第147話 周辺には

 気温的にはもう真夏のような気がする。

 いよいよ大会に向けて、最後の追い込みをかける時期か。

「三年目か」

 もう日は一番高くなりつつある。

 鬼塚はとにかく、選手たちのことを考える。

 怪我をしないことを第一に、二番目に勝利を考える。

「ぶっ壊れてでも甲子園に行きたい、なんていう生徒がいなくていいなあ」

 シニアでコーチをしていた頃は、そういう選手もいたものだ。

 鬼塚自身がプロになったのは、とにかく自分で稼いで生活したい、と思ったからだが。


 家庭内で上手くいっていなかったが、それは結婚して子供が生まれて、いつの間にか解消していた。

(後になってから思うと、本当にどうしてとか思うもんなんだよなあ)

 今の白富東の選手には、そこまで思いきっている選手はいない。

 ただアルトに関しては、人生を賭けて野球をやっているので、それは自分に近いと感じたりもする。

(あっちはあっちで、全然事情が違うんだよな)

 アレクと一緒に野球をやっていたので、鬼塚もおおよその事情は知っている。

 基本的には陽気なアレクが、時折とんでもなく暗い目をしていたのは、ブラジルでは普通に人が死ぬからだ。

 ニュースなどではなく、知り合いが普通に死んでしまうからだ。


 昔に比べると、日本もそういう傾向はあるのかな、と鬼塚は思う。

 ただそれがどういう原因によるものなのか、それは分からない。

 経済が悪化したから、とも言われる。

 他には社会構造が変化したから、とも言われる。

 少なくとも鬼塚のプロ入りした時などは、SNSでなんだかんだ言われることはなかった。

 ネットで叩かれる程度のことはあったが。


 何がなんでも甲子園に、という選手も減ったのだと思う。

 ただそれが価値観の変化なのか、それとも鬼塚の周辺環境だけの変化なのか、それも分からない。

 とりあえず目標とするのは、来年の夏になんとか甲子園に行くことだ。

 今年の夏は事故さえなければ、問題なく行けると思うのだ。

(まあ俺らの時も、色々言われてたからなあ)

