7 クラスメイト賛歌

 体育祭まであと5日。校内はせわしない空気が漂っていた。

 かやちんが、ステップを踏みながら美術室へ向かう。ボブカットから覗くイヤホンの奥で、Jポップが流れている。

 

――ケツメイシの詩のように、友達を想いたかった。


 そっとドアを開く。

 体育祭の看板を前に、樹里とウィズローが並んでいた。二人はしゃべりながら看板に絵筆を滑らせている。

「吉野先輩、球技大会に出るってほんとですか」

「なんで知ってるの?」

「2年生の友達が言ってました。大丈夫ですか? そんな細い腕で」

「そんな細いかな……ま、なんとかなるよ。みんなで練習してるし」

「みんなで練習、ですか……」

 腑に落ちない顔のウィズローをよそに、樹里は絵筆を持った。疾走するランナーのきびすから流水の模様が生まれていく。

「そのリレー選手、すげーかっこいいですね」

「モデルがかっこいいからね……」

「ほんと、さすがジュリエッタ」

「かやちん!」

「久しぶりい。手伝いにも来れなくてごめんよー。でも、心配なかったね。いい看板じゃん! ウィズローのとこも凄くいいね」

 ウィズローが描いているのは、屋上から応援旗を振る団員の絵だった。「ウィズローは建物の絵が上手だよなー」

 ウィズローは少し頬を赤くして、絵具バケツを洗い場に持って行った。

「ジュリエッタ、バレー出るってほんと?」

 肘で突いたら、困ったように樹里は笑った。

 アミとかやちんは、夏に美術部を引退した。かやちんは時々顔を出すけど、アミはすっかり美術部に来なくなった。三人一組だった仲は、誰に言われるわけでもなく、自然と薄れていってしまった。

「ちょっと暑いですね」

 ウィズローが窓を開けた。風をはらんで、カーテンが大きく膨らんだ。

 真四角の椅子。

 ガラスケースに入った石膏像。

 イーゼルに立てかけられたキャンバス。

――時間が人との関係を変えていくことを、あたしたちは、本当のところ、よくわかっていなかったのかもしれない。

「……かやちん?」

「……んにゃ。体育祭、楽しもうね!」



 青空のもと、体育祭が盛大に開催された。

 校庭に各クラスの応援旗がはためく。

 午前中の運動会は怒涛の勢いで終わり、昼休憩のあと、球技大会の準備が始まった。

 体育館に差しこむ光を和らげるため、生徒会の人たちが黒いカーテンを引いて回る。かやちんは2階の通路に立ち、準備中のバレーコートを眺めた。

「先輩、お疲れ様です」

「ウィズロー」

 赤いハチマキをネクタイのようにつけて、ウィズローが階段を上がってきた。

「リレーで目立ってたね。女子の声、うるさいくらいだったんだけど」

「そんなのより、騎馬戦ですよ……。死ぬかと思った。まあでも、これで球技大会は出なくて済みました」

「あたしも終わった。ゆっくり観戦できるね」

「アミ先輩は一緒じゃないんですか」

「アミはあそこで点数係してるよ。ほら」

 手を振ったが、アミは気づいていないようで、点数係の子とおしゃべりしている。

 やがて選手たちが入ってきた。樹里が姿を見せると、視線が一斉に集まった。

 吉野さん、ほんとにバレー出るんだ……。バレーやるの初めて見るな。なぜに吉野さん? いじめか?

「……なんか、妙にざわついてません?」

「まあ、ジュリエッタがバレーするんだからねぇ。意外も意外っしょ。相手の3年生チーム、一年のときジュリエッタと同じクラスだった子がいるんだけど。ほら、めっちゃ動揺してる」

「うおっし! みんな頑張ろう! さあさ、吉野サンも円陣つくりましょう!」

 沢木が声を張り上げた。樹里の隣で肩を組む。「2ー2、勝つぞ!」

「なんか元気なやつがいるな……ジュリエッタ、気押されてないかな」

「いや、大丈夫でしょ。ジュリエッタ先輩って、実はけっこう物おじしないですよね」

 ウィズローが柵に肘をついた。「なんかバレーも知り合いの選手に教えてもらったとかなんとか」

「なにそれ。誰から聞いた?」

「えっと、女友達から」

「それほんとに友達か?」

「ちょっとー、かやちん先輩」

 ウィズローは大げさに肩をすくめた。

「ほらほら! ジュリエッタの試合はじまるよ」

 ホイッスルと共にかけ声が響く。ウィズローが小さく拍手した。

……その通りだよ、ウィズロー。

 おずおずとポジションにつく樹里を見下ろしながら、かやちんは手すりを握った。

……ジュリエッタは、入学した時から、誰とでも付き合える子だったんだよ。

 別に、あたしと友達にならなくったって、樹里はきっとどこかのグループに入って、楽しく学校生活を送れたはずだ。だけどあたし達と一緒にいた。留年しても、部員として仲良くしてくれた。

