第149話 彼らの終わる夏
夏が進んでいく。
三年間の結晶が、瞬く間に消費されていく。
その終わりには涙もあるかもしれない。
だがやり遂げた人間ばかりのわけもない。
まだ続きがある、と思っている人間も多い。
昨今では大学野球も、その人数が意外にも増えていたりするのだから。
二回戦が終わった時点で、半分以上の高校球児の高校野球は終わったわけだ。
正確には始まる前に、ベンチにも入れずに終わった選手もいるだろう。
高校野球ほど応援を強制するものが、他にあるだろうか。
今はもう随分と、そういったこともなくなってきているという。
だが私立の高校にとっては、今でも大きなブランドになっている。
甲子園で応援をしたい、という吹奏楽部の人間もいるのだ。
ほとんどの高校球児にとって、甲子園は夢だ。
完全に確立したブランドが、甲子園というものなのである。
全ての試合が全国に中継されるという、高校生の大会としては異例のもの。
地方大会にしても地方局で、かなりの数が放映される。
甲子園に行くことだけがドラマではない。
むしろ多くの選手は甲子園に行けず、そこにもドラマがある。
プロのスカウトの立場からすれば、甲子園になど行ってもらわない方がいい、ということさえあるのだ。
他の球団との競合になったり、あるいは甲子園でテンションが上がって故障したり、そういうことがあるからだ。
地方大会の様子を確認して、高校生の評価は決める。
あくまで甲子園は、その評価の答え合わせのようなもの。
だが高校生の潜在能力を、一気に引き出してしまうのも、甲子園という舞台なのだ。
千葉のみならず、各都道府県で大会が始まる。
東京と北海道を除く、全ての府県では、たったの一校が選ばれるのみ。
そこでも多くの高校球児の、汗と涙が流されるのである。
地方大会では有力校が着実に、甲子園出場を決めていく。
青森は青森明星、岩手は花巻平、長野は上田学院、兵庫は仁政学院、高知は瑞雲、福岡は尚明福岡。
そして神奈川はまだ決まっていないが、桜印が着実に勝ち上がっている。
千葉でも白富東は、三回戦で昇馬が投げて五回コールド。
参考パーフェクトであるが、11奪三振という、圧倒的な内容であった。
負けたらそこで高校野球が終わる。
昇馬はここで初めて、その感傷が分かった気がした。
野球部の練習には出ずに、自分のメニューをこなしていたこともある昇馬。
だがほぼ毎日のように、野球部は練習を続けてきたのだ。
それが生活の中からなくなるということ。
そして二度と訪れないことだと思えば、青春などという木っ恥ずかしい言葉も、なんとなく理解は出来るのだ。
一つのモラトリアムの終わり、とでも言おうか。
一歳年上の司朗は、プロの世界に入っていった。
つまりもう、仕事をしているということになる。
昇馬は野球をしていくことに、さほどの意義を感じているわけではない。
まだ何者にでもなれる、というのが昇馬の意識。
プロ野球選手になることを、嫌っているわけではない。
だが可能性はまだまだ、大きく広がっていると思うのだ。
人はやりたいことより、やれることを好きになって、仕事にした方が幸福になりやすい。
確かに昇馬の才能は、野球に完全に向いている。
その才能というのは、果たして誰のものであるのか。
才能を持った人間は、その才能の奴隷となるべきである。
そんな極端なことを言う人間もいるが、昇馬はやりたいことというのが、具体的には見つかっていない。
目標を持ったならば、具体的に何をしていくか、はっきりとさせるのだ。
昇馬はそれを持てていいない。
圧倒的な才能を持ちながらも、それによって幸福になれない。
成功するためには、必要なことなのかもしれない。
だが成功したからといって、幸福にはなれない。
昇馬の欲望は、割とあっさりしている。
食欲と睡眠欲は、かなりはっきりとしているのだ。
他の欲望としては、性欲に関しては淡白である。
少なくとも10代の少年にしては、あっさりとしたものがある。
自己承認の欲求も少ないし、金銭欲もない。
あるとすれば、未知への興味だ。
それは知識だけではなく、体験も含むものである。
世界の最先端に行くのなら、アメリカに行くのもいいだろう。
しかし今の文化の主流は、別にアメリカに限ったものではない。
一時期のポリコレなどの流行により、欧米圏では文化的なものが、ひどく汚染されてしまった。
ある意味では文化などは、先端というものはないのだろう。
存在するのは、それこそガラパゴスのような多様性。
不思議なことに多様性を口にする人間は、事実の中の多様性を否定していく。
昇馬は県大会では、あまり投げないようにしていた。
三年生が引退すれば、次はピッチャーは一年の左右二人が有望視されている。
ここで少しでも経験を積ませて、センバツや来年の夏につないでいきたい。
そうでないとせっかくの和真が、不憫であるではないか、という話になる。
もっともプロのスカウトは、既に和真にも、しっかりと目をつけている。
一年の夏から甲子園に出て、ホームランも打っているのだ。
昇馬とアルトが徹底的にマークされた試合で、和真が決定打を打った試合も多い。
鬼塚としても和真は、プロに行く素材であると思う。
大学を経てから行くか、それとも高卒で行くか。
自身は大卒ではない鬼塚は、大学で鍛えてからいっても、問題ないと考えているが。
順位縛りをしてもいいだろう。
素質的には一位か二位で指名されるべきだと思う。
なので高卒の時点では、球団を選んでしまってもいい。
もっとも鬼塚としては、ぜひ地元の千葉に入ってほしいものだが。
ただ二軍である間は、基本的に埼玉に住むことになるが。
和真はさすがに、司朗ほどの突出した能力はない。
それでも高校生では、トップクラスである。
バレーで元日本代表にまでなった、母親の血も影響しているのだろう。
本人としては父親が行かなかった、プロの世界にも興味は示している。
だが高卒の鬼塚が言うのもなんだが、大学を経由したほうがいいだろうな、とは思う。
プロで成功する確率は、本当に低いのだ。
鬼塚は自分よりも優れた素材で、センスにあふれていた選手が大成しなかったのを、多く見てきた。
だからセカンドキャリアのためには、大卒の肩書きはあってもいいと思う。
もっともコネのことを考えれば、いくらでも直史が就職先を用意してくれるだろうが。
そちらに頼るのであれば、高卒でプロに飛び込んでもいいだろう。
高校野球の監督というのは難しい。
単に試合のことだけではなく、選手の将来のことも考えなければいけないからだ。
その点では昇馬でさえも、故障の可能性は常に付きまとう。
アルトのように野球に、人生を賭けているような人間は、故障しないための技術を、ひたすら教えてやるだけでいいのだが。
同じパのチームにいたアレクは、人生において成功した。
メジャーで10年もやって、今ではアメリカに住んでいる。
アメリカも色々とあるが、治安や育児など、生活のしやすい場所を選ぶだけの、余裕を持って生きている。
たまに連絡があるが、上手くやっているらしい。
子供たちはスポーツもするが、どちらかというと勉強をしているそうだが。
アルトはその背中に、ブラジルの家族たちの期待も乗せている。
出来れば一位指名、そうでなくても二位までには取ってほしい。
そのためにもこの、地方大会から甲子園まで、最後のアピールが重要になるのだ。
(まあピッチャーとしても、かなりの力はあるけどな)
それでもやはり、本分は外野であろう。
千葉県大会は順調に進んでいく。
同じシードも倒して、ついにマリスタに戻ってくる。
ここから先が、甲子園のために高校生活を送った、球児たちとの戦いとなってくるのだ。
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