第106話 生命の実感

 冬に入ったが、まだ雪は降っていない。

 そもそも千葉はあまり雪の降らない場所であるが。

 場所によって、そして年によってはそこそこ積もったりもする。

 だがとにかく寒さによって、多くの木々が葉を落としている。

 そんな中でも野生動物は、食料を探して動き回るわけだ。


 人間の作る畑にしても、この時期に食料になるものを、栽培しているところは少なくなる。

 すると鹿などは樹木の皮を食べたりするのだ。

 これによってせっかく人間が維持している山林が、立ち枯れてしまうこともある。

 いっそのこと下生えなどの、人間も動きにくくなる植物を、食べてくれたらいいのに。

 さらに深入りして、人間の作物を荒らす害獣は多い。

 山に食べ物がないから、人里に下りてくるのだ。

 そして狩られる。


 昇馬はこの時期、鹿肉を良く食べた。

 ちなみに鹿肉は脂質が少なく、赤身が多くてクセのない味である。

 野生の鹿でも柔らかいので、食べるのにはうってつけ。

 もちろん野生の鹿であるので、火を通さずに食べるのはリスキーどころの話ではない。

 それでも生で食べる必要がある時は、心臓なら比較的リスクが低い。

 豚のレバーは加熱しろ。


 鹿肉もおおよそ、寄生虫を多く含んでいるものだ。

 そして逆にその寄生虫が、美味かったりもするのが不思議である。

 どこかの極悪非道料理人は、あっさりとしすぎのダチョウ肉をクリーミーにさせるため、蛆虫をサシ代わりにした。

 赤身の多い鹿であれば、確かにダチョウと同じようなこともあるだろう。

 山の中でそのまま、それなりに捌いてしまう。

 基本的に内臓は、野生のものなので捨ててしまう。

 だがナイフで心臓を刺し、そのまま火で炙って食ってしまう。

 どこの野蛮人か、と人には言われるかもしれない。


 一人で山を歩くことはなく、狩猟の罠を仕掛けた者と、一緒に行くのがほとんどだ。

 もっとも私有地の農地の中であれば、一人でしとめてしまうが。

 こうやって山を歩きながらも、季節的に他のスポーツもしたりする。

 アメリカならばこの季節は、NBAが始まったところである。

 日本ではウインタースポーツだが、最近はBリーグも活発になってきた。


 今さらながら昇馬は、どうして自分が野球をメインにやっているのか、と考えることがある。

 それこそテニスなどをやっても、身体能力を上手く活かせただろうに。

 団体競技が本来なら、向いていないと思われる。

 だから一人で、山を歩いたりもしているのだ。


 一人でどうにかなってしまうからこそ、団体競技を選んだのだろうか。

 だがニューヨーク近辺では、普通に他のスポーツをする機会もあった。

 あるいは肉体の性能を活かすなら、格闘技でもやったらいい。

 そちらは今からでも、遅くはないぐらいだ。 

 もっとも格闘術と護身術としてなら、母親から色々と習っているが。




 司朗の動向を知らされていると、大変だなと感じるしかない。

 プロに行くにも少なくとも、タイタンズに行きたいとは考えられなかった。

 むしろ一番行きたくないチーム、などという感想を抱いてしまった。

 それを言うと母も、確かに面倒そうなチームだね、と合意してくれたものだが。

 大介などは良くも悪くも、ライガースが最高であると言う。

 直史は案外、レックスは良くないとも言う。

 この場合は移動時間がどれだけか、というのが基準になっているらしい。


 関東圏の球団は、セなら東京に2チーム、神奈川に1チームとなっている。

 パも埼玉と千葉に1チームずつあるので、関東では5チームと言えるだろう。

 関西は2チームで、大阪と兵庫。

 他は愛知、広島、福岡、宮城、北海道ということになる。

 移動距離が短ければ、それだけ休むことも練習も、時間を増やすことが出来る。

 ただ毎日の練習となると、関東のチームはなかなか、寮からグラウンドまでが遠かったりする。


 もっとも昇馬からすれば、アメリカの広さに比べると、日本は距離感が小さいと思う。

 それでも地方のチームは移動の回数が多いが、その分寮からグラウンドまでが近い。

 関東のチームはその逆、ということだ。

