第90話 目指せ神宮
司朗はプロに行くらしい。
昇馬はそれを聞いたが、とりあえずやることは変わらない。
神宮大会への出場をかけた、関東大会。
そのトーナメント表が出来たのだが、ちょっといまいち納得しがたいところがある。
「桜印と準決勝で対決か」
夏の優勝校と準優勝校が、決勝ではなく準決勝で戦う。
これもクジであるのだから、仕方のないことであるかもしれない。
そもそも去年の神宮も、事実上の決勝戦と言われたのは、帝都一と桜印の準決勝であった。
三つ勝てば神宮大会に行ける。
だが準決勝の相手がよりにもよって桜印。
もっともそれは両チームが、ちゃんと準決勝まで残ることが前提となっている。
それに関しては白富東も桜印も、主力が最終学年となった今年、万全の状態で戦えるのだ。
「神宮はまた甲子園とは違うグラウンドなんだ」
ふかふかの甲子園とは、また違ったよさがある。
鬼塚はそう言っているが、重要なのはベスト4に入ること。
桜印には負けてしまっても、その負け方がよほど酷くない限り、センバツに選ばれることは間違いない。
白富東は一回戦がシードになっていて、二回戦からの登場。
初戦の相手は先に一回戦を勝っている、群馬の桐生学園である。
なお桜印も問題なく、一回戦は勝っていた。
これで二回戦の準々決勝を勝てば、またも白富東との対決となる。
マンガなら最強のライバルとは、決勝で戦うことになる。
だが実際はクジによるものなので、こういうことも起こるのだ。
一年の夏も、桜印とは準々決勝での対戦となった。
あちらもあちらで白富東以外には、負けていないというのが驚きである。
将典は夏の決勝で投げた後、疲労を抜きながら調整をしていた。
しかし昇馬は甲子園の後、ワールドカップに召集されて決勝では完封している。
疲労が抜けていないのでは、という配慮で鬼塚も、県大会ではアルトと真琴をメインに投げさせた。
さすがにベスト4まで勝ち上がると、昇馬の出番もやってきたが。
昇馬は公式戦だけに限っても、既に50本以上のホームランを打っている。
だが高校通算記録など、全く考えたことがない。
なぜなら大介の記録が、圧倒的であるからだ。
公式戦だけに限っても、まだまだ追いつけない。
そもそも弱い相手と対戦して、そこでホームランを打っても価値はあるのか。
鬼塚もプロであるから、スカウトがどういったところを見ているのか、色々と教えてもらった。
ホームランを打つにしろ、どんなピッチャーからどんな場面で打ったのか、それが重要なのである。
その点では昇馬は、バッティングで流れを変える、ということはあまりしていない。
もちろんホームラン一本で、決まってしまう試合はあったのだが。
一人の力で一点を取ってしまう、という力は昇馬も高い。
だが試合の流れの中で点を取るタイミングは、司朗の方が優れているだろう。
それでもこの大会、白富東は余裕がある。
正確に言えば一年生が戦力化されてきて、かなり楽になっているのだ。
和真以外にも、スタメンに入ってくる一年生が多くなる。
その中には打撃力の高い選手も、当然ながらいるのだ。
桐生学園との試合、昇馬は久しぶりに先発し、フルイニングを投げようとした。
しかしそれが果たされなかったのは、単純な理由がある。
白富東がコールドで勝ってしまったのだ。
関東大会ともなると、ほぼ甲子園レベルの相手と対戦する。
だが七回まで昇馬は、一人のランナーも出さなかった。
五回あたりまでそれが続いたところで、あちらのピッチャーが崩れたのだ。
ピッチャーは心を攻撃する。
バッターには打てないと思わせ、ピッチャーには点を取られたら負ける、と思わせる。
一点も取らせないぞ、という意識はピッチャーに必要である。
その負けず嫌いな部分が、向上心となっていくのだ。
だが一点も取られてはいけないというのは、完全にプレッシャーとなるのだ。
狙う結果は同じであるのに、心構え一つで変わってしまう。
そこを突かれたところで、ピッチャーは交代。
そして二人目からも、順調に点を取っていったのだ。
7-0というスコアで、昇馬は勝負を避けられたが、アルトと和真はホームランを打っていた。
この二人がホームランを打つ時、たいがいは前に昇馬がランナーとしている。
そしてさすがに相手も、俊足の昇馬を得点圏に進ませたくはない。
そう思って投げていくと、力はあるが甘い球、というものになってしまうのだ。
昇馬の活躍は、ワールドクラスのものであった。
これまでも確かに、圧倒的な実力を持っているのは確かであった。
しかしあのワールドカップは、昇馬に格まで与えてしまった。
あの年代の野球選手の中では、世界で一番強いということ。
怪物的なバッターの息子であるという、血統背景まで完璧な人間。
それはさながら父サンデーサイレンスの、母父トニービンといったところであろうか。
しかも母親は、GⅠクラスの女傑なのである。
