第100話 最終戦
神宮大会決勝戦。
前日に継投はしたものの、結局はタイブレークで投げざるをえなかった、青森明星の中浦。
対して昇馬は左右の両手を使うというピッチングで、肩肘の疲労は防いでいた。
(もっともここで勝っても、あんまり意味はないんだろうけどな)
瑞雲は最後に、エースを戻さなかった。
戻していたら勝敗は、まだ分からなかっただろう。
青森明星はエースを戻し勝ったが、かなりの負担があったはずだ。
いくら全国大会とは言え、無理をして勝ちに来る可能性は低い。
神宮大会に進出した時点で、センバツの出場は決定しているようなものだ。
ここでも勝つということに、果たしてどれだけの意味があるのか。
鬼塚はもちろん勝つつもりではあり、そのために昇馬に無茶をさせた。
そんな無茶をした上でも、まだ充分に回復しているのが昇馬であるが。
青森からやってきた青森明星と違い、白富東の選手たちは、当日にマイクロバスでの移動が可能である。
ただベンチメンバー以外は、応援にも電車を使ってもらう。
他の一般の応援は、生徒たちは来れない者が多い。
決勝が祝日であるだけに、部員以外の応援も来れなくはない。
だが神宮大会というのは、マイナーと思われているのか、OBや父兄ぐらいしか応援に来ていない。
青森明星などはベンチメンバーは宿泊施設に泊まったらしいが、応援メンバーは都内のお寺などに世話になったという。
部活で合宿をする場合など、確かに各地の寺を頼んだりすることはある。
だが寝る場所だけは確保しても、あとは全て自分たちで用意する必要があるらしい。
東京でもこれなのだから、甲子園ともなればさらに大変であるのだろう。
応援の少なさが、北海道や東北の県が、なかなか優勝できない理由とは言われている。
もっともそれを言うなら、九州ももっと弱くてもいいとは思うが。
甲子園というか関西の人間は、東日本よりも西日本を、応援する傾向がある。
実際のところは九州の人間が都会を目指す場合、東京まで行くより大阪で、就職したりすることが多いからであろうか。
しかしながら近畿でも滋賀県は、まだ甲子園で優勝したことがない。
このあたりの理由というのも、近畿であれば大阪や京都に、選手が取られやすいということなのだろうか。
色々と理由は付けられるが、確定的なものはない。
この神宮大会では、意外と言ってはなんだが、東北地方のチームがそれなりに優勝している。
だがこの決勝においては、優勝はおそらくこちらだろうな、と多くの観客が期待している。
千葉県のチームであるが、そちらにまで見に行ったり、あるいは甲子園まで見に行ったりするのは、ちょっと難しいと考える関東の高校野球ファン。
祝日開催ということもあるが、神宮はほぼ満席となっていた。
ただし隣県のチームではあるが、白富東が一方的に応援されるわけではない。
なお青森明星には、全国各地から選手が集まっており、一応は東北主体ではあるが、関東や中部、そして近畿の出身選手もいる。
私立のチームというのは、とにかくあちこちから選手を引っ張ってくるものなのだ。
白富東にしても、海外からの留学生を戦力に入れているあたり、あまりどうこうは言えないが。
試合開始の前に、スターティングメンバーを確認する。
白富東も青森明星も、特に変わったところはない。
青森明星は果たして、エース中浦をいきなり出してくるかが疑問だったが、最初から登板してきている。
昨日は延長まで投げたのだから、休ませても無理はないだろうに。
それはそうなのだが、あちらも休ませるのに理由は必要だろう。
白富東は先攻を取り、まずはエースと主砲の対決である。
(ビデオでは何度も見たけど、果たして実際はどんなものか)
鬼塚はそう考えていたのだが、昇馬は初球から打っていった。
アウトローのボールを強く、最後まで押し込んだ打球。
バックスクリーンを直撃する、先頭打者ホームラン。
やはり今日も、一番打者の役目を果たすつもりはないらしい。
