第91話 七度目
史上最高のナンバーツー、と呼ばれるのかもしれない。
この世代においての、上杉将典の評価である。
一応は一度、白富東に勝っていて、神宮大会で優勝している。
しかしその勝った内容を見ても、どちらの方がより優れたピッチャーであるかは、ほとんどの人間にとって明らかであったであろう。
一試合あたりの奪三振率は、おおよそ20前後。
守備のやることが少ない、と言われてしまうぐらいのものである。
バッターとして見ても、完全なスラッガータイプ。
既に今から、12球団の獲得競争は始まっている。
だが本人が本当に、プロに興味があるのかどうか、そこが問題なのであるが。
この両者の対戦は、これでもう七度目となる。
春の関東、夏、秋の関東、センバツ、二度目の春の関東、夏と戦ってきて、桜印が勝ったのは一度だけ。
ならばもう格付けは済んでいる、と思えなくもない。
だが桜印は将典と共に獲得した、特待生たちが最終学年。
その後も後輩はあちこちから入ってきている。
夏の時点でも充分に強かったが、ほぼチーム力が落ちていない状態である。
もっともそれは白富東も、同じようなことが言えるのだが。
先攻は白富東。
一番には昇馬が入っている。
千葉県内で行われた桜印の試合は、ちゃんと情報班を送って映像を記録している。
ただバックネット裏からの映像では、分からないこともある。
幸いにも一試合は、ネット中継がされていた。
そこから見た限りでは、将典に大きな成長はまだない。
高校野球というのも、なかなかにスケジュールが大変なのだ。
トーナメントに合わせて調整をしなければいけないが、普段からしっかりと体を作る必要がある。
なので本格的に鍛えるのは、練習試合禁止期間の冬。
司朗なども最後の冬で、パワーを上げてきたのである。
甲子園から一ヶ月ちょっと。
確かに試合の経験は増えているだろうが、桜印はこの関東大会でも、将典にはあまり投げさせていない。
序盤に少し投げるか、終盤に少し投げるかといったところ。
そして他のピッチャーに、実戦経験を積ませているのだ。
白富東よりも桜印は、長期的な視野でチームを作っている。
なんだかんだ言いながら、白富東は昇馬が卒業すれば、また県内の中堅校にまでレベルは落ちるだろう。
和真がいてくれれば、そこで点はある程度取れる。
しかし確実なエースクラスのピッチャーが、一人もいなくなるのだ。
来年の春の一年生に、少しでも使えるピッチャーがいればいい。
だがそう都合よくはいかないと、鬼塚も分かっている。
昇馬をしっかりと全国に見せるために、鬼塚は監督をしていたようなものだ。
もちろんこの世代が引退した後も、しばらくは監督をするつもりであるが。
飛びぬけた素材を活かすも殺すも、それは監督次第。
いや、指導者次第と言うべきであろうか。
鬼塚はとにかく、昇馬の成長がおかしくなるような、そういう指導だけはしてこなかった。
そもそもピッチングに関しては、伯父や母の方が、よく理解しているためだ。
シーズンオフの間には、バッティングもピッチングも、鬼塚よりはるかに立派な経歴を持つ三人に学ぶことが出来る。
その環境で鬼塚が出来るのは、教えたがりの中途半端な指導者から、昇馬の野球を守ること。
もっとも昇馬の場合は、アドバイスなども直感的に、自分で取捨選択していた。
そういった本能的なピッチングで、しっかりと技術も培っていくのだ。
この試合ではむしろ、どうやって点を取るか、が問題となってくるだろう。
将典は間違いなく、今の時点では高校ナンバーツーピッチャーだ。
実際にこの間の甲子園でも、1-0という際どい勝負で夏が終わった。
先頭打者に昇馬を据えるというのは、それだけバッティングを回すための意図がある。
最初からホームランを打つ可能性もあるし、二打席目からは真琴がランナーとしている可能性も高い。
甲子園の決勝も、真琴が塁に出てから、一点に結びついた。
ここからアルト、和真と続くのが白富東の得点パターン。
基本的に一人ずつアウトにしていけば、なんとか失点せずに済む。
それが可能なピッチャーなど、全国でも数人しかいないだろう。
まして一試合、それを通せるなど昇馬自身ぐらいであろうか。
この試合も昇馬は、最初の打席は粘っていく。
将典から点を取る方法は、消耗させること。
夏は実際、それで精神的に消耗させた。
ひょっとしたらこの試合も、同じように組み立ててくるかもしれない。
だが同じ作戦をしても、また白富東も同じように対処する。
昇馬はスタミナ勝負であれば、将典よりもずっと分がいい。
試合で使うスタミナとは別の、ひたすら生きていくというスタミナ。
それを昇馬は持っているのだ。
引っ掛けてしまってファーストゴロ。
それが昇馬の第一打席であった。
そこから二番のアルト、三番の和真と片付けて、桜印は一回の表を終える。
