第101話 冬の訪れる前に
12月に入ると、野球部は対外試合禁止期間となる。
紅白戦などは問題なく行えるのだが、この期間を集中的に、トレーニングにあてるチームは多い。
東北や北信越、そして北海道などはグラウンドが使えなくなったりもする。
また寒い時期は体が硬くなり、故障しやすいということもあるのだ。
だがそれはあくまでも、野球だけに限った話。
たとえばアメリカ四大スポーツであれば、NHLは冬場が完全にシーズンである。
またNBAも秋から始まって、盛夏までには終わる。
日本でもシーズンかどうかはともかく、サッカーは天皇杯決勝が元旦に行われる。
そんなわけで昇馬は神宮大会終了後、バスケ部に混ざって蹂躙していたりするのだが。
一般の公立高校のバスケ部には、普通195cmのセンターはいない。
さらに言えば昇馬の動きなどは、センターよりはフォワードである。
もっともこの区分けは、本場のNBAではなくなりつつあるが。
大きいのに外からシュートするのが上手い。
それはピッチングとジャンプショットの、指先の使い方が似ているからだ。
そもそも昔からビッグマンでも、外のシュートが上手い選手はいたものだ。
今では大きくても、外から打てない選手は、使うのが難しくなっている。
なおNBAに行けば、195cmは普通にいくらでもいる身長である。
昇馬は確かに、筋量が多い。
だがスピードが出るのは、単純にそれだけが理由ではない。
体の構造を理解して、バネでスピードを上げている。
またウイングスパンも長いため、よりピッチングのアーチは大きな距離を稼ぎやすい。
バネがある上に、助走の距離も長い。
その複合が上手くいっているのが、昇馬のピッチングなのである。
アルトと一緒に長身を活かして、現役の部員を圧倒する。
白富東は昔、バスケ部も強かった時代があったのだが、それはほんの一時期である。
全国大会一歩手前まで行ったのだが、その一歩が足らなかった。
たったの五人でするスポーツなので、一人あたりの貢献度が高くなる。
それは逆に言えば、エースが一人離脱すると、圧倒的に弱くなるということでもある。
それなりに強豪ではあったサンアントニオ・スパーズが、主力のデビッド・ロビンソンが大きく欠場したシーズンのドラフトで、ティム・ダンカンを獲得できたことにより、優勝を狙えるようになったのがいい例だ。
もっともNBAはもう、MLB以上に選手の入れ替わりがぐちゃぐちゃになっている。
選手一人あたりの強さが影響するのだから、その代理人の力も強くなる。
選手主導でトレードなどがあったりして、強豪チームが出来上がったりする。
それでもある程度、強いチームは集中しているのだが。
「NBAは3ポイントが打てないと、俺のサイズだと通用しないからなあ」
野球にもトレンドがあるように、バスケにもトレンドがある。
バスケの中でもNBAは、特に見ている側が楽しめるように、色々と細かいルール変更がそれなりにあるのだ。
ゾーンディフェンスの禁止や、オフェンシブファウルの変更など、色々とあるものだ。
また一人のプレイヤーによって、ルールが変わってしまうこともある。
今の外から打つのが主体のプレイスタイルも、3ポイントの記録を更新するプレイヤーが登場し、変わったところがある。
またマイケル・ジョーダンがなかなか優勝出来なかったのには、ディフェンス主体の時代があったものだ。
最初に復帰したシーズンも、戦力が整わずに負けている。
アメリカでは一番の人気となると、NFLという時代があった。
アメリカン・フットボールである。
ただ一番どこでも行われているとなると、今はバスケットボールになるのか。
もっともNBAのプレイヤーの選手寿命は、MLBよりも短いという記録が残っている。
なおNFLはそのNBAより、さらに選手寿命が短い。
メジャーで五年間プレイすれば、年金が出るというのは伊達ではないのだ。
多くのプレイヤーがせっかくメジャーに上がっても、一年や二年で壊れてしまうことがある。
それだけ耐久力が必要な世界なのだ。
