第98話 秋風の中で
随分と寒くなってきたな、と高校球児が思う季節。
11月の中旬に、神宮大会が始まる。
高校野球の聖地である甲子園に対し、神宮球場は学生野球の聖地とも言われる。
六大学リーグや東都大学リーグのリーグ戦が行われ、大学野球の全国大会も行われる。
プロ野球のレックスもまた、ここを本拠地としている。
高校野球では東京都大会が、準々決勝以降はこの球場で行われる。
千葉ではマリスタ、神奈川ではカナスタのように、高校生にとっても身近な球場ではあるのだ。
ただ神宮大会は、完全に土日に行われるわけではない。
そのため初戦の後には、一度戻らなければいけないのが、白富東の場合である。
「学校を休んでまで野球する意味ってあるのかね」
普通に授業を受けている昇馬などは、そんなことを言っている。
私立の強豪校であったりすると、野球以外は何もしない生徒というのも、いないわけではないのだが。
10チームで対戦するだけに、4チームは一つ多く戦う必要がある。
これは甲子園と比べても、随分と不利になる話だ。
こういったトーナメントの公平性というのは、学生スポーツではあまりないように思える。
いっそのことリーグ戦にすればいいのかもしれないが、10チームであってもその試合数は多くなりすぎるであろう。
仕方がないと言うか、やむをえないと言うか、とにかくそういうものなのだ。
そして不運なチーム同士が、一回戦を戦う。
ここで8チームに減ってからが、本格的なトーナメントの開始だ。
もっとも白富東と、その対戦相手である大阪光陰は、運のいい6チームのうちに入っていたのだ。
選手層の厚いチームが勝つ。
あるいはエースの体力が豊富である方が勝つのか。
そういう点では白富東は、圧倒的に有利であった。
エースである昇馬が、左右の両方の腕から、投げることが出来るのだから。
問題は肩肘の疲労ではなく、体力全般だ。
昇馬が五日間の間に三試合に登板し、特に後ろは連戦となる。
二日連続の試合に、果たしてコンディションを保って戦えるのか。
関東大会でも同じことをしたが、またここでも繰り返される。
言ってはなんだがここを終えれば、高校野球の公式戦で、連戦というのはほとんどなくなる。
あるいは負けるにしても、充分にシードが取れる状態で負けるか。
考えようによっては、神宮大会はあまり意味がない。
いや、この大会も全国大会ではあるのだが、意味を見出すことがあまり出来ない、ということか。
高校野球はどうしても、甲子園を基準に考えてしまう。
東京のチームであればなおさら、神宮はそこまで特別に考えることがない。
それでもこの試合も、プロのスカウトはしっかりと見ている。
先日にドラフトは終了したが、スカウトは一年が終わっても、まだまだ見るべき選手がいくらでもいる。
今はもう、隠れた実力者というのが、本当に見つからなくなった時代ではある。
それでもスカウトは足を運び、しっかりと選手を自分の目で見るのだ。
神宮大会は好カードがいくつも予想されている。
もっとも関東大会の準決勝が、世代ナンバーワンのピッチャー決定戦であったと思われているが。
将典も二桁の三振を奪って、白富東をかなり封じたのだ。
アルトの一発がなければ、延長に入ってタイブレークに突入していた。
昔からタイブレークはあったが、今のアマチュア野球では、多くがこれを導入している。
ピッチャーの消耗を防ぐためと言われているが、このタイブレークだと三振を奪えるピッチャーが、圧倒的に有利になる。
その意味では昇馬が、一番有利であるのか。
この試合に出ている中では、昇馬の他にも超高校級と言っていい選手が出場している。
優れたピッチャーが何人も集まったのが、この世代であるのだ。
球速だけではなく、総合的な意味でも、一番は昇馬で間違いないだろう。
だが将来性を言うのなら、さらに身長で上回るピッチャーがいる。
上手く勝ち残れば、2m越えのピッチャーである、中浦と中浜の投げ合いが見られる。
二人とも既に、150km/hは投げられるようになっているのだ。
高校生ぐらいであるとまだ、成長が止まっていない。
実際に昇馬もわずかずつだが、まだ身長は伸びているのだ。
しかし他の選手と違うのは、昇馬は高校入学の時点で、既に充分な筋量を誇っていたということ。
それはウエイトトレーニングなどではなく、また自重によるトレーニングでもなく、自然と体を動かすことによって、増えた筋肉であったのだ。
将典もおおよろ、成長は止まっている。
ただ日本人の男性は、遅い人間だと23歳ぐらいまで身長が伸びたりする。
アメリカでもそれが分かっているからこそ、MLBでデビューする選手は、それなりの年齢になっていたりするのだ。
日本は高卒の時点でもう、完成しているピッチャーもいる。
そしてそういったピッチャーは高校野球では勝てるが、プロでは通用しないことも多い。
