古傷 02
がらがらと音を立て、荷馬車の大きな車輪がワズを追い越していく。
「人間が沢山いる」
きょろきょろと辺りを見回して、ワズはぽつりと呟く。彼がいる道はこの国一の大通りで、日の高く昇った今の時間は凄まじい賑わいを見せていた。
このまま同じ空間に居ても話が進まない、というユーアの判断でワズは穏便に追い出されていた。早い話がおつかいである。荷物を教えられた場所に持っていって売り、受け取った金額の半分を好きに使うようにと言われている。
人の流れに揉まれていても、ワズの背はそこから頭一つ分抜けて高いので周りがよく見える。目の前に現れた柱に驚いた通行人が上を見上げ、それが人だと二重に驚いてはそそくさと通り過ぎていく。ワズの知らないところで何度かそんなことが起こりつつも、彼は無事に目当ての建物を見つけた。
壁の隙間に挟まっているドアは、まるで両隣の高い建物から押しつぶされているかのようだ。そんなことを考えつつ彼は店に足を踏み入れ――そしてドア枠へ強かに頭をぶつける。額を片手で擦りながら入れば、カウンターの奥に座る女と目が合った。ぽかんと口を開けていた女はすぐに我に返ると、素早くカウンターの上のものを片付けて背を正す。
「ど、どんなご用でしょうか?」
「これを売りたい」
抱えてきた袋を台の上に出すと重い音がした。恐る恐る結び目を解いた女は中を見て固まる。
「ええっと……あの、店をお間違えでは?」
「間違ってないぞ」
「ほ、本当にですか?」
念を押すように聞き直され、しばらくその意味を考えたワズは首を傾げた。
「売れないのか?」
「買い取りは可能です! 可能ですが……」
「なら売る」
「わ、分かりました。では……少しお待ちください」
何度もワズを振り返りつつ、荷物を抱えた女は奥の部屋に入っていく。暇になった彼は手持ち無沙汰に店の中を見回した。見るようなもの、というかそもそも物がない。狭い部屋の片隅に椅子が二脚転がっているだけだ。片方の椅子を起こしてそれに座ったところで、勢いよく奥の扉が開いた。
「落ち着いてください先生……! 貴重なお客さんなんですよ!」
「離せネデリス! これが落ち着いてなど居られんわい!」
目を血走らせて現れた老人は、豊かな白い髭を振り乱しながら一直線にワズへと近づいてくる。ネデリスと呼ばれた先程の女が足にしがみついているが、老人はものともしない。目の前までやってきた老人は勢いよくワズの肩を掴み、反対の手で持っていたものをその鼻先に突きつけた。
「小僧……この本はどこから持ってきた」
「森の湖の遺跡だ」
「そりゃどこにある!」
「あっちだ」
指差せば、老人はワズから手を離してその方向をじっと見た。その目には強い光が宿っている。
「……ネデリス、わし出掛ける」
「駄目です! 駄目ですよ先生! そんな曖昧すぎる説明で向かうつもりですか!」
「こんな貴重な本が残っていた遺跡に行かないなんぞ、このデーグの名折れじゃ!」
「行きたいのか?」
二人の取っ組み合いを座ったまま眺めつつ問うと、老人は髭を引っ張られながら目を輝かせた。
「この小僧は話が分かる!!」
「だ・め・で・す!」
「でもあの遺跡はもう崩れて水の中だ。読める本は残ってないぞ」
「………………なん……じゃと」
がくんと崩れ落ちた老人を女が支える。床に仰向けに転がされて白目を剥く老人を見て、ワズは目を丸くした。
「死んだのか?」
「いえ、ショックで意識を失っただけです。よくあることですから、気にしないでください」
「よくあるのか」
何か納得したようにワズは頷く。少し怪訝そうな顔をしつつ、彼女は老人を放置して立ち上がった。
「あの、よろしければ奥の部屋で話を聞かせて頂けませんか? 鑑定をする先生が復活するまで時間がかかりますし、私も興味があるので」
