第117話 我らの初戦
甲子園の初日が終わった。
一回戦から終盤逆転という、熱い展開であった。
(やっぱり八回だったか)
七回からやや、中浦の球威が落ちているのは、球速表示で明らかであった。
だから鬼塚としては、指揮官の無能さにため息をつく。
「桜印がやってたこと真似たら勝ってたんちゃうか?」
聖子の言葉は辛辣であったが、鬼塚も思っていたことだ。
桜印が白富東に対してやっていたこと。
それは下位打線に対しては、二番手以降のピッチャーを当てるということだ。
球数が減るし、集中しなければいけないイニングも減るし、外野で休むことが出来る。
ただ尚明福岡の打線は、下位打線でもそれなりに打っている。
だから中浦以外で戦うのは、不安が残ったということか。
しかしそれでも、と鬼塚は思う。
自分が一度失敗しているから、今の白富東なら、アルトか昇馬を使っただろう。
青森明星は、二点差でリードしていたのだ。
一点差になるまでは、他のピッチャーを使っても良かった。
あるいは中浦が、最終回までもつと思ったのか。
普通の試合ならばそうなのかもしれないが、ここは甲子園なのである。
舞台の大きさによるプレッシャーなどを、考えなかったのか。
あるいは逆にハイになって、ペース配分が疎かになっていたのか。
色々と理由は考えられるだろうが、鬼塚なら間違わなかった。
青森明星には、ちゃんと控えのピッチャーもいたのであるから。
(まあ、何をやっても負ける時は負けるけど)
高校野球とはそういうものなので。
二日目、調整のための練習をするのに、近くのグラウンドを借りた。
普段はシニアが使っているグラウンドで、マスコミが集まっている。
当然ながら偵察や、プロのスカウトも見に来ているだろう。
甲子園の試合だけを見て、ドラフトの順位を決めるわけではないのだ。
昇馬の右投げは、かなり水平に近い軌道になっている。
右と左のバランスを、あえて崩したことによって、逆に体幹が鍛えられた。
体軸を意識することによる、回転運動の強化。
これに前後運動を合わせて、ボールが指先からリリースされる。
プロの球を見ているマスコミやスカウトさえも、そのボールの威力が段違いであると分かる。
160km/hオーバーを常時記録するそのピッチャー。
そのスピードでしっかりと、動いているのである。
昇馬の新しい変化球は、完全ではないが既に実用レベルである。
完全でなくても通用してしまう、というのが素のスペックの違いであろう。
昨日の負けた中浦も、150km/h台でストレートはまとめていた。
MAXではなく常時そのスピードというのが、重要なのである。
試合に勝つにはもっと、カーブの配分を増やすべきであった。
あるいはほんの少し、曲がる球があれば良かった。
120球以上も投げていれば、どこかで抜く必要がある。
今の指導者というのは、全力で投げることを教えすぎる。
完投型の投手というのは、もうアマチュアでも絶滅しつつある。
昇馬だけは、一試合を投げ抜いても、全く問題がない。
あとは将典も、そういったタイプのピッチャーだ。
そもそも基礎体力が違う、と考えるべきなのか。
もしくは鍛え方に思考の違いがある、と考えるべきであろう。
ピッチングというのは本来、瞬発力の連続である。
ただ昇馬は登山などで、長い距離を歩く体力を持っている。
そういった持久力も、同時に鍛える。
これは筋肉の性質が違うことが多いため、なかなか両立させることが難しい。
心肺機能を鍛えることによって、より回復力を高める。
これは昇馬も意識していることだ。
野球は投げた守備の後に、必ず攻撃がある。
その間にいかに効率的に休み、どれだけたくさん回復するか。
単純に体力を温存するとか、体力を増加させるとか、そういう問題ではない。
もちろん昇馬はその点でも、同年代において怪物じみているが。
この日は30球ほどを投げた。
だが160km/hオーバーであっても、全力ではない。
重要なのは調整で、主題は明日の試合に勝つことだ。
そのために過剰に運動することはなく、早めに宿舎に戻ることとする。
この日の二試合目か三試合目の勝者が、白富東の二回戦の相手となる。
ここ最近の戦歴を見るなら、長野県の上田学院が、かなり有力ではあるだろう。
神宮大会でもかなり勝ちあがったりしているし、夏には青森明星にも勝っていた。
エースの真田新太郎は、これまた190cmオーバーの体格。
そして重要なことは、その体の厚みが、中浦よりも優れていることだ。