ピッチャーなどは特に、一年か二年だけサイ・ヤング賞の票が入るほど活躍しても、ポストシーズンで壊れる場合が多い。
ピッチャーを壊してでも、ワールドチャンピオンを取りに行く。
メジャーの価値観というのはそういうものであるらしい。
昇馬の耐久力は、メジャー仕様になりつつある。
少なくとも高校レベルでは、体力で圧倒的なアドバンテージを誇る。
帝都一に負けた試合、球数制限で降板したものの、ピッチング内容は全く低下していなかった。
この冬の間に、さらにパワーをつけるべきか。
自主練の期間の昇馬は、野球の練習というのはあまりしない。
だが全身でやるスポーツは、しっかりと行っていたりする。
アマチュアとプロの一番の違いは、基礎体力であると言われる。
昇馬がその基礎体力を鍛えるのは、主に山歩きになるのだ。
千葉県は11月の半ばに、狩猟期間に入っている。
そのため昇馬は免許を持った農家の人間と共に、罠を設置しにいく。
このあたりはやはり、鹿の繁殖が目立っている。
かつては上手く数を減らせていたのだが、今は上手くいっていない。
ニホンオオカミが絶滅したというのもあるし、後は林業の壊滅もある。
また純粋に狩猟をする人間が、減ってしまったというのもあるだろう。
昇馬も来年には、やっと狩猟免許が取れる。
早く猟銃の免許も取りたいのだが、それは20歳にならないといけない。
罠猟であっても結局、最後には自分でとどめを刺すことになる。
それに関してはもう、慣れてしまっている昇馬である。
山道を歩き、獣道を歩く。
罠にかかった獲物にとどめをさし、水場で解体をする。
出来ればここで水につけて、温度をしっかりと下げる。
ここで寄生虫なども、上手く殺せればいいのであるが。
実際は冷凍して殺さなければいけないし、冷凍してもまだ完全ではない。
生のレバーで寄生虫にやられるのは、割と最近でもあることである。
もっとも魚の寄生虫は、冷凍でおおよそ殺しているのだが。
鹿はいくら冷凍しても、寄生虫が多い。
ダニなどもいるため、そちらでアレルギーを発症したりもする。
しっかりとした解体の手順で解体しなければ、流通に乗せることは出来ない。
そもそもジビエ料理というのは、安定した供給が難しいのだ。
だからこそ管理出来る畜産は、安全で安価で、安定したものとなる。
かつては熊を一頭しとめれば、会社員の月収の何倍にもなっていたという。
だがそれも、戦前の話である。
熊は生薬の原料として、非常に重用されていた時代だ。
だが化学繊維に薬品の発達など、マタギはもう今では成立しない職業となっている。
平安時代の頃からずっと、戦前まで続いていた職業であるのにだ。
銃のない時代からあった職業。
それが消えていくというのは悲しいことなのだろう。
千葉には今は熊の被害はないが、鹿被害は多い。
昇馬がこうやって駆除をしていられるのは、彼がまだ大人ではないからだ。
本当の職業としては、狩猟では生活出来ない。
北海道なら熊や鹿を、それなりの数しとめる人間もいる。
だがそれもあくまで副業であるのだ。
熊や鹿の被害が大きいので、かなり専門的に狩猟をする人間もいる。
しかしそれも農家の副業であったりして、完全に専業という者はいない。
猟友会などというのもあるが、これも本業がある人間が入っている。
東北地方なども、山の管理が出来ておらず、人里に熊が下りてくることがある。
そのたびに色々と問題になるが、昇馬はアメリカに比べて日本の法律が、銃の扱いに過敏すぎると思っている。
もちろんそれは、銃があって当たり前のアメリカで育った、昇馬の考えである。
銃口を一度向けられたら、その怖さは分かる。
だが逆に一発でも打たれたら、拳銃は案外当たらないとも、分かるようになるのだ。
母の一方は打たれて、今もまだ片足が踏ん張ることが出来ない。
銃はどんな武術の達人でも、急所に当たったら一発で死ぬ武器だ。
もっともそれだけに、公平な武器とも言えるだろう。
抑止力としては、確かに効果的なものだ。
だが暴力としても、強烈なものであるのは確かだが。
アメリカでは民間人が、強盗などを射殺して助かるケースがそれなりに多い。