来年のドラフトにおいては、競合確実な昇馬ではなく、また一本釣りをされそうな将典でもなく、この二人を指名した方がいいのではないか、と考える者がいる。
スカウトとして見た場合、2m以上の体格というのは、積んでいるエンジンも化物のようなものなのだ。
もっともただ背が高いだけだと、もちろん意味はない。
今の時点で150km/hオーバーを投げているというのが、評価の基準になっているのだ。
中浦と中浜の対決は、勝ち残ったなら準決勝となる。
ここまで勝ち残っているのだから、センバツにも当然ながら出てくるであろう。
ただこの二人ほどではないが、フィジカルに期待されているのは、上田学院の真田新太郎。
あの真田の甥であり、身長は190cm近く、やはり150km/hを投げてくるのだ。
もうこのレベルになると、単純に球速だけでは、ピッチャーの資質は分からない。
もちろん昇馬に限って言えば、間違いなくピッチャーとしてプロでも通用するだろうが。
MLBのマイナーでは、両手投げで登録されているピッチャーがいる。
だが実際に投げた、という例はない。
アマチュアレベルであれば、実は日本でも過去にいたのだ。
しかしプロで投げたという例は、これまでになかった。
果たして昇馬がどういったパフォーマンスを見せるのか。
プロに行ってくれれば、そのチームの方針次第だが、面白いものが見られるかもしれない。
神宮大会、白富東の初戦である。
対するは過去に多くの名勝負を繰り広げた、絶対王者大阪光陰。
今でもかなり甲子園に出場し、ベスト8ぐらいには普通に残る。
だがここのところ、とんでもない選手が主力となって、優勝争いをするということがなくなっている。
理由としての一つには、監督の交代があるだろうか。
年齢を理由に、黄金時代を築いた木下が、現場からは退いたのだ。
もっともこの間のワールドカップのように、野球全般から引退したというわけではない。
激戦地区の近畿を制したように、その戦力が目だって低下したというわけではないのだ。
ただここ最近は、プロのスカウトがシニアから追いかけるような、そういうスケールの大きい選手が、あまり入っていない。
それでも弱いわけはなく、甲子園には普通に出てくる。
夏も出てきていたし、一回戦は突破していた。
しかし二回戦で負けてしまうあたり、甲子園は恐ろしいところだ。
夏の時点では大阪光陰は、全体評価がBであった。
なおA評価を受けていたのは桜印と帝都一、そして白富東である。
この秋の大阪光陰は、一年生がエースとなっている。
なんだかんだ選手をしっかり集める大阪光陰で、一年生が秋からエースナンバーを背負うのは、かなり珍しいことだ。
140km/h台後半のストレートと、数種類の変化球が、それぞれ決め球として使われる。
本格派とも技巧派とも取れる、バランスのいいピッチャーと言えるだろうか。
ただ評価されているのは、打線のほうであろう。
実際に近畿大会も、全て五点以上を取って、この神宮大会に進出している。
夏にベスト4まで残った天凜も、負かしてこの神宮へ来ている。
もちろん三年の引退で、それぞれの戦力は変わっているのだが。
そしていよいよ、神宮球場での試合が行われる。
高校生にとって、東京以外の学校であれば、ここで試合をする機会は二度しかない。
県大会で勝ち残れば出場出来る甲子園より、ある意味ではレアな体験となる。
全国大会であり、在京球団のスカウトが、集まるのがこの神宮大会だ。
甲子園と違って黒土ではないグラウンド。
だが人工芝には、マリスタで慣れているのが、白富東の面々である。
サッカーと違って野球は、芝のないグラウンドが普通である。
プロ野球などは別であるが、内野は土がむき出しだ。
このあたり野球が、サッカーの天然芝を揶揄する理由にもなっている。
サッカーは芝の養生のため、アマチュアなどにスタジアムを貸し出し出来ない。
チーム単体では赤字経営ばかり、と言われているが単なる事実である。
神宮球場はプロ野球のレックスの本拠地であり、基本的に大学野球や高校野球にも使われる。
なのでプロがデーゲームを出来る日は、かなり限られているのである。
レックスの本拠地移転の話が何度もされるのは、この神宮との契約が一年単位であるからだ。
もっともレックスとしても、首都というこの条件を、なかなか捨てるわけにもいかないだろう。
関東では他に、千葉、埼玉、神奈川にプロ野球のチームがある。
やはりフランチャイズ経営が上手くいくのは、周辺人口が100万人をオーバーしてからであろう。
もっとも今は、独立リーグが存在する。
資本が小さい中で、しっかりとやりくりする独立リーグが、存続していけるという状況。
やはり日本は野球大国である、ということが理由なのだろう。
16球団構想は、今でも一応残っている。
