第182話 冬への育成
練習試合とトレーニングと、練習を上手く組み合わせていく。
そして週に一度は、絶対に休養日を作っておく。
ここでは自主トレも厳禁で、ランニングも禁止させる。
本当ならばもっと一人ずつ、完全にプログラムを作りたいところだが、それはさすがに人間が足りない。
たまに野球部OBに、声をかけて手伝ってもらったりはする。
だが基本的にはこの年頃だと、基礎的なフィジカルだけで、通用してしまうことが多いのだ。
基礎体力さえあれば、あとはピッチャーが二枚いれば、準決勝までは進める。
それが鬼塚のこの数年で捉えた、千葉の現在のレベルである。
あとはそこにどうやって、何を積み上げていくか。
左右の二枚は春までに、140km/hまで球速を上げたい。
もちろん単純に、スピードが上がるだけでは意味がない。
単純に速いだけなら、和真の方が速いのだ。
バッティングに関しては、思ったよりも基礎が向上していく。
和真だけではなく、引退したアルトもかなり、バッティングピッチャーをしてくれるからだ。
もちろんドラフトを前に、肩を壊すなどしてはいけない。
それでも軽く投げて、140km/h台の後半は出ているストレートなのだ。
一応は受験生もいるが、アルトは昇馬と共に、就職という形になっている。
プロ野球選手は自営業者なので、就職と言うには違和感もある鬼塚だが、プロ野球選手という職に就くのは間違いない。
元の千葉の球団からは、地元ということもあって、かなり編成陣がまとめて見に来ていたりした。
160km/hのマシンで、ネットにまでボールを弾き返すアルトのパワー。
バットコントロールの上手さと、長打力を兼ね備えているのだ。
鬼塚としては和真にも、一緒に打つかと言ってみたりする。
彼も甲子園では、かなり決定的な役割を果たしたのだ。
だが和真の進路は、進学の方向で動いている。
両親の意向としては、どちらでも構わないというのが正直なところだ。
ただ一人っ子である和真を、東京に出すというのは、少し寂しいところであるのか。
「もう一人ぐらい作ればいいのに」
簡単そうにアルトは言うのだが、確かに40代の前半であれば、今時は出産も珍しくない。
実際に武史のところでは、第五子が生まれる予定であるのだ。
プロ野球選手などというのは、同じ年のドラフトでチームに入った人間が、10年後には一人も残っていないというのが普通にありうる。
昭和までのような、子供が夢見る職業ではないのだ。
また昔よりもよほど、その大成には素質が重要となっている。
もっとも和真の場合は、両親両方の運動能力から考えて、とても高いものが認められている。
実際にここまで、甲子園でも大活躍したのだ。
もしも駄目であっても、体が無事でさえあれば、どうにかなる。
しかし保険をかけて、大学にも入る予定ではあるのだ。
もっとも昇馬やアルトを見に来るスカウトが、和真を目にしないはずもない。
来年の夏に地方大会で早めに負けてくれれば、少しは評価も下がるだろう。
その時には指名をしたいと考えているスカウトも多いが、鬼塚としては素直に大学に行っておけと考えている。
この冬にさらに基礎を鍛えて、少なくとも大学レベルであれば、問題なく一年生からレギュラーが取れるようにする。
どこの大学に入るかは問題だが、慶応か早稲谷のどちらか、推薦枠としては早稲谷の方がいいだろうと、鬼塚などは考えている。
もっとも進路が大学であれば、それはさすがに教師が相談に乗ることだ。
和真に対しては父親が大学野球で活躍し、またその同級生が数多くプロに入っている。
その伝手などを考えれば、下手な扱いはされないであろう。
同じ時代を生きたライバルや仲間たちは、もうほとんど現役ではないのだ。
その中でも例外的に、生存している者が直史である。
高卒からプロに入った大介も、たいがいのものではある。
また一つ下には武史が、やはり主力としている。
「今は近藤さんが監督をやってる早稲谷が、やっぱりやりやすいだろうしな」
「父さんとは同学年だったんですよね」
プロ入りしてある程度は、活躍したものである。
30代の半ばで故障により引退したが、あちこちからコーチの引き合いがきた、優れた人脈を持つ人物であった。
直史の代のキャプテンをやっているのだから、その大変さは分かるというものだ。
また同学年で樋口や土方、あとは星などと共にプロ入りしているのだから、あの時代の早稲谷は強かった。
直史と樋口がいたと言っても、上の世代には西郷などがいたため、さらに強かったとも言える。
数年間の間に、メジャーリーガーや殿堂入り選手が、何人出てきたものか。
当時からブランドの六大、実力の東都などとも言われていた。
