第95話 道標
白富東の白石昇馬は、間違いのない怪物である。
高校入学以来、ノーヒットノーランやパーフェクトを複数回達成。
何より恐ろしいのは、自責点がいまだに0ということである。
これを倒すためには、全国のチームが分析をしている。
だが結局のところ、一試合だけで昇馬を攻略するのは、無理ではないかという結論に達してしまうのだ。
下手に実力があるだけに、相手の実力も分かってしまう。
同じ年代には普通に、他の年代であったら目玉となるようなピッチャーが、複数人いるのだ。
そのほとんど全員が、見守るのがドラフト会義である。
来年は自分こそが、と考えている選手は多い。
あるいは大学を挟んでから、と考えていたりもする。
一つ上の世代の、最強バッター。
ワールドカップでも、ベストナインに入っていた世代最高の好打者。
六球団も競合しながら、それを引き当てたのは、微妙なところであった。
「まあいいか」
直史がそう判断するぐらいには、さほどの影響がない。
「近くて良かったわね」
瑞希はそんな単純な感想を洩らす。
「タイタンズかあ」
真琴としても簡単に、応援に行けるチームだなと思った。
いや、なんで野手を指名したんだ、と他の球団の多くは思っていた。
タイタンズに不足しているのは、ピッチャーの方である。
実際に得点力では、セではライガースに続く二位であるのだから。
他球団からFAでスラッガーを獲得したり、あるいは助っ人外国人を補充したり。
ただここのところ、保有している戦力の割には、結果につながっていないと言われていた。
資金力が豊富であっても、上手くそれを使っていない、というのは調子が悪い年のタイタンズにはよく言われていたことだ。
今のタイタンズにしても、主力は高齢化してきており、助っ人外国人も当たり外れが大きい。
今年は五位でフィニッシュしており、去年と変わらない。
それでも来年はどうにか、と思われるところが他のチームとは違うのか。
ともかく今後の10年を引っ張っていきそうな、そんなバッターを手にした。
正確には交渉権を手に入れた段階であるのだが。
司朗としてはそこそこ希望が通った、と考えるべきであろう。
やはりリーグが同じ方が、直史との対戦はしやすい。
スターズが指名をしてこなかったのは意外だが、これでさらに父との対戦さえありうると考えればいい。
もっとも武史はさすがに、衰えてきているのが分かるのだが。
記者会見が始まるわけであるが、司朗はまず言った。
「セ・リーグで良かった、と思います。ナオ伯父さんと対戦する機会が多くなりますから」
直史と対戦したいと思うプロなど、少なくともセでは大介以外にいないであろう。
「タイタンズはてっきりピッチャーを取りにいくのかなと思ってたので、考えていませんでした」
だが日本においては、一番の歴史があるチームではある。
「選手層が厚いので、なんとか一年目から試合に出られるよう頑張りたいです」
一年目の課題としては何か。
「とりあえず使ってもらえないことには結果も出せないので、これから合同自主トレが始まるまで、さらに追い込んでいきたいと思います」
高卒野手としては、まずそこがポイントになるのである。
あとは将来的なMLBへの挑戦という点はどうなのか。
「そのあたりも監督からスカウトさんに伝わっているはずですので、契約次第だと思います」
司朗は自分の出来ることの中で、一番長所が伸ばせることを考えた。
するとやはりバッティングで、どれだけ貢献出来るかということになる。
「さすがに大介さんも長くは現役を続けられないと思うんで、そのあたりまでにはタイトルを狙える選手になりたいですけど、あの人は本当に衰えるっていうことを知らないから」
これにはマスコミも笑うしかない。
色々と質問には答えながらも、司朗は意外に感じている。
また契約の段階において、面倒なことにならないか、とも考えている。
プロのレベルというのは、直史と武史のピッチングに対峙して、ある程度は分かったつもりでいる。
技術的には問題ないと、太鼓判を押されているのである。
今はとにかく、体力をつけなければいけない。
