第126話 運命

 白桜戦、と後に呼ばれた。

 ここまで公式戦の対戦する機会の中で、全てこの2チームの対戦があったからだ。

 最初は一年の春であり、ここで1-0で白富東が勝利した。

 なお決勝点は昇馬のホームランである。

 それからは甲子園と関東大会で、何度となく対戦している。

 桜印が勝ったのは、一年秋の関東大会のみ。

 ただその勝者である桜印は、神宮大会まで制した。

 春のセンバツでは白富東が勝ったが、延長戦まで粘られたために、決勝で帝都一に敗北。

 思えばお互いに、ほぼお互い以外は負けていないのだ。


 昇馬は腐れ縁かな、と首を傾げる程度。

 しかし将典は色々と、思うところがある。

 昇馬は主にアメリカで、母の方針を強く受けて育った。

 腕白でもいい。たくましく育ってほしい、というものである。

 対して将典は、父に阿る人々が、それなりにいる中で育った。

 それを良しとしない、両親の教育方針は適切であったが。


 自分の社会がまだ、狭いのが将典なのである。

 その社会の中では、なんとしてでも一番になりたい。

 甲子園の制覇を目指すのも、その一環である。

 そして執着しすぎると、かえってそれは遠ざかる。

 野球だけではなく、物事というのはそういうものだ。

 強く求めた上で、単なる欲望からは離れておかなければいけない。


 世間ではプロ野球の開幕戦が行われた。

 去年まで同じ舞台に立っていた選手が、既に新たなスターとして報道されている。

 甲子園は甲子園で、特別な場所であるのは間違いない。

 だが将典としてはやはり、神奈川で自分の役割を果たすべきなのか。

「本当に大切なことは、自分で決めてもいいんだよ」

 母はそう言ってくれるのだが、目の前にあるレールが強固なもので、それでいてただ進めばいいというものでないのが厄介だ。

 父の後継者としては、兄がいるのは間違いないのだ。


 鍛えるだけ鍛えてきた。

 だが昇馬の方が、上であると感じている。

 そして鍛え方にしても、昇馬は何か、底知れないものを感じさせる。

 同じグラウンドで野球で対戦していても、何か違うものを見ているような。

 母とはあちらの母親が、大学時代の友人である。

 なのでどうやって育てられたかは、ある程度聞いている。

 しかしその内容は、将典の母である明日美が、育ったような育て方をされていたのだとか。


 お嬢様学校で育つ前、東京の西方の田舎とも言える場所。

 千葉の田舎と比べても、充分に田舎の場所が、東京にもあるのだ。

 大自然の中で育った、と言ってもいいだろうか。

 だが昇馬の経験した自然は、日本の物よりも過酷であった。

 銃なしで熊と戦うことはないが、普通に人間より強い野生動物は、色々といたのであるから。

 アメリカの銃規制が進まない、簡単な理由の一つ。

 日本よりもはるかに、危険な動物が多いというものだ。




 昇馬は確かに、フィジカルでも将典を上回っているだろう。

 だがそれよりも精神性が、現代社会に生きる人間のものではない。

 いよいよセンバツも、これで最後。

 眠れないということのない、昇馬は普段通りのメンタルである。

 緊張をしないわけではないが、こういうところでは緊張はしない。

 試合に負けても、死ぬわけではないのだから。


 アメリカの大地では、ちょっと大自然の中に入って、一気に危険になる。

 ボーイスカウトなどというのも、野生動物には危険があるのだ。

 熊などは森に行かなければ遭遇しないが、水辺ではワニなどがいた。

 岩砂漠の地帯であると、毒のある生物もいる。


 日本の自然の中にも、危険な植物などはある。

