第127話 エースとエース

 桜印も将典に、頻繁な休憩はさせない、という路線にしてみた。

 以前には昇馬たち中軸を抑えるため、他の打順には二番手以降を当ててみたこともある。

 体力的にはそれで、確かに温存も出来る。

 しかし試合の流れを決めるためには、相手のバッターの心を折っていく必要があるだろう。

 そのために初回三者三振を狙い、スプリットも大胆に使っていった。

 誤算であったのは昇馬が、その程度では何も動揺しなかったことだ。


 160km/hオーバーのボールに比べれば、159km/hの将典のストレートでも、それほどの脅威とは思わない。

 もちろんマシンのストレートとは違うし、実戦では変化球を混ぜてくる。

 だから打てないというのは、自分でも納得していることなのだ。

 ただスピードだけでいいならば、アルトと和真には期待する。

 自分の160km/hオーバーを、かなりバッティング練習では打っているのだから。


 昇馬としては自分の球を、自分で打つことは出来ない。

 マシンの設定は165km/hぐらいに合わせても、それだけならば打てるのだが。

(スプリットは投げてこないか)

 鬼塚はここまでの将典の球種を、ちゃんと聞き取っている。

 そして一回の三人以外には、投げていないことを確認した。

 もう3イニングが終わってしまって、二巡目に入ろうとしている。

 そして互いに、一人もランナーが出ていないのだ。


 どちらのチームも最初の三人に、特に打力が偏った打順になっている。

 そのため一回を終われば、三回まではこうなると予想されていた。

 四回の表、白富東は昇馬の打席。

 ここではさすがに、スプリットを使ってくるだろうか。

「スプリットは投げ方によっては、負担がかかりやすい球種だしな」

 鬼塚としては昔ながらのフォークと、判別をしている。

 フォークは二本の指で挟み、そこから抜くように投げる。

 だが指の柔軟性が、重要なボールとなっている。

 それに比べるとスプリットは、三本の指でおおよそ支えているものである。


 原理的には同じ球種で、MLBではフォークという言葉は使わない。

 今は日本でも、おおよそフォークとは言わなくなってきている。

 球速が遅く、落ち幅の多いボールを、フォークとして区別しているだろうか。

 そのあたりはあやふやであるが、とにかく回転数の少ないボールだ。

 比較的回転数が多く、落ちる幅が小さく、球速があるのをスプリットと言うであろうか。


 原理や呼び名はどうでもいい。

 問題はどうやったら打てるか、ということだ。

 もちろん鬼塚はプロの世界で、多くのスプリットを打ってきている。

 一応は昇馬も右で投げる時は、スプリットを投げていた。

 だがサイドスローに近いフォームにしてからは、肩肘への負担が大きくなっていると言われる。


 効果的な変化球であるのは間違いない。

 だが打てないボールというわけでもないのだ。

 しかしどうせならば、決め球で使われる前に、ストレートなりなんなりを打ってしまおう。

 将典の決め球は、元はスライダーと言われていた。

 だが他の球種も投げるだけに、これと絞るのは難しい。

 それでも絞って、一打席の内に一度、機会があるのを待つ。

 その一度の機会をミスショットすれば、その打席でもう一度のチャンスがあるとは、思わない方がいいだろう。




 昇馬は果たして何を狙うのか。

 直感的にストレートが一度はあるな、と思った。

 とにかく本格派ピッチャーというのは、ストレートには自信を持っている。

 特に将典は159km/hと、今の高校生の中では、昇馬に次ぐスピードボールを投げている。

 だが初球はないな、ということも感じられた。

 単なる力押しはないと、昇馬の直感が判断したのだ。


 初球から投げられたのはチェンジアップ。

 落ちていくボールは、しっかりとボール球であった。

 落ちる球でも明らかに、これは違うとはっきり分かる。

 分からないのがスプリットなのだから、厄介さは相当のものだ。

(よりスプリットを印象付けたいのか)

 昇馬はそう考えて、あまりスプリットは投げないのかな、と判定に傾向をつける。


 左バッターボックスの昇馬に対して、将典のスライダーは必殺とまでは言えない。

 それでも充分に、厄介な球であるのは間違いないのだが。

 他には細かく動くボールもあるし、あとはカーブも投げていた。

(速球系)