 司朗など寮に入るよりも、実家から通った方が、東京ドームは絶対に近い。

 最初は寮で生活を管理してもらう方が、いいのかもしれない。

 ただ高校の時点で既に、そういったことはお手伝いさんにやってもらっていたのだ。


 身の回りのことを、自分で出来ないわけではない。

 だがそれでも、お坊ちゃん育ちであることは間違いない。

 それがプロになって、選手寮で集団生活。

 さすがに環境が変わりすぎる気がして、大丈夫なのかなと思う。

 もしも司朗がモノにならなければ、それはチームの育成の責任だろう。

 とりあえず三年で成果が出なければ、野球はやめた方がいい、とまで言われていた。

 そう言っていたのは、直史と大介であった。


 昇馬もそうであるが、司朗にも共通した、高校野球で圧倒的な数字を残せた理由。

 もちろんそれはフィジカルであったり、技術でもあった。

 ただこの二人は甲子園を目指していたが、それだけが全てというわけでもなかった。

 野球に全てを捧げた方が、より強くなれたのだろうか。

 この二人に共通していたのは、余裕というものである。


 ピッチングにしろバッティングにしろ、重要な場面ではプレッシャーがかかる。

 そういう時にこそ二人は、野球が全てではない、と考えるのだ。

 指導者にしてからが、野球しか出来ない人間を育てて、その後をどうするのか、と考える人間だった。

 高校野球が終わっても、まだ人生は続いていく。

 そしてプロの選手でも、引退してからの方が長い。

 その時に、駄目なら違うキャリアを行こう、と思えることは余裕であるのだ。

 精神的にも追い込んだほうが、強くなると考えている指導者は、いまだに普通に多いだろう。

 だが必死で上手くなろう、勝とうと考えるのはいい。

 悪いのはそのために、全てを野球に捧げる、などと考えることだ。


 高校野球も大学野球も、生活の全てが野球中心、というチームはいまだにあるだろう。

 だがプロに進める人間はほんの少しで、その中でも野球だけで生涯食っていけるのは、本当に少ない。

 キャリアについては、野球がなくてもどうにかなる、と考える方がいい。

 司朗に言った、三年で目途がつかなければ、というのは一つの基準。

 そこから再度進学を考えたり、あるいは全く別の道に歩むこともいい。

 そういった、いわば逃げ道を作っておくことで、かえってプレッシャーから逃れることが出来るのだ。


 戦争においても、背水の陣などというものがある。

 あれは逃げ道を防いで目の前の敵を倒すしかない、という状況を作るだけではないのだ。

 目の前の敵を倒せば生き残れる、と考えさせる必要がある。

 そして野球に全てを捧げてきた、などと言う人間は実のところ、人間としての幅が狭くなる。

 そんな人間性では、野球も上達しない、と直史などは考える。


 実際にセカンドキャリアを先に作って、それからプロ入りした直史は、かなり例外的な存在だ。

 武史もプロ入りの時には、都合が悪ければ社会人という考えをはっきりと表明していた。

 そしてさっさと寮を出るために、結婚も急いだものだ。

「そういえばシロちゃんは、彼女の一人もいないのか?」

 少し気になる直史である。




 全力で野球をやる。俺には野球しかない。

 そう思ってもプロには進めないし、プロから引退しても生きていかなければいけない。

 世界に存在する多くの人間は、ほとんどが平凡な人間のわけである。

 それでもいいと考えたのが直史で、何も考えずプロに進んだのが大介だ。

 もっともツインズの件に関しては、ちゃんと責任を取るつもりであったが。


 あまり深く考えすぎず、目の前のことに集中する、というのも悪いばかりではない。

 野球のコネクションというのは、確かにタイタンズあたりからは、しっかりと伸びているのだ。

 だがアメリカなどでは大学で野球をしていても、しっかりと勉強もさせたりする。

 司朗にはもっと、人間としての深みがほしい。

 それでもいざとなれば、自分の会社で働けばいい、と考えている直史である。

 そもそもプロ野球選手という、フィジカルモンスターに関しては、故障さえしていなければ仕事はあるのだ。

