第104話 群雄
白富東が神宮大会を制して、この年の高校野球は終わった。
だがあまりにも圧倒的なその試合内容に、全国各地の強豪は、打倒白石を掲げて練習に励む。
この冬の間が、重点的にトレーニングが出来る、高校最後のチャンスである。
春以降は基本的に、どんどんと試合をしていく。
もちろんその選手による、肉体の成長の差はあるのだが。
センバツの優勝候補として挙げられるのは、やはり桜印である。
あくまでも対抗であって、本命ではないが。
昇馬が高校野球にデビューして以来、負けたのは桜印と帝都一のみ。
そして帝都一は主力がもう入れ替わっている。
桜印は今年が、将典に合わせて集めた戦力が、最大化する最終学年。
正確には秋からもうそのチームであったのだが、冬の間に最大限それを伸ばす。
下級生に加えて入学予定の新入生にも、かなりの期待株が存在する。
群雄割拠の神奈川県で、ここ最近は一歩頭が出ている。
同じ年代で他のチームに入った選手には、甲子園が遠いであろう。
もっともセンバツには、出場出来る可能性がある。
関東大会のベスト8には、東名大相模原が残っていた。
今年は関東代表の白富東が神宮大会で優勝したため、関東からは6チームが選出される可能性が高い。
東北以北のチームでは、神宮大会で決勝まで残った青森明星と、岩手の花巻平が有力である。
スケールの大きな選手が、青森明星の中浦に、花巻平の獅子堂がいる。
二人とも一年の夏から、既にエース格として扱われてきた。
しかし成長痛などもあって、無理をさせてこなかったという、そんな部分もあるのだ。
現時点では昇馬が上だと、誰もが認めている。
高校生の時点で、上杉クラスというのは衆論が一致している。
むしろ冷静に見れば、それ以上であるかもしれない。
ただ上杉には一年生の時には、ここまで頼れる仲間がいなかった。
純粋に高校野球の歴史を見て、昇馬以上の実績を残している選手は、少なくとも二年の夏の時点までを見ては、一人もいない。
白富東は過去にも栄光の時代があったが、あれはレジェンドが複数いたからである。
そして今の白富東は、確かに昇馬の投打の力は、圧倒的なものがある。
ピッチャーとして投げれば、いまだに自責点はなし。
バッターとしては公式戦のみに限っても、50本以上のホームランを打っている。
高校通算本塁打ほど、当てにならないものはないという。
だが甲子園に限ったとしても、その本数は二年の夏が終わった時点で11本となっている。
プロに行ったレベルのピッチャーからでも、普通に何本も打っているのだ。
昇馬の体格を見て、あれは早熟だったのだ、などと自分を慰めようとする指揮官もいる。
しかし昇馬はあの肉体を、特にウエイトトレーニングなどをして、鍛えたわけではないのだ。
自然の中の動きで、あれだけの肉体が必要になった。
大量に食べて、大量に身につける。
スポーツと言うよりは、大自然の中で、あれだけの肉体を必要としたのだ。
この先もっと力が必要となれば、さらに成長するかもしれない。
北信越地方では、上田学院が覇権を握っている。
あの真田の兄であり、致命的な若年期の故障がなければ、あるいは弟以上になったのでは、と言われた男。
その息子が君臨し、去年の神宮では桜印と決勝を争った。
こちらもまたセンバツから、夏の三年連続出場を狙う。
近畿地方は群雄割拠だ。
秋の近畿大会こそ、大阪光陰が制している。
しかしそもそも近畿地方はセンバツの枠も一番多い地方である。
大阪光陰は神宮にも出場したので、間違いなくセンバツにも選ばれるだろう。
他にも有力校が多いのが、近畿地区の特徴である。
もっとも奈良などは、ほとんど二強になっていたりもする。
ただ今年は大阪から、二校が選ばれるかもしれない。
兵庫県には西の真田がいる。
東の真田とは従兄弟関係にあり、そして父親が元プロ。
白富東をあれだけ苦しめたが、父親は息子たちにそれほど、野球を勧めたわけではない。
だが子供の頃に見た、父の投げる姿は印象的であったのだ。
ここまで三季連続で、甲子園には出場している。