 それだけに絞って、細かい変化はパワーで持っていく。


 そのためのスイングが、アッパースイングである。

 通常のレベルスイングでも、ある程度はアッパースイングになっているものだ。

 手元でわずかに変化したが、その変化ごと飛ばしてしまう。

 だが大きく右に曲がって、ポールを外れていってしまった。

 これでストライクカウントであるが、まだ狙っていける。


 空振りを取ったスプリットは、一度しか使わないだろう。

 二度使うならば、かなり球筋を見られることになる。

 それにストレートに比べれば、わずかに違うはずである。

 ピッチトンネルが完成しているとは、思っていない昇馬なのだ。


 カーブで緩急をつけてから、またストレート。

 これを打たなければいけなかったが、バックネットに突き刺さるファールボールになった。

 159km/hと、あと少し足りない。

 だが対決している昇馬としては、今の時点でも充分に、厄介なピッチャーなのである。

(追い込まれたら、単打狙い)

 バットのトップをあらかじめ作り、スイングを小さくする。

 ただし短く持ったりはしない。


 下手なカットはバント扱いされる。

 素早く鋭く打っていかないといけない。

 そして投げられたスプリットに、上手く膝を抜いて対応。

 スピードの出たゴロが、内野の間に飛んでいく。


 だがこれに鍛え抜かれたショートが追いつく。

 昇馬も俊足であるが、ボールの方が早かった。

 これでワンナウトとなり、まだまだランナーが出ない。

 投手戦が続くのか、と思われた。




 白富東の中で、一番バッティングに理屈をつけて考えているのは和真である。

 あとは真琴も相当に、読みを考えて打っていくが。

 アルトが凡退し、ツーアウトになった状態。

 このプレッシャーと共に、緊張感も弛んでしまった将典から、本日の初ヒット。

 ただ長打ではなく、レフト前への単打であった。


 ここからの打順の打力を考えると、得点につなげることは難しい。

 だがとりあえずランナーとして、マウンドの将典にプレッシャーをかけるのだ。

 出来れば盗塁を決めて、まぐれでもヒットで点が入るようにしたい。

 しかしここから将典は、速球系だけでピッチングを組み立てた。

 和真もリードの距離で駆け引きをしようとしたが、将典はクイックが、昇馬よりも上手いぐらいなのだ。


 そもそも昇馬はメインで左で投げているし、ランナーを出すことも少ない。

 よってあまりクイックが上達する環境になかったと言える。

 しかし将典はそういった細かい部分も、しっかりと鍛えられている。

 足には自信のある和真だが、とても隙は見出せない。

 もっともそれを警戒しているだけでも、ある程度のプレッシャーは将典にかかっていたのだが。


 ともあれ双方のパーフェクトピッチングというのは、ようやくここで終わった。

 ランナー残塁のまま、四回の表は終了。

 桜印としてはこの四回の裏、同じく昇馬のパーフェクトピッチングを破りたい。

 だがそれは難しいだろう。

 将典は難しい二人を片付けて、わずかに集中力を失っていた。

 だが昇馬はこの状況を、ずっと集中したまま対応している。


 気を抜けばどうなるか、ということを将典よりもよく知っている。

 この球場内にいる限り、まだ何も終わってはいない。

 二打席目の鷹山に対しても、変化球で対応して凡退させる。

 そして将典の打席も、平凡な内野ゴロで終わらせた。


 五回の攻防もこれまた、全くランナーが出ない。

 両チーム合わせて、ヒット一本の完全な投手戦。

 昇馬は何度もパーフェクトやノーヒットノーランを達成しているが、この試合は特別だ。

 終われば少しは休めると考えれば、ペース配分にも余裕が出てくる。

 ここまで全力を出さずに、球数が少なくなることを考えて投げてきた。

 だがもう、全力を出してしまっていいのだ。




 そして六回の表の攻撃。

 ワンナウトから、白富東はラストバッターの真琴が、バッターボックスに入る。

 女子であるが甲子園で、ホームランを打っている。

 将典としては当然、甘く見ていい相手ではない。

 それでも親同士の親交もあり、どうしても少しだけ配慮をしなくてはいけない。

 具体的に言うと、絶対にぶつけてはいけない相手である。


