第113話 冬を越えて
うっすらと雪景色になっても、すぐに溶けてなくなってしまう。
それが千葉の、この辺りの冬の風景である。
落葉樹が上手く葉を落としてくれると、視界がほどほどに開けてくれる。
こんな季節であっても、野生動物は動き回る。
食料が少なければ、人間の生存圏にまで入ってくるわけだ。
白富東の選手たちは、春のセンバツに向けて最後の調整を行っていく。
対戦相手の組み合わせ次第だが、優勝候補のナンバーワンであることは間違いない。
一方で昇馬や真琴は、野球チャンネルを少し見る。
だいたい毎日それぞれの球団の、新人や若手の様子を報道する。
その中で目立っているのは、やはり司朗である。
この時期から早くも、バッティングを見せている。
柵越えを連発しながらも、変化球にもしっかりと対応する。
やはり引退してからの、さらなるパワーアップが重要であったのか。
器用に打ち分けることが出来るが、基本的には中距離打者のバッティング。
狙った時には確実に、スタンドに届かせる。
走攻守の三つが、全て世代最高レベル。
高卒野手でありながら、開幕スタメンすらもありうると、普通に報道されていた。
そして報道されるのは、センターのポジションに入るのでは、という予測。
実際のところはどうなのか、真琴や昇馬は父親たちに尋ねる。
だがこの二人に尋ねても、両者が共に規格外であるために、参考にはならない。
すると高卒でプロ入りし、同じ外野手であった鬼塚が、丁度いい基準になってくる。
「ありゃ一年目でスタメンから新人王だな」
純粋に実力だけを考えれば、鬼塚は自分にとっても戦友だった、アレクから足の速さをほんの少し落とし、肩の力と長打力を上げる、という評価になる。
ただアレクが一年目からスタメンになったのは、チーム事情もあったのだ。
ジャガースはあの頃、まだしも強かった。
しかし選手層が薄くなり、そこを補強する必要はあったのだ。
リードオフマンとして、初年度から三割を打っていたアレク。
後にはメジャーまで移籍したのだから、それと同等以上というわけで、評価としては最大のものだ。
もっともアレクは何度か怪我をしたため、鬼塚と同じぐらいの時期に、MLBで引退してしまったが。
今ではアメリカで、野球だけではなくスポーツ全体を教える、クラブを経営しながら働いてもいる。
アレクとかなり似てはいるが、織田などはまだ現役である。
試合終盤の守備固めか、あるいは代走の切り札として、去年もそれなりの試合に出ていた。
チームはあちこちに移ったが、主に西海岸で活躍した。
それでも今年で44歳のシーズンなのだから、引退しても全くおかしくない。
「つーかお前らの父親たちは、いつになったら衰えるんだ?」
「うちのお父さんは、最近はもう衰えてきたとか言ってるけど」
自虐しているようであるが、しっかりとキャンプに備えて調整はしているらしい。
昇馬はその点、大介の練習に付き合わされた。
170km/hのマシンで、目をスピードに慣らす。
だがマシンだけでは不安であるため、昇馬のボールも投げてもらったというわけだ。
単なる投げ込みに思えるが、昇馬としても練習になる。
今のボールは打たれていたな、という感覚が伝わってくるのだ。
冬の間に鍛えたことで、昇馬はまた球速のMAXが上がった。
だがこのレベルになってくると、そう簡単には上がらないものである。
一般的にピッチャーには、140km/hと150km/hで壁があると言われる。
140km/hを投げられなければ、まずプロのピッチャーとしては通用しない。
だが実際のところ、レックスの木津は一年を通じて、ローテを守って勝ち星も貯金を作った。
武史はこれに対して、球速の維持をどうにか努める。
165km/hまでならば、安定して出る球速となっている。
ストレートで攻められるが、160km/hオーバーの動く球もある。
この組み合わせだけで、おおよそのバッターは打ち取れてしまうのだ。
12勝2敗という成績を残し、来年でプロ20年目となる武史。
それなりに故障したシーズンもあったのに、これまで19シーズン連続の二桁勝利。
比較的打線の援護が少ないスターズで、この結果は凄い。
総合的に見れば去年のドラフトは、ピッチャーが不足と見られていた。
もちろん本当の評価は、数年後に明らかになることだが。
しかし少なくとも、即戦力と見られるピッチャーが、少なかったことは間違いない。
それでもピッチャーを多めに取った、ライガースのような例もある。
攻守共に満足な戦力というのは、福岡ぐらいである。
その福岡も高校生スラッガーを、一本釣りしてきたが。
一応は評価されていたが、正直なところ一位で取るような選手なのか。
高卒野手というのは基本的に、仕上がりに時間がかかる。