しかし日本においては銃の所持が許されても、正当防衛がなかなか成り立つことは少ないだろう。
昇馬が持っている武器は、バールと投石器である。
刃物は鉈を持っているが、これで戦うつもりはない。
基本的には既に罠にかかっている獲物を殺すのには、槍などがいい。
そして槍は山の中なら、即席である程度は作れる。
鉈を持っているのはそのためである。
山を歩くのは、基礎体力の向上のため。
もちろん第一には趣味だが、これはいいことなのだ。
整備された平地を歩くのとは違うため、足腰への負担はかかりやすい。
ただしその均されていない地面を歩くことが、足首や膝を柔らかくする。
アスファルトやコンクリートを走るのとは、また違った負荷がかかるのである。
それによって足腰を鍛える。
本日は昇馬に、同行者がいる。
NPBのシーズンも終わった直史である。
自分の家の山や、法人として所有している山。
そこを歩き回るのは、現状を把握するためである。
山を動き回ることは、それなりに重要なことである。
今の千葉県は南部で、鹿の仲間であるキョンが大繁殖している。
肉の取れる量は少ないが、その分高級食材であるキョン。
かつては人間の施設で飼育されていて、それが逃げ出して繁殖したものだ。
ならばもう一度、畜産に戻すこともありだろう。
可食部が少なくても、それを承知で食肉にするなら、採算が取れるように計算しなければいけないが。
熊に比べたら鹿というのは、確かに危険ではない。
もっとも程度問題の話であり、戦えば普通に人間よりも強い。
昇馬ぐらいのパワーがあれば、普通の鹿なら勝てるのかもしれないが。
直史の実家の周辺の野生生物は、かなり駆除が進んでいる。
狩猟をするのにしっかり、予算をつけているからだ。
ただこれが単独の農家であると、難しいものであったろう。
今でも普通に、狩猟免許を取っている農家はいるのだが。
人間にとっての危険度では、確かに熊には及ばない鹿。
だが生態系の破壊、農作物への被害という点では、鹿も相当に厄介なのだ。
柵やネットによって、相当の被害を抑えることは出来る。
もっともそれを維持するだけでも、ランニングコストがかかるのだが。
農作物だけではなく、山の問題もある。
鹿は食料が減ってくると、木々の皮などを食べてしまうのだ。
それで木々が枯れてしまうこともあるため、山林が荒れる原因となる。
もっとも適度にいるのならば、間伐の役に立ったりもする。
とりあえず鹿でも猪でも、人間に手を出すのは危険だと、思い知らさなければいけないのだ。
人の世界と獣の世界は交わるところを、適切にしておくべきだ。
農業などをやっていると、それをはっきりと感じる。
昔から農家の獣被害に関しては、色々と予算が組まれている。
通常はそれを使うが、それでは追いつかないときは、法人の資金から出していくのである。
地方に産業をしっかりと作る。
特に食料に関しては、重要なポイントなのだ。
日本は本来、海によって他国と隔てられているため、食料自給率は高くしないといけない。
だが政治的な交渉により、他国に依存してしまっている。
もっとも漁業に関しては、日本は相当に有利ではあるが。
水産資源は完全な管理が出来ないため、農業もやはり重要なのだ。
政治家とつながっているのは、個人としては強い。
子供同士はライバルになっていたりするが、親同士では普通に協力している。
上杉もそうであったが直史も、千葉の厄介な代議士を落とすのに、丁度いい存在であるのだ。
もっとも直史はまだ、政治の世界に行こうとは思わない。
権力サイドにいることに、否定的な感情がある。
これは直史が弁護士という、司法の側の人間であるからだろうか。
政治家は基本的に、立法や行政の人間であるのだ。
昇馬は身体能力が高いのではなく、生物として強い。
直史は甥の動きを見ていて、そう感じている。
もちろん身体能力の高さも、人間の限界にかなり近いだろう。
だが罠にかかった獲物を、平気で殺せるあたりは、精神が強いというか防御向きだ。