もっとも一年の夏は、昇馬の前にパーフェクトで負けていたが。
古豪と呼ばれていたチームが、強くなったのはその元プロの父親による、コーチが大きな役割を果たした。
ただ息子たちには、自分ほどの圧倒的な才能はない、と判断している。
それでも楽しく、そして勝利を目指すのを、止めようと思ったことはない。
サウスポーのサイドスローで、兵庫県大会を制した。
おそらく次のセンバツも、また選ばれることだろう。
中国四国地方では、やはり瑞雲の評判が高い。
高知は一強と呼ばれていた時期が長かったが、瑞雲の登場により二強状態となった。
甲子園を制したこともあり、そこに入ってきたのが中浜である。
元はアメリカ育ちであり、そこで日本の甲子園にハマってしまった。
ハイスクールの大会に、どうしてあそこまでの熱狂があるのか。
ワールドシリーズより過激な、アマチュアの世界。
そこで三年間ちゃんとプレイするため、調整して日本に留学してきた日系である。
神宮大会でも準決勝まで進出し、2m同士の投げあいとなった。
四国からはこの瑞雲がまず登場する。
あとは四国大会の結果からすると、愛媛から選ばれそうな感じである。
九州はやはりこれまた、尚明福岡であろう。
風見というスラッガーを抱えているが、運の悪いチームでもある。
甲子園では白富東と三度当たって、一点も取れていない。
神宮大会でも完全に封じられたが、強豪区福岡においては、頭一つ抜けている強さなのだ。
だが風見は、昇馬からまともに打てていない。
どのチームにも共通しているのは、昇馬を攻略しよう、という心である。
高校入学以来、公式戦では無敗。
それどころか公式戦ではホームランも打たれておらず、それ以前の問題として無失点である。
一年の夏にノーヒットノーランとパーフェクトを達成し、二年の春にも一回ずつ。
二年の夏にもパーフェクト一回と、完全にこういう記録では、上杉も直史も超えている。
直史と違って、多くの試合を一人で投げ抜いているのに。
実質無敗と言ってもいい、この怪物ピッチャー。
左右両方の手から投げられるので、投げすぎでの故障の心配が少ない。
バッティングもホームランを打ち続けて、これまた父親の血統を感じさせる。
そして母親の方からも、ピッチャーの血統を感じさせるのだ。
実の母は六大学野球で、男子に混じって主力となっていた。
その活動期間は短かったが、活躍は派手であった。
母方の伯父には、日本最強の本格派と技巧派のピッチャーがいる。
技巧派と言うよりは、もう得体の知れないなんだか、とも呼ばれているが。
昇馬の恐ろしいところは、関東大会と神宮大会で、本格的に両手投げを試してきたことにある。
実質二人の怪物投手を、攻略して行く必要があるからだ。
ピッチャーは立ち上がりが悪い者を除けば、初回から徐々にパワーは落ちていく。
上手くペース配分していっても、目だって落ち始めるのが七回ぐらい、100球ほどからと言われる。
だがそれはバッターの方も、ピッチャーの球に慣れて来るからだという理由もある。
昇馬は左では、ストレートの他にツーシーム、チェンジアップ、スラーブ、カーブが球種である。
対して右ではクセ球のストレートに、チェンジアップ、そして左では投げていないスプリットを投げてきた。
一打席の間にピッチャーは、投げる手を変えることが出来ない。
それでも前の打席が参考にならないと、打つのは難しくなってくる。
左はキャッチャーの構えた位置に、しっかりと入ってくるコントロール。
右はゾーン内に散らばるため、逆に狙いを絞りにくいし、手元で動いたりもする。
どちらも球速のMAXは165km/hほど。
完全に両利きのピッチャーであり、まるで打てそうにないスペックである。
これを攻略するにはどうすればいいのか。
正直なところ、ほとんどのチームはお手上げである。
まず160km/hオーバーのボールを、打てるバッターがほとんどいない。
甲子園や神宮で、まともにヒットを打てたのは、司朗の他に数人だけである。