それを考慮した上で、開幕から一軍に入れるかどうか。
スターズ、カップス、フェニックスだけではなく、おそらくタイタンズ以外のチームなら、セでは開幕一軍も狙えたはずだ。
しかしタイタンズだけは、充分であるはずだ。
ただ、外野の中でも司朗の本来のポジションであるセンター。
それを考えると他のチームには、それなりに打てるセンターがいる。
タイタンズは守備力に振ったセンターがいるので、最初から即戦力クラスと見ているのか。
ならば間違いなく、獲得してきてもおかしくない。
また住環境で言えば、実は今よりも面倒になるだろう。
高卒選手は通常、四年間は選手寮に住むことになる。
タイタンズの選手寮は川崎にあるわけだが、東京ドームに移動するとなると、実家からの方が近い。
もちろん二軍の練習場は、寮からの方が圧倒的に近いわけであるが。
これはさっさと結果を残して一軍に行き、実家に戻った方が楽ではないのか。
司朗の場合はそういうことになる。
関東から離れたチームであると、寮と本拠地球場が、それなりに近かったりする。
ただ関東はとにかく地価のこともあり、比較的寮から球場が遠いことが多い。
若い時間は基本的に、練習量を多くしたいのだ。
そして休養の時間も多く取りたい。
そういったことを考えると、とにかく早く一軍に定着し、実家に戻るか一人暮らしをするか、そういったことを考えないといけない。
タイタンズというチームの状態がどうであるのか、司朗はあまり考えていなかった。
ここからデータ分析に優れた従弟に頼んで、そのあたりを考えないといけないのか。
あるいは普通に、高校の監督からその父親を通して、現在のタイタンズの二軍状況を教えてもらうか。
一位指名で伝統の球団に入ることになった。
昔ならば主人公のチームであったのだろうが、それはもう平成の世で終わっているだろう。
(意外と言ったらなんだけど、まあ悪くはないのか?)
結局東京からは、ほとんど出ることにならない。
育った場所で言うならば、他にはニューヨークといったところであろうか。
都会生まれの都会育ちは、やはり都会から離れられないようである。
三球団から指名されていた久世は、神戸オーシャンが交渉権を獲得した。
これで一本釣りに成功した三球団と、タイタンズに神戸を除き、七球団がハズレ一位を指名していく。
このハズレ一位というのも、それなりに競合したりすることが多い。
だが今年はさほどの競合はなく、社会人ピッチャーが一人、その対象となっただけであった。
そして12球団の一位指名が確定し、二巡目以降はウェーバー制で指名されていく。
今年は一位指名と二位指名に、そこまで差があるとは思われていない。
なので各球団は、自分のチームにほしい選手を、まずは上位で即戦力として取っていく。
高校生を指名するのは、おおよそ三巡目以降が多いか。
ただし現状の戦力が充実していると、数年後を見据えて高校生を取ったりもする。
最近では比較的、大卒の選手を取ることが多くなっている。
高校生の時点で体が出来て、もう伸び代がないところまで育成されていることが多いからだ。
ドラフトのスカウトは、その選手の完成形が、どういうものなのかを想像しなければいけない。
高校生としては飛びぬけていても、プロのレベルなら平均的、という場合があるのだ。
そこからさらに成長していかなければ、プロの一軍では通用しない。
少なくとも高校に入った段階から、その選手を見ておかないと分からない。
それがスカウトの最低条件なのだ。
とは言え高校生は、急激に成長するものでもある。
甲子園の一試合だけで、化けてくる選手もいるのだ。
そういう選手をどう評価するのか、それも重要なことであろう。
下手に大学に行かせるよりも、しっかりと二軍から育成した方がいい場合もある。
ただ選手個人としては、下位指名でプロに行くよりも、大学で実績を積んでから、上位指名を目指すという選択もあるだろう。
引退後のことを考えるなら、大卒の称号を持っていたほうが、セカンドキャリアとしては有利であるかもしれない。
もっとも今は大学で、どういうことを学んできたのか、を重視される時代であるが。