「話? 何の話だ?」
「……この人、本当に大丈夫なんでしょうか」
今更先生が逃がすとは思いませんが、と溜息をついて肩を落とした。
***
「黒竜の魔女ですってね。クロフが教えてくれたわ」
窓の外では白い花を咲かせた木が、高くなりつつある日差しに照らされて輝いている。燃えるような赤髪の女は、手ずからお茶の用意をしながらおかしげに笑う。
「ただの狂言だ。特に意味は無い」
「どうだか」
リュトレンゼの含みを込めた視線に、ユーアは白銀の目を面倒臭そうに細めてそっぽを向く。
「あそこまで現実離れしたことをすれば、さすがに幻覚で済むと思ったんだが」
「何言ってるの。そもそも街一つに幻覚を見せるのだって、今の時代の隠れ魔術士には無理よ。イルニードじゃ、魔女並みの力を持つ魔術士の機嫌を損ねたとかで大騒ぎになってるわ」
「いいじゃないか。これでしばらくは魔術士に手を出す馬鹿は居なくなる」
嘯くユーアに呆れたような目を向け、女はティーカップを片手に肩を竦める。立ち上る香りを味わってから変わらぬ調子で口を開いた。
「東の大陸はどうだった?」
「何も」
館の執事が置いていった焼き菓子に一切手をつけることなく、ただ静かに首を振る。リュトレンゼの眉が怪訝に歪んだ。
「あの駄犬と会ったのは東の大陸じゃないの?」
「いや、この大陸に戻る途中の東の海上で拾われたらしい。気がついたときにはイルニードの南東の森に倒れていた」
彼女たちの今いるこの国ゼレムナから、山脈を挟んで南にある小国がイルニードだ。そしてその東から南にかけては広大な森林が横たわっている。あの生き物がユーアを見つけたのが海上だとしても、ユーアが向こうを認識したのはその森の奥深くにあった――正確には、ワズが寝転んだことで作られた空き地で意識を取り戻したときだ。
「それで、初めに私が目を覚ましたときあの馬鹿は辺りの雲を消し飛ばしてたんだが」
「何がしたかったのよ」
「あれは魔術じゃなかった」
「……どういうこと?」
ユーアは、少し考えてから目の前のティーカップに手を伸ばした。カップの中は湯気の消えつつあるお茶で満たされている。
「魔術の発動は二段階だ。術式を組み、魔力を流す」
その白い指先が軽くカップの持ち手を叩くと、揺れる水面に術式が浮かび上がる。ゆらゆらと蠢いた液体は形を変え、小さな四足の獣になった。前足を縁に掛けて飛び出した獣は、興味津々にテーブルの上を見回す。
「魔力量は術式に工夫を加えれば補うことができるが、術式の不完全さは魔力が多くともどうにもならない。つまり、魔術を使うにあたって最も重要なのは術式だ」
「ええ、知ってるわ。師匠からそう教わったもの」
ちょろちょろと食器の間を走り回る獣は、置いてある角砂糖に気がつくと、匂いを嗅ぐような仕草をして齧り付いた。透明だった体が白く濁る。咀嚼するように口を動かす獣を少女の手がつまみ上げ、小さな生き物はティーカップの中に戻された。
「たとえ発動時に見えなかったとしても、その場に固定された術式を私が見逃すことはない。あの馬鹿は間違いなく術式を介さずに雲を消してみせた」
じゃれついて抗議する獣を閉じ込めるように、ユーアはカップを覆う。
「あれは――魔術とはまた異なる何かだ」
そっと手を離すと、そこにはただ茶色い角砂糖が一つ転がっていた。
「ところで結局あの生き物は何に分類すればいいんだ? そもそもあれは生き物なのか?」
「海にいたなら魚でいいんじゃないの」
「雑だな」
「知ってるでしょ? 私、ああいう男は嫌いなの」
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