しかし東北や関東、四国といったあたりにも独立リーグが存在すると、ある程度のファンはそこに集めることが出来るのだ。
もちろんNPBの集客力には、全く敵わないのであるが。
大阪光陰戦、白富東は先攻を選択した。
さて、一年生エースの具合はどのようなものか。
一応は今年の夏、甲子園でも少し投げている。
その折の数字は、平均よりはいいピッチャー、という程度のものである。
秋季大会はおよそ三人で、試合を回していたのが大阪光陰だ。
近畿大会での情報に関しては、一応ネット配信の動画が残っている。
先発で投げる場合もあれば、リリーフで投げる場合もあったが、この試合では先発のオーダーであった。
当然のように白富東は一番が昇馬で、いきなり最強バッターとの対決となる。
司朗が卒業した今、高校野球最強のバッターは、昇馬であると言えよう。
尚明福岡の風見も評価は高いが、活躍度が全く違う。
一年秋の大会以外、全て全国や関東の決勝にまで進んでいる。
それだけに公式戦で強豪のピッチャーと当たって、それを打ち砕いている回数が多いのだ。
まるで父親を思い出させるバッティング。
ただ大介に比べると、アッパースイング気味ではあるのだ。
長打力が高いため、歩かされることも多い。
しかし後ろのアルトもまた、長打を打てるバッターだ。
桜印戦では彼のホームランで、勝敗が決した。
実際にこの才能の満ちた年代でなければ、高卒野手で一位指名されてもおかしくないのだ。
鬼塚からしてみると、さすがにアレクほどの評価は与えられない。
だが素材として見た場合、充分にドラフトの範囲内だ。
むしろ昇馬の存在によって、不当に低く評価されているきらいもある。
実際のプロの現場を知っている鬼塚から見て、二位以内で指名すべき逸材なのだ。
そもそもこの年代の高校生は、風見を除くと評価の高い選手はピッチャーが多い。
同時にバッティングも優れていたりするが。
昇馬にはこの最初の打席、さすがに一球目は見ていけ、という指示を出してある。
優れたバッターでもある昇馬だが、高校野球の一番打者としての適性は、実は微妙なのだ。
それは打てると思ったら、積極的に打ってしまうところにある。
一番打者は出来るだけ、相手の情報を引き出さなければいけない。
事前に情報は入っているが、実戦とは異なるというのはよくある例だ。
そして初球、インハイにボールが投げられた。
昇馬は微動だにせず、そのボールを見送った。
そのコースのストレートを、簡単に見逃されるのは、ピッチャーにとって屈辱である。
少しは反応しろ、というのが正直なところなのだろう。
だが昇馬に対して、いきなりそんなボールを投げるのは、キャッチャーのリードもたいしたものだ。
実際はこのボールを起点に、リードを組み立てていくつもりであった。
しかし昇馬は完全に見切っていたのだ。
次に投げるのは、組み立ての基本からすれば、外角である。
しかし腕の長い昇馬相手に、それはまだ厳しいと判断した。
内角のさらに厳しいところに、もう一球ストレート。
そのサインに頷いたあたり、ピッチャーもいい度胸をしていると言えるだろう。
だがそれは完全に、選択を誤っていた。
インコースのストレートを、昇馬は腕を畳んで軽く打つ。
その軽く打った球が、普通にライトスタンドに飛び込んだ。
内角の球のほうが危険、というのは常識ではある。
だがそれでもここまで、呆気なく打ってしまうとは。
「勝ったかな?」
ベンチで呟いた鬼塚は、別にフラグを立てようと思ったわけでもなかった。
白富東は勝利した。
昇馬は結局この試合も、最後まで完投して完封した。
ヒットを二本ほど打たれたが、三振も20個奪っている。
そしてデッドボールはなかったため、及第点以上の結果と言えるだろう。
一回の表で、勝負は決したのだと、後からなら言える。
白富東はその後も、昇馬以外の活躍によって、二点を追加したのだ。
3-0で勝った白富東が、次に当たるのは尚明福岡。
桜印や帝都一ほどではないが、これまでに何度も当たった相手である。
逆に言えば尚明福岡は、これまで三回連続で、白富東に甲子園で負けている。
白富東以外と当たっていれば、どこまで勝てたかは分からない。
今年の夏は準々決勝で、3-0で負けていた。
そして昇馬からは、一点も取れていない。
打力では全国でも、五指に入るだろうといわれているのにだ。
この尚明福岡との試合が準決勝となり、そして決勝と連戦になる。
他に準決勝に残ったのが、青森明星と瑞雲。
どちらが上がってくるにしろ、超長身ピッチャーとの対戦になるわけだ。
この中でまだ当たっていないのは、青森明星。
来年のセンバツを考えても、そろそろ当たっておきたいかな、と鬼塚は考えていた。
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