プロに進むことまで考えると、徹底的に野球ばかりをしていないと、通用しないと思われたりもする。
実際のところ、本当に野球ばかりして、プロに行った大卒選手は多いのだ。
直史や樋口のようなのは、珍しい例外である。
司朗の同級生である、長谷川も指名された。
カップスなので同じ、セ・リーグではある。
四位指名なので、そこそこ期待はされているということだろう。
カップスは投手と野手、バランスよく指名して獲得している。
司朗は自分のチームになるであろうから、タイタンズの指名も見ていった。
ピッチャーを多めに取っているが、他のポジションもそれなりに取っている。
そして例年のことであるが、福岡はかなりの育成枠を取っている。
タイタンズも支配下を八人、育成を四人と、12人も新人を取っていた。
育成はともかく支配下は、つまり八人クビになる選手が出てくるということだ。
タイタンズはかなり、そのあたりの新陳代謝が激しい。
プロに入って終りではないのだ。
むしろそこからが、職業としての野球人生の始まりだ。
まずは契約が、どういう形で結ばれるのか。
「ここからだぞ」
監督であるジンは、自分の手元から飛び立つ司朗に、そう言葉をかけていた。
一位指名されて良かったね、では終わらないのだ。
そこからどういう契約を結ぶかが、重要になってくる。
司朗は指名順位でも、また高校での実績においても、最高の条件を持っている。
契約金とインセンティブ、そして年俸も一年目としては最大。
そんな当たり前の条件は、まず提示されたのだ。
重要なのはポスティングである。
FAと違ってポスティングというのは、選手ではなく球団の権利なのである。
もっとも選手から言い出さなければ、これが行使されることはないが。
将来的なMLBへの移籍は、既に口にしていた司朗である。
だがまずはこの日、編成部長と担当スカウトが共に、司朗の家にやってきた。
タイタンズとなると、球界での人気はやはり、巨大なものがあると言っていい。
同じ東京ではレックスが、一時の勃興によって、かなりそのファンを奪っていった。
それでも総合的に見れば、日本で一番ファンが多いチームではあるだろう。
かつてはポスティングなど容認せず、FAでメジャーには行ってくれ、というスタンスであった。
しかし今はある程度の実績を残せば、ポスティングも認めている。
まず七年での移籍、つまり25歳というのはタイタンズ側も了承する。
九年経過してから海外FAで移籍されては、タイタンズに何も旨味がないからである。
それならばポスティングで移籍した方が、移籍金も入ってありがたい。
MLBが欲しがるほどの成績にならなければ、それはそれでNPBにとどまるしかないであろう。
だが司朗としては、最短で五年ほどで、MLBに行きたいとも考えていた。
年俸調停などもないので、一時的に年俸が下がることは、覚悟してでの選択である。
そもそもMLBにおいては、10代で活躍し始める選手というのが、とても少ないのだ。
大学を中退する形での、アーリーエントリーというのが多い。
それでもルーキーリーグから始まって、少しずつマイナーを上がっていく、というのが数年は続く。
24歳か25歳あたりで、メジャーデビュー。
FA権を得るまでの過程が、ものすごく長いのである。
もちろん最低年俸であっても、メジャーならばそれなりの金額にはなる。
だが今のNPBからのルートであると、25歳から大形契約で移籍というのが、かなり一般的である。
もっともNPBの場合、FA権を取得するのには、それなりに一軍で登録されなければいけない。
海外FA権を取得する場合、高卒も大卒も九年が最短だ。
司朗の場合はNPBにこだわるのは、まず直史がいるからである。
また親子対決というのもしてみたいし、あるいは昇馬がやってくるかもしれない。
ただ昇馬がプロに来るかどうかは、怪しいところがある。
そういう状況ではやはり、MLBに挑戦するという選択は、残しておきたいのである。
タイタンズに入団すること自体は、拒んでいるわけではない。