身長の成長が止まり、本格的に鍛えられるようになったのだろう。
話に聞いただけであるが、球速は160km/hを記録したらしい。
つまり将典を上回り、現役高校生の中では昇馬に次ぐ球速の持ち主となったということだ。
ただ将典も冬を越えて、さらにパワーアップしている可能性はあるが。
鬼塚としては160km/hなどというのは、それだけなら別に怖くはない。
ただ高校生の段階であると、さすがにそれで圧倒される。
しかし高校野球であっても、今は情報が拡散される時代だ。
単に速いだけであるなら、対処はいくらでも出来る。
真田の160km/hは、ただ速いだけではない、というものだろう。
この日の第三試合に、上田学院は登場した。
ずっと昔には全国制覇も成し遂げたが、それは20世紀の話である。
ただここのところの好調さは、誰もが認めるところだ。
一番良かった成績は、神宮大会の準優勝であろう。
それと対決するのは、これまた野球王国愛媛の代表校。
なぜ愛媛において野球が盛んなのかは、明治時代に遡る。
正岡子規が野球をやって、その正岡がこの愛媛の出身であった。
今ではプロ野球の公式戦を、年に何度かやるほどのスタジアムもある。
昭和の頃は野球強豪県として、とても有名であった。
しかし今はもう、一時期ほどの勢いはない。
ただ四国地方の学校であると、比較的甲子園にも応援に来やすい。
なので準ホームと言える程度には、甲子園では有利に戦えるのだ。
この試合は最初から、白富東の面々は見ることにしていた。
三回戦で当たる確率は、かなり高いと思われる。
もっともこの試合の勝者は、近畿の淡海高校と二回戦を戦うので、ホームのアドバンテージはないだろうが。
ただ近畿の中でも、甲子園に一番遠いのが滋賀県である。
事実近畿のチームにおいて、唯一全国制覇の経験がない。
東名大相模原は、神奈川から出場したもう一つのチームである。
しかしここ最近、甲子園に出ていなかったことが、マイナスになったと言っていいだろう。
近畿のチームを相手に、応援のプレッシャーを受けながらの試合。
いい試合であったが、終盤に崩れて敗北している。
そして第三試合は、上田学院の登場。
試合運びはもう、チーム全体が甲子園に慣れている。
真田新太郎は七回までを投げて無失点。
チームの攻撃面は、走塁で引っ掻き回して、それまでに五点を取っていた。
守備はエースを中心として、かなり鍛えてある。
走力というか瞬発力が、攻撃以外にも効果的なのだ。
内野の連携が見事で、一二塁間と三遊間が堅い。
外野の守備も本当なら、ヒットになっているような打球に追いついている。
二番手に代わったところで、もう試合の趨勢は決定していた。
5-0のまま変わらず、上田学院が勝利。
次に淡海高校と対戦して、三回戦の相手が決まる。
鬼塚の見たところ、上田学院の方が強いかな、と思える。
高校野球は守備が基本、とはよく言われる。
他の部分で実力差があっても、守備さえ良ければどうにか試合が成立する。
そして守備と走塁には、スランプがないと言われる。
波のあるバッティングに比べて、そこを基に考えていくべきなのだ。
実際に白富東も、昇馬たちの入学以前から、守備は相当に鍛えられていた。
ともかくこれで、二日目も終了である。
三日目に注目されているのは、当然ながらまず白富東と瑞雲の対戦。
両者共に、神宮大会では地方の代表となっている。
一日目の尚明福岡と青森明星の対戦に近いであろう。
だが白富東は今や、絶対王者となっている。
瑞雲がどこまで食い下がれるか、それがポイントになるであろう。
第二試合も強打の天凜と、花巻平の対戦となっている。
花巻平の獅子堂も、超高校級のピッチャー。
去年もセンバツで白富東と対戦し、1-0というスコアで白富東が勝利した。
131球も投げさせられたので、決勝で負けた理由の一つにはなっている。
獅子堂も190cm近い体格で、三年生になって成長しているだろう。
果たしてどういうピッチャーになっているのか。
ともかくまずは一回戦である。
瑞雲も最初から、エースを出してきている。
中浜でなければ、白富東の序盤を抑えきれない。
そう考えての、初回からのエース登板というわけだ。
中浜の特徴は、超長身から投げ込まれるストレートである。
緩急はチェンジアップ、変化球はスプリットと、そこまで多いものではない。
しかし安定して140km/h台後半を投げるので、そこは評価すべきところだろう。
