第108話 まだ何者でもない

 タイタンズとの契約も済み、入団会見も終わり、マスコミから逃げながらも練習をする。

 そんな司朗に対しては、とりあえず所属事務所を決めろとアドバイスする直史である。

 プロ野球選手でも芸能事務所に所属しているというのは、何かと便利であるからだ。

 実際に仕事を取ってきてくれるので、知名度が高ければ高いほど、それは便利なのである。

 そしてこの場合、司朗は素直に父を頼った。

 武史と一緒に、親子で売り出していけばより効果も高い。

 そういったことを考えるのは、母の恵美理であったりするが。


 イケメンすぎる高校球児だったが、母親が美人過ぎるプロ野球選手となるわけだ。

「来年はあたしらもデビューするからね!」

 司朗の下の妹である玲は、身体能力も高いのだが、芸術性の能力の方がより高かった。

 また上の妹である沙羅は、現在欧州に留学している。

 かなりイギリス人の血は薄くなっているのだが、沙羅はまだその特徴が残っている。

 母親に一番似ているかもしれない。つまり美人である。


 あとは弟がいるのだが、まだ物心がつかない年頃だ。

 もっとも司朗の実家には、他に白石家の養女も、弟子のような形で住んでいる。

 さらに東京の名門私立中学に通うため、直史の息子の明史もいる。

 あとは使用人というかお手伝いさんまでいて、けっこうな大家族ではある。

 この大家族が、さらに大家族である白石家と一緒に、年末年始は佐藤家の実家に集まるのだ。

「お兄ちゃんが家を出るの、丁度いいタイミングだったね」

 下の妹と義従妹である花音は、高校進学と共に芸能界デビューが決まっている。

 どうせ芸能事務所に所属するなら、そこでもいいのではと適当に、司朗は考えたりした。

 もちろん事務所によって、得意とする分野は違うのだ。

 玲と花音の事務所は、音楽関連の方面が強い。

 司朗が入ったところは、タレント系が強い事務所であった。


 司朗は高校に入ってからは、かなり野球漬けの生活を送っていた。

 もっとも家から通っていたので、そこではピアノを弾いたりヴァイオリンを弾いたりと、優雅な時間も過ごしたものだが。

 とりあえず球団寮にも、ヴァイオリンぐらいは持って行きなさい、と恵美理は言っている。

 もちろんストラディバリウスなどではない。


 司朗が球団寮に入り、玲と花音は音楽の世界に出て行く。

 子供たちの成長は、本当に早いものだと思う恵美理である。

 なお子供たちが独り立ちするような年齢になっても、いまだにどこか腰の定まらないのが武史と言うべきか。

 だがこちらはこちらで、家の大黒柱となっているのだ。


「高校を卒業してすぐに働くって、たいしたもんだなあ」

 自分は大学でのんびりと、野球をしていた武史は呟いたりする。

 もっともその野球にしても、試合以外はあまり練習に顔を出していない。

 自分一人、もしくは樋口に付き合ってもらったほうが、効率が良かったからである。

「俺は父さんと違って、そんな天才じゃないから」

「俺だって兄貴に比べればたいしたことないぞ。上に上杉さんとかいたし」

 おそらく来年で、史上三人目のNPB400勝投手になりそうな人が、おかしな基準で言っていた。


 武史は同年代の人間から見ると、間違いなく練習をしていない人間に見えた。

 単純に他の付き合いを優先し、特に恵美理との時間を作っていただけなのだが。

 それでも練習に出なかった分は、自分でやっていたり直史に付き合っていた。

 見えないところでしてるだけだぞ、と周囲にも言っていたが。

 こんなことをやっていたから、レジェンドの成績を残しながらも、実はまだ全力は出していなかった、などと言われるのだ。


 武史がもしも、高卒後すぐにプロに入っていたら。

 それはNPBで多く言われるIFの一つである。

 同じようなことは、直史が大卒でNPBに入っていたら、ということも言われる。

 もっとも直史本人は、おそらく大卒の時点であっても、まだ自分の肉体は完成していなかったと考えているのだが。

 武史は大学にプロと、樋口と同じチームで鍛えてもらったのが、その後の成績につながっている。


 こういった「もしももっと早く」ということを周囲から聞いていたため、司朗は高卒でプロ入りを決意したということもある。

 芽が出なかったり怪我でもしたら、そこからまたリスタートすればいい。

 若いうちはやり直せばいいさ、と考えるのが武史である。

 しかしドラフトでレックスが当てたのはよかったが、関東圏内の球団でなかったら、社会人に行っていたのだ。

 さらにそこでも希望する球団でなかったら、社会人で一生を終えるつもりであった。

 そう考えるとドラフトというのは、恐ろしいものであると言える。




 タイタンズ入りが決まってからは、本当に周囲が騒がしくなった。

 とは言えお偉いさんに囲まれるのは、それなりに慣れている。

 もっとも今までは祖父や母の関係から、ジャンルの違う一流に接することが多かった。

 タイタンズのサポーターというか、お気に入りである人間は、企業のお偉いさんにも多いらしい。

 こういうところからもスポンサーとの関係があり、やはり事務所の所属は間違っていなかったのだなと分かる。


 なるほど面倒だな、と司朗は事前の忠告を思い知る。

 タイタンズは古い球団であり、マスコミとの関係性も深い。

 それだけに注目度も高く、入団前から既に次代のスーパースター扱い。

 将来のメジャー志望など、この時点で聞いてどうするのか。

「メジャーで通用すると言われるような選手にはなりたいですな」

 こんな発言をしただけでも『将来はメジャーを示唆!』などと記事には書かれるのだ。

 忠告しておいて貰って、本当に良かったと思う。


 父である武史は、こういうことには弱いのだ。

 かなり運だけで、人生を渡っているところもあると思う。

 もっともシーズン終了後も、息子の練習に付き合ってくれたりする。

 そこは久しぶりに、親子の交流があったと言えるだろうか。


 しかし司朗がセ・リーグに来たことで、親子対決実現の可能性が出てきた。

 MLBでは一応、親子が同時に現役であったことはあるらしい。

 だが投打で対決、ということはなかった。

 武史は来年も、現役続行で契約更改も果たした。

 ただ今年はシーズンを半分ほど休んだので、年俸は下がったが。


 タイタンズはこういうところで、空気を読むチームである。

 なので司朗の開幕一軍も、実力とは関係なくやってくる可能性は充分にある。

 もちろんそれまでに、実力でポジションを勝ち取ればいい。

 新人合同自主トレから、勝負は始まると言ってもいいだろう。

(こういうことがあるから、高校時代は隠してたんだよな)

