古傷 01

 冷たい石室に、小さな唄が響く。


 その場所には何人もの子供たちがいた。彼らは皆、家族と引き離されて狭い牢に分けられて囚われていた。しかし泣き声や不満の声を上げるどころか、身動ぎをする者すらいない。鉄格子の嵌った小窓から月明かり差し込み、その肢体に刻まれた暴力の痕を露わにする。力なく座り込む彼らの周囲には、麻痺毒のようなうっすらとした諦念が漂っていた。


 そんな中で、少女は今日も一人、その目に夜空を映して唄を口ずさむ。母から教えて貰った古い子守唄だ。彼女にはまだその歌詞の意味は分からなかったが、その旋律は不思議と彼女の心に寄り添って癒してくれているようだった。歌声を聞いた牢屋番の兵士が咎めにやってきたことは一度もない。少女がその意味を深く考えたこともない。静寂の中、歌声だけがただ冷たい石壁に反響していた。


 繰り返し繰り返し、歌い続けていた少女の声が不意に止む。


 いつの間にか、少女のいる牢獄の中に彼女以外の人間がいた。夜に溶け込むようなローブで姿を隠していても、ここに人がいることがおかしいことくらい幼い彼女にだって分かる。だいたい、牢の扉は一度も開いていないのだから。


 本来なら警戒するべき相手。けれど少女は、そのローブの留め具に刻まれた紋章から目を離せなかった。


「竜……」


 それは母の話す御伽噺に出てきた、強くて優しい大きな生き物の名前。少女の言葉に反応したのか、相手は深く被っていたフードを脱いでその貌を月光の下に晒した。



***



 私の全てを授けましょう。


 いつかあなたが迷い、その足を止めぬように。

 いつかあなたが喪失を嘆き、その運命を呪わぬように。


 私の全てを授けましょう。


 私の、ただ一人の――




 柔らかい寝台の上で、ユーアは目を覚ました。無意識に術式を広げて周囲の状況を探ろうとしたところで、その必要がなかったことを思い出した。すぐ隣の部屋から言い争う声が聞こえてくる。これで起こされたのだろう。


 体を起こした少女は、洩れる欠伸を噛み殺しつつ寝台を降りた。彼女のために用意されている客室は豪奢で派手だが、趣味も使い勝手もいい。それはこの館の主の美的感覚が卓越しているからだと、ユーアは知っている。今度は陶器の割れる音が聞こえた。着ようとしていたローブを片手に持ったままため息をつく。


 隣の部屋へと繋がる両開きの扉を開けば、そこには三脚の椅子と丸テーブルが置いてあり、床には青年が仰向けに転がっていた。


「あら、よく眠れた?」


 その顔面を容赦なく靴の踵で踏む女は、部屋に入ってきたユーアに気づくと顰めていた顔をぱっと明るくする。


「ユーア!」

「黙りなさい駄犬」


 玩具のように跳ね起きたワズに、既に足を下ろしていた女は笑顔のままで吐き捨てた。己を抱き上げようとする両腕とそれを阻止しようとする結界の攻防を、椅子に座って眺めながら肩をすくめる。


「面白いほど気が合わないな、お前たち……」

「当たり前じゃないの」


 隣の席に腰を下ろしたドレスの女――リュトレンゼはそっぽを向いた。

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