第93話 そして神宮へ

 同じ時代に生まれたことが不幸であった。

 特に同じ年代に生まれたことが、より不幸であった。

 たとえば真田などは、よくそう言われる。

 シニア時代にはU-15のワールドカップで、世界一となっている。

 だが甲子園で頂点には、一度も立てていない。


 将典の場合は父親の関係から、神奈川トップ2の学校に入ることがなかった。

 ただそれは将典のために、より良い環境を作ろうとした、上杉の親心である。

 下手な甲子園常連校であると、将典におかしな色がつく。

 だが桜印はかつて全国制覇も果たしたが、この数十年は古豪と呼ばれる存在になっていた。

 強豪神奈川の中で、ベスト16には入る。

 充分に全国レベルのチームではあったが、全国制覇をするには届かない。

 そう思っていたが、上杉がしっかりと学校に援助をしたのだ。

 監督に加えて、優秀なコーチ陣。

 そして特待生で同時に入ってきた、優秀な選手たち。


 実際に一年の春から、桜印は結果を残してきた。

 夏には甲子園に久しぶりに出場し、古豪復活とも言われた。

 だが奮わない成績で、学校は変革を求めていたのだ。

 そこが上杉が、息子を預けることに頷いた理由である。

 春からずっと、桜印は県内で勝ち続けている。

 甲子園に比べれば地味とはいえ、神宮大会でも優勝したのだ。

 帝都一と合わせて、三つのチームが覇権を争っていた時代であった。

 だが帝都一は司朗の引退により、その争いからは一歩後退することになる。


 勝てるはずであったのだ。

 早乙女が想像していた以上に、将典の成長は早かった。

 まだまだ伸び代があり、そして二年の夏には甲子園の決勝まで進んだ。

 しかしそこでも、白富東に負けたと言うか、昇馬に負けたのである。


 わずか一点差で、桜印は最後の攻撃。

 監督の早乙女は、自分の失敗に気付いている。

 それはごく単純な、打順の並べ方である。

 少しでも昇馬を打てそうなバッターは、出来るだけ前に出しておくべきであった。

 そうすることによって、わずかでも勝率は上がったはずなのだ。

 しかしそれをしなかった。

 白富東などは、ずっと昇馬を一番バッターに固定していたのに。


 結局昇馬が出したランナーは、デッドボール一つと単打が二つ、この三者のみ。

 つまり九回には、四番の鷹山まで回っていかない。 

 またバッターとしても、鷹山と等しいほどの実力を持つ、将典までも回っていかない。

 結果論だがこの二人を、もっと前の打順に持ってくればどうであったか。

 それこそ無駄な、過去の想定となってしまう。




 1-0での決着であった。

 それはこの夏の甲子園の決勝と、同じスコアでの決着である。

 奪った三振の数も、同じく18個。

 ただ夏に比べれば、少しだけ球数が多くなっている。

 出したランナーの数が違うため、それは仕方のないことなのであろう。


 桜印はまたも勝てなかった。

 去年の秋のように、都合のいい負傷などが出なかったのだ。

 あの怪我がなければ、やはり白富東が勝っていたのか。

 それは分からないが、今日の試合に限って言うなら、やはり昇馬を攻略出来なかったということが大きい。

 そして守りにおいても、昇馬相手に力を使いすぎた。

 だからアルトに甘い球を、持っていかれたということが言える。


 ここに昇馬の本当の強さがあるのかもしれない。

 昇馬は同じテンションのまま、強打者の後にも投げていくことが出来る。

 確かに司朗と対決して、ヒットは打たれている。

 だがそれを引きずらないことが、昇馬の人格としての才能である。

 桜印に勝って、あとは決勝を残すのみ。

 その決勝の相手は、埼玉の花咲徳政であった。


 埼玉は千葉と同じく、それなりにチーム数は多いのだが、そこまで強いチームがなかなか出て来ない。

 それでも花咲徳政は、埼玉御三家と呼ばれるほどの、甲子園出場数を誇っている。

 近年に限って言えば、その三校の中でも一番、甲子園出場回数が多い。

 白富東とは、過去には何度も対戦したことがある。

 だが昇馬の入学以来は、公式戦での対戦は初めてだ。


 高校野球というのは、その学校にとっては相当に、重要なものである。

 他の部活動に関しても、サッカーやラグビー、また柔道や剣道などの大きな大会はある。

 しかし甲子園のブランド力は、それらと比べても圧倒的なものだ。

 県内ベスト16ぐらいに位置する学校は、かなり微妙なものである。

 重要なのは甲子園に行けるかどうか。

 三年間で一度は甲子園に行けないと、強豪の私立というのはややこしい話が出てくる。


 花咲徳政は今年の夏も、甲子園に出場していた。

 だが一回戦で、格下と見られていた新潟代表に、敗北を喫している。

 三年生が引退し、一年生がエースナンバーを付けている。

 そして打撃に関しても、プロから注目される、パワーとテクニックを両立させた選手がいる。


 ドラフト候補が二人いる学校だ。