フルスイングでは当てることが出来ず、ミートに徹しないといけない。
そしてシングルであっても、昇馬からの連打は期待できない。
このピッチャーから点を取る。
ほとんど不可能な気もするが、一つの方法としては桜印がやった作戦がある。
昇馬はともかくとして、白富東全体を見れば、弱点らしいところはちゃんとあるのだ。
それはバッティングのレベルが、主力とそれ以外とで大きく違う点だ。
昇馬にアルト、そして和真とつながっている三番までは、誰もが甲子園でホームランを打っている。
またキャッチャーだから九番に入っている真琴も、長打力がある。
しかし四番から八番までは、かなり劣るバッティングである。
三番までのバッティングで心が折れなければ、かなり抑えていける程度だ。
桜印は将典と二番手を上手く交代させることで、エースの消耗を防いだ。
白富東もアルトに真琴と、全国レベルでそれなりに投げられるピッチャーがいる。
しかし下手にエースが絶対的であるがゆえに、僅差のリードでも後退する選択が難しいのだ。
つまり白富東のバッティングを抑えて得点を許さず、こちらはピッチャーを入れ替えて失点を防ぐ。
その間に延長にでも持ち込んで、どうにかスタミナを削っていく。
これが有効な作戦である、と当初は思われた。
左右両投げを全国レベルの試合で、実際にやってくるまでは。
幸いなことに今の球数制限のルールは、左右両投げについての記述がない。
つまりせっかく疲労軽減のために右を使っても、球数は変わらないのである。
このあたりはちょっと、ルールの不備と言ってもいいだろうか。
もちろんボールを投げて故障の危険が増えるのは、肘や肩だけではないのだが。
鬼塚はこの対外試合禁止期間で、主に得点力の向上を目指す。
守備力に関しては、元々センターラインが強いのだ。
注意するのは真琴が怪我でもした時、キャッチャーの代わりを作っておくぐらいか。
一応はキャッチングだけは出来るアルトより、一年生から根性のあるキャッチャーを選んでみた。
しかしどうにかキャッチングするのが精一杯で、他の技術にまでは手が回らない。
それでも外野の要のアルトを外すよりは、二番手キャッチャーとしてマシではあろう。
今度の新入生に、バッティングは全く駄目でも、キャッチャーとして優れた選手が来ないものか。
高校レベルではキャッチャーにもバッティングをかなり求められるので、そういう人材は来るかもしれない。
ただ白富東は、次にそこそこのピッチャーが来なければ、またしばらく県内ベスト8近辺をうろちょろすることになるだろう。
それでも千葉のチーム数を考えれば、充分に強いと言えるだろうが。
鬼塚は少なくとも、五年はこのチームを率いるつもりでいる。
昇馬の活躍で入ってきた生徒が、卒業するまでの期間である。
だが昇馬の力は、かつての上杉のように、圧倒的過ぎた。
これに匹敵するのは、かつての春日山の動向であろう。
上杉卒業後も、その弟の正也と樋口がいる間は甲子園に出場していた。
しかしこの二人が卒業後は、公立校としては強い、という程度に落ちたのである。
当たり前のことである。
NPBのオールスターに、何度も呼ばれるような二人であったのだ。
白富東がSS世代の後にも、かなり長く強かったのは、セイバーが体育科や設備を整えて、指導者も有能であったからだ。
国立や星あたりがまた、ローテーションで白富東の教師になれば、それに合わせて鬼塚は勇退するだろう。
そしてまたどこかで、指導者をすることになる。
県内の強豪を、あえて率いてみるのも面白いかもしれない。
シニア時代から鬼塚は、微妙な戦力のチームに入っていった。
もっとも白富東は、鬼塚が入学してからは、一年の夏に甲子園の決勝で負けたものの、そこから四連覇を果たしている。
今の鬼塚が考えているのは、甲子園の夏春夏の三連覇。
それと同時に、夏の三連覇である。
過去を見てもこれを達成したチームは、片手で数えられるほどしかない。
夏の三連覇は白富東の黄金時代でも、達成できていないのだ。