いや、母の父はそれほどでもないので、ブライアンタイムズの方が近いのだが、それではヘイルトゥリーズンの血が濃くなってしまうというのもある。
遺伝子と環境が、怪物を作った。
そんな昇馬は次に、中五日で桜印相手に投げることとなる。
決勝にどこが上がってくるのか、それは分からない。
ただ鬼塚などが気にしているのは、漁夫の利を得られるかもしれないということ。
土日の連投で、関東大会は終了する。
準決勝で桜印と対戦し、昇馬がある程度削られるなり怪我をするなり、その可能性は否定できない。
それでも昇馬を使わない、という選択はありえないのだ。
継投が主流となったのは、プロの世界だけではない。
高校野球でもそうであるが、白富東も桜印も、全国レベルのピッチャーが他にいないわけでもない。
アルトや真琴も、それなりに投げてはいる。
県大会などは昇馬が投げずに、そのまま勝った試合もあったのだ。
夏の甲子園から、およそ一ヶ月が経過。
この短期間でクオリティを劇的に上げることは難しい。
月曜日から金曜日までは、普通に授業がある。
野球部の練習もあるが、あくまで調整といったところだ。
鬼塚は神宮大会を、必ずしも絶対目標とは思っていない。
既にベスト4に進んできているので、センバツはまず確定している。
確かに全国大会ではあるが、注目度は甲子園には大きく劣る。
高卒でプロ入りした鬼塚には、あまり神宮大会への思い入れはない。
高校時代にはしっかりと、優勝もしているのだが。
高校生だけではなく大学生の部もあり、ある意味では甲子園よりも広い年齢層を取り込みやすい。
神宮という球場のアクセスが、東京の都心部にあることも理由だ。
全ての高校生に、二度しかチャンスがない神宮大会。
これまで昇馬はマリスタと甲子園という、二つのプロ球場を経験していた。
実は台湾での大会も、プロが使うような球場ではあったのだが。
神宮というまた、一つの学生野球の頂点。
そこを経験することも、悪くないと思っているのだ。
桜印に果たして、勝てるかどうか。
これまでは昇馬が怪我をした試合を除いて、しっかりと勝ってきている。
なんらかのアクシデントさえ起こらなければ、今回も充分に勝てるだろう。
夏の決勝を戦ってから、それほどの時間も経過していない。
将典が一気にレベルアップしているかというと、それはまずないと言えるのだ。
秋の大会中も、普通に日々は過ぎて行く。
学校があって授業があって、その後に部活動がある。
さすがに日が短くなってきた、この秋の日々。
一気に気温が落ちることもあるので、コンディション調整が難しい。
最近は夏でもアンダーシャツで、日光を防ぐことを重視している。
だが昔はアンダーシャツ何それという感じで、平気で半袖で野球をしていたのだ。
日焼け止めを使うなど、ありえないことであった。
男子のみならず、女子においても普通に、夏は肌を焼いていたのだ。
だが気温が上がると、それだけ肌を焼くことの危険さも分かってくる。
時代が変わるということは、こういうことも変わっていくのだ。
もっとも鬼塚の現役時でさえ、普通に夏場はアンダーシャツは使っていたが。
昭和の昔は、男女問わず普通に、真っ黒になっていた時代。
ギャル文化でこんがりと肌を焼いている、ヤマンバギャルなどというのもいたであろうか。
選手たちは普通に、学生として勉強している。
だが鬼塚は監督として、対策などを考えないといけないのだ。
基本的には昇馬の力押しで、どうにかなってしまう。
しかし桜印もいい加減に、なんらかの対策を考えてきているだろう。
考えた上で、普通に甲子園では負けているのだろうが。
この短期間の間に、選手のレベルアップを図るのは難しい。
ならばありうるのは、作戦による勝利である。
もしくはメンタルによる勝利であるか。
(関東大会でも普通に、応援は来るからなあ)
夏の甲子園決勝と同じカードなので、千葉県内からの高校野球ファンも集まるだろう。
大介と上杉の、親の代からの因縁も、これに絡んでくる。
そういった見所のある試合が、県内の球場で見られるということ。
まあ観客は多くなるだろうが、それは甲子園を経験している選手たちには、あまり関係ないのだ。
メンタルと考えたが、そのメンタルを揺さぶるのも、作戦のうちであろう。
作戦としては当然ながら、昇馬のスタミナを削りにくるか。
だがそれでどうにかなるほど、昇馬のスタミナは貧弱ではない。
球数制限で負けた時も、ボールの力は全く衰えていなかった。
それこそ今年のセンバツ、同じく延長まで投げたとき、桜印相手に148球も投げていたのだ。
重要なのは単純な球数ではない。
クオリティを維持した上で、どれだけ投げられるかということなのだ。
昔の甲子園など、平気で150球を超えて投げさせることがあった。
今でも昇馬は、それぐらいなら投げられる。
ただそのボールのコントロールや、パワーはどうなっているのか。