 それでも桜印に比べれば、ずっと力は劣っているだろう。

 甲子園に出場するチームの中でも、さらに格付けはされている。

 昇馬などは全球団垂涎の的である、ドラフト一位指名確実レベルだ。

 ほんのわずかずつだが、まだ身長は伸びている。

 ここまでの実績を残してきて、まだ伸び代があるというのだ。




 決勝は準決勝の翌日に行われた。

 花咲徳政としては、昇馬が100球を投げた次の日なので、連投での疲労を期待していたであろう。

 だが昇馬は少しぐらい粘られても、ちゃんと緩急を使ってしとめることが出来るのだ。

 球数に比べれば、肉体の疲労度はそれほどでもない。


 決勝であるのに、準決勝よりも少ない観客となった。

 それでもこれは見るべき試合だと、多くのスカウトが注目している。

 桜印戦は言うなれば、完全な投手戦であった。

 もちろん桜印打線は、本来ならもっと点を取ってもおかしくはない。

 県大会の結果などを見ていれば、それは間違いないのだ。

 しかしそれでも、白富東には届かなかった。


 一つのチームが、圧倒的な成績を残すという時代はある。

 かつては大阪光陰が、そういった存在であったし、白富東もそういう存在であった。

 そこには好循環が発生しているのだが、基本的に私立でそれは起こる。

 強いチームが甲子園を制覇する。

 勝つためにその強いチームに、また優れた選手が集まってくる。

 優れた選手が集まるからこそ、また優勝争いをすることが出来る。

 だが白富東は公立であるゆえ、あまり無理が出来なかったのだ。


 それでもどうにか、県内の中堅という立場は保持し続けた。

 だからこそ一人の規格外が入って、とんでもない結果を残し続けているわけだが。

 昇馬一人では、勝てなかった。

 そのボールを受けられるキャッチャーなど、白富東には入ってこない。

 しかし真琴がキャッチャーをして、もう一人長打を打てる選手がいる。

 これによって一年の夏から、全国制覇を可能としたのだ。


 和真が入ってからこちら、白富東は負けていない。 

 つまりそこが、あと少しだけあった、白富東の隙であったのだ。

 わずかに不足していた打撃力。

 事実和真の得点で、勝敗が決まったことも少なくない。

 また和真が後ろにいるため、昇馬とアルトを敬遠しにくくなった。


 二年連続の夏制覇ということで、来年の新入生も少しは期待出来る。

 もっとも本格的にプロを目指すような選手は、ちょっと入ってこないと思われる。

 白富東の選手層を見れば、和真はともかく一年生もまだ、高校生のトップレベルではない。

 確かにある程度、野球は上手い。

 だが昇馬の卒業後は、一番重要なピッチャーがいなくなる。

 そのため鬼塚は、一年生から六人もピッチャーを作って、県大会などはそれで回していたのだ。


 プロまでは望まない、という甲子園に出場したいという選手。

 そういった選手が将来を考えれば、白富東の体育科に入ってこないか。

 長年の伝統がある白富東は、色々な大学への推薦枠を持っている。

 部活動で一定の成果を収めたりすれば、それで推薦されたりする。

 なお野球部以外のスポーツ系では、弓道部が実は全国レベルになっていたりする。

 そこから普通に推薦で大学に行っている選手もいるのだ。




 鬼塚のところにも、シニアの監督から相談があったりする。

 普通の有力選手であれば、三年の春ごろにはもう、進路は決まっているのだ。

 だが甲子園を目指してはいるし、野球は好きではあるが、ガチで野球に人生を捧げようという子供は、今の時代は少なくなっている。

 フィジカルスポーツであるのだから、フィジカルエリートが結果を残す。

 野球が好きだからとか、努力で逆転しようとか、そういうことが難しくなりつつあるのだ。

 また技術も必要であるため、環境も重要になってくる。


 シニアで野球がやれるというのは、その時点で環境に恵まれている。

 直史などは部活軟式であったため、まずレベルが低かったのだ。

 今の指導方法では、フィジカルがある程度優れていれば、一定の水準に持っていくのは難しくない。

 だが今の時代でも、壁を乗り越える人間は存在する。

 そういった選手の可能性まで、閉ざしてしまってはいけないのだ。


 昇馬を放置するのはまずいと、鬼塚は白富東の監督となった。

 そして昇馬がいることによって、下の世代が集まってくる。

 甲子園まで勝ち残れるのか、あるいは大学を目指すのか。

 そのあたりの温度差は、目標によって違うものだ。

 鬼塚はそれらを、総合的に見なければいけない。

 ガチ勢とエンジョイ勢の、妥協点を探っていかなければいけないのだ。


 今の一年生も、甲子園までは行きたい、という選手が多かった。

 そのため白富東に入り、夏の大会でそれは達成された。

 春のセンバツに向けては、ややこしいことになっている。

 一応は関東大会の決勝に残ったことで、既にセンバツに出場することは確定的なのだが。


 最後に残った、関東大会の決勝。