対して今年の高卒選手は、ピッチャーがものすごく豊富だと言われている。
ただし昇馬がNPBで、少し働くつもりがあるのならばだが。
昇馬を抜いたとしても、上杉将典、真田新太郎、中浜、中浦、獅子堂、このあたりが二年の夏には150km/hを出している。
球速はあくまでも、一つの目安に過ぎない。
ただそれでもこのあたりのピッチャーは、相当の素材として見られている。
素質だけでも伸び代だけでも、一位指名を受けそうなピッチャーはかなりいる。
対して高校生は、野手ではあまりいない、などと言われている。
これらのピッチャーによって、散々に心を折られてきたからだ。
折れていないのは尚明福岡の風見と、昇馬と同じチームのアルトぐらいか。
まだ今年のキャンプも始まっていないのに、次のドラフトを考える。
ただ春からがスカウトにとっては、一番重要な時期である。
特に高校生は、最後の冬の間に、どれだけの成長があったか。
ポテンシャルをどれだけ引き出せたかが、重要なことになってくる。
その成長曲線が、夏にかけてさらにどこまで伸びるのか。
春の時点の力が、夏になっても変わっていなければ、その選手の未来にはあまり期待できないであろう。
注目されているピッチャーは、全員がセンバツに出場してくる。
そのセンバツでもクオリティと、夏の大会でのクオリティを比べる。
それによって選手が、成長曲線のどの位置にいるか、を判断することが出来るのだ。
たとえば昇馬などは、もう球速がこれ以上、上がらなくてもいい。
投球術を磨くことで、プロでも通用するようになるだろう。
ただ成績だけを見ていても、その人格までが分かるわけではない。
昇馬は野球に対する執着がない。
そもそも人間社会との関わり合いに、不得手の性格にも見える。
もっとも完全に人間嫌いとかであるなら、団体競技をするのも不思議な話だ。
だから人間社会の生活から、完全に離れるなどという非現実的なことも、考えてはいないのだ。
可能な限り自由に生きたい。
今の世界でそれをするには、どうすればいいのか。
むしろ社会の中で生きていく上で、自由であればいい。
そのために必要なのは、やはり金になってしまうのか。
親の金だけをアテにしていくのは、情けない話である。
身体能力を活かすなら、やはりアメリカの四大スポーツか、あるいはヨーロッパのサッカーといったところになるだろう。
ただ市場として見るならば、やはりアメリカに行くべきだ。
そしてその中では、野球が一番向いている。
アメフトやバスケというのは、比較的だが野球よりも、選手寿命が短い。
特にアメフトは、ポジションにもよるが引退後、後遺症が残る可能性が相当にあるのだ。
またアイスホッケーは昇馬に経験がない。
バスケのルートを辿るのは、一度アメリカに行く必要がある。
するとやはり野球を選び、NPBを通してからメジャーに渡るのが一番いいか。
だが野球に限って言うと、年間の試合数が大変に多い。
運動の強度が、基本的に違うのだ。
野球はその三時間ほどの間に、どれだけ動く時間があるのか。
守備にしても攻撃にしても、その時間は短いものである。
唯一例外とも言えるピッチャーであっても、登板間隔が空くことになる。
30歳ぐらいまでに、必要な金額を稼いでしまおう。
それから本当に、やりたいことをやっていく。
直史もセカンドキャリアを、しっかりと考える人間ではあった。
しかし昇馬の場合は、プロの世界というのが最初から、ステップのキャリアとしてしか考えていない。
もちろんそんなに甘く、世の中で通用するわけもない、と普通ならば言いたい。
だが昇馬のポテンシャルは、国内だけではなくワールドカップでも証明された。
ポスティングを許容するチームに入り、五年ほど働く、そこからMLBに移籍したら、最初の一年で自分の存在価値を見せる。
そして大型契約を手に入れたら、その年齢まで働けばいい。
野球に一生をかけるなど、思ってもいないのが昇馬である。
それに昇馬も野球に関して、わずかだがこだわっていることはある。
強敵との対戦というもので、しかしそれは司朗ではない。
大介を相手にすれば、いまだに打たれてしまう。
この父親を凌駕して初めて、野球には未練がない、と言う事が出来るだろう。
NPBだけではなく、MLBにさえ夢を持たないという点では、直史に似ていなくもない。
だが社会の中で働くことを重視する直史と、自由を重視する昇馬では、根本的な価値観は違う。
今年のセンバツ、帝都一は出場を逃した。
そしてその帝都一と、白富東は練習試合の予定を立てている。
これに同じくセンバツ出場を逃した、横浜学一も加わった練習試合だ。
それが終わればいよいよ、本番のセンバツとなる。
冬の間のトレーニング、昇馬はかなり自主トレを行った。