基本的に今は、七回でピッチャーの力は衰えると言われる。
魔の七回、などと言われるゆえんである。
100球を全力で投げれば、それぐらいで肩肘に負担がかかってくるのだ。
しかし昇馬の場合は、肉体の耐久力が根本的に違う。
それに恐ろしいことに昇馬は、抜いて投げることも出来る。
八分程度のピッチングであっても、全国レベルの下位打線は打ち取れる。
そんな昇馬にいったい、どれだけ投げさせればいいのか。
また、単純に肩肘が疲れた場合。
昇馬は左が疲れても、右で投げればいいだけなのだ。
甲子園でも通用するレベルで、両利きのピッチャーがいる。
ただしピッチャーは、分かりやすい負荷こそ肩肘にかかるが、実は下半身こそがそのパワーを生み出している。
足の筋肉の方が、腕よりもはるかに大きいのだ。
バッターにしても下半身の力を、どれだけバットに伝えられるかが重要だ。
確かに最後に押し込んでいくが、その前は腕は、バットを支えるだけでいいのだ。
昇馬の下半身の鍛え方は、科学的なアプローチによるものではない。
むしろ野生的で、ひたすら歩くことによって、鍛えられたものなのだ。
歩くと言ってもアスファルトなどではなく、舗装もされていない獣道。
あるいは獣道ですらない、足首や膝などに、負荷がかかっていく場所なのだ。
そういうところを歩くことによって、下半身は柔らかな筋肉がついていく。
これは直史が自然と子供の頃にやっていたのと、同じトレーニングの方法である。
千葉県の県営球場。
収容人数約16000人のこの球場が、完全に埋まっていた。
いちいち甲子園にまで行かなくても、決勝レベルの試合が地元で見られる。
そう思えばこの動員も、不思議なことではないのだろう。
ブラスバンドの有志などが、しっかりと応援に来てくれている。
そしてOBや地元の人間も、この試合には注目しているのだ。
完全なホームの状態で、試合に臨むこととなる。
考えてみればこれまでは、同じ千葉県内で試合をしても、相手も千葉県のチームであったりしたのだ。
それでも初戦などは、これほどの人数は集まらなかった。
つまり多くの観客は、分かっているのだ。
これが事実上の、日本一決定戦であると。
アウェイの雰囲気を感じている、桜印の選手たち。
だがアウェイであるのは、甲子園であっても同じこと。
近畿のチームが圧倒的に有利であり、関東のチームはなかなか応援もされないものだ。
そして応援などには左右されまいと、桜印の選手たちは集中している。
監督の早乙女なども、しっかりと意識していた。
もういい加減に、しっかりと白富東には勝ちたいのだ。
去年の秋季関東大会は、昇馬の怪我というアクシデントで桜印が勝った。
それをあれこれ言われないために、神宮大会まで制したのである。
しかし冬を越えてセンバツにおいては、甲子園の準決勝で、またも白富東に負けている。
延長までもつれこんだとはいえ、負けは負けである。
白富東が決勝で負けたのは、その準決勝で昇馬が、球数を使いすぎてしまったからだが。
この関東大会の日程では、そんな球数制限の問題はない。
純粋にピッチャーとして、どちらが上かを競うこととなる。
とはいえ昇馬はワールドカップで、決勝の7イニングを一人で投げきって完封していた。
ほとんどもう、世界で一番と言ってもいい戦績である。
野球の道を歩んでいく限り、この後もずっと、戦っていくことになるのだろう。
何より来年のセンバツと、夏の選手権を考えると、ここで戦う前から負けるわけにはいかない。
昇馬としても桜印は、厄介な相手だという意識はあるのだ。
春の関東大会でも2-0、夏の甲子園では1-0と、ものすごいロースコアのゲームになっている。
昇馬が対戦して中では、ピッチャーとしては間違いなく最強だ。
少なくとも同年代では、ワールドカップで対戦したアメリカのピッチャーなどより、攻略は難しい相手である。
そのためアメリカが、野球大国という実感がなかったわけだが。
将典は親のことも知っている。
上杉は映像でも見たし、話も色々と聞いていた。
父が、初めて手も足も出ないと思ったピッチャー。
そこを基準に鍛えていったため、他のピッチャーはほぼ打てるようになった、というほどのものである。
昇馬が更新するまでは、甲子園での高校生記録を持っていた。
ただそれも実は、全力では投げていなかった、とも言われている。
親のことは関係ないが、それでもフィジカルエリートではある。
しかし昇馬は野球だけではなく、色々なものに触れてきたのだ。
(まあどこで対戦するとしても、強い相手であることは間違いないしな)
抜く時は八分の力で投げる昇馬。
だがこの桜印に限っては、九分ぐらいの力で投げようと、油断などは出来ない相手と分かっているのであった。
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