とりあえずといった感じで、いきなり先制打。
初球狙いというのは本当に、ピッチャーから見ても嫌なものであろう。
自分もピッチャーであるから、そういう心理が分かったのか。
確かに中浦はその試合の初球に、ストレートで甘い球から入る傾向がある。
だが今の球は、それほど甘くもなかったと思うのだ。
この一回の表から、白富東は動いていく。
中浦はアルトは抑えたが、和真にはまたクリーンヒットを打たれてしまった。
まだ一年生だから、と甘く見ていたところがあったのだろうか。
甲子園でもホームランを打っているのだから、甘く見ていい要素などはなかったであろうに。
ただ中浦は純粋に、今日は調子が悪い。
2mもあるその長身は、いまだに充分な筋肉の鎧が備わっていないのだ。
中学時代から高校二年の春あたりまでは、まだ成長痛が収まっていなかった。
それでも投げれば140km/h台の後半から、150km/hが出てしまうのだ。
怪物とは地元でも言われたが、強烈な勧誘というほどのものはなかった。
なにしろこの世代には、もっと怪物と言うべきピッチャーが、何人もいるのであるから。
その怪物と、今日は初めて投げ合う。
これまでにも甲子園では、共に出場していたものだ。
しかし対戦する機会は、どうしてもなかったのである。
万全の状態というわけでもなく、準決勝でも苦労していた。
だがあちらは既に、体が完成形に近くなっている。
特別にウエイトなどをしていた、という話は聞いていいない。
だがとにかくグラウンドには出ずに、自主練をしていたとは聞いている。
その内容なども是非聞いてみたいところだが、まずはぽかりとやられた。
(獅子堂も一発打たれたんだったな)
花巻平の獅子堂は、中浦と並んで東北の二傑とも呼ばれるピッチャーだ。
秋季東北大会では、直接対決でかろうじて勝つことが出来た。
そもそも獅子堂とは共に、中学軟式時代から競ってきた関係であった。
ただ今の学年で、トップを走っているあの怪物は、シニアの最終年に突然に現れた。
それもアメリカにずっといたのだから、本当にスカウトも手出しをしていなかったのだ。
そしてその血統の通りに、まさに一人で甲子園を制覇した。
(世界は広い)
だがあれが、この世代の最強ピッチャーで、同時に最強バッターだ。
あれを倒すことが出来れば、甲子園の頂点に立てる。
そう思っていたのだが、準決勝は衝撃であった。
強打の尚明福岡相手に、右腕で6イニングも投げて、ノーヒットノーランを達成。
19個も三振を奪ったなど、中浦の調子のいい時でも、まだ出来ないことだ。
(ワールドカップのMVPか)
自分よりもおそらく、早熟ではあるのだろう。
しかしいまだに、成長曲線が止まっていないのは、自分と同じであるのだ。
少しは差は縮まっていると思いたいが、バッティングでは敵わないか。
自分は四番を打っているが、昇馬は一番を打っている。
自分自身の一発だけで、勝っている試合というのがあるのだ。
まさにワンマンチームと言うべきであろう。
(ここでそのボール、しっかりと見させてもらうぞ)
一回の裏、青森明星は無安打。
ランナーが出なくて当たり前、というのが昇馬のピッチングなのである。
先制の一発から、試合が一気に動くということはなかった。
スピードに関しては、中浦は昇馬はもちろん、将典よりも遅い。
だが長身から投げられるボールの軌道は、それだけで打ちにくいものになっている。
球速は確かに150km/hも出るのだが、安定して140km/h台の後半を維持している。
そしてカーブと二種類のスライダーを使って、こちらを打ち取ってくるのだ。
身長も高いがウイングスパンはそれ以上。
長い腕から投げられるボールには、タイミングが取りにくいのだ。
ゆったりとした動きに見えて、そこから投げられるボールのスピードとのギャップがある。
そしてそれは投げるごとに、クオリティを増していった。
ただ二回の裏、四番の中浦に対して、昇馬は右で勝負する。
