第一章 鳥の暮らす森は同じ

第一話 台無しになるひとときの夕食

春海はるみさん。お疲れさまでした。今日は大変ありがとうございました」


「いやぁ、お疲れさまです。今日も麻中さんのアクションが良かっですね。これで視聴率も稼げそうですよ」


「いえいえ、私は台本のとおりに、しゃべっただけですから。春海さんの企画がすごくいいんですよ」


 私は番組の収録が終わり、ディレクターの春海はるみしんさんと会話していました。業界では珍しく丁寧な言葉づかいをする方です。それでいて視聴者の心理をついた番組運びがうまく、次から次へとヒット番組を作成する敏腕ディレクターでした。


「ありがとうございます。でも、本当はもっとこう、冒険ものとかがやりたいんですよ。局的には、そういうわけにもいかないんですけどね」


「へぇ。そういうのもいいんじゃないですか? 私、小さいころはウミナイビに憧れていたんです。そんな役があったら、絶対にがんばりますから」


「ウミナイビ……。あぁ。お姫様ね。確かにピッタリだね。麻中さんのお姫様だったら、ヒット間違いなしですよ。そんな企画ができたら、絶対にお声掛けしますよ」


 晴海さんは本当に博識です。その言葉を知っているとは思いもよりませんでした。

 私が思わず口走ってしまった出身の沖縄の言葉を、すぐに理解して会話を続けてくれます。これが多くの人から信頼されるところでしょう。


「それだったら、晴海さんが執事役になるのはどうですか?」


「ははっ! 執事ですか。それならセリフも少ないから、いけるかもしれませんね」


 彼は細身の長身であり、いつでも背筋が伸びています。茶髪に丸眼鏡をかけており、太くよく通る声は一度聞いたら忘れません。これに執事の制服を着させれば、一家を切り盛りするダンディな執事長の完成です。


「いや、絶対に似合いますよ。ぜひ、やってください」


「はいはい。考えておきましょう」


 いつでも晴海さんとは、話が弾んでしまいます。息が合うというか、以心伝心することが多いのです。

 まるで、幼なじみとしゃべっているような感覚でした。



 たわいもない雑談を終え、私は笑顔でスタジオをあとにしました。

 廊下を出てすぐに、大きな声で呼び止められます。


「ゆ〜りあちゃん。ちょっといい?」


「えっ?」


 突然、横から話しかけられて、体がビクンとなってしまいました。心臓に悪いのでやめてもらいたい。

 以前、少しだけお世話になった牧野ディレクターが話しかけてきました。彼は人に対してあまり考えずに行動することが多いので、すこしだけ苦手です。

 見た目もボサボサヘアにだらしない服装であり、ディレクターという立場の人らしくありません。逆にこのような姿が、似合っていると思っている節があります。


「今夜のゴールデンタイムに、僕のつくったドッキリ番組がオンエアーされるんだ。ぜひ見てくれないかな〜」


「はい。今日はこれであがりますから、自宅で見れると思いますよ」


 社交辞令で目一杯の笑顔をつくり、素直に受け入れているかのように返答しました。


「そう! ありがとう。絶対におもしろいから。バカウケ間違いないよ。結構苦労したんだ。締め切り間近で場所も取れなかったから、早朝にみんなで押しかけて、作ったんだから。まったく、『もう少し余裕をくれよ』って言いたいよ」


 後半は愚痴でした。しかしこれまでの経験から、この人は締め切りが近づくまで行動しなかっただけでしょう。前回一緒だったときも、ぎりぎりになって突然撮影を始めたので、周りのスタッフは大混乱だった記憶があります。