 鬼塚は甲子園に行く五回の機会を、全て達成してきた。

 直史たちは一年の夏、逃していたのだが。


 鬼塚の周囲には今も、プロのスカウトが散々にやってくる。

 その中には本当に、熱意をもってプロの世界を語る人間もいる。

 だが鬼塚自身も、プロだったから分かるのだ。

 プロに入って期待されていても、わずかな故障やタイミングの悪さで、結局は引退して行く人間がいるということを。

「才能を持っている人間は、その才能の奴隷になるべきだ」

 そんなことを言っているスカウトもいて、昇馬の力がどれだけのものか、分かっている鬼塚に力説したものだ。


 一年の夏から、三年連続で最も過酷な、夏の甲子園を制する。

 正直なところ、この三年の夏が、一番楽であるかもしれない。

 鬼塚としても昇馬の力なら、少なくともNPBでは通用すると思っている。

 プロだからこそ分かるし、あとは球団に恵まれるかどうか。

 とりあえず千葉ならば、安心して預けられるな、とも思っている。


 野球を中心に考えることを、全否定するわけではない。

 スカウトまでやっているような人間は、とにかく野球が好きでたまらなくて、才能を見つけたら魅了されるような人間なのだ。

 鬼塚としても昇馬の力は、プロの世界で見てみたい。

 さらに実家の太さを考えると、故障でもしてレールを外れても、そこからやり直すことが出来る。

 ならばプロに進めばいい、と関係者が言うのは分かるのだ。


 鬼塚も関係者であるが、選手たちの未来を考えてきた。

 そしてプロの世界では、モチベーションを正しく保たなければ、長く続けていくことは難しい。

 おそらく昇馬の場合、大介に勝利した場合もう、野球に未練がなくなるのではないか。

 あるいはすぐにMLBに行くのではないか。

 そう考えていくとわずかな間、活躍することになるのかもしれない。

 だが野球が好きで好きでたまらない人間でなければ、パフォーマンスを発揮できないのではないか。

 もちろんその過程で強敵と対決し、野球をやる本当の喜びに目覚めるかもしれないが。




「どうなんでしょうねえ」

 病院に見舞いに来た鬼塚は、病人に相談していたりした。

「どうって言ってもなあ」

 鶴橋はそう言って、鬼塚と同じく眉間に皺を寄せるのだ。

「メジャーで向こうのバッターを、なぎ倒していく姿は見てみたいけどなあ」

 だが自分にその時間が残されているか、鶴橋は自信がない。


 癌による入院と手術で、今はこうやって病床にある。

 シニアチームの後任には、教え子に声をかけて頼んである。

 一応は転移がないはずであるが、やや浸潤が見られた。

 なのでここから抗癌剤治療をするか、という話になっているのだ。


 鶴橋は野球に魅了された人生を送ってきた。

 息子たちはそんな父親に呆れて、むしろ野球からは離れていったが。

 孫は野球ではなくバスケをしているが、昨今は少しだがNBAに日本人選手も出てきている。

 普通の体育館で出来るバスケは、明らかに野球よりも入り口が広い。


 そもそもバスケは野球よりも、ユニフォームなどにかかる金も安いのだ。

 またチームを作るにも、五人いればチームが出来るし、六人いれば3on3が出来る。

 より手軽に出来るスポーツという点では、野球よりも優れている。

 実際に競技人口は、圧倒的に世界でも多いのである。


 これもまたNBAという、アメリカの巨大市場がある。

 そして日本もBリーグがあり、経営的にも成立しつつある。

 サッカーのスタジアムと違って、他のイベントにも多く使える。

 バスケに人を取られてしまうのは、仕方がないことであろう。

 それでも鶴橋は、野球に人生を捧げたのだ。


 あれだけの才能があるのに、プロには進まないというのか。

 もちろん過去には大学野球で素晴らしい実績を残しながら、プロには行かない選手もいた。

 だが昇馬の才能は、スケールが違うのだ。

 当たり前のように甲子園で勝てる、圧倒的な才能。

 今すぐNPBでも通用するだろうし、おそらくMLBでも問題ない。

 それが野球を捨てるというのは、野球人からしたらもったいないとしか言いようがないのだ。


 鬼塚のこれは相談ではない。

 もちろんその側面がないではないが、愚痴の要素が強い。

「昔はプロになりたいってガキがいっぺいいたんだがよ」

 鶴橋としても鬼塚の言いたいことは分かる。

「今は情報が増えすぎたんだな」

 選択肢も増えすぎたが、ネガティブなイメージが大きすぎる。


 プロになってその先、何があるというのか。

 29歳には引退していて、一軍を一度も経験しない選手も多い。

 数年前のドラフトの結果が、今では簡単に分かる。

 支配下指名でプロ入りしても、その中でどれだけが一軍に行けるのか。

 そして一軍で、どれだけ働けるのか。


 深く考えすぎなのだ。

 確かにプロに行って、たいした活躍も出来ずに引退する選手が大半だ。

 しかしそこから普通に、生きていけばいい。

 単純に野球に関わりたいなら、コネを作りやすいプロの世界を、経験しておいてもいい。

 もっとも今は大学という選択もあるが、大学は大学でその闇が明らかになってきている。


 鶴橋の若い頃は違った。

 運動神経のいい男子は、多くがプロ野球選手を目指すような、そんな時代であったのだ。

 今でもフィジカルエリートの多くが、野球選手には集まっている。

