第114話 ダブルヘッダー

 昇馬の体力の限界がどのあたりにあるのか、鬼塚は知っておきたい。

 今までにもそう思って使ってきたが、結局ガス欠になることは一度もなかった。

 そしてこの帝都一と横浜学一とのダブルヘッダー。

 第一試合は右の昇馬、第二試合は左の昇馬で、完投を目指してもらうつもりである。


 おいおい、大丈夫かよ、という顔をするチームメイト。

 だが昇馬は平気そうに、頷いてみたものだ。

 違和感でもあれば、すぐに交代したらいい。

 センバツを前に、無茶な内容だと、ジンなども思う。

「あいつを人間の枠で考えたら駄目ですよ」

 鬼塚としてはそう言うしかない。


 右で中三日、そこから左で投げる。

 また中三日で、そこから右で投げる。

「左右両投げ、無茶だと思います?」

「ん~、実際にあいつの母親はやってたからなあ」

 少なくとも東京六大学リーグでは、女子三人でピッチャーを回していたものだ。

 直史と樋口がいた頃の早稲谷は、間違いなく最強であった。

 指揮官の不手際で一度はリーグ戦の優勝を逃したが、八度のリーグ戦で、七度の優勝をしている。

 その一度の優勝を阻んだのが、ジンのいた帝都大である。

 ただ最も苦しめたのは、明日美とツインズがいた頃の東大ではないか、と思っている。


 今では実力では、入れ替えのある東都や首都のリーグの方が強いとも言われる。

 だがその中で、一番弱い大学で、女子が三人集まって、最強早稲谷を苦しめたのだ。

 昇馬はそんな母親の血を引いている。

 そして父親は、体力お化けの大介なのだ。


 ピッチングの質という点では、直史や上杉を上回ることが出来ないかもしれない。

 ただ量を言うのであるなら、昇馬だけは可能性がある。

 年間に40試合の先発。

 日本のプロ野球が2リーグ制になってからも、40試合以上先発していた選手はいる。

 だが21世紀の今の時代に、そんなことが出来るのだろうか。


 ピッチャーの負荷がかかるのは、肩肘ばかりではない。

 もちろんそのあたりが、一番負荷はかかるだろう。

 しかし背中や腹筋、股関節なども、間違いなく負荷はかかっていく。

 その中でどれだけ、先発の数を増やせるか。

 雨雨権藤雨権藤、という時代ではないのだ。

 19世紀のアメリカであったら、70先発という狂ったような記録もある。

 だがそれは、まだ野球というもの、ピッチングというものが、そこまで負担をかけていなかった時代だからだ。


 昇馬なら年間30勝は普通に出来ると思う。

 そして戦うべき相手がいなくなったら、さっさとメジャーに移籍してしまうのだ。

 上杉も武史も、とてもではないが届かなかった通算500勝。

 左右両投げであれば、そしてそれなりのシーズンを過ごせば、サイ・ヤングを抜くかもしれない。

「あいつ自身はそんな、野球には興味はないと思うんですけど」

 鬼塚はそのあたり、昇馬のことをかなり理解している。

「人間には不可能と思われることを、やってやりたいっていう気持ちは持ってるんですよね」

 昇馬をスムーズにプロ入りさせるには、そういうアプローチがいいだろうと思う。




 単純に野球というスポーツをやらせるだけでは、昇馬は納得しない。

 だが野球という競技で、人間の限界を超えさせて、その新たな可能性を引き出す。

 ありとあらゆるアスリートの中で、最も優れているという肩書き。

 それぐらいの評価を受けるなら、昇馬も挑戦するのではないか。


 ジンは呆れた。

 そして鬼塚の、どこかネジの外れた、頭のよさにも改めて気付く。

 昇馬はどこか、人間の中で超絶した雰囲気を持っている。

 家族の中ではどうにか、人間らしく生きているが。