 改めて隠していたのは、本当に正解だったな、と実感する司朗である。

 もっとも完全に二世と分かっている昇馬は、全く気にせずに野球をしているが。

 マスコミがやかましいと、練習をせずに山に入ってしまう。

 そのあたりは本当に、我が道を行くという精神をしているだろう。


 シニアには一応所属していたが、活躍したのは一大会のみ。

 それだけで一気に高校のスカウトが群がったが、父の母校にそのまま進学。

 あのチームの戦力で、よくもまあ一年の夏から甲子園を制覇したものだ。

 司朗は打撃の怪物で、昇馬は投球の怪物などと言われるが、司朗からすれば昇馬の打撃力は、自分とタイプは違うが匹敵する。

 ピッチャーで四番を打つ、というのをプロでやってもいいぐらいではないか。


 ただどれだけ打撃力があっても、練習しなければ錆付いていくものだ。

 上杉などは一年目、ピッチャーでありながら三割を打ち、ホームランを七本打っていた。

 だが打撃のキャリアハイは、その一年目であったのだ。

 パ・リーグに行ってあの打撃を、完全に消してしまうのはもったいない。

 なんなら代打で使っても、おかしくないぐらいなのだ。

 それはワールドカップの成績でも、理解しているスカウトは多いだろう。


 ただピッチャーというのは、野手の故障よりもずっと、一つの怪我で選手生命が絶たれることが多い。

 だからピッチャーで取って、それで駄目になってもバッターで、というのはあるかもしれない。

 もっとも昇馬が本当に、野球にそこまで熱心であるのか。

 そこはなんとも言えない司朗なのだが。




 事務所に所属して良かったのは、インタビューなどの窓口になってくれることだろう。

 母親譲りのルックスから、司朗はもともと高校野球のプリンスだったのだ。

 実際に母方を五代遡ると、イギリスの貴族になっていたりする。

 そもそも父方の血筋である佐藤家は、家系図が延々と残っている。

 古い時代は眉唾物だが、少なくとも江戸初期までは、確実にたどれるものである。

 庄屋の家系というのは、戦国まで遡れば普通に、土着した貴族の末裔になっていたりするのだ。


 それは別としても、司朗の遺伝子はスポーツエリートだ。

 そんなわけで色々と、企画を出してきたりもする。

 高校生でいる間は、そういうものは断っているが。

 父親も有名人というわけで、音楽業界のノイズのサリエリとの話が組まれかけたが、そんな無意味なことをして何があるのか。

 基本的に他の分野でも、スポーツ選手なら積極的に、話していくのむ悪くはないが。


 まだ何者でもない。

 確かに高校野球のスーパースターで、血統的にもドラマが生まれやすい。

 ただ野球に限って言えば、二世選手は日本において、かなり少ないのだ。

 これはスポーツエリートが、トロフィーワイフを選ぶ傾向にある、というどうしようもない現実があったりするが。

 かつては女優と結婚したり、そしてちょっと前だと女子アナと結婚したりしていた。

 最近は一般人であることが、かなり多くなってきているが。


 このあたり上杉家は、両親が共にフィジカルモンスターなため、長男は大学生でありながら、柔道の全日本で優勝していたりする。

 そして次男が将典であるのだから、やはり運動能力はある程度、遺伝すると考えていいのだろう。

 直史の場合は真琴が、確かに女子の日本代表級である。

 もっとも長男は病気のため、運動できない期間が長く、そのため運動は苦手であるが。

 次男坊はそういったことがないため、あるいは素質があるかもしれない。

 もっとも瑞希の素質を受け継いでいたら、頭はいいかもしれないが、身体能力はそこまで高くないだろうが。


 ただ世の中は、両親が優れていても、子供に遺伝するわけではない。

 もちろん確率的には、ある程度遺伝する傾向が強いが。

 司朗は母方の関係で、文化的な教養もある。

 そのあたりがいわゆるお坊ちゃんに見えるのだろうが、別に甘やかされて育ったわけではない。

 幼少期にアメリカで育ったことは、メンタルに影響を与えた。

 メジャーリーグを特別視しないのも、そのあたりの理由はある。


 まだ高校生である今は、しっかりと授業に出たりもする。