昇馬が果たして何を考えているのか、鬼塚としては分からない。
ただプロの世界を真っ直ぐ目指しているとは、ちょっと思えないのである。
しかしそのフィジカルスペックは、上杉や大介にも近しいものがある。
ピッチャーとバッターで、パワーを両方発揮しているのだ。
本人がどう思っているから分からないが、12球団全てが欲しがるような、そんな実績を残してやるべきだ。
元プロの鬼塚の目から見ても、昇馬はそれぐらいの存在であるのだ。
身内にはむしろ言えないかな、と鬼塚は個別ミーティングで昇馬の希望を聞いた。
何度かこういうことは行っているが、春から夏にかけては、もう最後の追い込みである。
「プロねえ……」
そもそも昇馬はプロの世界自体には、それほどの興味はない。
このあたりの感覚は、あまり父親には似なかった。
むしろ伯父たちに似ていると言っていいだろう。
ワールドカップで各国のチームと対戦した。
そして打てないと感じたピッチャーはいなかったし、抑えられないと感じたバッターもいなかった。
むしろ司朗や将典の方が、手強かったという印象が強い。
ただしMLBにまで行くと、その各国のトップが、揃っているというわけである。
しかしそのMLBであっても、果たしてどれだけ昇馬を楽しませてくれるのか。
父や伯父たちの残した実績から、おおよそ実力を類推する。
またアメリカにいた頃も、そこまでとんでもない選手は、いなかったと言っていい。
むしろMLBのスカウトが、そのままアメリカの高校から大学に奨学金で進み、MLBに入ってくれと説得しにきたぐらいだ。
日本と違ってアメリカは、MLBとの契約金の上限が、安いものではないのだ。
昇馬は今の時代には、生きにくい価値観を持っているような気がする。
だが別に殺し合いを好むほど、闘争本能に支配されているわけでもない。
また将来についても、自分で自分の食い扶持を稼ぐことは、考えているのだ。
「俺は高卒からプロになったけど、その力を活かすならやっぱり、最終的にはMLBを目指すべきだろうな」
直史や大介も、遠からず引退するだろう。
戦う価値のある相手が、それほどいるとは思えない。
ただ司朗は、やはりMLBには行くのだろうが。
昇馬が興味を示すのは、むしろ狩猟などといったものや、山林の管理である。
このあたりは本当に、個人の嗜好が強いのだ。
ただ鬼塚としては、昇馬が直史の築いた千葉の土地を、そのまま受け継ぐのも違うと思う。
「MLBで30歳ぐらいまで活躍して、ものすごい金を手に入れたらどうだ?」
金に執着しない昇馬だが、それは金に困ったことがないからだ。
しかし大きな事業をなそうとしたら、やはり大金が必要になる。
その時に親や親戚の金に頼るということ。
別にそれを恥じる、ということは考えない昇馬である。
大介は確かにMLBの活躍で、大金を稼いだ。
年俸だけでも巨額であるが、さらにスポンサー料なども莫大であったのだ。
しかしそれらの資金を運用し、倍以上にしたのは母たちの力である。
金には特に興味を示さない。
恵まれているがゆえに、野球でアメリカンドリームを掴もうとも思わない。
本当に鬼塚から見ても、昇馬の考えの底は分からない。
昇馬としては、そこまで難しいことを考えているわけではないのだ。
世界がどれだけ広いのか、もっと見てみたい。
自分だどれだけやれるのか、それも試してみたい。
それを野球という場所に収めてしまうのが、なんとも満足出来ないだけで。
そもそも高校生の時点で、それが全て決まっている人間など、まだ少ないだろう。
しかしプロを目指すなら、もうこの時点で考えないといけない。
ただ人間には、モラトリアムの期間が許されている。
「高みを目指すなら、もう今からプロに行ってもいいだろうけどな」
昇馬の体力はプロの世界を知る鬼塚でも、充分なものだと分かっている。
この一人の少年の判断は、今後10年のNPBを左右するかもしれないと、鬼塚は考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます