第146話 非日常
日本人選手がMLBで活躍し、MVPに選ばれたりすることも珍しくなくなっている時代である。
MLB球団の中には中学生や高校生の時点で、日本のアマチュア選手に目をつけていたりする。
直史の活躍もたいがいであったが、時間的にはたったの五年。
しかし大介は12年間、武史も11年間活躍した。
武史の場合はサイ・ヤング賞の獲得が大きい。
それでも直史の評価が、武史の評価より下になることはない。
直史も場合はパーフェクトやノーヒットノーランを、全体の半分ほど自分一人でやってしまったという実績がある。
また直史の名前から作られた、先発ピッチャーのサトーという基準。
数年に一人出るか出ないかの、今ではパーフェクトよりも珍しい記録だ。
まさにMLBの歴史の中で、最強のピッチャーとバッターが日本から生まれてしまった。
その事実からMLBは豊富な資金力を使って、日本における野球指導などを分析する。
また同時に、この極東の島国で、逸材を探す。
その逸材の発掘は、むしろ勝手に登場してきた。
日本担当としてメトロズから派遣されてきたスカウト。
彼が当然のようにマークするのは、シニア時代からの昇馬であった。
そもそも昇馬はアメリカにいた頃からも、とんでもない素材だとは思われていたのだ。
そしてアマチュアとの境界が厳しくないアメリカでは、それなりに接触していた。
だが日本ではそれが難しい。
昇馬の場合は特に、大介と直史が背景にいるだけに、騙すような契約を結ぶことは難しい。
また金でどうにかするにしろ、相当の大金が必要になるだろう。
もっともそんな考えは、アメリカの新自由主義経済に慣れすぎた者の思考である。
ただ監督である鬼塚との接触は出来た。
しかし鬼塚としても、スカウトには理解不能なことを言うのみだ。
「あいつは金のために野球をしているわけじゃないからな」
実際のところアメリカでは、スポーツの才能が確かにあっても、大学へ進学し人生のキャリアを積む人間は多い。
リスクの分散なのである。
鬼塚はスカウトに対しては、むしろアルトを推薦した。
「ブラジルに家族がいて、何より本人がハングリーだ」
自分でもそうだったから、必要なものが分かるのだ。
実際に飢えているとか貧乏だとか、そういうものではない。
どれだけの高みを目指していて、それに対して渇望しているか。
今はただ無理をすればいい、という時代でないことは確かだが。
アルトという素材は正しく調理すれば、一級品の料理になる。
鬼塚がその意味で、本当にプロの意識を教えているのはアルトだけだ。
もっともMLBだけではなくNPBのスカウトも、おおよその価値は分かっている。
昇馬が敬遠されても、次のアルトが打つ。
それで随分と勝っているからだ。
5ツールプレイヤーと言われるし、実際にそうである。
プロ入りを望むなら、下位までには絶対に消えているな、とはどの球団も思っていた。
鬼塚はアルトがプロで一番、金を稼ぐルートも考えてやっている。
当然ながらいきなりMLBよりも、NPBで実績を残した方がいい。
育成環境だけを言うなら、アメリカの3Aよりも日本の育成の方がいい。
あとは試合経験をどれだけ積むかである。
アルトの場合は一年の春から、全国レベルのピッチャーと対戦し続けている。
そしてチーム内に、最強のピッチャーがいる。
正しく査定するなら、三位までには消えているだろう。
ただ同じ学年に、高いレベルの選手が多いのが、不利と言えば不利であるが。
バッティングでは少し上回るであろう、風見や鷹山。
しかし守備と走力では、アルトの方が上なのだ。
そして外野ならどこでも守れるので、アルトの方が使いやすい。
プロの世界でも、とりあえず守備が及第点なら、試合で試すのはやぶさかではない。
ピッチャーをすれば150km/hを投げる肩もあるので、より使いやすいのだ。
走力もあるので、試合の終盤であれば代走として使い、そのまま守備に就くという起用法も出来る。
もっともこういったことはNPBの球団なら、既に全部理解しているだろう、と分かっているが。
チーム事情次第ではあるが、二位ぐらいで取ってくるNPBの球団はあるかもしれない。
さすがに一位指名で高卒野手を取るのは、リスクが大きいと考えるかもしれないが。
もっとも素材枠を一位指名することでは、福岡などが有名である。
ただあそこは最近、一位指名を上手く育てきれていない。
アルトはプロに入ることが目的ではないのだ。
25歳になればポスティングで、メジャーに行くのが目的なのだ。
なのでポスティングを容認しない、福岡はありえないと言えるのだが。
同年代に才能が集中しすぎている。
その中でもトップの数人を指名し損ねた場合、おそらく大卒の即戦力などを取りに行くのではないか。
すると将来的にポスティングを狙うような、高卒野手はどうなるか。
もちろん高く売れそうならば、問題なく指名するだろうが。
そもそもプロで大きな結果を出さなければ、ポスティングでも値切られる。
高卒選手を25歳で売り飛ばすのが、球団としては一番金になる。
金に困っていない球団には、入らないほうがいいということだ。
去年の司朗のドラフトも、昇馬の参考になるかと思って、直史は内実を鬼塚に教えている。
ただ昇馬の場合は司朗よりもさらに、野球の世界に執着がない。
一度はプロを辞めてしまって、大学に入りなおすなど、そんな極端な未来さえ考えられる。
人間は自分の能力を、一番発揮出来ることで食っていくのが、本当ならばいいのだ。
だがそれが通用しないのが、世の中というものである。
やりたいことをやって生きていける人間は、それほど多くはない。
もっとも昇馬の場合、身体能力を活かすことなら、たいがいはなんとかなってしまうだろうが。
体力を活かすというなら、農家でもいいのだ。
実際に実家近くで、農業の手伝いに出たこともある。
休耕地が多いが、自前で消費するぐらいの食料は、作ってしまうことが多い。
そもそも農業法人の、経営に携わっているのが直史の両親で、つまり昇馬の祖父母であるのだ。
あとは猟師になってもいい。
現在では猟師というのは、禁猟期間もあり副業でしか成り立たない。
だが獲物を狩るという昇馬は、事実上今も猟期には、山に入っている。
人間の進路というのは、色々と複雑なものである。
自分のやりたいことが出来ることとは限らない。
おおよそ自分の得意なことをやった方が、成功する可能性は高いのだ。
だが多少の才能や素質の差であれば、執念で上回ることが可能だ。
モチベーションを持ち続けるというのも、一つの才能である。
ただ同じピッチャーであっても、昇馬のようになれるピッチャーはほぼいない。
目指すならば一見、直史のようなピッチャーの方がまだありうる。
実際のところはどちらも、常識的な人間には不可能なのだが。
持っているものが多すぎても、選択肢が増えすぎる。
その中で自分は何をすべきなのか。
昇馬が考えるのは、自分の肉体を活かすことだ。
だから別にスポーツでも、それはそれで問題はない。
この体格を維持するためには、必要なこともある。
逆にこの体格で、出来なくなったこともある。
多くの人間は恵まれていると言うだろう。
昇馬はそうなのかな、と疑問に思う。
だが将来の選択肢が、いくらでも用意されている環境にあることは、確かであるのだ。
明史は子供の頃から、ずっと運動が出来ない体だった。
彼も真琴も、ひょっとしたら心臓の奇形が、子供にも遺伝するかもしれない、という話を聞いたことがある。
遺伝子でいうならば、明史などはものすごく頭がいいので、そこは有利なところだろう。
ただ生きるということだけならば、昇馬の方がずっと有利だ。
そんな昇馬がどうしても、試したいことは多くない。
だがなんとなく、やるべきであると感じることはある。
それは父親との対決。
別に仲が悪いわけではないし、普通に親としては面白い。
ただあまり、親という感覚がしないのは確かだが。
子供の頃からずっと、家を空けていることが多かった。
その代わりといってはなんだが、二人の母が色々と教えてくれたが。
アメリカの父親は、キャッチボールと、釣りと、火おこしを息子に教えるという。
昇馬が教えられたのは、キャッチボールだけである。
なお火おこしは伯父である直史が教えてくれた。
ただ一般的なものではなく、着火の方法も色々とあったが。
火種を消さないことなど、今は亡き祖父、昇馬から見れば曽祖父が、そういったことに詳しかったらしい。
父と戦いたいと、どうして思うのか。
野球で強い相手と戦い、そして勝つのは確かに面白い。
だが父と戦うことは、他の何かを感じるのだ。
(それにもう、戦う機会は少ないしな)
バッティングで伯父と戦うのも、少しは面白いだろう。
だがもっと、自分の人生に必要な、そんな義務的で権利的なこととは感じない。
色々と時間が過ぎて、学園祭も終わる。
白富東の生徒たちは、クセの強い人間が多い。
お前が言うな、と昇馬は言われるだろうが。
こういう時に中心になるのは、聖子であることが多い。
なんだかんだと明るく、ムードメイカーなところがある。
真琴と聖子が二人でいると、尊さを感じる人間が男女問わずに存在する。
だからこそ和真と付き合い始めた時は、色々と騒動が起こったものだが。
和真も和真で、子供の頃から聖子のことは、ずっと好きだったというから一途である。
元々親同士が父母両方とも、仲が良かったのだから自然な流れだ。
身近に愛情を抱ける人間がいるというのは、幸福なものだと思う。
昇馬はそういう人間がいない。
もちろん家族であったり、友人であったりと、大切な人間はいるのだが。
母とは感覚が似ていると思う。
あと伯父の直史とも、感覚が似ていると思う。
それがどうやって、人間の世界と折り合いをつけているのか、そこが不思議である。
なぜこんなにも、違和感があるかも不思議である。
ただ祭りの間は、楽しむことが出来る。
一般的な生活の中よりは、山にいることが快適である。
そして甲子園の間などは、祭りの中にいるようで楽しい。
プロの世界に行けば、ずっとそういうものなのかな、とも思う。
自分が出来ることや、自分のやりたいことではなく、自分を満足させることを考える。
普通の人間がこういうことを考えるのか、昇馬にはよく分からない。
ただ母たちの見る目は、自分を理解してくれているのでは、と感じることが出来る。
もうすぐ最後の夏が来る。
夏はこれから先、何度でも来るだろう。
しかしこれが、最後の機会という意味では、最後の夏である。
(周りがお祭り騒ぎだと、俺も楽しい)
だからといって若さに任せて、馬鹿騒ぎをするのとは違う。
(アメリカ時代にはおかしなやつらがいたもんな)
あまりにも刹那的に生きているのが、あちこちにいたものだ。
だからこそ人の世界からは離れた。
今はこのあたりで生きていて、丁度いいと感じている。
田舎ではあるが人はいて、距離感が丁度いい。
山に入れば獣がいて、それを食って生きていける。
甲子園にでも行けば、周りが皆、それを楽しんでくれる。
そういったことが昇馬には心地いいのだ。
野球を楽しめるのは、それが祭りであるからだ。
甲子園がおわったならば、次は何を目標にすればいいのか。
プロに行くなら毎年、続いて試合をすることになる。
なんだかそれは特別感がなくて、あまり面白いとは思えない。
いっそのこと日本シリーズや、ワールドシリーズばかりがあればいいのに。
ただそういったことは、レギュラーシーズンの積み重ねがあってこそ。
甲子園もそこまでに、毎日の練習などがあってこそ、特別なものになるのだ。
特別ではなくても昇馬が心地いいと感じられるのは、山の中にいる時だ。
獣を狩っている時などは、生きていると感じられる。
いっそのこともっと、殴りあったり殺しあったりする世界の方が、生きていることを感じられるのだろうか。
だがアメリカ時代にはそういった、面倒なこともあった。
日本でも高校進学の時には、面倒なことがあって、本当に面倒だった。
人間相手では殺し合いも面倒すぎる。
やはりスポーツで発散させて、生きていくのが健全と言える。
昇馬はいくらでも力を振るえる立場にありながら、単純にそんな力を振るうだけでは、何も満足出来ない人間であるのだった。
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