その速度ならいくらでも、白富東は打っていけるが。
先攻の白富東は、今日もやはり一番が昇馬。
先頭打者から中浜にプレッシャーをかけていくつもりである。
一回戦なので相手の情報が、ほとんど分かっていない。
高校生は一冬の間に、大きく成長する。
事実昇馬も、ピッチングのバリエーションを増やしてきた。
そして昇馬のいいところは、深く考えすぎないところである。
ピッチングはかなり、自分でも考えて投げている。
だがバッティングは、基本的にパワーに任せたものだ。
中浜のボールの軌道は、かなり高いところから投げ込まれると、鬼塚は指示している。
際どい低めでもストライクになるから、そこはカットしていけ、という作戦だ。
中浜のコントロールは、まだ成長途中である。。
つまりそれなりに甘い球も入ってくる、ということだ。
そこを打ってしまえば、スタンドにまで飛んでいく。。
しかしこの打席の昇馬に対しては、しっかりと球数を使ってきた。
こうやって強いバッターを先頭に置くと、それだけ相手の手筋が見える。
出来ればここで、変化球を全て見ておきたい。
チェンジアップとスプリットだけなら、縦の動きに気をつければいい。
だが他に何か、新たな武器がないものか。
鬼塚はそう考えていたが、昇馬の打撃には注文をつけない。
打てるものなら打ってしまっていいのだ。
相手がこちらを探るべく、初球に甘い球を投げるということはある。
その甘い球を、昇馬はフルスイング。
だがボールは右方向、ポールを越えるぐらいの高さで、ファールとなっていった。
怪物的な飛距離である。
ただこれに対し、中浜は恐れることがない。
二球目に投げてきたのは、タイミングを外すためのチェンジアップ。
だが昇馬はこれにも、下半身の粘りを見せて、左方向のファールフェンス直撃のライナーを打った。
おそらく次は、ストレートを高めか、あるいはスプリットを投げる。
昇馬はストレートにタイミングを合わせながらも、他の球種への対応も考えておく。
三球目、半速球。
変化球だとは思ったが、スイングがボールの上を叩いた。
バウンドしたボールが、ショートの頭の上を越えようとする。
しかしそれをジャンプしてキャッチしてから、即座にファーストへ送球。
足もある昇馬だが、これはショートゴロアウト。
守備の方が上回った。
おそらくカットボールである。
ただストレートとの球速差がかなりあるので、これだけなら見分けることは簡単だ。
本当はもっと速い、見分けにくいカットボールがあるのではないか。
ただ最初はあえて、この見分けやすいカットボールを使ってきた。
昇馬からの報告に、鬼塚も頷く。
あるいはまだ未完成であり、ちょっと抜けてしまったものなのか。
スプリットの投げそこない、という可能性もある。
手元で小さく変化すると言っても、あのスピードなら次は対応出来る。
二番のアルトに対しては、そこまでの説明が出来なかった。
ファールでカウントを稼がれた後、スプリットを空振り三振。
これで白富東の強打者、二人をしとめたことになる。
そして三番の和真。
中浜からすれば、見下して投げることが出来る相手だ。
初球から圧倒するため、ストレートを投げ込む。
だが和真は、そのストレートを狙っていた。
三番打者として、軌道はある程度分かっていたのだ。
そして初球から、甘いストレートを勢いよく投げてくる。
角度などは問題であったが、それも自分なりにタイミングを計っていた。
そして打球は、スタンドに届いたのである。
これは実力と言うよりは、心理的な死角を突かれたホームランだ。
和真も甲子園で、何本か打っているバッターではあるのだ。
しかし昇馬とアルトに比べれば、まだしも与しやすい相手。
それは事実ではあったが、油断のしすぎでもあった。
和真はそのあたり、充分に強かな選手だ。
また鬼塚から、自分が三番を打っていることの意味を、ちゃんと教えてもらっている。
一歳年上の強打者二人が、三振を含めて凡退しているのだ。
ここで油断をしないというのは、ちょっと難しいだろう。
和真の真価が問われるのは、二打席目以降のバッティングである。
そこで中浜からヒットが打てたら、本当にバッティングの力があると言える。
(出会いがしらだったな)
軽くガッツポーズはしたものの、そこまで大はしゃぎすることではない。
だが白富東は、重要な先制点を奪ったのであった。
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