 普通に生えているのは、トリカブトなどの毒草。

 この花の蜜から作った蜂蜜で、毒薬が作れたりする。

 また日本は大麻など、意外と普通に毒草が存在する。

 それでもアメリカに比べれば、全体的に安全なのだが。


 試合の開始四時間前から、準備を始めていく。

 長かったセンバツも、これでようやく終わりである。

 ライガースのファンなどは、やっと本当の地元開幕が出来る、と考えているだろう。

 明日の新聞のスポーツ欄は、さすがに甲子園の結果が一番大きく報じられるはずだ。


 試合前に白富東は、先攻を取ることが出来た。

 スタメンも見るのだが、桜印はここで仕掛けてきた。

 四番の鷹山を、二番にしている。

 そして将典を三番という、昇馬相手に少しでも、クリーンナップを当てたい打順だ。

 ここまでの試合で昇馬がフルイニング投げた試合は、二試合で二人ずつしかランナーが出ていない。

 それも足でかき回すタイプの上田学院と、打撃力が高いはずの尚明福岡であるのだ。


 桜印はさすがに対戦数が多いだけに、対処法を考えてきた、ということだろう。

 対して白富東は、これまで通りの打順である。

 一番に昇馬がいるという、相手のピッチャーからすればたまらない打順。

 これを相手に上田学院は、よく一点で抑えたものである。


 球数制限については、昇馬はまだ200球以上投げることが出来る。

 また将典もそれなりに、ちゃんと他のピッチャーを使っている。

 お互いのエースが、完全な状態で戦えるように。

 それでもある程度は、疲労がたまっていると、鬼塚は考えている。

 昇馬ではなく、将典の方にだ。


 球数を使わせて、終盤での勝負。

 同じことをされても、昇馬ならば大丈夫。

 敗北の要因があるとすれば、それは故障などによる昇馬の離脱か。

 それまでにリードしていれば、使うピッチャーは真琴の方がいい。

 ただ打線からも昇馬が抜けてしまったら、それは戦力半減となるだろうが。


 桜印は一度、白富東の不運に乗じて、勝っているのだ。

 それを警戒するのは、当然のことであると言えよう。

 試合の前の守備練習が終わり、いよいよ決勝戦が開始する。

 マウンドの将典の調子は、少なくとも悪いようには見えなかった。




 偶然ではなく、必然として実力で勝つ必要がある。

 運も実力のうちと言われるが、将典はさすがに関東大会で、白富東に勝った過去に納得していない。

 せめて左で投げられなくなっただけで、その後の打席には立ち続けたとかなら、まだ納得していたであろう。

 左右両投げを活かせなかったあの試合。

 将典はなんとか一度、真っ向勝負で勝ちたい。


 ここを逃したら、対決の機会はあと二度。

 春の関東大会と、夏の甲子園だけである。

 それもクジ運次第では、確実に対戦するとも限らない。

 プロに入る前になんとしてでも、勝っておきたいと考えるのはなぜなのか。

 向こうがプロ入りに前向きでない、というのは噂としては知っている。

 だからそれまでに、という考えはあるのだろうが、自分でもそれはしっくりこない。


 プロの舞台ではなく、高校野球で勝ちたい。

 理屈ではなく感情で、そう思うのだ。

 これはもう周囲の応援とか、同じピッチャーとしての見栄とか、そういうものではない。

 男としての意地である。


 昇馬にそういった部分が、ないわけではない。

 だが時には意地も根性も投げ捨てて、全力で逃げなければいけない場合もある。

 人間というのは己一人では、どうしても無力なものなのだ。

 もっとも男同士の対決というなら、受けて立つという意識はある。

(うちの親父たちみたいな、人間の形をした何かとは違うからなあ)