野生動物相手に戸惑ったら、すぐに殺されることもあるからだ。
実際に猪などは、腰までの大きさもなくても、その突進だけで人を殺せる。
鹿にしてもその角で、人を殺すことは出来るのだ。
奈良の鹿というのは、完全に人間に慣れた、特異種であると言っていい。
基本的に野生動物は、害獣であるなら始末の一択。
ただ数と個体によっては、眠らせてからGPSをつけて、もっと山の深いところで放獣することもあるが。
落ち葉が多くなって、既に冬の気配が迫っている。
あちらこちらと歩いたが、やはり昇馬の基礎体力は脅威であった。
直史も山歩きは慣れているが、それでもやはり体力が違うのか。
もっとも昇馬のように、筋肉がしっかりとある場合は、その分の重さで長距離移動が苦手であったりもするのだが。
水辺で二人は、色々と話し合った。
昇馬は日常の話をして、特に弟妹の話をする。
その中では百合花が、最近では直史に絡んでくることが多い。
この冬場に直史がオフになって、彼女は一緒にゴルフのコースを回ろうと言っているのだ。
昇馬はゴルフ場というものには、本能的な拒否感があるらしい。
アメリカなどはゴルフ大国で、世界一のゴルフ場の数を誇っているのだが。
あれは人造の自然である。
いくらコース内の池でワニが泳いでいようが、本当の自然ではない。
おそらくあるがままの自然と言われる、全英オープンのコースであっても、昇馬は同じように感じることだろう。
もちろんそれは個人的な感触であり、妹がゴルフをやっても止める気などはないが。
直史が聞きたいのは、昇馬の将来である。
もちろんそんなことは、両親が心配することだ。
しかし大介は楽天的な性格であるし、ツインズは世の中をどうにでもなるものだと思っている。
だから直史としては、親戚筋の長として、それを知りたいのだ。
また助言をするぐらいには、色々な経験をしている。
昇馬の求めているものはなんなのか。
その望みについても、直史はケチをつけることはしない。
単純な社会的な成功ならば、野球をすればいいだろうと思う。
少なくともそのルートならば、自分はいくらでも助言が出来るし、便宜を払うことも出来る。
ただかつて白富東には、絶対にプロでも成功しそうな素質を持ちながら、他の道を選んだ後輩もいた。
そういうことを考えれば、プロ野球というのは別に、誰もが選ぶべき進路ではない。
当の直史が、プロの世界などは選ばなかったのだ。
将来を考えるならば、大学には行っておいた方がいいかな、という程度のことは思うが。
昇馬としても何も考えていないわけではない。
だが今の自分には、まだまだ知識が足りないと思う。
そして少しだけ感じているのは、もう少し野球をやってみてもいいかなという気持ち。
ついでに自分で、充分な資金を用意したい。
親が金持ちであり、自分の充分にその恩恵を受けているが、なんでもかんでも頼るわけにはいかない。
ならば30歳ぐらいを目途に、MLBで大金を稼いだら、その後のプランを達成するのにもいいのではないか、と考えている。
直史から見ると昇馬は、自分の手がける事業のうちの一部は、任せてもいい人間だと思う。
なんなら従姉弟同士ではあるが、真琴と結婚して佐藤家の長になってくれてもいい。
もちろんそういったことは、本人同士の話ともなる。
だが昨今の社会情勢を考えれば、昇馬は単純な興行の世界より、もっと大きなことが出来そうな気もするのだ。
冬が終わり、春になれば、高校野球は最後のシーズンを迎える。
センバツに選ばれることは間違いないだろうし、その後には最後の夏が待っている。
ただここまでの試合の中で、昇馬を個人的に苦戦させる相手は、一人もいなかった。
野球に対して昇馬は、挫折というものをしていない。
強いて言うなら大介には、投げてもあっさりと打たれてしまうが。
本気の大介と公式戦で戦うなら、その衰えを迎える前に戦わなくてはいけない。
その時間はおそらく、もうほんのわずかしか残っていないと、直史は考えていた。
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