三者凡退で、おそらく最強の一番から三番までを終わらせた。
やはり将典は、昇馬に対抗しうる試合を作れる、ただ一人のピッチャーなのであろう。
もっとも匹敵するぐらいのボールを投げるピッチャーは、他にも何人かいる。
昇馬にどれだけ近づくか、それが今のピッチャーの基準になっているのか。
あまりそれを考えない方がいい。
サウスポーでありながら、既に165km/hを投げている。
最後のオフシーズンの間に、果たしてどれだけの球速を上げてくるか。
もう現時点の球速最高が、プロではなく高校生になる可能性が、高くなってきている。
武史の球速も、おおよそ165km/hぐらいで安定している。
本気で投げればもう少し出るが、球速よりも重要なことが、ピッチャーにはあるのだ。
一回の裏、桜印の攻撃。
この一番から五番までは、五番に将典を置いた打線となっている。
同学年の特待生のうち、四人で構成された上位打線。
キャッチャーだけはバッティングよりも、リードとキャッチングを重視して獲得してきたものだ。
将典が昇馬に、ピッチャーとして勝つために必要なもの。
それは自分一人で戦うのではなく、キャッチャーと共にバッテリーとして戦うということだ。
昇馬ほどではないが、将典もストレートのMAXが、158km/hをたたき出しているのだ。
これを活かせるキャッチャーなど、そういるはずもない。
また四番の主砲は、しっかりと甲子園でもホームランを打っている。
(チーム力で勝負すれば、勝機は見えてくる)
桜印の監督の早乙女は、ずっとそう考えている。
実際に一度だけ勝ったのは、突出した戦力である昇馬が、怪我で抜けてしまった試合だ。
(だがあんな幸運に、いつまでも期待するわけにはいかない)
なんとか実力で、一度でも勝たなければいけない。
ただ同年代にあんな怪物がいなければ、桜印は少なくとも、今年の甲子園を制覇することは出来ていたのではないか。
来年以降も競合ひしめく神奈川で、東名大相模原と、横浜学一の二強を相手に、戦っていくだけの戦力はある。
だが全国制覇を狙うなら、この学年で狙うしかない。
実際に神宮大会では、優勝したのが去年である。
戦った相手には帝都一もいて、運が良かったというわけでもない。
早乙女としては自分の監督としての価値を、落とすようなことはしてこなかったと言える。
それでもあの怪物を、どうにか正面から叩き潰せないか。
いや、正面から叩き潰すのは、無理だと分かっている。
だがフェアプレイの範囲内で、しっかりと泥臭く戦って、どうにか勝つルートはないのだろうか。
この一回の裏から、桜印は早くも、昇馬のスタミナを削っていくことを考えている。
だが一番バッターが打席に入った時から、それは難しいと分かってしまった。
変化球を見せて、ストレートを見せて、三球目でストレートを振らせる。
バットに当たらなかったが、ちゃんと振っていっただけ、充分と言えてしまう。
バッターボックスの中では、ほとんどストレートが見えなかった。
将典のボールで、ある程度はバッティング練習をしているが、それでもストレートが違う。
マシンは165km/hに、ついに調整するようになってしまった。
だがマシンの165km/hというのは、既に将典の158km/hに比べれば、ずっと打ちやすいものであるのだ。
機械の投げる球は、どうしてもタイミングが一定になる。
生きた投手の投げる球とは、完全に違うものなのだ
だからプロなどでも、シーズンが始まるまでは、ピッチャーの方がバッターよりも仕上がりが早いと言われている。
昇馬の意識には、わずかに将典が存在する。
ここまで何度も対戦してきて、1-0というスコアで勝っていたりするのだから。
バッターとしての自分から見て、とてつもなく厄介なピッチャーであるのは間違いない。
初回の攻撃を三人で終わらせるなど、そうそう出来るものでもないのだ。
だがマウンドに立った昇馬は、もう切り替えている。
今度はピッチャーとして、桜印を抑えていかないといけない。
先頭バッターは力で押して、三球で終わらせた。
続く二番バッターは、ミートがものすごく上手いというデータがあった。
多くの試合で、かなり球数を投げさせる、嫌なタイプのバッターなのである。
しかし昇馬はストレートから入って、変化球は上手く打たせる。
そして最後にストレートを投げると、それをバットに当てることが出来なかった。
三番はこの上位打線では、唯一の一年生である。
夏までのデータでは、ベンチには入っていたが、スタメンではなかった。
ただ体格や構えなどを見ていれば、ミートタイプのバッターとは分かるのだ。
(ツーシームか)
真琴の出すサインの意味も、おおよそ分かってきた昇馬である。
ここは内野ゴロを打たせて取って、球数を減らしたいのだ。
もしも前に打てず、ファールになってもそれはそれでいい。
