタジスタ!』!」

 ましろと恭香は、顔を見合わせて笑い合う。

「天宮月乃、栞崎かんざきひとみ。『Luminous Eyes』!」

 月乃は余裕ある笑みを浮かべ、ひとみはぐっと拳を握った。

明星あけほし稔、このみ蘭子。『ステラ・ドルチェ』!」

 蘭子が両手をぎゅっと握り締め、その頬を稔が人差し指でつつく。

つつみ弦音、愛内あいうち深冬。『えれくと☆ろっく』!」

 弦音が深冬の手を握り、深冬とクーちゃんは頷いて返した。

「そして貴宝院きほういん千里、出羽いづは彩乃。『Classical Wing』!」

 体を強ばらせた彩乃の肩に、千里がそっと手を置く。

「以上五組、ライバルは多いがどのユニットにも他に負けない特色があると信じてる。頑張ってくれ!」

「はい!!」



「そう言えば、そろそろ予選始まるよね。Brand New Duo」

「ああ、宝多さんのところも出るんだったか?」

「言うて新人だろ、宝多さんが直でプロデュースしてるわけでもないし」

「っていうかあの輝きオバケはどこ行ったのよ、本番十五分前なんだけど」

「みんなお待たせー、ちょっと長くなっちゃったけど、話ついたよ!」

「お帰りクリスちゃん。何の話してたの?」

「うん、Brand New Duo始まるでしょ。気になるから、私たちも審査員やらせてもらおうと思って交渉してきたの」

「はぁ!? 何やってんのよバカ! 今になってそんなの」

「出ていいって! Principal全員!」

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