 あたしはずっと……ジュリエッタに謝りたかった。

 審判がホイッスルを鳴らす。3年チームが腰を低くした。

「いっくぞー!」

コートから歓声があがる。一球目から、沢木が鋭いサーブを放った。「よーしよし! まず一点」

 しかし、今度は3年生チームが、強烈なアタックで一点を取り返した。

「あのアタッカー……めっちゃ上手くないです?」

「あの子、元バレー部だよ」

「うおー! なんすか先輩! 引退したらアタック打っていいなんて。ずるい!」

「うっさい、沢木! 受験勉強でストレス溜まってんだよ。ちょっとは打たせろ」

 あちこちから笑いがこぼれる。とたんに彼女はハッとして、樹里から顔を反らした。

 分かるわー。樹里の前では「受験」って言葉すら禁句に思えるよね。

 両チームとも勢いに乗ってきて、試合はシーソーゲームになった。3年チームが先にマッチポイントに。ミスできない雰囲気がたちこめた。

 ストレス発散サーブが、コートの端に飛んだ。レシーブが乱れる。沢木がうまくトスを上げたが、アタッカーがコーナーを狙えず、難なくボールを拾われてしまう。

 元バレー部が目をぎらつかせた。

「また来るよ。ブロック!」

 沢木ともう一人が、両手を伸ばしてジャンプした。

アタックを打っていたら、ブロックできていただろう。しかしボールはブロッカーの手の上をふわりと越えた。彼女達の背中側をスローモーションのようにゆっくりと落ちていく。

「フェイント!」

 誰か拾ってぇ。沢木が叫んだそのとき――

 細い指が、床を走った。

 肘をつきながら、樹里が手の甲をボールの落下点に滑り込ませた。そのまま手のひらをしっかり床に押し付ける。

 樹里の脳裏に、ふわふわのホットケーキを食べる井上が浮かんだ。


――この技、「パンケーキ」って言うんだよ。


 歓声があがった。

 手の甲に当たった瞬間、ボールはやわらかな弧を描き、沢木の前に浮き上がった。

 背中を反らせて、沢木が丁寧なトスを上げる。打ち込まれたボールは、3年チームの指をかすめて、エンドラインのぎりぎりで落ちた。

 ホイッスルが高々と鳴った。

「吉野サン! サイッコー!」

 沢木が樹里の手を掴んで掲げた。チームメイトが押し寄せてきて、覆いかぶさるようにして肩を叩いた。

 おろおろしていたら、頭上から音が降ってきた。

 なんだよ吉野さん、バレーできたん? なんで去年こなかったのよ。一緒にチーム組みたかった! すごいな吉野っち!

「すごいな」

 ウィズローが髪をかきあげた。「ねえ先輩、……かやちん先輩?」

 腕組みをしたまま、かやちんが、手すりに顔を突っ伏していた。

「……なんだよ。感動しちゃ悪いか」

 顔をあげて、かやちんは息を大きく吸った。

「やったねジュリエッタ!」

 樹里が、はにかみながら手を振る。

 かやちんは、目尻をこすって、へらっと笑った。



「ただいま!」

「おかえり」

 恭平が暖簾をあげた。

「うまくいったよ! 『パンケーキ』成功した!」

「そうか」

 急いでローファーを脱ぐ樹里の横で、恭平はケトルに火をかけた。「毎日、部屋で特訓した甲斐あったな」

「ボール出し、ありがとうございました」

「楽しかったか?」

「うん! クラスのみんなとも前より仲良くなれた気がする」

「それはよかったな」

 恭平は吊戸棚を開けた。

「沢木さんがバレー部に入ろう、って言ってくれたのにはびっくりしたけど」

 戸棚からマグカップを取る手が、ぴくりと揺れた。

「……入れば」

 マグカップが、静かに流し台に置かれた。「楽しいなら、バレー部に入っていいんじゃないか。友達も増えるかもよ」

 真顔で、じっと目を合わせてきた。思わず、つま先が丸まった。

「……入部は、しないかな」

「なんで?」

「美術部のほうが、もっと楽しいから」

 一瞬、険しい顔をして、恭平はおもむろに目を瞑った。

「どうしたの?」

「いや……」

 恭平は手で顔を隠した。「ほんと……その通りだな、って……」

 ケトルが、しゅんしゅんと音を立て始めた。

 暖簾の向こうで、携帯が点滅している。メール受信のテロップが見える。

 発信者は、絢瀬美也子だった。




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