 だいたいどんな相手であっても、殺し合いになったら勝てるな、と考えるのが昇馬の余裕になっている。


 第一打席、白富東の一番は、変わらずに昇馬である。

 しっかりと打っていけば、スタンドまで持っていくのが昇馬だ。

 しかし150km/hオーバーのスピードで、手元で曲げてくるのが将典である。

 さらに大きなスライダーと、チェンジアップとカーブ。

 そして最後に空振りを奪ったのは、このセンバツでお披露目されたスプリットであった。


 速くて落ちるボール。

 140km/h台の後半は出ているスピードを、昇馬でも捉えることは出来なかった。

 ベンチに戻ってくる前に、アルトには情報を共有している。

 一応はこの試合までにも、数回は投げていた。

 だが決め球としては、おそらくここが初めてではないのか。

「さらに打ちづらいピッチャーになってきたな」

 昇馬はそう言うのだが、桜印の人間がもし聞いたなら、お前が言うなと言ったであろう。




 アルトも空振り三振し、和真はあえて見逃していった。

 確かに落ちるスプリットであったが、これはストライクからストライクへの変化である。

 落差は確かに空振りを取るが、消えて見えるほどのものではない。

 しかし150km/h近いスピードというのは、他の変化球との見分けがつきにくい。

 チェンジアップならまだしも、ゾーンを外れていくので、なんとか対応出来るのだが。


 落ちる球をさらに必要とするなど、無理をするなと将典に言いたい鬼塚である。

 敵対するチームの監督ではあるが、同時にアマチュア指導者である。

 今の将典の年齢で、そんなにたくさんの変化球を身に付けるのは、故障のリスクが高まると思うのだ。

 もっとも桜印の監督の早乙女も、簡単な怪我などはともかくオーバーワークで、選手を潰したことはないという指導者だ。

 スプリットにしても、こんなに多用するのは最初だけであろう。


 一回の裏、昇馬は左でマウンドに立つ。

 三者三振してしまったここは、わずかだが天秤が桜印に傾きつつある。

 これを元に戻さなければいけないが、桜印は打順の変更で勝負をかけてきた。

 おそらく今後はこういった、クリーンナップに四打席が回る、そういう打順で勝負してくるチームが多くなるであろう。


 高校野球は一発勝負のトーナメント。

 だからこそ一度しか使えない策でも、効果的になることがある。

 昇馬としては本能的に、ここで桜印を抑える必要性を感じている。

 鬼塚もここは、力で抑えたい場面だと告げていた。

「投手戦になるなあ」

 昇馬はともかく将典は、果たして大丈夫なのかなと、頭の隅で考える鬼塚だ。


 昇馬もまた、球種は増やしている。

 元々スラーブを投げていたので、そこからスライダーの変化を増やしていったのだ。

 切るように投げるカットボールに、スライダーに縦スラ。

 そこまで増やす必要があるのか、というぐらいに球種が増えている。

 高校レベルならせいぜい二種類ぐらいで、充分だとも思うだろう。

 だがそれぐらいのオーバーキルでないと、確実に完封は出来ないのだ。


 ムービング系で先頭打者を打ち取る。

 手元で変化するのに、160km/hオーバーというのは、あまりにも理不尽なものである。

 そして二番には、普段なら四番を打っている鷹山。

 何気に尚明福岡の風見と、ほぼ変わらないぐらいの評価を得ている。

 それでも昇馬を打ててはいないのだが。


 昇馬はここで、力押しのピッチングを見せた。

 初球は胸元へ165km/hのストレート。

 そして次にはアウトローへ166km/hのストレート。

 最後はインローへ、やはり166km/hのストレート。

 鷹山はスイングできず、見送り三振であった。




 怪物的なピッチングと言うか、いくらなんでも三球ストレート勝負はないだろう、と鷹山も早乙女も考えていた。

 だからこそ見逃してしまったが、振っていてもおそらく当たらなかっただろう。

 コースも球種も、完全に絞ってスイングして、ようやく当てられるかどうか。

 ただこの球速は、MLBの先発の中でも、滅多にいないものである。


 試合は動くとしても終盤、と早乙女は判断していた。

 一点を争う勝負になるからこそ、こういった打順にしてあるのだ。

 この三番の将典も、甲子園の平均的なチームなら、間違いなく四番を打つ打力を持っている。

 鷹山を敬遠してもあまり意味がないのは、将典もまた打ってくるからだ。


 鬼塚としては早乙女のこの打順は、苦肉の策であると思っている。

 本来なら将典は、ピッチングに専念させたいだろうからだ。

 打席で集中するだけでも、充分にスタミナを消耗する。

 昇馬を打つというのは、極めて難しいことなのである。

 右を使うことはなく、普通にサウスポーのままで投げてくる。

 それをスイングしても、ようやくわずかにかするかどうか、といったところだ。


 表に昇馬は空振り三振した。

 だからここで、三振を奪いにくるだろう。

 そう考えるのは普通のピッチャーであり、真琴は普通には考えない。

 そして昇馬としても、単純に力勝負を選ぶほど、将典を軽くは考えていなかった。


 スライダーを見せるが、基本はアウトローでの勝負。

 特にツーシームを投げて、ストライクカウントを稼いだ。

 最後に投げたのは、チェンジアップだとスイングの途中で分かった。

 しかしバットを止めることができず、そのままゴロを打ってアウト。

 涼しげな顔をして、三者凡退に抑えた昇馬である。


 この一回の攻防だけを見ても、わずかに白富東に余裕がある。

 正確には昇馬に余裕があるのだが。

 エース同士がピッチャーとバッターとしても、対決したこの一回。

 将典は切り札を見せ付けてきたが、昇馬はまだ球種を隠している。

 ただ厄介な相手である、とは分かっている。

 それだけにちゃんと、三者凡退ではしとめたが。


 球数は将典の方が多い。

 だが致命的に粘られた、というほどでもない。

 これは投球のリズムを保つためにも、下手にマウンドを入れ替えたりしない方がいい。

 早乙女はそう考えるのだが、そもそも二番手ピッチャーでは、白富東の三連星を抑えることは出来ないであろう。

 あとは下位打線などに対して、どう対処して行くかが問題である。


 粘っていけた方が勝つ。

「スプリットをわざわざ見せ付けてきたのは、意図的なものだろうな」

 鬼塚はそう考えて、ストレート狙いでいいと指示を出す。

 おそらくスプリットを投げすぎれば、途中で限界が来るだろう。

(また我慢比べのゲームになるか)

 だいたい桜印との試合は、どれもそういったものになるのだ。

 昇馬がいるために目立たないが、間違いなく将典もこの時代、トップレベルのピッチャーであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る