だが同時に、SBCで色々と計測もしている。
ピッチングの動作の最適化に、変化球の習得。
もうほとんど完成されたそこに、さらに出力を上げていく。
単純な球速を上げるのではない。
ストレートの球質を、上げるように考えるのだ。
それで結果的には、スピードも上がっていく。
さらにはこれが、左右両投げとして現れている。
父親や伯父ではなく、母から野球を学んだため、スイッチヒッターでスイッチピッチャーとなった昇馬。
これを打てるようなバッターが、今の高校野球にいるのか。
最強と言われたピッチャーを擁していても、優勝出来なかったチームはいくらでもある。
そもそも甲子園にさえ、たどり着けないというレベルだ。
高校野球というのはそれほど、ジャイアントキリングが多い。
その中で白富東は、圧倒的な力を誇っている。
ただその割合は、昇馬の存在が大きいのだ。
「球速が167km/hになったか」
MAXの更新を見ていて、さすがに呆れる直史である。
ただもっと驚くのは、これだけの出力がありながらも、昇馬の肩肘に損耗の様子が見られないことだ。
アメリカでも105マイルを投げる高校生が、ちゃんといたりはするのだ。
しかしそのピッチャーは、高校生の時点で既に、トミー・ジョンをしてしまったりする。
エンジンの出力に対し、シャーシの耐久力が釣りあっていない。
それなのに昇馬には、いっさいそんな様子が見えないのだ。
高校野球の日程で、一週間に500球までというのは、確かに投げたことがある。
それでも全く、故障の気配を見せなかった。
怪我をしたのはあくまで、打球によるもの。
それと故障が違うのは、もちろん言うまでもない。
センバツ前の最後の調整。
帝都一の専用グラウンドで、三つのチームは対戦する。
「横学も大変というか、気の毒やなあ」
聖子がそう言うのは、横浜学一のメンバーの中に、かつてシニアで対戦した顔を見たからである。
桜印が完全に、神奈川の覇者となっている現在。
甲子園に行くには、センバツを狙っていくしかない。
それで東名大相模原は、実際にセンバツへの出場を果たした。
だが横浜学一に進学した選手は、最後の夏を逃せば、一度も甲子園を経験しないことになる。
それは千葉の私立強豪を選んだ選手も、同じことが言える。
まだしも東京を選んだのなら、少しばかりチャンスはあったのだが。
甲子園に行くには、二つのパターンがあると考えればいい。
一つは県内一強、または二強というチームに入り、そこから甲子園を目指す。
そしてもう一つは、群雄割拠の県などのチームに進学し、そこからの出場を目指すというものだ。
シニアの監督などとの関係から、自然と進学先が決まってしまう選手もいる。
それでもある程度は、自分で選ぶことも出来るのだ。
昇馬や将典と同年の、同じ県内の選手は、運が悪かったと言えるだろう。
まだしも神奈川は、今年のセンバツに二校出場できたので、そこはぎりぎり運が良かったのだろうが。
「夏にはまた甲子園に行けそうですか?」
「高校生の成長っていうのは、大人の想像を超えてくるからなあ」
鬼塚とジンは、そうやって指導者同士で話し合ったりもする。
「まあうちは司朗のワンマンチームでもなかったからな」
帝都一はそうやって、長年東京の強豪としえ存在してきたのだ。
昇馬が引退し、その次のチームになった時、白富東は甲子園に行けるのか。
「まあ行けなくても、和真はどこかのスカウトが、取ってくれると思いますけど」
「大学に進学させてもいいんじゃないか?」
「そうですねえ」
重要なのは来年の夏までに、どういった選手になっているかだ。
むしろスカウトとしては、甲子園に出ないほうが、これ以上野手としての評価が上がりにくいので、望ましいのかもしれない。
鬼塚としては、本当の自分の指導者の資質が試されるのは、昇馬たちが引退してからだと分かっている。
だがとりあえず、あの素質を腐らせなかったことで、自分は及第点だと思っていた。
本人はどう思おうが、日本野球界の人間は、昇馬のプロ入りを待っている。
「まあMLBに行くにしても、少しはNPBを盛り上げてからにしてほしいしな」
ジンは出来れば、自分の手で昇馬を育ててみたかった。
元キャッチャーとしては、当然の欲求である。
しかしそれが、帝都一のような名門では、不可能なのも分かっていたのだ。
「夏の三連覇。狙っていけよ」
「ここで出来なければ、もう二度と出来ないでしょうからね」
躍動する選手たちは、いよいよ野球のシーズンを迎える。
ただそれとはちょっと別に、ジンはプロ野球のキャンプなども、注目しているのであった。
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