 たとえばあれと付き合えるような、そんな女がこの世にいるのか。

「まあモテてはいるんですけど、深くは踏み込ませないタイプなんですよね」

「あの年頃なんて、脳と下半身が直結しているようなもんだろうにな」

 なお鬼塚は中学時代に童貞を捨てている男である。


 この年代のおっさんが集まると、下世話な話も出てくるものだ。

 ただそれでもタブーの話などはある。

 ジンとシーナの関係が、どういうように発展していったか、ということなどだ。

「娘さん、もう反抗期終わりました?」

「今、絶賛反抗期だよ!」

 鬼塚のところの息子三人は、不思議なほど反抗期のないタイプであるが。

 おそらく母親の教育のおかげであろう。


 ジンも娘はシーナの遺伝子があるので、スポーツの才能はあるかと思うのだ。

 しかし家の中が、野球に支配されている大田家。

 世間的には成功しているジンではあるが、家庭を顧みないところはある。

 妻はそれを理解していて、ちゃんと支えている。

 だが子供の立場から見れば、お父さんはどうして他の家の子供の相手ばかりをしているのだろう、という話にもなるのだ。

 もっともこれが息子であったら、さらにややこしくなっていたかもしれないが。

 野球どころかスポーツ全体を忌避しているところはある。


 佐藤家や白石家、そして上杉家のように、子供に才能がしっかり遺伝している、というのは稀なことなのだ。

 遺伝もあるし、環境もあるだろう。

 その意味では大介の場合、子供たちがスポーツエリートになることは不思議ではない。

 武史の子供たちが、女の子のほうは芸術方面に進んでいるのは、これはまさに家が太いからである。

 今の日本で芸術方面で成功するなら、実家の太さやコネクションが、絶対的に必要になる。

 芸能人などの成功についても、それがよく分かる時代だ。

 もっとも大きなハンデを背負って、分かりづらい愛情をかけられて、そして地下から上がってくる才能などもあるのだが。


 鬼塚の子供たちも、スポーツはやっているものの、プロになるほどではない。

 三男坊あたりはまだ、はっきりとは分かっていないが。

「西のとこの息子、いいよなあ。うちに来てくれれば良かったのに」

「和真っすね。まあ、あいつも女の尻を追いかけてきたところはありますけど」

「え、まさかマコちゃんか?」

「いや、聖子の方ですよ。母親同士が同じ高校だったし」

 そういえばそうだったな、とジンは思い出す。


 あの二人、一応は付き合いだしたらしい。

 ただどちらも野球を最優先にしているので、部内で変な空気にはなっていない。

 女子選手がいると、そういうところが面倒だとジンは思っている。

 なんならマネージャーでさえ、男の方がいいと思うぐらいだ。

 恋愛をするならば、チアかブラバンの女子とやってろ、と思う。

 ただ野球に人生の全てを賭けるのも、リスキーだとは思えるが。


 プロにまで行って成功しようと思えば、実力だけでどうにかなるものではない。

 最後には人間性というか、人間としての力全てが、必要になると思う。

 そういう点では野球以外の引き出しを持つ、昇馬が強いのはなんとなく分かる。

 司朗もまた、野球ばかりの人間ではなかった。

 ただこの二人は、身近にとんでもないお手本がいたのだ。




 ダブルヘッダーはまず、帝都一と白富東が対戦した。

 ここで昇馬は、右手で投げることになっている。

 サイドスローとまでは言わないが、スリークォーターからもう少しサイドに近いフォーム。

 そこから投げられるボールは、160km/hをオーバーしている。

(シニア時代も充分に化物だったのに)

