三:来訪

 ***

「異形/いぎょう」

 病、呪い、或いは怪異の影響を受けた元人間、又は怪異そのものの総称。古くから迫害され、曲がりなりにも人権を訴え始めた現代社会においても、依然としてその傾向は根強い。彼らは隔離されるようにして矜羯羅街に逃げ込み、そこで生活する。汚い場所だろうと、ここには彼らの居場所が存在するのだ。

 ***


 東向きの窓から差し込む強い朝日によってフーは目が覚めた。彼女は呑気に欠伸をして辺りを見回す。しかし景色が変わっていないことを確認すると溜息をついた。

「期待はしてなかったけど……」

 胡はこれがよくできた夢だということを期待していた。しかし現実はそうでなく、やはりここはあの奇妙な集合住宅の一室だった。

「やあ、いい朝だね」

 先に起きていたチャンは彼女に快く挨拶をする。胡はそれを見て顔をしかめた。

「やっぱあんたなの。夢だったら良かったのに!」

「そりゃ酷い言い様だなぁ。朝から元気なのはいいことだ。そういえば胃腸の調子はどうだい。何も食べていないようだから雑穀の粥でもどうかな」

 胡は腹を押さた。そういえば昨日の夕方から何も腹に入れていなかったことを思い出すと一気に空腹感が襲って来たらしい。彼女は仕方ない、といった様子で頷いた。


「さぁどうぞ。ちゃんと冷まして食べるんだよ」

 常の持ってきた粥を見て胡は驚愕した。明らかに雑穀の茶色ではない、不穏な色合いと匂いをしているものが椀の中に入っていた。

「これ……お粥、なの? 薬でしょ」

 常は「その通り!」と嬉しそうに言った。

「まあ、薬と言うと少し違うけどね。この街の病人食だと思ってくれ。乾燥させた薬草が入ってるんだけど、まあ塩で整えてあるし他にも香辛料スパイスは入れてあるから、味に問題は無いと思うんだけどね……」

 常は一通り説明したことで胡の疑念を晴らすと、食べるように催促した。胡は勇気を持ってその椀の中の粥を匙で掬い、息を吹きかけて冷ました。その後それをしばらく眺めたり、嗅いだりしていたが、小さく頷くと勢いよく口へと運んだ。

「…………な、なにこれ」

 美味しくも、不味くもないその粥は正に病人食だ、と胡は思った。微妙な表情を作る彼女の顔を見て常は安堵した様子だった。

「元気そうでよかったよ。悪いね隠してて。それを美味しく食べるやつは具合が悪い証拠なんだ。まあ栄養はあるから、全部食べてね。なんなら香味油でもかけるといいよ」

 常のその言葉に胡は少し嫌な顔をした。しかし腹は減っている。彼女は仕方がなく匙を口に運んだ。

 食事の最中、呼び鈴が鳴った。常がその音につられて入口へと行き魚眼レンズ越しに相手を覗くと「げっ」と小さく呟いた。

「どうしたの──」

「僕がいいって言うまで出てこないでね」

 常はそう言うと胡をソファの裏に連れて行った。扉が開く音がしたので、胡は一旦身を隠した。

「やあどうも自警団の皆さん。いい朝だ。どうしたんですか? 父に用事で?」

 胡が物陰から覗いてみれば、常が会話している人物は二人ほどだ。一人は何やら防具のような物と木刀を持っている男で、もう一人は仮面を被った、変わった髪型の人物だった。というのも、幾つかの纏まりに分かれた深緑の其れは遠目から見ても人間の髪とは思えない質感だったのだ。額には角も生えていて、明らかに人外の類だと分かる。胡はその者を見て「あれがあいつの言ってた仮面の奴なの?」と考えを巡らせた。

「院長への用事ではない。昨日巡回の者が逮捕した例の暴行犯の証言で『新入りの女』がいると言う情報を得たのだ」

 仮面の人物は女の声でそう言った、すると後ろにいた木刀の男も口を開く。

「聞き込みの結果、貴様がここに匿っていることが分かったんだ。お尋ね者って訳じゃあないが、この街の治安維持組織である我々としては、その顔を一度把握しておく必要があるんだよ」

 その話を聞いた常は少し間が空いた後、安心した様子で「あぁ、でしたら」と言ってこちらへ戻ってきた。

「その新入りならここにいますよ。道でぶっ倒れてたもんでね、ここで診てるんです。あ、うちの客ですから、危害を加えないってんなら顔ぐらい見てもいいんじゃないですか。面会謝絶って訳じゃないですしね」

 常はまた入口の方に向かって「ちょっと待っててくださいね」と大声で言うとソファの裏にいた胡の方へ近づいていった。

「ちょっと、あいつら誰なの?」

「いいかい。彼女らは『破邪庭番はじゃのにわばん』って言ってね、僕たちは自警団って呼んでる。別に警戒されてる訳じゃないと思うけど、あんまり気安く自分について話さない方がいい。あいつらは侮れないからね」

 常は胡にそう耳打ちした。そしてまた立ち上がると「どうぞ上がってください」と言って二人を通した。

「ふむ、貴様が新入りか」

 木刀の男が偉そうに言った。

「貴様って……そ、そうよ。昨日ここに来たばっかり。私も何が何だか」

「発言はまだ許していない」

 仮面の女は威厳のある口調でそう言った。これにはさすがに気の強い胡も萎縮し、黙り込んだ。

「いいか、ワタシの質問に答えるのだ。まず、お前の名前はなんだ」

「……記憶喪失なの。名前は分からない。もちろん、どこから来たのかもね」

 胡は瞬時に判断して名前を伏せつつ、事実を述べた。仮面の女はふむ、と短く呟き腕を組んだ。

「まあ、そう珍しいことではない。この街は全ての奇怪が行き着く先だ。それに、嘘をついていてもいずれ露呈するしな。よし、新顔。お前の顔は覚えた。ワタシたちはこれで失礼する」

 仮面の女はそう言うと木刀の男を連れて外へ出た。「くれぐれも俺たちの世話にならんようにな」と木刀の男が冗談交じりに言うのを最後に、扉が閉じた。

「……何、あの人たち」

「自警団は治安維持とか商業とか諸々を管理しているからね、デカい顔してるヤツらが多いのさ」

 常は少し嫌そうにそう言ったが「それでもクリニックみたいな裕福な職の家には威張ってばかりいられないけどね」と付け加えて茶化した。

「はぁ……面倒くさそうだなぁ。あんな奴らがいるのに、よくこんなとこ住めるわね」

「まあまあ、あれのおかげで犯罪が減ってるのは事実だし。ともあれ、君はとりあえずこれからどうするつもりなんだい」

 常のその言葉を聞いた途端、胡は固まった。

「ここを出てみようとも思ったけど、行き場もないし。そもそも、なんだかここにやらないといけないことがある気がしたからこんな不気味なとこに入ってきたんだし。……住むしかないのかな」

 不安そうな胡に対して常は「問題ないね」と言った。

「体調がいいようなら、街探検と行こうか」

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