 そんな配慮はともかく、普通に将典はぶつけるつもりなどない。

 ただ外角のボールで、勝負する傾向が強くなるだけだ。

 それはさすがに、桜印のバッテリーに共通している。

 しかし下手に抜いた球を投げると、ヒットを打たれる可能性もある。


 150km/hオーバーのピッチャーから、普通にヒットは打っているのだ。

 もちろん将典は、さらにその上のレベルのピッチャーであるが。

 ともかくここは、緩急を使って外角勝負。

 厳しいアウトローのストレートを、真琴は狙い打っていた。


 どうしようもない、油断というよりは男としての手加減。

 完全なフェミニストである直史などとは違い、将典は正しく、フェミニズムの欠片もない人間であった。

 よって外で当てないように投げるだろうな、と鬼塚と話し合っていた真琴。

 絞った狙い球は、球威に押されはしたが、レフト前に落ちてくれた。

 これで昇馬の前に、ランナーが出たのである。


 ただランナーがいるだけで、昇馬にとっては得点圏。

 桜印側のベンチもバッテリーも、ここは考えなければいけない場面である。

 勝負するべきかどうか、そこは決まっている。

 勝負して勝たなければ、流れを持って来れない。

 ここまで桜印は、一人のランナーも出していないのだ。

 対して白富東は、二本のヒットを打っている。

 また球数も、将典の方が多くなっている。


 ここでも辛抱して、リスクを避けるべきなのか。

 昇馬を敬遠して、アルトと和真を抑える。

 しかし和真には、今日ヒットを打たれている。

 それでも昇馬と対決したら、ホームランで一気に二点の可能性もある。


 高校野球の老獪な監督なら、あるいは敬遠をさせたであろうか。 

 いや、この状況になってすぐ、申告敬遠を使っただろう。

 バッテリーに変に考えさせる前に、自分でその役を果たしたはずだ。

 だが早乙女は、まだ若く熱い監督であった。


 勝負である。

(最悪まだ、夏があるんだ)

 ここで勝負せずして、どこで勝負するのか。

 ただ試合の結果だけを考えても、どうにか昇馬のメンタルに、プレッシャーを与える必要がある。

 ここで勝負を避けてしまえば、まだまだ何も気にせずに、余裕で投げてくることは分かっている。

 そしてバッターボックスの昇馬も、その気配を感じ取った。




 スプリットをどこかで使ってくるな、とは判断している。

 だが全球スプリット、というものはさすがにないだろう。

 ストレートのタイミングで待って、スライダーならば打っていける。

 カーブやチェンジアップは、選択から消していく。


 ここで勝負するからには、力勝負になるだろう。

 そこであっさりとスローカーブを投げられるのが、直史であったりするのだが。

 昇馬としてもここで、チェンジアップを投げるのに躊躇はない。

 将典もおそらく、組み立ての中で使ってくる可能性は高い。

 だが基本的には、速球を主体で使ってくるだろう。


 初球、入ってきたボールは速球。

 だがこれが、手元で沈んだ。

 150km/h弱のスプリット。

 普通ならこれは振ってしまうだろう。

 ストレートに比べれば打ちやすそうだが、昇馬はここを見逃した。

 ゾーンの中で変化している、そんなボールであったのだ。


 最初に映像でイメージした軌道から、ボール一個沈む球。

 どうにかゴロにする程度なら、簡単な変化であろう。

 先ほどはそれで、ちゃんと強い打球は打てたのだ。

 少し運がよければ、内野の間を抜いてくれる。


 だがこの場面で内野ゴロは、ダブルプレイの可能性も高い。

 昇馬がここで狙うのは、長打である。

 ゴロのボールは絶対に打たない。

 もっともそう縛ってしまうと、体が上手く動いてくれなかったりするのだが。


 飛ばすことを考える。

 もしもまたスプリットがあったなら、それをゴルフスイングで飛ばしてしまおう。

 あとは高めのストレートに、どう対応するかぐらいか。

(考えすぎるな)

 昇馬は下手な読みよりも、パワーで打球を運ぶタイプだ。

 この試合の中では、それなりの流れが決まりそうな場面。

 エースとエースの対決は、エースと主砲の対決として、この状況になったのであった。

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