 大介の父のように、故障してしまった選手というのが、一番扱いが難しいわけである。


 選手としての実績などで、コーチなどになれることはある。

 だが基本的には、選手としての実績と、コーチとしての能力は違うものなのだ。

 感覚派の人間が、コーチとして成功するのは難しい。

 アメリカなどでも首脳陣やコーチは、選手実績とは分離して考えられる。

 大成功したスーパースターなどは、むしろアドバイザーなどというポストが与えられる。

 引退しても宣伝効果があるからだ。


 全力で集中してやらなければいけないが、失敗を恐れて悲壮感の中でプレイしてはいけない。

 タイタンズの環境では、それは難しいかもしれない。

 なので司朗のためには、とにかくバッティング練習をさせる。

 あとは外野からのバックホーム送球である。


 タイプは違うが外野手としての完成形は、直史にとっては織田かアレクといったあたりだ。

 ただアレクの方は、身体能力に頼るところが多かったため、怪我もそこそこあり引退も平均的な年齢であった。

 対する織田はまだ、MLBのベンチに入っている。

 ほとんど守備と走塁の役目であるが、それでもそれだけでベンチに入っているのはすごい。


 司朗はバッティングに関しては、二人のどちらにも似ていない。

 打てると思ったらボール球でも打つアレクに、体が泳いでしまってもどうにかヒットにする織田。

 司朗は読みで打つことが多いので、ヒットと長打を分けて打つことが出来る。

 読みと言うよりは、読心能力に近い。

 ただ正確に聞いてみれば、それは共感の能力であろう。


 母親がそういう能力を持っていた。

 相手の雰囲気から、何をするのか察するという力。

 別にそれは普通の人間でも、ある程度は持っているものだ。

 しかし芸術方面の力を持っていた恵美理は、それが突出していた。

 それがあって当たり前、として育てられた司朗。

 彼もまた同じく、ピッチャーの投げようとするボールが、なんとなく分かる。


 だが皮肉にも、高校生の時点では、その力は微妙に役に立たない場面も多い。

 ピッチャーが自分で狙った通りのボールを投げるなど、まだまだ難しいからだ。

 その場合は自分の技術で、打っていくしかない。

 昇馬の右の荒れ球を打てなかったのも、そういう理由による。

 それに想像を絶する球は、当てるのが精一杯になる。

 最後まで昇馬から、長打は打てなかった。




 アマチュアからプロになって、大きく変化するもの。

 それはもちろん、ストレートの球速の平均というものはある。

 今は高校生でも、150km/hを投げて当然、というぐらいの選手があちこちにいる。

 一つのチームに複数人、そのスピードを出せるピッチャーはいるのだ。

 だがプロはさらに、その上澄みがやってくる。

 圧倒的な技巧派はともかく、本格派の球速平均が一気にアップする。


 ただ本格派と言っても、ストレートには色々な種類がある。

 ホップ成分が高いもの、手元での減速が少ないもの。 

 あるいは手元で小さく動く、汚い球を投げるもの。

 直史はレックス以外の球団の、今年のピッチャーのデータを山ほど与えた。

 どの程度コントロールが精密なのか、ということもそのデータの中にはある。

 実はデータだけではなく、その分析結果まで与えている。


 同じことを大介はしていない。

 とりあえず直史としては、タイタンズにライガースの勝ち星を削ってほしいのだ。

 武史が回復して、スターズも来年はAクラスに戻してくるかもしれない。

 あとはカップスが、順調に戦力を増している。

 そんなわけで司朗には、右の変化球投手には、完全に対応出来るようになってもらう。

 もちおん直史の決め球は、バッティングピッチャーで投げることはない。


 他には球速は遅いが、左のスライダーとカーブの軌道にも慣れてもらった。

 本当なら昇馬に投げさせるのが、一番いいのである。

 鬼塚は今年のオフの間に、昇馬にあと一つ、球種を覚えさせるつもりである。

 高速スライダーとも言われるスイーパーか、あるいはスプリットか。

 スプリットは右でならば投げているので、左でもすぐに身につきそうだが。


