第145話 間話
夏の盛りになる直前に、学園祭などがある。
現在の白富東は、隔年ごとに体育祭か文化祭をしていた。
今年は文化祭であり、学校中が普段とは違う喧騒の中にある。
野球部は野球部で、特に何かをするということもない。
普通にクラスに分かれて、それぞれのイベントを行うぐらいだ。
野球部の活動も、数日だが休みとなっている。
もっともやる人間は、自分でやっているだろうが。
昇馬もクラスの展示物で、腕力の必要なところに借り出されている。
野球をやるためだけに生きていてはいけない。
鬼塚はそのように教えている。
野球部の中で本気で、人生を変える覚悟をしているのは、昇馬でも和真でもない。
アルト一人がスポーツによって、自分の世界を変えようとしている。
野球の才能によって、今ここにいるアルト。
このまま既に、決めた道を進むという点では、昇馬よりもよほど躊躇がない。
彼一人が成功することによって、家族や一族がどれだけ助かるか。
ブラジルは今でもあまり、治安がいいわけではない。
日本でNPBの活躍で帰化するか、あるいはメジャーでアメリカに帰化するか。
金があるなら後者こそ、人生の勝ち組と言えるだろう。
アメリカは教育による格差が、そのまま子供の世代にまで伝わってしまう。
昨今では日本もその傾向にあるが、アメリカはその格差の大きさが日本の比ではない。
またアメリカの場合は、移民問題も日本より大きい。
とはいえ日本にしても、移民や外国人労働者については、多くの問題を抱えているのだが。
佐藤家や白石家は、基本的に子沢山である。
真琴の下には弟が二人、昇馬の下には妹が五人弟が一人いる。
武史のところも司朗のしたに妹が二人、弟が一人といった具合である。
ざっと周りを見てみても、一人っ子というのは和真ぐらいであるのだ。
育てるリソースを持っているなら、子供はたくさんいた方がいい。
もっとも財力と権力のある男は、すぐに外に子供を作りに行ったりする。
なお樋口は浮気は死ぬほどしたが、外に子供を作ったことはない。
地元の100年前の風景を見てみよう、というのが昇馬のクラスの展示であった。
基本的には図書館に行って、写真を見つけてくるというものである。
その写真から当時の大きさを再現し、地図で場所を指定する。
ちなみに野球部のグラウンドというのは、昔は馬場があったらしい。
そして白富東は、私塾の跡地に建立されている。
学校の歴史は120年ほどであるが、それ以前に江戸時代から続く私塾があったということだ。
藩校などではないのは、このあたりが大きな藩でなかったことを示す。
これが大きな藩であると、実はその藩校の跡が、そのまま今でも学校になっていたりする。
山口県の萩市などには、長州藩の藩校がそのまま、学校になっている。
松下村塾は私塾であったので、そのまま残っているのだが。
千葉はなんだかんだ言いながら、江戸からは距離が近い。
そのため外様の大きな藩は存在していない。
親藩を除けば譜代大名の一番大きなところは、井伊直弼で有名な彦根藩の35万石。
ここは京都にもそれなりに近く、西から外様大名が攻めてきたときは、足止めをするために石高が多くなっていたという。
江戸時代初期のことを考えると、巨大な藩は西に多い。
あとは仙台の伊達や、加賀の前田といったところだが、やはり西方に仮想敵国が集まっているわけだ。
実際に長州や薩摩、土佐といったあたりは全て西国である。
これに対して親藩の紀伊や尾張は進路上に存在する。
それだけ対策を考えていても、結局は関ヶ原で遺恨のある、長州と薩摩がメインで明治維新を成し遂げたわけだ。
もっとも薩摩の場合は、関ヶ原以降の怨恨も存在するが。
西国がなんだかんだ、ヨーロッパと近いというのも、要因ではあったろう。
千葉のこのあたりであると、明治維新では特に、何か大きなことが起こったりはしていない。
そもそも県庁所在地などから、ある程度離れているのが、むしろ不思議ではある。
日常が数日間は続いた。