このポスティングの部分で、調整して行く必要があるわけだ。
松涛の屋敷に住んでいる、全く金に困っていない高校生。
そして父親の武史はMLBでも実績を残している。
同席していたのは母親の恵美理で、彼女はこういった交渉ごとに関しては、かなり契約の条件に厳しい。
そういうことでこの日は、まず挨拶を受けただけ、ということで話は終わった。
お互いに印象は悪くないが、スムーズにあっさり決まるわけでもない。
細かい部分の調整が、今後は必要になるだろう。
直史や武史が、あと何年現役でいられるか。
それが司朗は気になっている。
特に直史に関しては、対戦経験を積んでおくことは、将来的なキャリアのためにも絶対に必要となるだろう。
史上最高のピッチャーと、公式戦で対戦する。
ただし引退まで、あと何年残っているのか。
それを考えるとあっさりと、MLBに行ってもいいと思うのだ。
身内の中でポスティングを、一番上手く使ったのは誰か。
大介は海外FA権が発生していたし、スキャンダルがなければ行かなかったかもしれない。
直史の場合は大介が移籍した時にのみ、発生する付帯条件を付けていた。
本当にそんな状況になるとは思っていなかったので、今さらだが球団に恩返しのような形で働いているわけだが。
武史は大卒ながら、実績を残してMLBに移籍した。
そう考えると一番移籍が難しかったのは、樋口であったのではないか。
そもそもキャッチャーの役割が、NPBとMLBでは全く違う。
対戦チームの数が圧倒的に多いため、MLBではキャッチャーのリードにも限界があるのだ。
樋口の場合はその頭脳が、普通の人間よりもはるかに優れていた。
だからこそ単純な計算より、ずっといいリードが出来ていたわけだ。
またNPBでは、トリプルスリーも達成している。
バッティングを評価されてメジャーに移籍したが、そこで直史と組んだことにより、圧倒的な数字を残した。
ただ樋口の移籍に関しては、セイバーの働きが大きかった。
あの時期のレックスにとっては、武史よりも樋口の移籍の方が、よほど致命的であったのだ。
もっともそれでも、数年は樋口の残した投手陣で、Aクラス入りが普通に出来ていたが。
樋口はあそこまで、ずっとベストナインやゴールデングラブ賞を獲得していた。
これにトリプルスリーが加わって、MVPまで受賞している。
武史が沢村賞を受賞しているので、それと引き換えにした感じであろうか。
ずっと優勝に貢献してくれていたので、球団としても放出した、という感じである。
タイタンズが指名するというのは意外であり、さらに交渉権まで獲得したというのは、その意外が重なるものであった。
果たしてどういう条件で、チームはポスティングを容認するか。
それを決めないことには、契約はまとまらないであろう。
「25歳までこっちでプレイして、MLBの複数年契約で五年も働いたら、それで充分だとは思うな」
父親である武史は、そんなのん気なことを言う。
ただMLBで五年というのは、重要な数字なのだ。
それだけメジャーにいたら、年金が発生するのである。
直史がメジャーで、あと二年長く働いた理由の一つだ。
基本的にMLBは、10年以上の実働実績がないと、殿堂入りを認めない。
そういった名誉のようなものは、あまり気にしない司朗であるが。
とにかく気になっているのは、強いピッチャーが去った後に、自分がどういうステージで野球をするかということ。
そのあたりのことが気になって、交渉は数度に及びそうになった。
「それで、どうして貴方がここに?」
タイタンズの編成とスカウトは、戸惑いの声を上げる。
「伯父が甥の契約に同席しても問題はないでしょう? それに私は弁護士ですので」
なぜかレックスの選手である直史が、そんなことを言っているのである。
これが駄目なら、瑞希が一緒にいてもいいのだが。
「まあそんな無茶な契約を結ぼうというつもりはありませんから」
直史はそう言っているが、彼の無茶の基準については、全く信用出来ないタイタンズ陣営であった。
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