 この冬の間にどれだけ伸ばすかで、昇馬の怪物っぷりはさらに完成形に近づくだろう。

 結果的に負けた試合はあっても、昇馬が底を見せた試合はない。

 単純な速いだけの球を、司朗はやや苦手としている。

 コントロールされたスピードボールなら、むしろアウトローでもスタンドに運ぶのだが。


 長打力もかなり高くなっている。

 身内の話では、何番打者で使われるか、それが話題にもなっているのだ。

 長打力だけなら、クリーンナップ。

 走力を考えれば、一番バッター。

 しかし総合的に見れば、二番が一番いいと思うのは、MLB経験者である。


 俊足の強打者がいれば、二番に置くのが一番いいと、統計的に出ているのだ。

 だからこそライガースも、大介を二番に置くようになった。

 MLB時代も一番か二番が、大介の指定席であった。

 しかしやがて盗塁が減れば、四番を打つことになるかもしれない。

 その前に打率や長打率が落ちるだろうが。




 一番いいバッターは、一番打席が回ってくる打順にする。

 あまりに鈍足であれば、さすがにそれは避けるべきだが。

 MLBはしっかりと統計で、足の遅いスラッガーを、どこに置くかもデータ化したのだ。

 するとやはり、四番か五番ということになってくる。

 しかし二番でも悪くはない、という数字になってくるのだ。


 右からのピッチングは、スリークォーターだけではなくサイドスローも、それなりに軌道を見せた直史である。

 ただこのフォームだと、球速は5km/h以上落ちる。

 しかし最近はアンダースローもサイドスローも、減っている傾向はある。

 理由としてはサイドスローは、肘への負担が大きく、球速も出にくいということ。

 また落ちる球を投げにくいから、ということも言われている。


 最適解は、人体の構造的にあるのであろう。

 しかし誰もがそれを求めたら、野球が単純になってしまう。

 単純化して出力の変化になったら、さらに単純になる。

 そこに複雑なピッチャーを放り込めば、単純なバッターはいくらでも打ち取れるだろう。

 現在の直史の成績は、ひょっとしたら昭和のNPBでは、達成出来なかったものかもしれない。


 当たり前だがピッチャーは、ストライクを確実に取るコントロールを付けるため、フォームを固める。

 だが直史のフォームは固まっていない。

 プレートの位置にしろ、真ん中だけを使うわけではない。

 なので一人でありながら、複数人分のボールを、投げることが出来るわけだ。


 バッティングとはタイミングである。

 司朗はようやく、なぜ直史が打たれないのか、その理由が分かってきた。

 そしてなぜ、こういったバッティングピッチャーをしてもらった時は、それなりに打てるのかも。

 直史はフォームを複数人分持っているわけではない。

 いや、それもそうだが、タイミングを複数人分持っているのだ。

 緩急を使ってタイミングを外すという、単純な話ではないのだ。

 フォームの段階から、タイミングが違ってきている。


 タイミングを外すからこそ、当たっても強い打球にならない。

 だから内野の処理する打球が楽になり、それだけ三振なしでノーヒットノーランが出来る。

 ボールゾーンに投げることなく、相手のスイングフォームを崩すことが出来る。

 逆に言えばバッターとしては、さっさとピッチャーのタイミングに合わせればいいのだ。

 ピッチャーもバッターも、天敵と言うぐらいに、対戦成績の悪い相手がいる。

 それもこのタイミングの、取り方の問題であるのだろう。


 守備の練習などは、さすがに学校のグラウンドで行う。

 だがウエイトや走塁、そして何より対戦するピッチャーの攻略。

 次の世代へ直史は、もうつないでいくつもりなのだ。

 ピッチャーからピッチャーへではなく、ピッチャーからバッターへ。

 本能的な昇馬よりは、感覚的な司朗の方が、まだしもこの遺産を受け取ってくれるだろう。

 なお父親である武史は、球速に慣れさせる以外、ほとんど何も伝えることはないようであった。

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