第151話 フラグブレイカー

 整いすぎている状況というのは、おおよそ崩されることが多い。

 白富東の夏三連覇という道。

 史上最強とも言われるピッチャーは、過去に何人かいた。

 その中で史上最高のピッチングをしたのは、やはり直史であろう。

 あの時期の直史は、完全な技巧派であったと言える。

 145km/hも出ないストレートで、15回をパーフェクトに抑えた。


 今はもう延長に入ると、タイブレークとなっている。

 決勝ぐらいは残しておけとも思われるが、選手の故障を回避するためには、するべき処置ではあったのだ。

 もっともこれによって、延長に入ればより、運のいいチームが勝つこととなった。

 ただしピッチャーが、全てのアウトを三振で奪えるようなら、また話は別であるが。


 延長に入るとまずいというのは、他の全ての試合にも言える。

 白富東は三番までの得点力が高い。

 だが下位打線では、ラストバッターの真琴が打てるぐらいだ。

 内野ゴロから点を取る、高校野球としては面白い。

 ただ簡単に点が入ってしまうのは、実力差を正確には測れないことになってしまう。


 弱者による下克上。

 そこにロマンがあるとも言えるだろう。

 強者が劇的に敗北する光景。

 それも高校野球ではよくあることなのだ。

(俺たちの頃は、まだマシだったからなあ)

 鬼塚はあの甲子園を思い出す。

 タイブレークも延長からいきなり始まるものではなかったし、決勝は適用されていなかったのだ。


 勇名館相手の試合も、油断はしていないが過度の警戒はしない。

 まずは一点を取ることが、勝利のパターンなのである。

 先攻を向こうに取られたが、先発の昇馬はあっさりと三者凡退で打ち取る。

 この一回の攻防を除けば、後攻のチームというのは有利になる。


 まず一点。

 勇名館は先頭の昇馬を歩かせてきた。

 鬼塚としては、この判断は間違っていないとは思う。

(確かに昇馬に比べれば、アルトと和真はまだマシなんだろうが……)

 アルトの打球は、高く上がってセンターがバックする。

 フェンスに激突しながらもキャッチして、その様子を見て昇馬は、一塁から二塁へとタッチアップした。

 うずくまって、その状況も見えず、ただキャッチしたグラブを上げているセンター。

 そこで判断は遅れて、昇馬は二塁にまで進んでいた。


 そこまでやるか、というのが鬼塚の感想である。

 ただ昇馬は感覚的に、そういうものをやってのけるのだ。

 ハーフウェイラインから一度一塁に戻って、そこからわずかに二塁へ歩いて、そこから何気なくダッシュ。

 相手の心理の隙を突いたのだが、誰かが気づく危険性はあった。

 しかし一塁ランナーが、センターフライでタッチアップに、得点圏に進んだ事実。

 これで和真が打ってくれれば、まずは先取点が取れる。




 冷静に判断すれば、和真とはボール球で勝負すべきであった。

 しかし一塁ランナーのタッチアップという、まず見ない状況が、勇名館を混乱させた。

 和真を相手に、分かりやすいアウトローから勝負してしまったのだ。

 初球打ちもする和真の打球は、ライトフェンスを直撃。

 これで昇馬が簡単に帰り、まずは一点を先制した。

 そしてこの先制点が、試合の流れを決めたとも言えるだろう。


 どこまで無失点で守れるか、それが重要なはずであった。

 野球というのは、守備からリズムを作っていくものだ。

 白富東は三番までを除けば、打力はそれほど高くはない。

 だからまず三人を抑えること、が重要なはずであった。


 とにかく一点もやってはいけなかったのだ。

 ここを封じることで、白富東には、いつもと違うなと思わせることが出来る。

 そういった違和感が、やがてはプレッシャーになっていたはず。

 しかしそれは果たせず、先制点を一回に与えてしまった。

 最低限の勝利条件を、満たすことが出来なくなったのだ。


 選手たちの士気は落ちていない。

 無敗の昇馬といっても、ピッチャーの調子は悪い時もあるのだ。

 下手に名門強豪なだけに、ピッチャーのそういう状態を知っている。

 ただそれは高校生のエースの話だ。

 MLBのエース級ピッチャーが、日本の地方大会で負ける。

 それはどれだけ調子が悪い時だというのだろう。


 二回の表、勇名館は三者三振。

 ボールにバットが当たらなかった。

 そもそもまともに、見えてもいないのかもしれない。

 決勝として特別に表示されているスピードは、160km/hオーバーである。

 もちろん人間の投げる160km/hなど、そう対戦するものではない。

 ただ勇名館は、神奈川に遠征して、桜印などとの練習試合も行っていたのだ。

 将典に完封されたが、この昇馬はさらに上なのか。

 春のトーナメントでは当たらなかったので、その速度を忘れてしまったのか。

 相手が強すぎて、現実を見れば戦えなかったのかもしれない。

 だがそれでも、試合の流れは完全に、白富東のものとなっていた。




 試合の中盤に入った時点で、鬼塚は勝利を確信した。

 4-0とスコアは変化し、そして勇名館はまだ出塁出来ていない。

 ここは折れたな、と判断した鬼塚は、昇馬をライトに残しはしたが、一年生をマウンドに送ったのである。

 ちょっと油断しすぎではないか、と考える者もいるだろう。

 しかしこれは油断ではなく温存なのである。


 マウンドにいる限り、相手のライナーなどで怪我をする可能性はある。

 また体力お化けの昇馬でも、真夏の甲子園は消耗するのだ。

 来年以降を考えれば、こういった舞台を経験させておきたい。

 全国制覇はともかく、甲子園までは到達出来るかもしれないからだ。


 4-0で残り3イニング。

 満塁ホームランが出ても、逆転にまでは至らない。

 それでも勇名館サイドは、得点のチャンスではあると考える。

 一度は折れてしまった心を、もう一度どうやって持ち上げて、戦うことが出来るか。

 メンタルの問題だけに、難しいところがある。

 ただ敗北したとしても、立ち上がることが出来れば、そこで得るものはあるのだ。


 甲子園には届かない。

 それはどうしようもない事実であろう。

 時代と場所が悪かった。

 そう言ってしまえば、どうしようもないことだ。

 神奈川だって桜印が、まさか五季連続で出場を決めるなど、思ってもいなかったろう。

 ただここはセンバツの方で、出場できたチームがある。


 この世代は圧倒的なエースを抱えたチームが多かった。

 青森、岩手、長野、高知などといった場所。

 加えて千葉に神奈川。兵庫も四度は出ているが、ここもセンバツでの出場がある。

 敗北に向かって時間が経過していく。 

 だがその情景でさえも、かつてあった若き頃を思えば、輝けるものであるのだ。


 感傷的であろうし、勝手な美化でもあろう。

 だが高校野球は、敗北さえもが美しい。

 必死な応援の声も、嗄れてしまったものがある。

 白富東は一年のピッチャーを二人も使い、勇名館の打線の目線を変えていく。

(せめて一矢報いて)

 わずかに一点が入った時点で、5-1とスコアは変化。

 そしてもう一度昇馬がマウンドに登ることはなく、千葉県の代表は決まったのであった。

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