160km/hオーバーのスピードだけで、あっさりと封じたのである。
右と右の勝負は、さほどどちらも有利ではない。
左バッターに対しても右バッターに対しても、サウスポーが有利な統計は出ているが。
あえて不利な右で、昇馬は勝負した。
これは今後の布石とするためのものだ。
今後白富東が、昇馬が引退するまでに負けるとしたら、それはどういう状況になるか。
圧倒的なパワーだけではなく、昇馬は安定して無失点に抑えている。
やはり昇馬が投げない場合が、白富東の攻略のチャンスである。
そして昇馬を降板させるには、球数を投げさせればいい。
怪我をさせるのは不確定であるが、これは実際に白富東が負けた例である。
どちらで投げても問題ないと思わせれば、相手は左右の昇馬の対策を考えないといけない。
ただ総合的に見れば、左右の双方に500球ずつの球数制限があるわけではない。
球数制限はただ一週間に500球とあるだけで、片方ずつに制限があるわけではないのだ。
三振を奪っていくタイプの左に、当てるぐらいなら出来る右。
これを上手く使うことによって、球数を抑えるピッチングをする。
それもあるが両方を対策させるだけの分析をさせることで、左一つに分析のソースを割くことが出来なくなる。
どちらでも投げられると思わせることは、左だけで投げる場合に、より向こうに脅威を与えることが出来るのだ。
この左右両投げが本当に生きてくるのは、球数制限のない世界に行ってからであろう。
大学野球も球数制限が出来てきているリーグがあるが、プロの世界にはない。
肩肘以外の部分も、ピッチャーは負荷がかかる。
それでもこの二箇所を守れるのならば、中三日か中四日で投げられるかもしれない。
勝率などでは直史を上回ることは無理だろう。
だが21世紀以降の勝ち星というならば、NPBであるいは、シーズン30勝も可能かもしれないのだ。
かつて昭和の中頃までは、年間30勝するピッチャーがいた。
その先発数というのは、直史よりもはるかに多いものだ。
昇馬のピッチングによって、リーグの年間42勝を、超えることが出来るかどうか。
もしも出来るとしたら、それは直史よりもさらに、チームに貢献することが出来ることになる。
上杉は超人とか鉄人と呼ばれ、直史も色々と言われたが、もし昇馬が完成形となれば、それはまさに怪物となるだろう。
そのための準備を、今の段階でやっておけばいい。
球数自体はむしろ、総合して増えている。
だが実戦の中で経験していれば、肉体への負担が軽くなると分かるだろうか。
プロの世界で使うならば、右で一試合を投げて、左で一試合を投げるということになる。
ただメジャーを参考にしてみれば、両方で120球までぐらいなら、回復も簡単になるかもしれない。
神宮大会の決勝と準決勝で、昇馬は実験をしているのだ。
正確には鬼塚が実験しているのだが、それがフィードバックされるのは昇馬である。
センバツの日程的には、やはり延長にでもならない限り、左一本で投げる方がいいだろう。
あるいは左のタイプに対策してきていれば、右を一時的に使ってもいいだろうが。
昇馬は左で、甲子園を制覇したのだ。
そもそも左の方が、左右どちらの打席のバッターに対しても、有利な数字が出ているのだ。
左は5km/h増し、などとも言われる。
もちろん体感速度が変わるわけではないが、それだけ慣れた軌道とは違う、ということだ。
試合の序盤は、昇馬はずっと右で投げ続けた。
そしてややゾーンの中で散ったストレートに、手元で曲がるクセ球。
下手をすれば160km/hオーバーのクセ球など、とても対応することが出来ない。
経験してこなかったことに対応出来るのは、そのイメージが作れる天才だけである。
五回のタイミングで、昇馬は左に切り替える。
右のストレートに比べると、左のストレートはホップ成分が高い。
すると体感速度は、5km/hどころかそれ以上も上に感じる。