 このコロナ禍に外で制作して良いものかと思いながらも、話しを合わせました。


「なん時からオンエアーですか?」


「今夜の八時からだから。絶対に見てよ!」


「はい。わかりました。じゃあ、また」


 これ以上、関わると何を言い出すかわからないので、早めにこの場所を立ち去るのが賢明です。

 基本的にインドア派の私は、一直線に家へ帰りました。自宅こそが、安全地帯です。



 沖縄の小さな島出身の私は、たまたま姉が応募した雑誌のコンテストでグランプリを獲得してしまいました。それを機に、モデルになるため上京しました。

 しかし、きらびやかな理想とは異なり、雑誌の表紙には載るものの、安定した仕事ではありません。

 グラビアデビューしたり、写真集を出したりしてきました。しかし、知名度は上がりません。私の仕事を手助けしてくれた事務所の人たちに申し訳ないという気持ちで、ふさぎ込むこともありました。

 そんな私を、常に励ましてくれる人がいました。本間裕剛ゆうご社長です。


『優里愛はきっと有名になる。俺の目に狂いはない!』


 それが社長の口癖。もともと、内向的で話すのが苦手な私にとり、この言葉だけが希望でした。

 社長は島国の田舎から出てきた私に、さまざまなことを教えてくれました。常に私を助け、背中を押してくれる。私にとって第二の父親でした。


 本間社長の期待に応えるため、どのようなことでも挑戦しました。歌手デビューや番組の司会も。

 ようやく、コマーシャルの出演が話題になり、少しずつ仕事が増えてきたときは、十年という月日が過ぎていました。

 その後は、テレビドラマに出演して視聴率が上がり、映画にも主演として抜てきされました。

 いつでも見守ってくれた社長へ恩返しができたのでしょうか。


『俺は優里愛をはじめて見たときから、こうなると思っていたんだ!』


 そんな私の不安を打ち消すように、社長は満足そうに言ってくれました。



 夕食は好きな音楽を聞きながら、早めに済ませました。テレビの電源は切ったままです。

 そもそも、ドッキリ番組はあまり好きではないのです。人が驚くのを見て何がおもしろいのでしょうか? それに、ときどき度が増して、人としてどうなのだろうと思うときもあります。


 夕飯を食べ終えてから、アルコールを飲もうとリビングへ戻りました。

 泡盛を薄いグラスへ入れて、浮かんでいる氷の隙間から飲む。この飲み方が大好きです。独特の臭みもアルコールも、氷に冷やされて和らぎます。

 ガラスのテーブルには、大きなコップに氷と一緒にチョコレート菓子を入れました。このコマーシャルで、私がブレークした幸運のお菓子です。決して、切らさないようにストックしています。


 ふと、テレビが気になり電源を入れました。


――次に会ったら話せるように、牧野ディレクターの番組を流しておこうかな。


 やっていたのは、芸能人に関するインタビューを素人さんにして、実は本人が後ろから現れるというドッキリでした。


 テレではインタビューがはじまります。後ろから忍び寄る笹野爽(ささの・そう)は、芸能界では大先輩であり、何度か会っています。気さくな感じで話してくれるのですが、どこかわざとらしく、親しみが湧かないタイプでした。

 画面でも、ニコニコのつくり笑顔をしながら近づき、インタビューされている人の後ろへ回り込みます。その仕草すべてが芝居がかっていました。


 そして。


『だ〜れだ!』


「ひっ! ――」


「ガシャーン!」


 テレビの向こうで、彼女が言った言葉だと認識しました。そのあとに自分の悲鳴と持っていたグラスが床へ落ちて、割れる音も聞こえました。しかし、私の体はピクリとも動きません。まるで金縛りにあったように。


 それまでまったくなかった記憶が、すさまじい勢いであふれ出しました。数え切れないほどの記憶が頭の中を駆け巡っていきます。何度となく、泣き、笑い、励まされたでしょう。父に、母に、友に、家臣たちに。

 この流れは止められません。荒れ狂う川の水のように次から次へと流れていく記憶の濁流。そして、自分が確かに生きた記憶がよみがえってきました。


 もはや、夕食後のくつろぎどころではありません。片付けもせず、そのままソファーで一晩を過ごしました。


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