 ただそこで本当に、ちゃんと勉強しているというのが、野球中心人間からすると、信じられないらしい。

 なお学校内では普通に、王子などと呼ばれてもいた。

 本人としてはせめて、騎士とかそのあたりにしてくれ、と辟易していたものだが。


 このエリート的な背景から、確かに女の子にもモテたりしたものだ。

 だが根の深いマザコンである司朗は、ちょっと要求するものが高すぎる。

 あれの結婚相手はこちらで見つけてやらんといかんのでは、と母方の祖父などは言っている。

 もちろん自由恋愛を禁止するつもりなどはない。それならば娘に色々と伝えていただろう。




 年始からすぐに、プロ野球の新人合同自主トレは始まる。

 高校の卒業式は、その合間に出席するのだ。

 一般的な就職であれば、四月から仕事となる。

 もっとも一般的な企業でも、それ以前に色々とやったりはするが。


 そんなわけで司朗は、年末までに荷物をまとめたりした。

 基本的に自室には、あまり物を置かない司朗である。

 ただ寮暮らしとなれば、環境は大きく変わるものである。

 チームが選手の生活を管理するのは、本来は悪いことではない。

 それは高校時代からでも、寮暮らしならばある程度はやっている。

 しかし果たして、タイタンズのコーチ陣などが、司朗をしっかりと管理できるのか。

 そこまでの能力は期待していない、ちゃらんぽらんだが鋭いところもある武史である。


 父親としてあまり、息子のことは心配してこなかった。

 ただ明史も預かっているし、男親でないと分からないことも、男の子にはあるというものだ。

 この家はお手伝いさんがいるので、それなりに問題はないだろうが。

「だいたいプロは最初、甘やかされて駄目になるパターンが多いらしいからなあ」

 珍しくもこうやって、既に直史が伝えていることを、再度伝えたりしている。


 タイタンズの選手は、紳士であれなどと言われる。

 司朗の場合は紳士どころか、マジ物の貴族的な精神で育てられている。

 だからタイタンズの中に入ろうと、何も遠慮をする必要はない。

 そもそもプロ野球選手など、ヤクザな商売であるのだ。

 さっさと結果を残して、メジャーで稼いだ方がいい。

 武史も大金を稼いで、残りの選手生活を日本で送るつもりで戻ってきた。

 まさか息子と公式戦で、対決することになるとは思わなかったが。


 この年末年始が、最後のアマチュアとしての期間である。

 もっとも司朗の成功は、よほどの運が悪くない限り、約束されていると直史も考えている。

 能力的には問題がない。また人格的にも問題がない。

 問題があるとすれば、周囲の環境だけである。

 下手に教えたがりがいれば、その話を聞いて不調になる可能性はある。

 なので司朗は、充分に仕上げた上で、合同自主トレに参加する。


 直史や武史からは、いざとなれば悟を頼れ、と言われている。

 寮にいるわけではないが、おそらく序盤から一軍に、帯同して行くと思われるからだ。

 武史が高校三年生の時に、悟は一年生であった。

 そして大介の後の、ショートを守っていたのだ。

 白富東の、全国制覇にも貢献している。


 ただその悟も、去年は故障で長く離脱していた。

 年齢的にもそろそろ、引退しておかしくないものである。

 タイタンズはほぼ、監督やコーチはタイタンズでキャリアを終えた選手しか使わない。

 さすがに最近は、コーチまでなら例外もいるが。

 引退したら即座に、守備走塁やバッティングコーチになってもおかしくはない。

 特にバッティングに関しては、体格は全く違うが、学ぶところは多いだろう。


 寮に送る荷物はまとめた。

 そして年末年始、直史と武史の実家に向かう。

 12月の寒さの中、周囲が随分と変わったのは、その実家で暮らす大介の娘、百合花の要求によるものである。

「ゴルフって止まってる球を打つのに、そんな難しい技術がいるのかね?」

 お金持ちでイギリス系の血を弾いているが、恵美理はゴルフをした経験はない。

 そのためこんな発言も出て、小学生とゴルフ勝負をして、散々に負けるのがドラフト一位の司朗であった。

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