この間も昇馬は、自主トレぐらいはしっかりとしている。
ピッチングというのは毎日の微調整が、かなり重要な特殊技能だ。
同時にキャッチングも、少しは時間を使って行っている。
父が通っていた道を、今は昇馬が通っている。
そして真琴は母の通っていた道を、むしろ通っているわけだ。
これに関しては子供の世代ではなく、親の世代がむしろ不思議に感じていたろう。
直史はあるいは、自分がずっと実家に暮らして、一生を終えるかもしれないと思っていたからだ。
高校に入学したあたりの将来の就職先は、公務員と考えていたのが直史だ。
特殊技能を大学などで学ぶなら、地元の大学に進学していたであろう。
東京で過ごした期間は、やはり特殊なものである。
もっともそれでもいまだに、実家に帰ると郷愁を感じるものであるが。
昇馬としても年末年始には、毎年のように直史の実家を訪れていた。
一時期だけ少し、アメリカで新年を過ごしていたことがある。
ただ今はやはり、ここに自分の原点があるのかな、と思っている。
それは真琴も同じことで、今の住んでいるマンションを、実家だとは思わない。
瑞希の実家についても、そうは感じないものであり、やはり田舎を持っている人間は違う。
地域の過去を調べるというのは、実は直史がやたらと詳しい。
正確には直史の祖母が詳しいのだが。
川向こうから嫁にやってきた程度であるので、それほど離れた土地でもない。
集落の名前は当時は違ったが、今では一緒になっている。
周囲で一番の美人、と言われていたものである。
白富東の周囲とは少し違うが、実家の蔵には色々と古いものが眠っている。
そこまで高価ではないが、先祖伝来のものなどもあるのだ。
戦後の時期には農家に対して、食料と引き換えにというはだしのゲンのような出来事もあったらしい。
ただそれ以前に江戸時代から、名字帯刀を許されたということで、土豪の庄屋ではあったわけだ。
家系図が本物であるなら、徳川家よりも歴史はある。
おそらくは江戸の初期あたりに、かなり脚色されたものだろう、と思われているが。
アメリカ暮らしが長かった昇馬には、日本人の感覚とは微妙に違う。
新大陸に移民としてやってきたが、そこには原住民の虐殺という、歴史に残る原罪が存在する。
日本のように先住民との戦いが、神話化されている国とは違うのだ。
なぜキリスト教を信じなければいけないのか、そのあたりも分からないでもない。
神の名の下にやっていかないと、先祖の過去の罪に耐えられない、ということはあるのだろう。
日本人の感覚としては、ギリシア・ローマ文明の方が、よほど偉大である。
イスラムが一番厄介ではあるが、キリスト教も含めたおかしな宗教を、基本としては必要としていないのだ。
一応は多くが仏教徒であるが、神道の精神も存在する。
そして昇馬の性格からすると、神道の方がよほど分かりやすい。
山や自然の中に入っていると、古代の人間がそこに神を感じたという感覚が、とても自然に思えてくる。
自然崇拝のシャーマン的なものである。
これが根底にあって、仏教でも色々な仏がいるからこそ、日本人は一神教を信じないのだろう。
正確にはキリスト教も、天使の存在を作ったり、聖人を作ったりしているので、一神教とは言いにくいのだが。
アメリカと日本とを比べると、宗教的な禁忌の面倒さで、アメリカが嫌になる。
そもそも人間の善性を信じないからこそ、契約社会になるのでは、とも考えるのだ。
まだ最後の夏の前であるのに、昇馬の前には進路の分かれ道がある。
自分の考えだけならば、アメリカの大学にでも行こうか、という選択になる。
だがプロの道に進めば、父の世代との対決が出来る。
おそらくは本気で戦えるのは、一年か二年ほどしかない。
今年の大介の数字も、直史の数字も去年より、明らかに落ちているからだ。
練習ではいくらでも対決している。
しかし本気でやりあったら、果たしてどうなるのか。
昇馬としては野球にそこまで執着はないが、公式戦でどうなるのかは試してみたい。