だがあの時代の選手層を見れば、二つの全国大会で、圧倒的に勝てるのも当然と言えよう。
むしろ作戦を駆使して、一度でもリーグ戦を優勝した帝都大が、見事なものだと言える。
あとは東大の、わずか一度の栄光、というのもミックスした時代。
あの時代は大学野球が、久しぶりに面白くなった時代でもある。
テレビだけではなく、ネット配信が増えた時代であったから、六大学野球も注目されていた。
直史が記録を作るたびに、大きく取り上げられてもいたのだ。
あの頃から既に、直史はマスコミ嫌いになっていたが。
唯一辺見が監督としていいことをしたのは、直史がマスコミに接触することを、妨げたことであろう。
本人はどうか知らないが、直史としては辺見が、周囲からちやほやされないようにしてくれたことに、ものすごく感謝している。
あまりにも皮肉なことではあるが。
和真をどこに進学させるかということは、監督との相性や伝手にコネ、また上の学年の選手などとの関係が重要になる。
素質と環境を上手く用意して、高校の間にここまで伸ばせた。
この冬と最後の夏、そこからどうやってさらに上に伸ばしていくか。
大学野球は現在、選手層が過熱気味になっている。
六大学よりも東都や他の方が、むしろいい可能性すらある。
そのあたり鬼塚は、高卒でプロ入りしたため、現実を実感していない。
なので他の人間に、そのあたりを尋ねにいったりするのだ。
「野球だけなら東名大が一番いいだろうけどさ」
ジンは自分の出身大学を、あっさりと否定する。
「他の将来まで考えたら、早稲谷でいいと思うよ」
今年の帝都一は、秋の都大会を優勝している。
つまり他のどこよりも先に、来年のセンバツを確定させたということだ。
早稲谷は当然、早大付属からの進学組が多い。
だがそもそもの学生数が、とても多い大学なのだ。
和真の父もOBなのだから、そこを選ぶのは自然である。
「カズ君はいい選手だよ」
そう控えめながらも評する星は、これまた早稲谷のOBであるのだ。
上にも下にもプロ入りしたピッチャーが、何人もいた時代。
そこからわずかな登板機会で、プロへの適性を見抜いた鉄也も、たいしたものがある。
故障をしなければ先発もリリーフも出来る便利なピッチャーとして、かなり長く戦力になっていただろう。
ビハインド展開から投げて、味方が逆転してくれて勝利投手。
そんなパターンを何回もやってのけたのだ。
そして便利に使われすぎて、故障したわけだが。
「先輩のお父さんは、どの大学の環境がいいって言ってますか?」
ジンの父である鉄也は、ある意味ではレックスの黄金期を、大きく作り上げたスカウトである。
その目からすると、どの指導者が優れているのか、おおよそははっきりする。
「東北環境大学かなあ」
「あ~……」
関東という和真の条件から外れている。
昔から確かに、東北最強の野球部として、ずっと君臨し続けている。
それでいながら関東の大学ではないので、競争が少し違うところはある。
だいたい東京の有名大に有望選手が入れば、そこで変なタニマチがついてしまうことがある。
和真に関してならそれは、問題ないところである。
ただ周囲の環境というのは、育成において本当に大事なのだ。
和真のプロ入りに熱心なのは、父ではなくむしろ母親だ。
自分がバレーボールの日本代表にまでなりながら、怪我で早々に引退したことが、ある意味ではトラウマになっている。
またその自分を支えるために、西がプロの選択をせず、一般企業に入ったことも理解している。
もっとも西本人は、周囲が化け物だらけだった大学時代を経験し、自分はちょっとプロは無理だと普通に諦めただけなのだが。
この両親の運動能力を、和真は遺伝しているわけだ。
どちらかというと母親似と言われるのは、その日本代表レベルの力による。
確かに西はスカウトの目からしても、ぎりぎり指名するかどうかというものであったが。
あの怪物ぞろいの早稲谷黄金期に、スタメンであっただけで凄いことだ。
「プロ入りだけが幸福なわけじゃないけどねえ」
ジンはそう言ったものの、大学からプロに入るというルートは、後のフロント入りまで考えられる、セカンドキャリアも安心出来るものなのだ。
重要なのは最後の夏に、どういう結果を残すか。
出来れば春の関東大会に出て、大学関係者に認知されること。
「進学の意思が確定してるなら、連絡とっておくよ」
このあたり控えめなようでいて、やることはやる星なのである。
「聖子ちゃんにも関係してるし……」
父親として、将来の息子になるかもしれない少年に対し、思うところがないわけはなかった。
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