 元横浜シニアで、帝都一に進学した檜山は、一番センターというポジションを手に入れた。

 今年の夏も帝都一は、甲子園の有力候補。

 秋の都大会でも、決勝までは進んだのだ。


 帝都一も早大付属も、他の東京の有力ピッチャーとも対決した。

 だが完全に昇馬だけは、まるでついていけない。

 なんならシニア時代でさえ、ほとんどの高校球児より上であったろう。

 左右を使っていいなら、今の将典でさえ、まだ追いついていないのではないか。

 帝都一も司朗という、絶対的な四番を抱えていた。

 実際に昇馬からも、ある程度はヒットを打っていたのだ。

 しかし高校野球では、ピッチャーの価値が高い。

 昇馬に負け星がついたわけではないが、白富東に勝った二つのチームのうち一つである。


 監督にとっても選手にとっても、同じ甲子園でも重要なのは夏なのに間違いない。

 それは三年生にとって、引退する試合となるからだ。

 最後のトーナメントを、どれだけ勝ちあがっていけるか。

 最高学年になると、夏への思いが膨らんでいく。


 とりあえず帝都一相手には、右だけで七回までを無失点に抑えた。

 ヒットを二本も出しただけ、充分に帝都一の打線は上がっている、と言えるだろう。

 本当は完投させたかったし、球数もそれほどでもなかった。

 全く疲れていなかったからこそ、投げさせても無駄と思ったのだ。

 そんなわけで八回からは、リリーフである。

 昇馬が右で投げていたため、左の真琴を投入である。


 130km/hの技巧派ピッチャーで、サウスポーのサイドスローで球種も多い。

 これだけ打ちにくいピッチャーは、男でもそうそういない。

 さすがにヒットは打たれたが、失点することはない。

 6-0という完勝で、まず第一戦を終えたのであった。


 ここで食事休憩である。

 第二戦は白富東と、横浜学一との対戦である。

 どちらのチームもそうだが、特に横浜学一は、昇馬を体験してみたかったのだろう。

 それを了解した上で、ちゃんと左で投げさせる。

 ただこちらも一方的な展開になれば、アルトをリリーフさせる。

 左から右への、ピッチャーの変化を見ておきたいのだ。




 七回を投げただけの昇馬は、他の選手の倍ほども食べる。

 そもそも食事の量は、昔から多いのだ。

 しっかり遊んで、しっかり食べて、しっかり眠る。

 特に中学時代までは、夜の10時には眠るように言われていた。

 およそ11時頃の深夜の睡眠時間に、成長ホルモンが出やすいと言われているからだ。

 もっとも昇馬は昔から、周囲よりも一回りは体が大きかったが。


 全力で食べないと、すぐに体重が落ちてしまう。

 昇馬はそういう点で、燃費が悪いとだけは言えるのかもしれない。

 ただし食事をすぐに消化して、吸収してしまう内臓の力。

 そういったものまで強いのだから、遺伝子というのは残酷である。

 普通はどう鍛えても、昇馬の領域には達しないのだ。


 春のセンバツ出場チームのデータとして、昇馬が提出した身長は196.5cm。

 まだ少しずつ、伸びているのは確かであった。

 身長に比べれば、わずかに体重は軽いと言えようか。

 だが90kgは余裕で超えて、もう100kgに近くなっている。


 このフィジカルから繰り出される、圧倒的なパワー。

 横浜学一はそれを、完全に思い知らされることとなった。

 新しい変化球のコントロールに失敗し、一人をデッドボールで塁に出す。

 しかし七回までに、出したランナーはこの一人だけ。

 8-0というスコアから、八回からはアルトが継投。

 ヒットとフォアボールが一つずつあったが、完封勝利である。


 地味にアルトもしっかり、球速は150km/hオーバーになっているのだ。

 ただやはり、その本職は外野だと言えるだろう。

 昇馬と並んでも見劣りしない、まさにツインタワーと言える身長。

 だが昇馬に比べると、やや体重は軽めである。

「ツインタワーって言うなら、どちらもセブンフッターぐらいじゃないとなあ」