もっともリーグが違ってしまえば、その機会もほとんどなくなるが。
希望するチームに指名されなければ、一年を無駄にするのか。
そうすればまたドラフトの機会はあるが、その一年で機会を永遠に失うのではないか。
直史や大介は、大きな怪我をすればそれで、もう引退してしまうだろう。
大介の方は引退はしなくても、少なくともパフォーマンスは落ちる。
本気の父と伯父を相手に、どうすればいいのか。
昇馬とすればそこは、先に希望球団を言っておくことでどうにかなるのかな、と思わないでもない。
レックスとライガースを除く、セ・リーグの四球団。
だが父の代が引退してしまえば、日本の球界にはあまり興味がない。
もちろん司朗はいるが、その司朗も早めにMLB移籍を考えている。
そして司朗との対決は、昇馬としてもあまり本気になりにくいのだ。
距離感が近すぎるからだろう。
鬼塚は昇馬に対して、プロの選択を尋ねてきている。
元プロである鬼塚は、色々とつながりがあるために、スカウトとも話すことがあるのだ。
直史と打撃で勝負するか、大介と投球で勝負するか。
このどちらかを選びたいし、あるいは両方をやってしまっても構わない。
パの方がDHがあるために、ピッチャーが休みの日にはバッターとして出られる。
セであるとピッチャーで出ない日は、ファーストあたりに入れないものか。
三年ほどプレイしてみて、野球が昇馬を満たさなければ、別に引退しても構わない。
21歳であれば普通に、まだまだこれからが人生であるのだ。
昇馬は他人の期待に対して、応えたいとはあまり思わない。
そのあたりの人間性は、直史とは違う。
そもそも何をしたいのか、はっきりとは分かっていないのだ。
人間には自由意志がある。
そして昇馬には力もある。
ならば自分の実力で、色々な選択肢を選べるであろう。
野球を選ばないのなら、そこからも無限の世界が広がっている。
もっとも昇馬にも出来ないことはあり、それは競馬のジョッキーなどの、体重が軽い人間にしか出来ないことである。
この雄大な体格は、そういった選択肢を奪ったのは確かだ。
甲子園の熱狂は、アメリカのカレッジスポーツに似ている。
もっともそれに比べても、あまりに凄いものであるが。
だから甲子園に行くことには、充分に興味があった。
しかしプロ野球にはいまだ、さほどの興味を抱けない。
また大学に行ってまで、野球をしようとは思わない。
確かにアメリカにおいても、スカラシップで大学に進学し、スポーツをする学生は多い。
だが日本の野球部の場合は、どうにもそれを主体としており、昇馬は野球だけをしたいわけではないのだ。
それならばアメリカの大学に進み、そこで対決の相手を探した方がいいのではないか。
アメリカにはとにかく、世界中の才能が集まっていく。
なので昇馬が今までになく、苦戦する人間がいてもおかしくない。
野球をやるならばいずれ、アメリカに行くことになる。
だが今アメリカに行っても、そこに大介や直史はいない。
完全に投打の両面から、MLBで無双し続けた二人。
この二人と対戦しないのならば、野球を続ける必要もあまりないか。
もちろん大金を稼げるかもしれないが、昇馬は親の金を使うことに躊躇がない。
今から稼ぐにしても、そこまで金に執着がないのだ。
人間世界の名誉や地位にも執着はなく、金にも特に困っていない。
そんな昇馬をとどめるものは、いったいなんであるのか。
強敵との勝負ならば、ある程度は勇躍するものもある。
だが団体競技であれば、それにも色々と運の要素が絡む。
(なんだかなあ)
昇馬のモラトリアム期間は、続けようと思えばまだ続けられる。
だが戦いたい相手は、もう戦える機会は少ない。
父の代を圧倒するような、そんな存在が出てこなかった。
それは野球というスポーツにとって、全体的に見れば不幸であったのかもしれない。
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