 準決勝からの連投となったが、昇馬の体力に問題はない。

 桜印との対決は、確かにそれなりに消耗するものであった。

 だがこの程度ならば充分に、残った力で抑えることが出来る。


 花咲徳政もまた、高校野球らしい作戦を立ててきた。

 準決勝との連戦というのが、付け込む隙と思えたのかもしれない。

 だが実際のところは、昇馬の回復は一晩で充分。

 またこの試合では、右手で投げる場面も多かったのだ。


 そう、左右完全の両利き。

 スイッチヒッターはそれなりにいるが、スイッチピッチャーで通用するレベルというのは、まさに昇馬ぐらいであろう。

 この関東大会でも、イニングごとに投げる腕を変えていた。

 左六割、右四割といったところだろうか。

 それだけにボール球も多くなったが、右は上手くコントロールが散ったために、かえって打ちにくくなっている。

 MLBでもゾーンのど真ん中に、わずかに動く球を投げる、というのはピッチャーのスタイルの一つである。


 この試合もプロのスカウトは、しっかりと見に来ていたりする。

 そして以前にもあった、両投げというスタイルを確認し、その威力を考える。

 花咲徳政も攻守に隙のない、甲子園を狙うチームなのである。

 しかしクリーンナップに対してさえ、昇馬は右投げを使ったりしていた。

 鬼塚と真琴と相談し、考えた末のことである。




 今年の甲子園では、左だけで投げていた。

 右を混ぜるとどうしても、球数が増えてしまうからだ。

 しかし球数を気にしない場合なら、右で投げることもいいであろう。

 さっきは左で投げた相手に、今度は右で投げる。

 事実上ピッチャーが代わったようでいて、どちらも160km/hを超えてくる。


 スピードガンを持っていたスカウトたちは、どちらも162km/hを超えている球速に驚く。

 本来なら右で投げるのは、あまり意味のないことだ。

 しかしどういう効果があるのか、確かめたかったのは鬼塚や真琴である。

 その結果として、右ではデッドボールを二つも出してしまった。

 160km/hオーバーのデッドボールは、下手をしなくても骨を折る。

 上手く硬いところで当たっても、全身に痺れは走っていった。


 球数はそれなりに増えた。

 それでもこれは効果的だな、と鬼塚は判断する。

 球数制限がある高校野球では、意外と使いにくかったりする。

 しかし純粋に疲労が問題となるプロなら、話は別になってくる。

 先発として左で投げて、その試合を終わらせる。

 次の試合には左ではなく、右でリリーフをやったらどうであろうか。


 もちろんピッチングというのは、腕だけで投げるものではない。

 それでも故障しやすいのは、肩肘に集中している。

 中三日で、先発を左右で試してみればどうか。

 昇馬の体力からすれば、それは不可能ではないのかとも思える。 

 リリーフではなく、左で投げた後に、今度は右で先発。

 これを上手く組み合わせれば、シーズンの勝利数記録を塗り替えることが出来るのではなかろうか。


 直史でもNPBでは27勝が最高であった。

 上杉は26勝である。

 MLBに行けば、直史は最高でシーズン34勝した。

 これを上回るには、もう単純に先発の回数を増やすしかない。

 そして昇馬の体力に、左右両投げを組み合わせれば、それも可能になるのではないか。


 もちろん昇馬がプロに行くか、そして行ったとしてもどう使われるか、それで成績は変わってくるだろう。

 だが左右両投げで、どちらもプロレベルで通用するというのは、おそらく昇馬以降は現れない。

 あるいは現れても、昇馬と同レベルには至らない。

 ピッチャーとしての夢である、左右両投げ。

 これを可能にしたのは、父親の大介ではなく、母親たちの教育の産物である。


 花咲徳政はこれを見せられて、大きく戦意を喪失した。

 人は理解出来ないものを見ると、こうなってしまうという例である。

 もっともちゃんと調べていれば、昇馬が普通に右でも投げているのは、分かっているはずなのだ。

 しかし関東大会の決勝で、これをやってしまうという脅威。

 天才とか超人とか、そういうものではない。

 まさに怪物と言うべきものが、ここから拡散されていく。


 一時期は確かにやっていたが、ここのところは左に絞っていたので、もう左投げだけに専念するのか、と思われていた。

 確かにピッチャーは左投げの方が、絶対的に有利なのである。

 それでも右で投げるというのは、いったいなんの意味があるのか。

 意味はある。ピッチングの幅を広げるということだ。

 一打席目に左で対決し、二打席目は右。

 どちらも剛速球投手ではあるが、コントロールの精度が違う。

 こんなものの相手を、とてもしていられるものではない。

 そんなわけで白富東は、5-0で花咲徳政を下す。

 神宮大会への出場権を獲得したのであった。

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