 昇馬はアメリカ基準でそんなことを言うが、cmで言うならおよそ210cmである。

 競技が違うであろう。


 あとは帝都一と、横浜学一の対戦である。

 白富東の面子は、これもしっかりと見学する。

 昇馬がいるために白富東は、せっかく練習した守備の堅さを、なかなか見せる機会がない。

 アウトの六割以上を三振で取られれば、そういうことにもなる。

 あとはフライばかりで、特に内野はゴロが少ない。

 それでも比較的、ムービング系でゴロを打たせることを意識していたのだが。


 一般的な超強豪校同士の対決。

 この2チームはセンバツに出ていても、全くおかしくない実力を持っているのだ。

 そして常識的な範囲でのエースがいるため、緊迫した試合展開となる。

「どっちのチームにも、横浜シニアから行ってる選手がいるんやなあ」

 聖子はそんなことをチェックしていたりした。




 センバツを前にしての練習試合としては、いい感じであった。

 優勝出来るかどうかというのは、かなりクジ運にもよるであろう。

 去年の夏などは、三回戦で少し、昇馬を休ませることが出来た。

 ただ問題になるのは、味方の打線がなかなか、点を取れない時である。


 上杉将典以外に、何人かいる超高校級ピッチャー。

 そこと連続して当たっていくと、昇馬を休ませることが出来ないかもしれない。

 そして球数制限になったら、そこで白富東は辛くなる。

 どうにかして昇馬を、休ませる必要が出てくる。


 ただ鬼塚は昇馬の球種が増えたことで、もっとあっさりとアウトが取れるようになったのでは、と考えている。

 実際に今日の二試合も、余裕で球数を抑えることが出来た。

 七回を投げて80球強。

 延長にさえならなければ、どうにかなるであろうというペース配分だ。


 ともかく昇馬は、八回まで投げていても、最後までガス欠を起こさない。

 少し抜いて投げても、160km/hが出ているのだ。

 だからあとは、監督がどれだけまともな作戦を立てるか、によるだろう。

 とりあえずセンバツと夏は、優勝できなかったら鬼塚の責任か、よほどクジ運に恵まれなかったかのどちらかだ。

(この年代、本当に凄いピッチャー多いからなあ)

 鬼塚からすると、自分が一年生の時、三年生に凄いピッチャーが多かったという印象がある。

 ただ突出した才能は、上杉、直史、武史あたりに真田を言うのだろうが。

 メジャーで充分に通用したことを言うなら、本多や蓮池といったあたりも含まれる。


 甲子園でも今年は、打線で援護が出来る。

 そう考えて鬼塚は、今日の試合も分析をする。

(徹底したスモールベースボールなら、失点の可能性もあるかもしれないけどな)

 他の全チームが、結託して消耗戦を仕掛けてくる。

 そんなことでもない限りは、昇馬が点を取られることは、ないだろうと考える鬼塚であった。


 そして色々な雑誌が、甲子園特集をやってくれる。

 Sランクになっているのは、白富東と桜印の2チームだけである。

 他はやはり、ピッチャーの強いチームが高い評価になっている。

 センバツはピッチャーの強いチームが勝ち残りやすい。

 それは確かにそうなのだが、白富東は去年の夏と比べても、全く戦力を落としていない。


 他のチームが冬を越えて、どれだけチームとして成長しているのか。

 Aランクとされているチームは、他に6チーム。

 帝都一に勝った早大付属などは、このランクに入っている。

 あとは神宮で戦った、尚明福岡や青森明星など。

 大阪光陰がAランクにも入っていないというのは、鬼塚の知る現役時代からすると、ちょっと信じられない。

 ただ戦力の新陳代謝が大きな大阪で、いまだにしっかりとセンバツに出てくる。

 その時点で充分に、強いチームであるのは間違いない。

(真田の双子も、なんだかんだまた出場してるんだよなあ)

 昇馬以外のピッチャーを、どのように使っていくか。

 それが鬼塚の悩みどころなのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る