ストライクカウントが増えれば、ピッチングの幅も広がっていく。
初球の160km/hオーバーのツーシームを、むしろ当てた方が凄いであろう。
だがショート正面のゴロは、軽々とアウトになる。
これで初回の攻防は、両者共に三者凡退。
ただ内容を言うのであれば、将典の方がやはり、球数は多くなっているのであった。
鬼塚が考えるのは、また夏の決勝のように、白富東の弱いところでは、他のピッチャーを使ってくるのか、ということ。
あの作戦は成果こそ出なかったが、方針としては間違っているというわけでもないだろう。
実際に準決勝までに、将典はかなり疲労していたはずだ。
そして白富東はしっかりと、球数を投げさせていった。
(うちは聖子と鵜飼は、あんまりバッティングに期待できないからなあ)
二遊間を組んでいるので、あまり動かしたくはない。
だが出来れば打てる選手も、ここにいてほしいのだ。
三年生が引退して、今日も一年生がスタメンに入っている。
むしろバッティングの得点力は、上がっているというのが鬼塚の判定である。
この二回の表、将典からヒットが打てるかどうか。
桜印はピッチャーを代えてこなかったので、そこが重要な判断のポイントとなる。
継投が主流の現在であるが、もう一つペース配分というものがある。
かつてはプロ野球においても、下位打線相手には力を抜いて投げる、ということをしていたのが絶対的エースであった。
先発完投が当たり前だったのだから、どこかで抜いて投げる必要がある。
昇馬にしても厄介なバッターと、普通のバッターを区別している。
彼の場合はほとんどのバッターが、普通のバッターになってしまうのだが。
二回の表、最初のランナーを出したのは、白富東であった。
わずかに甘く入ったストレートを、しっかりとセンター前に叩き返した四番。
一年生がここから、三人続いていくのである。
もちろん三番までの、強力打線ほどではない。
だが間違いなく、上位打線の打撃力はある。
白富東はこの秋の県大会、コールドで勝ちあがってきた。
関東大会も二回戦は、コールドで勝ってこの準決勝に進んできている。
昇馬が徹底的に勝負を避けられても、ランナーとなった昇馬を帰す。
これが出来ているからこそ、全国レベルのチームを相手でも、コールドで勝てているのだ。
ここでの攻撃は、結局ヒット一本を打っただけに終わった。
しかし将典や桜印としては、四番以降のバッターにしても、ある程度の注意が必要だと実感した。
集まったデータによって、むしろ夏までより、打撃は上がっていると思われていたのだ。
ただ将典のストレートを、しっかりと合わせてミートしてきた。
長打にこそならないが、スピードにはついてきているのだ。
チーム力自体では、いまだに桜印の方が上と言える。
だが白富東は、間違いなくその差を縮めている。
ただでさえエースと主砲という、重要なポイントでは上回れていた。
それが他の穴とでも言える部分まで、しっかりと埋めてきたのだ。
二回の裏、桜印は四番の鷹山から。
桜印の今の学年では、将典とこの鷹山が、ドラフト候補と言われている。
外野の頭を越える長打と、外野の前に落とす単打を、上手く切り替えて打っていけるケースバッティングが可能な四番。
だがホームランがないわけではなく、今年の夏にも甲子園で、二本放り込んでいる。
昇馬から打てるのなら、それはもう司朗と同レベル。
しかしストレートのスピードには、ついていくのが難しい。
チェンジアップで緩急がついた後に、またもストレート。
高めのこのボールを打ったが、ボールは内野フライに終わる。
バッターの想定していたよりも、ずっとホップ成分の多かったボール。
だがスピード自体には、しっかりとついてきているのだ。
(さすがにスピードには対策してきてるなあ)
キャッチャーの真琴としては、ここからはリードをしていく必要を認める。
元々単に球威だけで抑えていたわけではないのだが。
五番バッターはピッチャーの上杉将典。
本当ならピッチングだけに、専念させてやりたいところなのだろう。
だがピッチャーが可能な選手というのは、根本的に身体能力が優れていたりする。
なのでバッティングでも、ボールを飛ばせたりするのだ。
昇馬というピッチャーから、とにかく一点を取るということ。
これをどうにか果たさなければ、本当の意味での全国制覇は難しいと言える。
しかしここもまた、三振でアウト。
白富東に対して、桜印はまだ一人のランナーも出せず。
球数でも昇馬の方が少なく、微妙だが流れは白富東の方にあるか。
球場に来ている観客は、この試合をしっかりと見ている。
またプロのスカウトとしても、同じく重要な試合と捉えているのであった。
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