そもそも165km/hというのが、高校生では体験できるものではないのだ。
同じ時代に生きたことが、不運であったと思ってしまえば、そこで試合は終了である。
だがこの試合の行方は、おおよそもう見えていた。
青森明星はかつての桜印ほどではないが、白富東の下位打線を相手に、他のピッチャーを当ててきた。
そうすることで中浦の負担を、少しでも軽くしようという考えなのだ。
しかしそれまでに、白富東は二点目を追加していた。
昇馬から二点を取るというのは、今の高校野球の打線では、かなり不可能に近いことである。
今日の昇馬は、右で投げていた間に、フォアボールを二つ出していた。
そして内野の間を抜けていったヒットが一つあり、既にノーヒットノーランもなくなっている。
しかし万全の左と違って、右で投げてそうであったのだ。
左は右から変えてから、一本のヒットも許さない。
ボールに合わせてスイングしているつもりでも、バットはその下を振っている。
地を這うように見えたボールが、ホップして高めのゾーンに入る。
もちろんこれらは、完全な目の錯覚である。
しかしそんな球はマシーンであっても、見たことがないのだ。
見えないほど速い右腕に対して、左腕であると途中でボールが消える。
そんな現象を体験すれば、戦意も衰えるというものだ。
白富東の攻撃に、青森明星は守備のエラーから、さらに二点を失った。
中浦のピッチング内容は悪いものではなく、普通に二桁の三振を奪っていたのだ。
しかし昇馬は三振を奪いにいった六回以降は、ランナーを許していない。
さすがに全打者を三振というわけにはいかなかったが、ほとんどバットに当てることさえ出来なかった。
右で投げた後に左、というのはこういう効果もあるのか。
鬼塚としてはちょっと、意外な結果だなと思ったりもしている。
下手にピッチャーが交代すると、バッターは改めてピッチャーにアジャストしていく。
しかし投げる昇馬はそのままに、投げる手を変えるだけであると、ボールの軌道が似ていても違うのだ。
ここを通るだろう、というボールがバットのはるか上を通る。
そもそも狙っていかなければ、このスピードボールは打てない。
変化球に絞ってきたと思ったら、ストレートとチェンジアップだけでその狙いを外す。
真琴のリードも堂に入ったものになってきて、昇馬の能力を充分に発揮するようになってきた。
終盤に入っても、昇馬の球威が衰えることはなかった。
何より左に変えてからは、パーフェクトピッチングなのである。
4-0のまま、試合は終了。
17奪三振で、昇馬はこの決勝も完封してしまったのであった。
神宮大会優勝。
秋のシーズンの最後の大会であり、最高学年の最初の大会。
甲子園ほどの注目はなくとも、間違いのない全国大会。
昇馬はわずか三試合で、56奪三振。
当然のように無失点で、この大会を終えたのである。
関東大会から数えても、コールドで勝った桐生学園は除いて、五試合連続完封。
その中で一番苦戦したのは、やはり桜印戦であった。
1-0というスコアで終わったのは、この試合のみである。
そしてセンバツで、またその後の春の関東大会で、その桜印とは対戦するかもしれない。
桜印も将典が入学して以来、白富東以外には負けていないのだ。
司朗のいた帝都一にも勝っているのだから、やはり高校野球はピッチャーである。
しかも継投が主流の時代に、いまだに完投する能力を持っている。
昇馬は怪物であるが、将典もまた超高校級。
この二人の対決が見られる関東大会は、やはりお得な大会であるのかもしれない。
決勝より一週間後、高校野球は対外試合禁止期間に入る。
最後の冬に、果たしてどれだけの伸び代があるのか。
この秋の時点から、春にかけてをプロのスカウトは注目する。
もっとも注目される側の昇馬は、いつも通りに近くの山へ、猪を狩りに行くのであった。
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