 稼げるスポーツであることは、間違いないからだ。

 だが教育資本をかける余裕があるならば、他にも色々と道はある。

 団体競技を選ぶのは、日本人特有の同調圧力もあるのだろう。




 昇馬の周辺には色々な人間がいる。

 プロのスカウト、チームの仲間、昇馬の家族。

 チームメイトはとにかく、夏の勝利のために戦っている。

 プロのスカウトとしてはなんとしてでも、自軍のチームに入れたいであろう。

 選手の側からは入れるチームを選べるわけではない。

 出来るのはせいぜい、プロ志望届を出してから、意志を示すぐらいだ。


 社会人や大学に、不満なチームの指名があれば進むというのもある。

 司朗の場合なども、ポスティングを前提とした契約を、あらかじめスカウトには伝えていたのだ。

 だからこそまだしも、少ないチームの指名となった。

 これがかつてであれば、逆指名という時代もあったのだ。

 裏金を積んで目玉選手を、しっかりと確保していた時代である。


 今のドラフトはクリーンになって、進学のはずが指名される、というのも少なくなっている。

 選手はプロ志望届を出して、それがなければ指名出来ないからだ。

 あとは順位縛りもあるし、先に他のチームには行かない、という宣言もしたりする。

 昔はタイタンズ以外は行かない、などという宣言もあったりしたものだ。

 またライガース以外は行かない、などという縛りもあった。

 大介のやったのが、スターズ以外で、というものであった。


 こうやって選手は自分の意思を明示することは出来る。

 だがチームが果たしてどうするかは、選手にはどうにも出来ないものである。

 編成としても一位指名は、確実に契約を結びたい。

 なので最近は12球団どこでも、という選手も増えている。

 あとは独立リーグを使う、という手段も存在する。

 社会人が高卒なら三年、大卒なら二年に比べると、独立リーグは翌年のドラフトにかかることが出来る。

 経済的に問題がないなら、そちらを選ぶというのもあるだろう。


 今は選択肢が増えすぎている。

 それはもちろん、悪いことのはずはない。

 だが周囲に的確な助言を与える者がいなければ、情報の氾濫に踊らされる。

 もちろん的確に情報を取捨選択出来るのも、才能の内なのではあろうが。

 ただ昇馬の場合は、周囲の期待がとんでもなく大きいのは確かだ。

 本人も直感的に、何をすればパフォーマンスが上がるのか、ちゃんと分かっている。

 何よりピッチャーとしては直史に、色々と教えてもらえばいいのだ。


 だがプロの世界に行かないのか。

 今はアメリカの大学に進み、そこからメジャーを目指すという進路さえある。

 親の太い昇馬は、英語力にも問題がないため、メジャーをいきなり目指すことも可能だ。

 しかしメジャーには、直史も大介もいないのが、今という時代なのである。


 昇馬を野球に執着させるものがあるとすれば、それは強者との対決であろう。

 具体的には大介と対戦し、果たして勝てるかどうか。

 直史とバッティングで対決するというのも、あるかもしれない。

 だがそのためにはパ・リーグに行くと対戦機会は少ない。

 どうせならカップスかフェニックスあたりに行けば、いくらでも対決の機会はある。

 その中には司朗ともまた、対決する機会があるのだ。




 鬼塚はチームを強くし、勝てばそれでいいと考えていた。

 監督としての役割は、それだけではないと思い知らされる。

 プロに進むというのなら、確かに助言も出来るのだ。

 だが昇馬の場合はプロのスカウトにもまるで興味を示さない。


 一応はプロから、調査書が届くのは九月に入ってからだ。

 しかし実際にはそれ以前から、監督などには接触がある。

 なんなら金銭的なやり取りもあったりして、そこで色々な密約が出来たりもする。

 今はよほどクリーンになったというが、鶴橋はそのあたりのどす黒いやり取りを、色々と教えてくれた。


 希望した球団に入れなければ、その球団の関係する社会人チームに入り、三年後の指名を目指す。

 こういった形で有望選手を囲い込んでいたのは、確かにあったのだ。

 あとは故障した情報などを、故意に流してスカウトを欺く。

 情報操作に関しては、今でもそれなりに行われているが。


 あとは事前に一位指名などを公表し、他のチームを牽制したりする。

 鬼塚としてはスカウトとの接触は、とりあえず今の時期は面倒なものだ。

 もっともスカウトも今の時期は、夏に向けてのチームの動きなど、高校生以外も色々と調べるため、多忙を極めている。

(周囲から期待されてるなら、それに合わせていってもいいんだろうけど)

 昇馬は単なる反骨心から、そういったものに反発しているわけでもない。

 そのあたりが厄介で、鬼塚としては扱いに困る。


 ただ昇馬は、才能だけではなく環境にも恵まれている。

 助言を自分が求めるなら、いくらでも応える人間がいる。

 進路についてもおそらく、父以外に色々と教えてくれる人間もいる。

 一番上手く打算的に考えるなら、母親が教えてくれるであろう。

(俺に出来るのは、へんな接触から守ってやるぐらいか)

 結局はそのあたりが限界なのだが、本当にナイフのように尖っていた鬼塚も、丸くなったものである。

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